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「世界平和統一家庭連合」本部奉献式の御言
天一国五(二〇〇五)年五月五日
韓国・ソウル市龍山区青坡洞 世界平和統一家庭連合本部
「双合十勝日」宣布一周年を迎えた五月五日、約千五百人の教会員が集まる中、韓国ソウル市龍山区青坡洞に建設された世界平和統一家庭連合本部の奉献式が挙行されました。
地下四階、地上九階から成るこの建物は、二〇〇三年一月二十一日、真のお母様の還暦記念行事の一環として計画され、約二年の工事期間が費やされました。式前行事として、午前九時に、一階のロビーに真の父母様が入場され、真のお父様による祝祷、テープカットが行われました。続いて、真のお父様が館内を聖別された後、「天上天下平和王權萬歳」と揮毫されました。本式典は、午前九時二十一分から、八階の大講堂で開催され、真のお父様は約二時間二十分にわたって、み言を語られました。
歴史を超える『天聖経』
六階で……。六階ですか? (郭錠煥会長「はい、六階に、ここよりももっと多くの人が集まりました。」)六階にいらっしゃる皆さん、お客様、すみません。
何千人、何万人が入ることができる本堂を造らなければならないのですが、小さな家を造っても、心の狭い人たちが集まってはいけません。ですから、心の大きな人になるためには、狭い所であっても、大きな世界が生きており、わたしたちを希望として、歓迎する未来が生きていると、記憶してくださるようにお願いします。
きょう、み言を短くしましょうか、長くしましょうか? (笑い)きょうは原稿を……。
わたしは本来、原稿をもって語ることを好まない人です。天が案内するとおりに、わたしの口と体をゆだねて語ったので、このような歴史的な『天聖経』が生まれたということを知らなければなりません。
それは、文総裁が独りで話したものではありません。ですから、そのみ言をもう一度聞けば、霊界の音波が響いてくるのです。聖人、賢哲たちが同参して補助していた心情的な内容が、そのみ言の中で長い歳月を生きて動くのです。ですから、『天聖経』のみ言は、常に歴史を超えるのです。
千年万年後には、どのようになるでしょうか? 千年万年後にも、神様が“もっと福を与えたい。”と思われる内容の心情が宿っているのです。そのようなことをここに立っている人は知って、み言を語ってきたということを、皆さんは知らなければなりません。
ですから、長いみ言、すべてのみ言は、すでに五百巻以上の説教集もあり、精選した『天聖経』の内容……。今回、新しくつくったものが二千いくらですか? (「二千四百二十三ページです。」)
昔のものは、二千三百三十二ページでした。二千四百ページを超えるので、そのみ言も膨大な内容であり、そこに題目を天の国の「天」の字に「聖経」と書いておきました。
天の国というものは、地上世界と天上世界が二つの国になっているのではありません。一つの国になっているので、「天一国」というのです。
「天一国」は、二人が一つになった国です。「二」の字に「人」の字で「天」であり、二人が一つになった国です。(『天聖経』は、)「天一国」の教材になることができるという話です。
救世主は荒々しい人
それでは、きょう、これは何の本堂ですか? 郭錠煥氏! (「はい。世界平和統一家庭連合本部献堂奉献礼拝です。」)五万祭壇ですか? 五万何ですか? (「奉献礼拝です。」)
「五万何々」と言ったと思ったのですが、「奉献」と言ったのですか? はっきりと発音しなければ、耳が遠くなっていくおじいさん、ここに立っているいわゆる救世主……。わたしは救世主の顔をしていますか? ちょっと見れば、救世主の顔ではありません。両班の顔ではありません。
荒々しい人なのです。(笑い)荒々しい世の中を救おうとするので、高潔な聖子の姿よりも、もっと荒々しくなければ、救うことができません。
力が強ければ、力のある人として対さなければならず、その世界で追われてかわいそうな人ならば、かわいそうな人としてその人たちを救ってあげなければならず、友人にならなければなりません。
ですから、今、世の中で自分かってに暮らしている人よりも何倍の内容を持っていながら、自分かってにしない生活をしなければ、自分かってに暮らす人を神様の懐に帰す道は永遠にありません。それゆえに世の中の人がすることで、わたしにできないことはないと自信を持ってきたのです。
農村に行けば農民であり、海に行けば漁民であり、山に行けば山人であり、その次に、村に行けば、フォーエイチ(4H)クラブとか何とか、それは、農園を中心として、わたしがすべて指導しました。
朴正煕(元)大統領がセェ マ ウル(新しい村)運動をしたのですが、 運動は、わたしたちの農園自体を百パーセント奪い、国の名前を掲げて、行ったものなのです。 運動はよかったのですが、セェ サ ラム(新しい人)とセェ ハ ヌル(新しい天)運動をすることができませんでした。わたしを前面に立てて、一緒にやっていれば、あのようにかわいそうに亡くならなかったのです。
それで、時を知らない人は、成功と終生の目的を果たすことができる道を行くのは困難なのです! 個人がそうであれば個人が困難であり、家庭がそうであれば家庭が困難であり、社会と国家がそうであれば社会と国家が困難なのです。
天地の時に合わせることができなければ、その合わせることができない人たちは、夕暮れの日の光のように、暗い世界に消えてなくなるのです! 神様曰く「アーメン!」、悪い意味のアーメンです。
救いのみ旨が成立していない皆さんたちには、地獄に行って何千年の受難を経て一周し、臨まれる主が来て、再臨主が来て、その次に地上・天上天国の一つの国をつくろうという、そのような念願があるのです。
そのみ旨を知るレバレンド・ムーンは、孤独単身の生活をせざるをえないというのは理論的観であり、広がった環境与件で必要要件として要求する基準なので、平穏な生活、幸福な生活、自由な生活ができなかったということを、皆さんがまず記憶することを願います。分かりますか? (「はい。」)
共に暮らすことができない今の世の中
総評として簡単に結論を下せば、この世の中は、神様が暮らすことのできない世の中であり、暮らすことができないと同時に、神様が信じることができない世の中です。信じることができない世の中というのは、友人と共に暮らすことができず、食口になることができない世の中です。
そのような世界なのですが、神様と共に暮らし、神様と共に食口となり、神様の仕事をなすことができる同伴者になることを願う、そのような希望を捨てずにきた天の主人がいたことを忘れるべきでないことを、まず記憶してくださるようにお願いします。
記憶しましたか、記憶しますか? (「しました。」)しましたか、しますか? (「しました!」)過ぎていった話をしたので、「しました。」と言わなければならないのであって、「します。」と言えば、落第者になるのです。
さあ、世の中は、所望と希望と愛を残す所になりますか、なれませんか? (「なれません!」)なれません! 全員ここに同参しますか? (「はい。」)世の中は、共に暮らすことができない世の中であると同時に、共に愛することができない世の中です。
ここに同伴しようとして生きる人は、絶望と落胆と嘆息の日々を超えるまでは、平和の起点を求めて、幸福の国家を求めて、理想天国を求めていくということを考える足場もなかったのです! (足場を)さっと掃き出してしまいました。
ですから、わたしがその足場をつくってあげ、定め、行って合わせてみて、それが合うか合わないかを検証したのです。合えば、わたしの欲望を実体として収穫する実ばかりでなく、神様の念願、所望、希望の実として奉献してさしあげる道を行かなければ、神様が地と因縁を結ぶことができる道は永遠にないという結論が出てくるのです。
それゆえに、ここに立っている 某 という人は、少年時代からそのような道を訪ね、一般(の人)が行い、一般が好むものよりも、一般が嫌い、一般が知らない世界の起点を訪ねていき、そこに結実の収穫があれば神様におささげし、自分が立っている所が前進的な第一基台となることを願って闘ってきたのであり、歩んできたのです。そのような文総裁の生涯は、悲惨な生涯にならざるをえないという結論が出てきます。
では、りっぱに成し遂げましたか、りっぱに成し遂げることができませんでしたか? (「りっぱに成し遂げられました。」)りっぱに成し遂げたのなら、一度、拍手してください。(拍手)
わたしに拍手することは、神様に拍手することです。わたしは拍手されるのが本当に嫌いです。どこに行っても拍手です。「パクス (拍手)」というのは「刺さった手」という意味でしょう。「プ ス (夫唱婦、随、)」と言えばよいのに、なぜ「拍手」と言ったのですか? (笑い)拍手は好きではないので、今、わたしのために拍手したのではなく、神様のために拍手したものとして、神様が慰労を受けてくださることを願います。
世の中は信じることができません! 世の中は信じることができないのですが、宗教は信じることができるでしょうか? 答えてください。答えてこそ話せるでしょう。信じることができますか、できませんか? (「できません!」)ここにいる人は、できます! (「できません!」)
わたしよりも弱いですね。「できます!」と言えば、どのように答えなければならないでしょうか? 何百人が集まったのですか? 何千人が集まったのですか? (「千人くらい集まりました。」)「千人」の「せん」は「賎」の字ですか? 「千」と言えば、次は「万」ですが、「千」が好きですか、「万」が好きですか?
