「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と頭を下げる企業の幹部たち。
「不快な思いをさせたなら謝る」とコメントして炎上する芸能人。
今の日本、いろんな謝罪を目にします。
でも、“よい謝罪”ってどんなものだろう。
テクニックがあるのかな、そもそも誰のために謝るんだっけ…。
ベストセラー「夢をかなえるゾウ」の作者・水野敬也さんとともに、よい謝罪のヒントを探ることにしました。
(名古屋放送局 ディレクター 工藤大知)
謝罪がライフワーク? 水野敬也さん
「よくぞ、僕のところに来てくれましたね」と笑顔で迎えてくれた水野さん。
累計500万部発行された自己啓発小説「夢をかなえるゾウ」のほか、恋愛やお笑いなどさまざまなジャンルのノウハウ本を手がけ、“日本屈指のノウハウ作家”とも呼ばれています。
聞けば、昔から謝罪について考え続けているとのこと。
作家 水野敬也さん
「謝罪は僕にとって興味深いテーマで、ライフワークのようにずっと研究してきているんですよ。今から謝りに行くという時の、あの嫌な気持ちってありますよね。僕は本当に耐えられなくて、どう乗り越えたらいいんだろうというノウハウがやっぱり欲しくなるんです」
謝罪のプロが伝える「成否を分けるのは感情のコントロール」
水野さんとともに、まず東北大学の特任教授をつとめる増沢隆太さんを訪ねることにしました。
これまで数々の謝罪を分析・解説し、ビジネス界の『謝罪のプロ』と言われています。
東北大学特任教授/人事コンサルタント 増沢隆太さん
増沢さんは、ビジネスにおける謝罪には3つのポイントがあると分析しています。
1.「事態を前に進めること」が最終目標
2.「言い訳・言い逃れ」をしない
3.「謝罪は負け戦」怒られることが大事
失敗する謝罪は、感情をコントロールできずに「とにかく責任を逃れようとしてしまう」ケースだといいます。
増沢隆太さん
「私のせいじゃない、例えばスタッフがやりました、秘書がやりましたと言ってしまう。秘書がやったというのは嘘ではないと思うんですよ。ただそれを見ている人は納得しない。人間ですからやっぱりちょっとでもよく思われたいですし、まして自分のせいじゃないのにお前のせいだって言われるのもやっぱり耐えがたい。この感情をいかに抑えるかに、謝罪というプロジェクトの成否がかかっている」
攻撃的な謝罪は「0点」
実は、水野さんがこれまで実践してきた謝罪法は、「謝る際に弱気にならず、あえて前に出る」攻撃的な謝罪だそうです。
どんな方法なのか、過去のケースを増沢さんに評価してもらうと…。
水野敬也さん
「ある地方に行った時、午前11時くらいにタクシーを旅館に呼んだんです。行き先を伝えたら、タクシーの運転手が『いやなんか言うことあるだろ。あんた予約11時だったよね、今時計見てみな』って言われて、11時4分だったんです」
「僕は『4分遅れたことに本当に申し訳ないと思っている。ただあなたはお客さんに対して、いきなりため口で“あんた”って言ったよね。それに関しては謝罪してください』と言いました。いやお前ふざけんなよみたいな感じでやり合って、最終的にはお互い悪かったねみたいになりました。ちょっと相手に“かます”みたいなことも、謝罪の中にあっていいんじゃないか」
増沢隆太さん
「0点です。とにかく事態を進めなきゃいけないんです。謝罪というのは、相手をやり込めたかどうかではなくて、事態が前に進めば成功。中にはうまくさらに転がってお客さんとのいい関係が築けるというケースがないとは言いませんけれど、危機管理という点では、0点です」
謝罪のプレッシャー 模擬会見で体験する
「謝罪のプロ」から、ビジネスにおける“よい謝罪”について学んだ水野さん。
一方で、自らの感情を押し殺して謝罪することには懸念も抱いていました。
水野さん
「例えば自分の娘がカスタマーセンターで働いていて、何回も電話でクレームをつけてくる人がいた時に、ずっと正しい謝罪マニュアルで対応したけれど耐えられなくなって『ふざけるんじゃねえ、二度とかけてくるな』と電話を切って仕事を辞めたら、僕はすごくほっとします。『謝らなくていい』と言ってあげたい。今の社会で『謝れ』と言われている人を見ると、その人の尊厳が、犯した罪以上に奪われている気がしてならないんですよ。謝罪でその人の尊厳が極限まで奪われていくことは、僕はやっぱり耐えられないです。だから、謝罪で自分をないがしろにしちゃダメだと思う」
「謝れ」という圧力について考える水野さん。
次に挑戦したのは、謝罪の「模擬会見」です。
危機管理のコンサルティング会社が開いていて、大手からグローバル企業まで、ニーズは年々増加。去年は年間200件以上開かれました。
コンサルティング会社が開く模擬会見
謝罪会見の設定は、「水野さんが泥酔して暴力をふるい、逮捕された」というもの。
元新聞社のOBなどが記者役として目の前に並び、厳しい質問が次々と飛んできます。
記者役の男性 ※模擬会見です
「これまでも泥酔して意識を失われるようなことがあったということですよね。お酒の怖さに気づいていないという意味ですか?」