わたしが麗水で三万人以上の集会をしてきたので、ここは千人ではなく、一万人も超えなければならないのですが、千人で誇っているのですか? 来た人はりっぱなのかもしれませんが、誇る姿勢で肩をいからせ、“文総裁、良い話をしてほしい。”と願ったとすれば、願ったことが「失礼」ではなく、“失来”であり、それは間違って来たということです。
ですから、礼を守り、“失来”ではなく、「再来」できる人は、福を受けることができる大きなふろしきを持ってきても、神様は哀れみの心を持ってくださるでしょう! ア~! (「メン!」)
なぜ、わたしよりも先に「メン」を言うのですか? (笑い)先生がりっぱでも、それより先に行って頂上に立ちたいというのが人の欲望であり、希望であり、求めていく主義、主張なので、結局は、個人主義化したこの世界なので、避けることができないことであったということを感じながら、み言を始めます。
持てる愛すべてを神様にささげましょう
それでは、国の中で、かってに福を与え、罰を与えることができるそのような国がありますか? それでは、国に愛国し……。忠臣、聖人、賢哲とは何ですか?
普通の平民たちは、国の福を受けることができる人がいないとしても、聖人世界は、イエス様も孔子も釈迦もムハンマドもソクラテスも(ソクラテスはソンカ ラク■指のテストです!)誇っていますが、調べてみると、その人たちが人間世界に福を与えることができることは一つもできませんでした。霊界に行ってみると、成功したという者は一人もいません。
ですから、そのようなことを知っている文総裁は、孤独単身で世界の歴史を再び整えてきて、誤った人生の生涯行路を再び編成、開発することができる旗手になろうと走ってみると、一生の間、悪口ばかりを言われ、今は、悪口を受ける気力さえ失ってしまい、壇上に立つことが恐ろしく思うときになったのです。
ところで、郭錠煥氏の時になりましたか? (「はい。」)わたしはもう後ろに退くので、先頭に立ち、力で、堂々たる度胸を持って、天下を一度に一鎌で切り、ばっさりと……。
わたしの愛すべてを神様にそっくりそのままささげれば、忠孝の道理、忠臣、聖人の道理を代身できる道も、ないことはなく、ありそうである! (「アーメン。」)
世の中は信じることができません。希望もなく、福を願って豊かに暮らそうという考えも、一場の夢の中で描かれた一言であり、真竹の一節を越える程度の、(短い)一生であるということを理解して聞いてくれることを願います。
皆さんは、父母を愛していますか、兄弟を愛していますか、妻を愛していますか? 郭先生! (「全員、愛しています。」)全員、愛しているのですか? そのような答えがどこにありますか? (笑い)
出生が違うのに、どうやって全員、愛するのですか? それでは神様のような人ではないですか? 父母を本当に愛した人はいません。兄弟を本当に愛した人がいるでしょうか? いません。夫や妻を本当に愛した人はいません。なぜでしょうか?
わたしたち人類の先祖が、責任を果たせなかったという統一教会の厳然たる術語があります。「責任分担。」と言ってみてください。(「責任分担!」)
責任分担を果たせなかったのですが、堕落した先祖が果たせなかった責任分担の内容は、何かということです。これが重要なものです。
横に座っている年老いた、上手に祝辞をした金(河)博士、「責任分担」という言葉は、百科事典にありましたか? 四十三年間、学校で年を取ったと誇っていますが、「責任分担」という術語が辞典にありますか?
ありそうですか、なさそうですか? ないでしょう。「責任」という言葉はあり、「分担」という言葉はありますが……。(「責任はありますが、責任分担はありません。」)
「分担」という言葉は、仕事を任されて責任を持てば分担でしょう。「責任」という言葉と「分担」という言葉はありますが、それを合わせた「責任分担」という言葉はありますか、ありませんか? (「ありません!」)
わたしの耳に聞こえるように、一度、大きく答えてみてください。(「ありません!」)聞きましたか? (「はい。」)わたしは年を取っているので聞こえませんでした。もう一度、言ってみてください。(「ありません。」)
「責任分担。」と言ってみてください。(「責任分担!」)その責任分担が何かというと、一つ目は、神様の創造の偉業に加担させようとしたのですが、加担できなかったということです。
アダムを完成させるには、神様お独りでは完成させることができないのです。いくら絶対的な神様でも、独りで完成できるように創ることはできないのです。こうして事故が起きました。
例えて言えば、神様は、九七パーセントに三パーセントを加えて、百パーセントを考えたのです。それでは、九七パーセントは神様がすべて創られ、三パーセントの重要な部分だけは、「あなたが行った。」と言うことができるように、三数に該当するものを残したのです。
一つ、二つ、三つ、また一つ、二つ、三つ、中央を中心として、すべて三つです。一つ、二つ、三つ、一つ、二つ、三つ! 手を中心としても、三数が合わさって音が出ます。いくらこのようにやっても、音は出ないのです。三数が必要なのです。
ルーツを探すことの重要性
韓国の格言に「初不得」の後に、何ですか? (「初不得三■三度目の正直です。」)「初不得三」というのを、だれがつくったのですか? 歴史的にそのような名称はないでしょう?
金博士は、その名称を調べてみましたか? 知らないのですね。「初不得三」という言葉の根は何ですか?
ルーツ(根)探し運動をしています。根を知らない人は滅亡します。根がないので浮草になり、そこで水が干上がれば生きることができないので、自動的になくなります。渇いて、かさかさになって、ほこりばかりが残り、ふうっと吹けば飛んでいくのです。
根が必要です。「根」と言ってみてください。(「根!」)どのような根ですか? 金博士が根ですか? 金博士が人類全体の根になることができますか、できませんか? 誇ったとしても。
「ああ、わたしは四十年以上、教授をしてきて、世の中の根のような先祖になって教育しました。」というような自信を持って、一度も話をしてみることができなかったのです。根がどこなのかを知りません。
宗教の根もそうです。神様がご存じのように、「根がこれだ。」と言うことができますか? 神様は、いつでも指摘できるのですが、宗教を信じる聖人、聖子たちは、「根がこれだ。」と歴史時代に自分の経典に表すことができなかったのです。根を知らなかったのです。
その次に、大学の博士、国を治める大統領……。大統領というものは何ですか? 「大」の字と「統」の字と、その次の「りょう」の字は何ですか? 峠の「嶺」という字ですか、平地の「領」という字ですか? (「領土の『領』の字です。」)
領土の「領」の字は、峠がないということです。「大統領」というのは、大きく統べりながら、平地で大王陛下がお出ましするように、太平聖代圏を成すことができる名称が大統領です!
「領」の字は何へんですか? (「令の字です。」)「令」という字ですか、「今」という字ですか? (「令の字です。」)「令」の字です。これは何ですか? (「貝という字です。」) (「頁という字です。」)
「頁」の字なのか、「貝」の字なのか分かりません。ですから、平坦な道の下にある貝は、口を開けたもの、口を閉じたもの、地にもぐっているもの、すべてのものが大統領の位置に立てません。険山、峻嶺を消化させることができる能力がなければ、大統領になれないのです。
わたしは、“「領」の字ではなく、「山」の字を合わせた「嶺」の字が正しいだろう。”と考えたのです。(「嶺という字です。」)ですから、三八線の峠、分水嶺を意味し、境界線を意味する「嶺」にならなければならないのです。
それでは、神様が九七パーセントの責任を果たされ、三パーセントの責任を果たさなければならないという話を、だれから始めたのかと尋ねれば、「その根はどこですか?」と文総裁に尋ねれば何と答えるでしょうか?
「わたしだ。」と言うと思いますか、「わたしではない。」と言うと思いますか? それを考えてください。下の階でも考えるようにということです。「わたしだ。」と言うことはできません。
その根がなければならないのですが、根も、中心の根は一つでなければなりません。中心の根が二つになれば、どのようになりますか? 木が分かれるのです。
中心の根は、地を貫いて深く入っていかなければならないので、一つでなければならないのですが、一つの中心の根を切って、文総裁が九七パーセントと三パーセントを決めたのでしょうか? 「その先祖がだれか?」と言うとき、わたし文総裁だとは今まで夢にも、一度も考えてみたことがありません。
その根がだれだと思いますか? いくら人間がりっぱでも結果的存在であり、第二存在であることは間違いないということを否定する道理はありません。いくら肯定的な内容を探してみて、哲学書や宗教書を探してみても、「わたしが第一創造の根本であり、第一的な存在である。」という言葉を探し出すことはできません。結果的でしょう。
「わたし」という言葉は、自主的な立場で使う言葉ですか、わたしを紹介するために使う言葉ですか? どちらの言葉だと思いますか?
自主的な立場で言ったのなら自分が根になるということであり、紹介するために、「わたしは相対的だ。」という概念を持つときは結果的存在なので、それでも元の根の前に、いちばん近い所にいることができる存在になるのです!
では、皆さんが「わたし。」と主張することができる何かがありますか? 「わたしたちの家。」と言うとき、「わたしたち。」と言うことができる環境的与件を備え、数十人を治めることができる立場で言うことができるのですか?
「わたし」というものを認定する立場の人たちを十人なら十人立て、自分がその代表的基準に立った者として「わたしたち」という言葉を言っているのか、あるいは、十人を中心として、それよりも低い立場で「わたしたち」という言葉を言っているのかということです。(後者だとすれば、)それは、すべて失礼です。
わたしたちの根は何であり、世界の根は何であり、国の根は何でしょうか? 天の国の根本であり、根の根になることができるものが、何かということです。このような問題まで入っていきます。ですから、なぜ人が生まれたのかという問題に入っていくのです。
なぜ人は生まれたのか
なぜ生まれたのでしょうか? 第一が、神様の創造の偉業に加担させ、創造性を賦与するために、本来、神様は創り始められたのです! 九七パーセントを創っておいて、その次に三パーセントを付け加えるというのではありません。
九七パーセントを始めるとき、すでに三パーセントを心配しながら、創ってきたその主人がいたので、九七パーセントの根の主人もそのかたがならなければならず、三パーセントの主人もそのかたがならなければならないのです! このようになれば、それに対して、「違う。」と言うことはできません。
それでは、神様が九七パーセントを創られるときに、九七パーセントの主体性だけだったのでしょうか、そうでなければ、人の代わりに三パーセントの主体性もあったのでしょうか?
完成させるにおいては、神様ではなく、三パーセントの相対を通して完成させたいという神様の所信があったという事実を考えれば、三パーセントを標準として九七パーセントが相対であり、三パーセントが中心だという論理を立てても、理にかなった論理として受け入れなければならないのです。理論的な体制からです。分かりますか? (「はい。」)
それでは、その人間の創造の偉業の三パーセントが何かということです。一度、言ってみてください。知識ですか? 神様は知識の王です。権力ですか? 神様は能力の王です。お金ですか? 神様は創造の主人です。
それでは、九七パーセントを成した神様は、三パーセントのようなものや、その何十倍でも、思いどおりにすることもできるではないですか? なぜ思いどおりにできなかったのですか? 九七パーセントを主体の位置に立てたのではなく、三パーセントを主体の位置に立てたために問題なのです。
それでは、人間において、アダムとエバが本然の基準で、何ですか? 「原相論」を中心として見てみれば、一つから分かれて(再び)一つになるのです。共産党は正反合の論理を主張しますが、わたしたちは、正分合の論理を主張しています。
正分合で分立することができ、原則では、正から分かれることができる内容になっていますが、それが主体になっていれば、万事がオーケーです。アダムとエバを中心として、子孫の中の孫くらいは、思いどおりに引っ繰り返そうと、北側に立てようと、南側に立てようと、中心の上の位置に立てようと問題にならないはずですが、その三パーセントがなぜ問題になったのでしょうか?
この問題は、「原理」にもありますが、今日この世界が引っ繰り返る「天地開闢」という言葉があります。この言葉は何でしょうか? 祖父が孫にならなければならず、父が息子にならなければならず、兄が弟になりうる、このような論理が天地開闢です。
九七パーセントを誇っていた神様が、三パーセントのために首が引っかかったのです。創造していた期間の何十倍、何百倍やっても解決できないほど引っかかって、倒れたのです。それは何ですか?
三数です! 口もここから三数、これも「一」の字になって三数、ここも中央を中心として三数、耳も平面を中心として共鳴するためには三数を経なければなりません。
手も、音を出すためには三点が備わらなければなりません。三点から音が出るのであって、(そうでなければ)いくらやっても音は出ません。三数が重要です。
三数の重要性
三数とは何でしょうか? 知識でしょうか、権力でしょうか? その次にお金ですか? それは、創造圏内で神様がいつでも思いどおりにすることができますが、三数だけは思いどおりにできません。それは何でしょうか?
「天一国」は、二人、もしくは三人が一つになることを意味します。三つが一つにならなければなりません! 二人または三人が祈祷すれば、神様が成してくださると言いました。千人、一万人、三万人が祈祷すれば、成してくださると言わなければならないのに、なぜ二人、または三人と言ったのですか?
二人または三人が根本です。アダムとエバ、三点を中心として願っていたすべての内容が、自分にあるのではなく相対にあるので、二人または三人が一つになった所に神様が共にいらっしゃって、み旨を成すことができるという聖書の言葉は、うそではないということです。
このような意味で、きょう三数を解くこの日が、統一教会にとって幸福の出発をする起源の日にもなりうるというのは、可能性のある答えなのです! (「アーメン。」)
このようなことを見れば、三数とは何でしょうか? 二人または三人が一つになるのは、愛以外にはないという結論が、このような解釈によって出てきます。
それでは、神様が最も好まれるものは何ですか? 三数です。アダムとエバが最も好むものが何かというと、男性、女性、神様までの三数です。
許文道、許三サム守、許和平が、はげ頭(全斗煥元大統領)の責任者と一緒にするよりも、統一教会に来て、一つになっていれば、天下統一をすることができたのです。この民族が解放統一され、天国理想が成し遂げられたのです。わたしが王権の中の王者になって号令し、四十代には、みそこうじの塊を踏むように、踏んで歩く自信を持って現れたのです。
今から五十年前に、韓国の民が、「文総裁は平和の王である!」、「山に打ち込まれた石も、海に流れて砂になって砂浜をつくっても、その中にあるすべての万物は、王権のための存在である以上、王権に隷属する所有物だ!」と言うとき、すべての万物が「ノーメン。」と言うでしょうか、「アーメン。」と言うでしょうか? (「アーメン!」)だれがアーメンと教えてあげましたか? 心が知っています。質問が必要ありません。
三パーセント完結のかぎは男女の生殖器
三パーセントの完結を標準としたのですが、間違って神様が引っかかったので、このことまで解決できる日までは、神様の創造の偉業の完成は永遠にありえません。
それでは、一体、男性と女性の何が貴いのでしょうか? 口ですか? 鼻ですか、目ですか? 金博士! (「真ん中にある器官です。」)(笑い)
三数、三つをぶら下げて行使するのが男性の何と言うのですか? 生殖器というものです! それは三数でしょう? アダムとエバの上に、大きな愛の根から抜いた、天下を生かしも殺しもする棒がぶら下がっています。
それは素晴らしいでしょう! これを反対に挿し込めば地獄が生じ、正しく挿し込めば天国が生じるのです。そのような作用をする無法地帯が何かといえば、男性の何ですか? 生殖器ではなく、“死殖器”です。堕落したので、生殖器になれなかったではないですか?
“亡殖器”です! (笑い)堕落したので無法地帯です! それは正しい話だと思いますか、思いませんか?
それが三数です。ですから、三数解決の代表者として生まれたのが救世主です! またメシヤです! メシヤは、日本語でいえば、「飯屋」のおじいさんではないですか? その次に再臨主です! 再臨主は何をする人ですか? メシヤは何をする人ですか? 救世主は何をする人ですか?
この三数の数理を解いて、天理のすべての道理を解くことができる公式モデルとして使うことができる能力者の主人が男性なのです! それは「アーメン。」と言うに値するでしょう。(「アーメン。」)それを知らなかったのなら、一度、拍手してみてください。力いっぱい、力いっぱい、たたいてみてください。(拍手)
皆さんが道を歩くとき、腕はどのようになりますか? このようにして、頭はどのようになりますか? このように左側を見て行きますか? 目標を見なければなりません。三数が一つにならなければならないのです。一つ、二つが合わなければならず、三つが一つにならなければなりません。三つが正しく出発できなくなれば、すぐにほかの所に行くのです。
方向というものは、原因と結果を連結させるものは、直線以外にはありません。分かりますか? その目的方向において、直線と直短距離以外には完全な方向が、天地にはないのです!
二人の夫婦が一つになって一緒に生活を歩み始めるとき、目的を中心として出発しなければならず、目的を中心として出発するのですが、回っていくのではありません。
この目的に向かっていく道が直短距離でなければならないのです。一歩の赦しもなく、垂直に行ってこそ直短距離になるのです!