「水野さんが11年前に書いたブログに、“お酒は大量殺りく兵器だ”とご自身で書いていますよ。そういうことを書かれる人間が、泥酔して人に暴力をふるい、怪我をおわせるんですか?」
「これ、謝罪会見じゃなくて、引退会見になさった方がいいんじゃないですか?」
水野敬也さん ※模擬会見です
水野敬也さん
「本当に、この返す言葉がないです。ただ今はまず、僕が暴力を振るってしまった方への謝罪と、罪がどこまで許していただけるのかということが、今最も最優先しなければいけないことだとも感じています」
模擬会見が終わり、水野さんが気になったのは「記者たちはどうやってそんなに強い圧力を生み出しているのか」ということでした。
危機管理のコンサルティング会社 株式会社エイレックス 久我誠さん
「一番わかりやすく言うと、テレビの前のおばちゃんがきっとこんな声を上げているだろうなという意識ですよね。きっと僕らの記事を読んでくれている人は、こうやって突っ込んでいるよねと。意地悪をしてやろうというのではなく、社会のニーズを感じながらやっているんです」
“社会のニーズ”が、謝罪を求める圧力を生み出している…。
模擬会見を終えた水野さんは、今の謝罪の難しさを体感していました。
水野敬也さん
「『怒っている人の“感情”をどうするかってことが、謝罪なんだ』と気づきました。謝罪会見が難しいのは、見ている人が多いのに加えて、怒っているベクトルや怒りの量もそれぞれ違っているんです。例えば、同じ出来事が起きても、とんでもない怒りの謝罪を求める人もいれば、ゼロでよしとする人もある。それなのに、会見で全部の『感情』に答え合わせして、一個一個説明しようとするから、『何を言ってるんだ』となって、失敗してしまうんだと思いました」
「真実を語ってほしい」 遺族が求める謝罪とは
「謝罪とは、怒っている相手の感情をどうなだめるかが一番のポイントではないか」と考え始めた水野さん。
最後に、ある事件で父親を失い、“謝罪”を求め続けてきた遺族を訪ねました。
假谷実さんは、犯罪被害者の会の幹事をつとめ、事件と向き合い続けてきました。
加害者とも直接面会し、真摯な謝罪を求めてきたのです。
自宅の仏壇に供えられていた、父・假谷清志さんの遺影です。
東京の公証役場事務長だった假谷さんは1995年2月28日、オウム真理教の信者によって拉致され、その後、麻酔薬を大量に投与され死亡しました。
水野敬也さん
「事件の前に戻れたら最善です。でも、それが現実的には難しい中で、加害者からどういうふうな対応をされたら、それは謝罪になっていると感じるのでしょうか」
假谷実さん
「私は、謝罪ということの中には、真実を語るということが含まれていると感じます。ただ『申し訳ありません』と言うのではなくて、あなたが何をしたんだと。その時、父はどういう状態だったんだ、父がどう扱われたか、父がどういう気持ちだったのか、何か言葉を発していなかったかとかね。それを知りたいわけです。それを話すことが謝罪なんだと思います」
水野敬也さん
「真実を知りたい。その根底にあるものって、何だったのでしょうか?」
假谷実さん
「まさに一言で言うと、父への思いですよね。2月28日からですから寒い日で、父は風呂が好きだったんでね、ちゃんとお風呂に入れてもらえているのかとかね。本当に監禁されちゃっていたのか。本当に拷問とか…。28日に連れて行かれてから3月1日に死ぬまでの最後の時間がどういう時間だったのかっていうところを、もうできるだけ、情報を取りたいなと思った」
水野敬也さん
「つまりそれは…。好きなものをもちろんよく見たいという、お父さんの最後の時間をひたすら詳細に見たい。それはそうですよね、好きな人を見る。それが、隠されている、ちゃんと見たいと…」
謝罪を求める感情は、怒りだけではない。假谷さんの思いに触れてわかった、新たな気づきでした。
“究極の謝罪”とは、怒りの裏にある愛に気づくこと
「責任逃れをしない」
「自分をないがしろにしない」
「相手の怒りを鎮める」
取材を通じて、“よい謝罪”のためのさまざまなヒントに触れてきた私たち。
最後に水野さんに、“究極の謝罪”にはどんなノウハウがあるのだろうかと問いました。
水野敬也さん
「最終的な僕の結論。究極の謝罪とは、『怒りの裏にある愛に気づく』です。結局謝罪をするときって、相手が怒っているから、それをおさめよう、鎮めようっていう風に考えるんですけど、そうではない。人が怒るときって、その裏側にはその人が大事にしてるもの、もっというと愛しているものがあるんですよね。その愛しているものを奪ってしまったから、その人は怒ってるんだと」
「そのことに気づくと、何をしてしまったのかっていうことも,自分の中にすごく感じられるようになるし、謝罪をする時は、相手から責められると感じちゃうんですけど、実は相手が何かを愛しているから。それが怒りとなって、自分に向けられてるっていう風に理解したときにすごく共感できる。いろんな話が出て、いろんなテクニックがあって、いろんな哲学的な問いの中から得た最大の気づきであり、ノウハウかなと。だから究極の謝罪法と僕は言いたいくらいです」