創造目的の中心核は、真の愛
このような原則を知って三数を選んで出発した基地が、永遠の三数まで行くことができるのであって、この原則に符合しなければ、その道を完成し、目的達成の撃破というものが、勝利というものが、平和というものがありえますか、ありえませんか? ありえますか、ありえませんか? (「ありえません!」)
朝なので気持ちをしっかりさせて、聞いてください。ありえませんか、ありえますか? (「ありえません。」)わたしは忘れてしまった! わたしはありえない! 皆さんはどうですか? もやもやしていますね。(笑い)しっかりしなければなりません。
このように話していることは、過ぎていく話ではありません。そのような問題を中心として、その二人と三人が喜ぶものが何かということです。
真の愛というものです! 神様が三数を一つにするための創造目的を結託させることができる、その中心核とは何でしょうか? 真の愛というものであり、真の愛がずれることなく、直短距離を通ることによって原因と目的がぶつかれば、爆発的な力が発現するのです。
そこに再創造の能力以上の力が現れ、二性性相が分立され、個性真理体として認定することによって爆発するのですが、原子爆弾のように、核のように大きく爆発できるので、天地に響き渡るのです。
そのような人間の世の中において、男性という動物は一体どのような化け物であり、女性という動物はどのような不届き者でしょうか? 化け物と不届き者が一つになれば、国も滅ぼし、天下を滅ぼします。滅ぼした女性はどのような人であり……。
このように時間が過ぎていては、何時間もたってしまいますね。何時間たっても面白いでしょう。
韓国語の「チェミ (韓国語で、面白いの意味)」という言葉は、本当に面白いのです。(笑い)「インタレスティング(Interesting)」よりも「面白い」、「面黒い」です!
「インタレスティング」とは何ですか? それよりも「」という韓国語がどれほど美しく、絶妙で、まるくて、持ちたくて、財布に入れておいても、入れたことを忘れてしまうのではないかと心配で、また捜してみて、また捜してみて触り、永遠に喜ぶことができるのです。こうであってこそ、「」という言葉が通じるのです。
ルーツ探しの根本は、愛の主人
それでは、結婚するのは何でしょうか? ふたりでは、ルーツを探し出すことができません。ルーツ探し運動なのですが、そのルーツ探しの根本はだれでしょうか? 愛の主人に間違いないのです。
愛のために、金博士は生まれたのでしょう? 金博士の父母が、生まれなさいと思って愛し、どれほど努力し、どれほど苦労したでしょうか? そのことを考えてみましたか? 考えてみましたか、考えてみたことがありませんか?
金博士! 知らないでしょう? それでは、金博士は、父母が愛するその真ん中に立ち、愛に同参することができる時間をもって生まれたでしょうか、愛に無関係な所で生まれたでしょうか? 答えなければならないでしょう。(笑い)
ですから、真の父母たちが、愛する場の核として父と母のふたりの愛を喜びながら、踊りを踊りながら下に降りていけば娘になるのであり、上に上がっていけば息子になるのです。
ですから、わたしという存在は、父母の愛で踊りを踊ることができる喜びの渦によって、下にいって地を掘っていこうとすれば女性になり、空中に飛んでいこうとすれば男性になるのです。男性が、いつも泥棒のように歩き回りながら、「主人になる。」と言ってもがくのは、そのためなのです。
天下を自分のものにしようという欲心が、男性には皆あるでしょう? 李相回氏もそうですか? 金博士もそうでしょう?
ところが、統一教会になぜ来たのですか? ここでは、すべて失わなければならないのです。それをかき集めたのは、だれのためにかき集めたのですか? 国のためにかき集めたのですか、自分のためにかき集めたのですか? それは尋ねるまでもありません。自分のためなのです。
そのかき集めたものが、本当に忠臣と聖子家庭の主人になることができる立場でかき集めたのですか、自分たち金氏、李氏の二つの両班の欲望を中心としてかき集めたのですか?
これが問題です。前者なら、天は打たないのです。それをふろしきに包んでもっていけば、即席で追い出されます。
「これはだれのものか? 主人を捜してくれ!」と言えば、天国に入っていかなければならないでしょうか、地獄に行かなければならないでしょうか? 闘争の概念をもって始めたので、地獄に行って主人を捜してあげなければなりません。
適当に訪ねていくこともできず、詰まって、国境線や境界線ができ、前に行くこともできなくなるので、千年の恨の恨をもって死ぬほどの苦痛を受けざるをえないというのが、堕落した人類の真相ではないかということを認めなければなりません。
「わたしは堕落した子孫ではない!」、このような自信のある人は、手を挙げてみてください。「わたしは、堕落したかわいそうな人の子孫だ!」という人は、手を挙げてみてください。
統一教会員もそうなのですね! いつ解放されますか? 心と体が闘う人は、神様の愛の世界に同参することができますか、できませんか? (「できません!」)わたしはできます! (「できません!」)できます! (「できません!」)
そのようなときは、「この先生、できない!」と言って、勝たなければなりません。何が何でも勝たなければなりません。堕落したことを知ったのであれば、何が何でも勝たなければならないのです。
勝とうとすれば、それについていっては勝てません。正反対の所に行って何十倍の包囲作戦をして、線で進んでいたものを放棄して円形で進んでいくまでは、地球星など、運動する世界の衛星世界を脱出できないという事実を知らなければなりません。運動法則がそうです。
三数を満たせなかった原因
創造性の偉業をアダムとエバが、堕落する前に完成できなかったことは事実です! 何が故障したのでしょうか? 何で堕落したというのですか? 「淫乱。」と言ってみてください。「淫乱!」(「淫乱!」)
ですから、淫乱を出発させた淫乱の神がだれかといえば、悪魔サタンです。それを仏教では何と言いますか? 仏教を信じている人、何といいますか? 魔軍とも言い、魔王とも言いますが、それはサタンのことです。
サタンは淫乱の神です。ムーダン(巫女)などのような人たちは、性問題の節操を守ることができません。
このように見るとき、全羅道の人がなぜ出世できなかったのかということです。以前に全羅道の「ユクチャペ ギ (朝鮮半島の南部で広く歌われる雑歌の一つ)」を歌った人はだれでしたか? 映画で、何という『便』ですか? (「『西便制』です。」)
本当の娘なのかどうか、わたしは分かりませんが、娘を不自由な体にさせ、音楽を中心として自分の出世をしようと苦労させた、そのような父親を中心とする歴史を残したという、それ自体が悲惨なのです。
李相回氏は慶尚道の人ですか? 金博士は全羅道の人ですか? どこですか? (「慶尚道の人です。」)全羅道ではなくてですか? (「慶尚北道です。」)
慶尚北道のどこですか? 全羅道との境界ですね。(「尚州です。」)尚州なので、忠清北道との境界線ですか? (「はい、境界線です。」)尚州! 全羅道……。(「干し柿がたくさんできます。」)
わたしは尚州に行って、干し柿を買って食べたので知っています。(笑い)避難民として尚州に行ったとき、尚州の干し柿が有名なので、買って食べたことを、今も思い出します。尚州という所、そこに行って、わたしは宴会をしながら、干し柿を食べながら、荷物を解いて暮らそうとしたのですが、尚州から逃げました。そのような話はやめましょう。
何が三数を満たせなかったのでしょうか? 男性と女性の生殖器が三数を満たせなかったのですが、それが何の器官になったのですか?
サタンが永遠に住むことができる居住地となり、血統を連結させて抜け出せないように鉄条網の中に閉じ込めてしまったというのは、正々堂々とした論理です。神様は、血統の主人になれなかったので、追い出さざるをえません。
血統を汚していなければ、何が二千年ですか? アダムを中心として堕落したことを、なぜ赦すことができないのですか?
血統が変わったからです。あす、あさってに結婚しようと準備し、祝宴やベールなどの準備をすべてして、一晩寝れば、ウェディングマーチをかけて、平和の王子と王女が天の国の宮殿に入城することができる、そのような時間を願っていたのに、その日が明ける前に山賊のならず者が来て、盗んでいき、そっくりそのまま泥棒し、あらゆることをして子供を生み、村中が山賊一色になったのです。
神様は、孤独単身で泣き、「失ってしまったアダムとエバをいつ取り戻せるのか、いつ出会えるのか?」と、恨の恨の曲折で死ぬ立場になったのです。
エバは、“それでも昔、夫になるはずであり、本然の夫と息子、娘になれるはずであったのに、わたしが血統を変えてしまったのでこのようになった。”と思って、申し訳なく思ったのです。
そして、サタンに「あなた、本来、息子、娘は本然の夫の神様の息子、娘になるはずなのに、あなたが泥棒してこのようにしたので、行って、あいさつをして、赦してくださるのなら赦してくださいと、一度でもあいさつすべきではないですか?」と言いました。
「嫌だ。」と言うことはできないので、「あなたが紹介してくれ。」と言い、「そのようになれば、どれほどよいだろうか?」と神様を訪ねてきたのです。
それで息子、娘とエバが来たのですが、エバが言うには、「昔、約束された結婚式を避けて、逃げていってよかったです。」と言うでしょうか、「間違っていました。」と言うでしょうか?
問題が起きるのです。「よかったです。」と言うことができますか? 誘引していったサタンに「よくやった。」と言うことができますか?
顔を赤くして地に向かって涙をぽとぽと落とし、足の甲に涙が落ちるエバを見詰めて、サタンもまたそうであり、その息子、娘まで涙を流す所に立つようになるとき、神様が「わたしはおまえを昔と同じように愛している。おまえの息子を同じ血統の血族と考えている。悪魔をこの時間にでも追い出してしまえば、わたしがおまえの夫になり、主人になろう。」、そのように言うことができる神様ですか?
アダムの責任分担とは
三数が一つになることができる器官が故障したので、天の国と地獄の国境が生じたのです。アダムの責任分担の一番目が何かというと、創造性の偉業を相続することです。
二番目は何ですか? 神様によって祝福を受けて息子、娘を生み、神様がアダムとエバを祝福したのと同じように、見えない神様と見えるアダムとエバが父母となり、見えて見えない実体の孫を中心として初めて祝福してあげるのです。その時に分家させて、すべてを分けてあげるのです。
世の中でもそうでしょう? 金持ちの父親に三人の息子がいれば、長男を結婚させて、息子、娘を生めば、次男もそのようにして、三人の息子が結婚して息子、娘を生めば、自分の財産の取り分を分けてあげるのです。長男には半分与え、その次にその二分の一を分けてあげるなどして、分家させるのです。
創造の偉業を受け継いで、自由環境で結婚して、息子、娘を生み、自分の孫の時代にこれを祝福してあげるのです。そのようにすれば、無形の神様は無形の父母として、有形、無形の父母が一つになり、これが後で、アダムとエバの息子、娘は実体だけです。実体の父権を中心として……。
それで、わたしたち統一教会では、天宙父母、天地父母、天地人父母と言うのです。人として生まれるためには、実体を持った男性と女性が成熟して息子、娘を生まなければならず、そのようにして、初めて天の国の結実になることができるのです。
統一教会では、これを何というのですか? 無形の天宙父母と有形の天地父母、無形の天の父母と見える地の父母が一つになり、人格的神であるアダムとエバの実体を中心として、その実体がぶつかって、息子、娘を生まなければなりません。
その息子、娘は何ですか? 実体の父母の結実であると同時に、無形の神様、無形の父母の結実です。そのように、無形の神様が半分の実体をもってアダムに入り、そして無形有形の実体となった父母となり、三段階を経たアダムとエバの息子、娘を中心として祝福をして、その次に相続権が広がるのです。
人は、心と体が一つになり、生心と霊人体が一つになって、神様に対することができます。ところが、堕落によって、それができていません。
ですから、仏教や儒教では何ですか? 儒教思想で、「元亨利貞は天道之常、仁義禮智は人性之綱。」と言ったのですが、見える実体圏の天運の動きの度数を中心として解いたのですが、人格的神を知りませんでした。
「父子有親」ですか? 愛の言葉がどこにありますか? 「君臣有義」ですか? 愛の言葉がどこにありますか? 「夫婦有別」に、愛の言葉がどこにありますか? 人格神を知りませんでした。
人格神は、知・情・意を中心として、わたしたち人間が論議できる根本核の内容とすべて同じ神様になることによって、完全な動機のプラスとなり、相対となるのです。その二つが一つになって、初めて爆発が起きるのです。
熱い水と冷たい水が一つになって、初めて爆発が起きます。刺激的な衝撃を受けなければなりません。ぬるい水同士では爆発がありません。
熱い所に同じ熱い水を入れたら熱さを感じますか? ただそのままなのです。心と体が爆発的な基準ができていないので分からないのです。
皆さんがトイレに入っていって、大きいのを「うーん。」と言ってするとき、マスクをして入っていく人を見ましたか? (笑い)そのようにしたいと思う人は、今晩、一度やってみてください。
それは分かってするのですから、かまいません。マスクをしないでするのですが、なぜそうなのか分かっていないのです。ぬるい水に同じぬるい水を入れても分かりません。熱いものか冷たいものでなければ、刺激を感じることができません。揺れ動くことができないのです。
男性と女性が願うもの
男性と女性が願うものは、何でしょうか? 女性は前に下りていこうとするのです。お尻が重いでしょう? 男性は上がっていこうとするので、肩が重くなければなりません。
バスや電車に乗っても、女性ばかり三人が座り、お尻が大きいのでこのようになり、三人が、あちこちごろごろします。その間に肩の広い男性が座るのは、失礼ではありません。“有礼”になるのです。
きれいな女性が二人座っていれば、醜い男性が行って、「ちょっと席を空けてください!」と言って入り込んで座れば、千里万里の道を行ってみると、“この男性がいなければ大変なことになるところだった。”と思うのです。
最初は気分が悪かったのですが、何十里だけ行けば、この男性が必要であり、男性が倒れそうになればつかんであげ、押してくれば押し返してあげ、そのようにして和合するのです。
お尻が大きくて肩が狭いので、合わせれば四角形になるではないですか? それを見れば、神様は科学者です。
では、男性と女性は合うようになっていますか、合わないようになっていますか? 文総裁は、合わないようになっている! (「合うようになっています。」)夜には合わず、昼には合い、二十四時間、春夏秋冬によって合う、合わないと言うことができますか? 愛する妻はいつでも国境があってはならないのであり、夫も国境があってはいけません! 女性たち、肝に銘じなければなりません。
結婚して、夫が毎晩、訪ねてくるのを好まないのは男性でしょうか、女性でしょうか? わたしは分かりません。(笑い)女性同士で会って話をするとき、結婚して、男性が夜も昼もなくしがみつき、「死ぬまで放さない。」と大騒ぎするとき、それを好まないのが女性ですか、男性ですか? 女性たち、答えてみてください。女性たち! それが分からなければ、雷に打たれます。追い出されるのです。
男性が「嫌だ。」と言うときは、おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、一家が「嫌だ。」と言うようになっています。女性は、無条件に奉仕しなければなりません。
女性の凹は大きいですか、小さいですか? 男性は、井戸端に来て行ったり来たりするものでしかありません。その後ろには宮があります。何の宮ですか? 何の宮がありますか、女性たち。(「子宮です。」)
子宮です! 子宮は広いですか、狭いですか? その子宮を、なぜ準備したのですか?
天の国の神様の精子が出征し、千里万里の道も遠くないとして子宮を訪ねて出発し、数千年間、巡り巡ったのですが、いまだに子宮に入っていってみたことがないのです。ですから、あぜんとするでしょう。
李相回博士も、そのような考えをしなければならないのです。統一教会の文総裁に出会い、“あの人がいくらそうでも、わたしは真っ赤なら真っ赤であり、黄色なら黄色だ。”と思い、文総裁に染まってしまうと思って、ぎゅうぎゅうに(心を)閉ざし、聞くふりをしながらも、批判してきたでしょう。
最近は、文総裁を信じるようになりましたか? (「はい。」)威信や体面を誇る李相回氏ではないですか? 統一教会に間違って入ってきたでしょう?
一族が、「李相回が、われわれ一族を滅ぼした。」と看板を付けて歩き回り、「統一教会は滅びろ。」と祈祷する既成教会の群れも多かったと言っていましたが、その祈祷する群れたちが、最近では、李相回氏の翼になったのですか?
「かものようながんでは駄目で、つるでも駄目なので、足に泳げるものもつけてあげよう。」と言って、また「統一教会でなければ滅びる。」と脅迫して、ここに引っ張ってきたのですが、最近ではよく言うことを聞くでしょう?
行ってきた人たちが口を開いて、後援部隊になったというのですから、望みをもって感謝できる恩賜のかごが、ごろごろと転がり、入ってくるのです。それをしっかりと受けて、商いの元手にし、種を受けて、それを李氏、あるいはキリスト教に蒔かなければなりません。
「五千人の長老を連れてきなさい。」と言ったのですが、千人のあらゆるがらくたばかりを連れてきました。なぜそのようにしたのですか?
既成教会はカインです。聖霊もイエス様も、わたしに「既成教会を救ってください。」と言うのです。政治をしていた人など、過去に捨てたものを立てて、再び統一教会とキリスト教を一つにし、元手をかけないようにして、地獄の門、楽園の門を開き、神様が静座される御座の前で指揮してハレルヤを賛美できる、このような大将が文総裁だとすれば、「文総裁の言うことを聞けば、すべて赦してあげよう。」という看板を付けて歩き回るのに、何が心配ですか?
大変だと思ったでしょう? (「はい、最初はそう思いました。」)最近はそう思わないのですか? (「はい、ずいぶんよくなりました。」)何がずいぶんよくなったのですか? よくならなければ、大変なことになるでしょう。
「力」をつけて勝つ
わたしたちのような人は運動をしたので、りっぱだという人の前で「ふん!」とやれば、神経が伸びて「ううん!」となるのです。そのような力があるので、一度つかんで激しくたたいてしまう時代が来たのです。「力比べをしよう。」と言えば、わたしが力比べをします。
ここに来た統一教会の人たちは、既成教会の牧師の一人、二人に勝ちますか、七人以上に勝ちますか? 「統一原理」を知っているので、七人ではなく、七千人、七万人にも勝つことができます。
霊界の反対する群れを中心として、先生がそのような実験、実践をしていないと思いますか? 天で四十三日間、文総裁追放運動をし、合同攻勢をしかけてきたのですが、わたしは追い出されませんでした。
「気をつけ!」と言って、神様をお迎えし、天の国が混乱して破壊されてはいけないので、神様がこれに判決を下すのです。互いに正しい正しくないと争う所でそれを判別するためには、神様が答えなければなりません。
神様は向こう側にいらっしゃり、文総裁は聴衆の前にいて神様を遠くに見詰めているのですが、「気をつけ! 回れ右!」と言い、「その前にだれがいるのか、わたしは知らないが、敬礼!」と言ったのです。
「神様に敬礼しなさい。」と言えば、敬礼しますか、しませんか? 何も分からずに敬礼しても、敬礼さえすれば、すべて自分が救ってあげようということです。どれほどありがたいかたでしょうか?
そして、「統一原理」を聞けば、忘れてしまうことができません。忘れることができないのです。どこに行っても、「原理」のみ言がすべて合うのです。
歴史の本を見ても、図書館の哲学書を見ても、それでは解決しません。文総裁の言葉を当てはめれば、がちゃ、がちゃっと八〇パーセントはだれでも解決できるのです。
分かりますか? 妖しげな事件の核心がどこかというと、生殖器であるということを知らなければなりません。サタンがそのようにしたので、サタン全権のこの基地を中心として、「おまえが、神様のみ旨を滅ぼすことができるくらいにまでやってみなさい。」と言うのです。
「滅ぼすことができた。」と言うときは、世の中万事、すべて主人がいなくなります。神様も主人になることができず、主人になったサタンも主人になることができず、皆さんの心と体も、金博士も主人がいなくなりました。心と体が闘うではないですか?
DJ(金大中)(前)大統領の所に行ったので、素石(李哲承)先生は金博士を好きではないということを、わたしは知っていますが、歓迎してください。(「好きです。」)
好きなら、自分だけ好きだというのですか? 二人とも好きにならなければならないでしょう。素石氏が先に好きにならなければなりません。
わたしが思うには、統一時代に南北統一をするとき、金博士を立てれば、平和の王なら平和の王の一線に立たなければならないのですが、「一直線に並んで立ちなさい。」と言うとき、「キヨク」の字の形に並んで立つ(曲がってしまう)可能性がありますね。
それでも、わたしが信じるので、信じる心が高まって……。以前に、わたしが“ありがたい。”と思って、感謝しました。
ワシントンのシェラトンホテルに来て、金博士がわたしを見ると、二人が座って「万歳!」と言ったのです。それは二人で相談して、「万歳!」と叫んだのですか、思わず「万歳」と叫んだのですか? (「思わす万歳と叫びました。私は全く万歳を知りません。」)ですから、金大中も、金小中も、金中中も関係なく、わたしが万歳をするときは「億万歳」です。
きょうもそうです。「天上天下、平和の王権、億万歳!」と言えば、あまりにも露骨です。既成教会の人たちは、背を向けて万歳しないのです。それで、「億万歳」をすれば、半分は逃げていくのです。
ここでもそうでしょう。既成教会を信じる人の四五パーセントは、いつも行ったり来たりする人たちです。「億万歳」をすれば全員逃げていくので、しかたなく「万歳」です。
「歳」の字も、このようにしておいて、草かんむりですか、「止」の字ですか? それをおいて、ここにぶら下がってこうして点を打ち、このようにしなければならないのですが、これをすべて片付けてしまって点だけを打ってしまいました。(笑い)
それはそうです。正しい話なのです。わたしが知らないで書かなかったと言うことはできません。
その条件をすべてかければ、既成教会がここに引っかかり、あっちに引っかかり、中にも引っかかり、外にも引っかかって、超えていくことができないので、すべて取ってあげました。
わたしが分かって、そのようにしたので、点だけを打ち、点を中心として、こちら側にはしごをかけたのです。この点を中心として「止」の上に橋をかければ、「正」の字になります。“正々堂々とした万歳なので、億万歳を叫ぶことができる。”と考えながら、その字を書いたのです。
間違って書いたと思いませんでしたか? 思いましたか、思っていませんか? (「総裁、素晴らしいです。」)(笑い)何が素晴らしいのですか? 間違っているということと素晴らしいということとは、違うではないですか? 書き間違えたのでしょう。(「うまくお書きになりました。」)
行く道を見失った世の中
それでは、このくらい話せば、わたしが世界を巡りながら、飢えずに食べていくことができ、死なず生き残ることができる、堂々とした元手の裏付けがあったということを認めなければ死にます、このカンナ (韓国語で「女性」のこと)、ジャシク(韓国語で「男性」のこと)たち! (笑い)
「」とは何かといえば「シ チブ カンナ (韓国語で「嫁いで行ったのか」の意味)」であり、「」は何かといえば、「堕落していない本然のアダムとエバになりなさい。」という言葉ではないですか?
、! 「山の峠を越えて、嫁いで行ってはいけない。」と言ったのに、行ってしまったのが問題です。それについていったので男性まで死ぬのです。これを立て直しておかなければなりません。
それで世の中に中心存在がありません。混乱した世の中なのです! サタンもこれ以降、行く道を知りません。
救世主が現れていないときは行く道を知っていましたが、それが分からなくなったサタンを連れて、神様も、再び行くべき立場にあるということを知らなければなりません。ですから、そのような恨の歴史が継続するのではないかと、文総裁が心配したのです。
イエス様と文総裁と、どちらがより血統的に清いかというとき、今までキリスト教徒たちは、「イエス様は血統を選り分けて、ひとり子として来られ、文総裁は十六歳(数え年)の時に選ばれたので、きっとサタン世界の血統の根があるので、イエス様よりも劣る。」と言ってきたのです。
しかし、文総裁が十六歳(数え年)の前には、八歳の時から村中に祝福をしてあげました。親戚の八親等です。予言して、「ある村の人が死んでいく。」、「おばあさんか、おじいさんか?」と言えば「おじいさんだ。」と言って、間違いなく当てたのです。
ですから、とても話題になり、「わたしたちの村のだれだれとだれだれが結婚するのだが、おまえはどう思うか?」と言いながら写真を持ってくると、ふうっと吹いて、蹴飛ばしてしまったのです。写真を持ってきて、じっと見ていれば、蹴飛ばしません。蹴飛ばさなければ、自分たちが“これでよい。”と考えて、結婚するのです。
そのようにして結婚してみると幸せに暮らし、ふうっと吹いたのに結婚すれば、凶の運勢になって破綻が起きるのです。そのようなことを目で見て知り、どれほど噂になったでしょうか?
川でかにを捕まえても魚を捕まえても、「きょう行けば、大きな魚を捕まえてくるはずなので、お父さん、お母さん、大きな釜をかけて、村の大人たちを連れてきて宴会の準備をしてください。」と言うのです。捕まえてくるかこないか、見ないで準備するということがどこにありますか?
母親も度胸が良いのです。見るまでは信じられない母親なので、「捕まえてきてから、あっという間に準備できるのに、うるさいことを言ってはいけない。恥をかかせようとして、そのようなことを言う。」と言ったのですが、準備しなければ(逆に自分が)恥をかくのです。
ここで先生から祝福を受けて結婚した人、手を挙げてみてください。見てください。一つの道で名のある家庭を三つだけ結婚させてあげれば、その仲介者は働かずに、金持ちの家の客間を占領して生活していくことができるのです。それが仲介の上手なおじいさんやおばあさんが暮らす生活圏です。
わたしが上手に仲介してあげましたか、してあげられませんでしたか? できなかったという人、わたしが尋ねてみるので立ってください。(笑い)
上手に、してあげましたか、してあげられませんでしたか? (「上手に、してくださいました。」)上手に、してあげた代価を払わなければならないでしょう。(笑い)
わたしには代価は必要ないので、代わりに息子、娘を堕落性の痕跡がないようによく育て、わたしに持ってくるのではなく神様にささげれば、神様が、「苦労したすべての功に値する借金を清算できるようにしてあげよう。」と言って、祝福してくださるのです。
祝福してあげて、わたしに利益になったことがどこにありますか? 今回もそうです。大陸責任者たちが来たので、服を一着ずつ買ってあげようとして行ったのですが、皆さんたちは、「来なさい。」と言っても来ないくせがあるではないですか?
全員来ても、かえって困るのです。商店街にいけば、商店街にずらっと洋服店があるのですが、一つの店にだけ行って、たくさん買えば、「あのおじいさんは、来れば毎回、あの店にばかり行っている。」と、他の店が文句を言うのです。
お母様が喜び、その次に案内する人が喜び、このようにして行けば自分たちも申し訳なく思うでしょう。わたしの話はどういうことでしょうか? カイン・アベルなので、アベル的なあなたが成功しなければならず、カイン世界の洋服店よりももっと大きくつくり、それをわたしがもっとたくさん売ってあげればよいだろうということです。
ですから、気を遣って教育することができる環境をつくってあげるのです。教育しなければなりません。
李京埈(鮮文大学校)総長! (「はい。」)六か月延長し、文総裁が世界的な善なる王の中の王でいらっしゃるので、そのかたの思想を知らずにいけば、後代の子孫たちと天上世界の先祖たちの道がふさがるようになっているので、これを教えてあげてから送り出さなければならないということです。
自分が死ぬ前に先祖の墓参りに行くか、自分の親戚を訪ねていかなければならず、先祖の前に正しく結婚してあげた子孫がいるので、その人が門を開いてあげて三時代の人を案内する責任を果たすべき立場に立っているのです。ですから、すべて教えてあげなければ送り出すことはできません。
きょうは「双合十勝日」宣布記念日
六数を経て、七か月、八か月、九か月までです。十か月を過ごすのです。十数は帰一数です。十の次は十一ですか、十三ですか? (「十一です。」)帰一数です。
二十の次に二十三ですか? 百の次に百一であり、一億の次に一億一でしょう。十分の一献金は、十数の帰一数を中心として神様の所有権全体を接ぎ木して取り戻そうとしたものですが、これをすべて台無しにしてしまいました。
それで「双合十勝日」を定めたのです。きょうがそのような記念の日です。拍手してください。(拍手)
「先天時代」と「後天時代」が交叉します。おじいさんが孫になり、お父さんが息子になり、兄が弟にならなければならず、引っ繰り返って下にあった天が上に上がっていき、上にいたサタンが下に下っていくのです。これが上がっていくためには、歴史の終末を中心として、すべてのものを否定しなければなりません。
皆さんが否定しなければ、希望を持つことができないのです。国を信じることができず、個人を信じることができず、責任者を信じることができず、教会を信じることができず、先祖を信じることができないのです。
こうして、ここに落ちてきた神様が、この位置に行くのです。終末世界においてこれを否定しなければなりません。否定して交叉し、この位置まで延長した線がイコーリジェイション(equalization:平衡)にならなければなりません。
李相回氏も、そのようなことを知れば、先頭に立って、偉い牧師を訪ねていき、自分の一族に会い、「このみ言を聞きなさい。」と首に縄をつけて、引っ張ってきて、祝福を受けるようにすれば、福を受けるのです。
今では無理が通じるのです。こちら側に堕落しないからです。法に背けば、アダムとエバを地獄に差し込んだのと同じように、これを中心としてこれと反対に、神様がサタン世界をまとめあげ、個人時代から螺旋形に上がっていき、統一教会員たちがここに来て、無限の世界にまで発展していくのです。
理論が合っているので、統一教会を否定することはできません。わたしたちのような賢い人が……。どれほど鋭敏なのか、行きながら笑えば、「こいつ、おまえはこのようなことを考えて笑っただろう!」、「それをどうして分かったのか?」、「それが分かったから聞いているのだ。そのように考えたか、考えていないか?」、「考えました。」と言うようになります。
友達の中に、わたしの部下が大勢いるのですが、「来なさい。」と言ったのに、来ないであらゆる弁明をするのです。「こいつ、おまえはこのようなことを考えて弁明しただろう?」、「それをどうして分かるのか?」、「それが分かるから、おまえの大将になっているのではないか、こいつ!」と言うのです。
先生は、あらゆることをすべてしてきました。たくさんの経験があります。
下関から、釜山から、白凡(金九)先生の臨時政府に、要員たちを送り出すのです。船に乗って渡ってくるときは、それほど厳しくないのですが、韓国の地では、定州までどれほど調査が厳しかったか分かりません。ですから、汽車の車輪の上に入り込ませるのですが、夜ちょっと居眠りしただけでも死ぬのです。
十二時間、十六時間かけて安東県(現在の丹東)まで行って、中国と連絡していた、そのような経歴のある人なのです。国を愛することができない人が、天を愛することはできません。
今回、「根本先祖(平和の王)侍衛教育大会」の時、有名な人がすべて集まりましたね。素石先生も来たのですが、あのように祝辞をするのですか?
「わたしは、文総裁を兄としてつきあいました。」と紹介していましたね。そのようにしてよいのですか? 天の国の看板を正面に付けずに横に付けています。(父母として侍ったというように根本的な話をすべきなのに枝葉的な話をしたという意味)わたしがここで話していることは、横に看板を付けるような話だとは思いません。
変わらぬ心で貫いてきた生涯
本来、十七歳にでもなれば、結婚するのです。先生が生まれるとき、すでにアダムとエバが堕落していないときのように、幼いときから本性的な面で、文総裁を神様が懐で育ててこられたのです。
先生が十六歳(数え年)の時、おじいさんのような人たちが、「おまえが出てきて、そのようにわたしに教えてくれる。それはなぜそのようになったのか分からないが、わたしたちの先祖もできず、聖人たちもできなかったのに、おまえが教えてくれた。」と言ったのです。
その話は、先生は幼いときから、サタンの前には残されていない本性の心の根を抱いて、神様が育ててこられたということです。十六歳(数え年)の時から出てきて、生涯を通して心の姿勢が変わりません。変われば問題が生じるので、変わらずにこつこつ行くのです。
体の世界、サタン世界を掘り出して抜くために闘い、あらゆることをしました。個人時代、家庭時代……。
八段階が収拾されるときまで、あらゆることをすべてやっても、文総裁を屈伏させることはできなかったのです。
(逆に)屈伏させて、世界の峠を越え、今からは故郷を訪ねていく時になりました。それで、「本部もここに合わせてつくりなさい。」と言ったのです。きょうが双合十勝数であり、「先天時代」と「後天時代」、正式な「プリチャッキ(ルーツ探し)連合」と蒙古斑血族を中心として、カイン・アベルのすべての蕩減を解消してしまったのです。
アダムが責任分担を果たせなかったことによって継承できなかった創造の偉業を、文総裁はそっくりそのまま継承したのです。継承し、三代圏を中心として祝福して四代目です。
信哲や孫たちが四代に入ります。こうして、彼らを祝福することができる時代には、新天地が訪れてくるので、故郷に来て、自分の家に来て、神様が持てなかった三代の孫を祝福できる年齢時代にすべてなったのです。
先生の一族は、国際結婚できません。アダムとエバの三代圏までは、国際結婚できないのです。今では四代圏になり、国際結婚できる時が来たので、統一教会の食口や家庭は、韓国にいたとしても、韓国の人ならば、世界の人たちが争って自分の国で財産を与えてでも連れて行こうとするのです。
性を汚してはいけない
今からはそうです。十年後に統一教会の先生の直系の息子、娘がどのようになるか、見ているようにということです。み旨の道に背かなければ、世界の大統領の婿や嫁になることができるのです。
それで鮮文大学校には純潔大学を創りました。血統を汚してはいけません。清くなければなりません。純潔、その次に何ですか? (「純血です!」)血統が清くなければなりません。
その次に何ですか? (「純愛です!」)その次に何ですか? (「純性です!」)性です! 性を汚してはいけません。
それで、今回ワシントンとここに来て祝福するときは、十八歳から二十四歳までの完全に正しい人をしてあげたのです。結婚前に乱交した、このような人たちは抜いてしまうのです。
アダム家庭は、堕落したのです。ノア家庭は、陸地に入ってきて上陸し、み旨を成し遂げることができませんでした。結局は何かといえば、イエス様もみ旨を成し遂げることができなかったのです。
ですから、そこに該当する人たちを約婚はしましたが、み旨を成し遂げることができなかった人が協会長を始めたのです。郭錠煥氏は、独身の男性として血統が汚れる前に立てたので、祝福の王権を代身して、今まで祝福してあげているのです。
正しいですか、そうではないですか? (「正しいです。」)大きく言わなければならないでしょう。(「正しいです!」)正しいのかどうか、分からないでしょう。ここにいる博士たち、過去の罪を日記のように書かなければなりません。
そのようにしなければ、あの国に行って引っかかることを取り消す方法がありません。そのまま行ってみるようにということです。名前まで残して、きょう、ここでにこにこ笑いながら、金博士のような人がいれば、「ああ、いらっしゃい! わたしたちが行く所は、天国ではなく、文総裁がいらっしゃる所ではなく、ほかの所に行かなければなりません。」と言えば、ついていかざるをえません。
冗談を言っているのではありません。霊界を知らなければならないのです。霊界に対して、今では少し関心を持っているでしょう? 先生に会いたくて、考えないようにしようとしても、しきりに思い出すのです。
父母がだれなのか分かるのです。父母が行く所に行きたいと思う、ちょうど赤ん坊と同じです。幼子のようでなければ天国に入れないと言ったのですが、ちょうど赤ん坊のようになります。
そのようになっていなければ、統一教会についてくることはできません。行く途中で離れていくのです。荷物をまとめて離れていきます。間違いありません。
神様から何も相続できなかった人間
ですから、問題は何でしょうか? アダム家庭の責任分担は何でしょうか? 創造性の偉業を継承することができず、その次に、神様の祝福を受けることができなかったので、相続できる主人の位置を引き継ぐことができなかったのです。息子、娘を生んだとしても、堕落したので、相続することができるものがありません。
これはすべて贓物購買です。泥棒してきたものを分けて暮らしているので、終わりの日には完全に清算しなければなりません。今まで、わたしは、一銭のお金があっても、財布に入れて使ったことがありません。
分かりますか? 三数計算法に合性一体化できる愛の主人になりそうですか、なりますか、なりましたか? どれですか? 浮気しない自信がありますか? 郭錠煥氏! (「はい。」)自信がありますか、ありませんか? (「はい、あります。」)ありますか? (「はい。」)
今、妻が半分しか動けないではないですか? どこに行きましたか? 来ましたか、来ていませんか? わたしが見ても、“ああ、あの人とどうやって一緒に暮らすのか?”と思います。
しかし、しかたがありません。方法がないのです。結婚できないということです。大統領になっても、結婚できません。
お母様もきれいな女性なのに、今は年を取り、ここに白いものが、わたしよりも多くなって、すみません。年を取った夫と一緒に歩くとき、「前に立って行きなさい。」と言うと、若いときは喜んでいましたが、今ではわたしの手を握って「ついていく。」と言います。
それで、ここでも噂になりました。文総裁は自分の妻の手を握って歩いていると。普通、韓国では、夫のほうが妻をおいて、先にどんどん歩いていくのです。それで、妻が“どれほど忙しくてあのように早く歩くのか?”と思うのですが、文総裁は、手をつないで歩くのです。
道を歩いていて休むことができれば、「お母様、どこに行ったのですか?」と呼ぶのです。水を飲みたいのに水もないので、キスでも一度しなければならないでしょう。(笑い)水がなければ、水を飲む代わりに、キスをするのです。そのように暮らすのです。
今現在まで、わたしはこぶしを振り回して、けんかしたことがありません。お母様が座って、涙をぽろぽろ流していれば、話をしてもっと涙を流すようであれば、わたしのほうが逃げたのです。
そうして、きれいなお母様に侍り、きれいに育てて天の国の御座に上がっていくようになれば、「女性が先に座ってみなさい。」と、「お母様が先に座ってみなさい。」と言い、その次にわたしが御座に上がっていくのです。
その礼儀作法まで、わたしは知っている人です。そのようなことが何の話か全く分からず、はるか遠い千里遠征で他郷生活をする人たちが、夢の中で歌うもののように考えるかもしれませんが、夢ではなく事実として迎えることができる時が訪れてきているということを忘れずに、そのようになるケースに引っかからないことを願います! アーメン! (「アーメン!」)
サタンに許諾したために、めちゃくちゃにしたものが何ですか? 神様がサタンに全権を許諾し、おまえの思いどおりにして、文総裁がついてくることができないように滅ぼしてみるようにということです。
そしてつくったのが性の解放であり、フリーセックス、その次にはホモセクシャルです。これ(ホモセクシャル)は動物世界にもありません。昆虫世界にもないのです。
米国は今五十州ですが、三十二の州がホモセクシャルを認めるようにと大騒ぎです。この者たち、すべてわたしの手に任せれば、きれいに処理するのです。しなければ、先祖たちに首を絞めさせてでも処理することができる能力があるのです。
ですから、希望を完成させる可能性のある男ですか、可能性のない男ですか? (「可能性があります。」)金博士! きょう、決心しなければならないのです。
金大中先生の弟子ですか、文総裁の弟子ですか? (笑い)(「精神的に文総裁の弟子です。」)弟子になりますか、息子になりますか? (「息子になります。」)息子ですか? 無視するのに息子と言ってよいのですか? (「祝福を受けました。」)(拍手)
祝福を受けても、み旨どおりにしない人は、霊界に行って祝福を受けた人の地獄が生じることもあるのです。祝福を受けた人の楽園が生じ、祝福を受けた人の天国が生じるのです。個人天国ではなく、家庭天国になるので、その時、金博士は、先祖から、その次に金氏……。
どこの金氏ですか、金海金氏ですか? (「慶州金氏です。」)慶州金氏なら、同じ親類ではないですか? わたしの母親が慶州金氏(注:安東金氏と語られたこともある)です。(笑い)運が悪く、金博士がまたわたしの母親……。(笑い)同情心を持ってはいけないでしょう。(「金首露王から、わたしが四十二代の子孫です。」)
わたしの母親と、どのような関係になるのか分かりませんね。親等を調べ、探してみて、わたしに報告すれば、母親にも侍ることができる人になるので、わたしの弟子ではなく、わたしも息子のように迎えてあげることを約束します。
では、先生の息子になればよいですか、弟子になればよいですか、僕になればよいですか? (「息子です。」)何ですか! (笑い)
世の中に、そのような牧師がどこにいますか? あのようなおじいさんを中心として、冗談でも度が過ぎているでしょう。世の中から見ても、名誉から見ても、先生は限りなく離れた人ですが、金博士は、名門の家の出身で教育者として生き、総理をやっても何度でもできる立場で今まで来たので、いくらやっても文総裁を見下したのであって、目には見えなかったではないですか? (「そうではありません。」)
何がそうではないのですか? 皆、そうでしょう。率直に話してこそ福を与え、後代に同情心を持つのです。何がそうではないのですか?
わたしは率直な人なのです。霊界で教えてくれる話をすれば、本当に困ります。金博士が役に立つからこうでこうだ、だれだれがどうでこうでこうだ、その話をしないでいます。
こうだというそこに引っかからないように、わたしが仕事をさせて峠を越え、そうして平地……。ヒマラヤ山脈を中心として、エベレストの向こうに灰色の鶴が、子どもを生む場所があります。その八千八百メートルを風間に乗って……。わたしはそれを見て、驚きました。
何と、それが風に乗って飛んで上がっていき、また風に乗って飛んで降りてくるのです。そのためには、百日待ってでも、千日待ってでも、老いて死んでも、そのことをしているのです。
統一教会の教会員がそのようにしていれば、天下を統一して余りあるはずですが、そのような人に出会えば、福に福を与え、もちにもちを与え、一生の間、食べさせていくのに、そのような人がいなくて、孤独単身で地ばかり見詰めて生きたのです。天を見ることができずに生きたのです。
今からは、天を見て生きることができるように先生を後援しますか、しませんか? 後援しますか、しませんか? (「します。」)しなければ死にます。死になさい。「チュゴ (韓国語で、死になさいの意味)と言えば、どこに、東京に「住居」……。
「住居」といえば、そこで暮らすことを言うのではないですか? そのように考えれば、そのようにできる方法も、自分が正しいと主導することができる力量がないことはない人が、ここで語る「世界平和統一家庭連合」を創設した怪物であるということです。
天国の家庭をつくるために
ホモセクシャルが好きな人は手を挙げてみてください。ホモセクシャルが何だか知っていますか? どのようにするのか、金博士は知っていますか? 何ですか? (「話は聞きました。」)それはどのようにするのですか? (笑い)
ここにホモセクシャルが、何だか知らない人が大勢いるではないですか? わたしはそれを知って、“全くこのようなことができるのか!”と思ったのです。
米国のような所に行けば、生殖器のようなものを、いくらでも買うことができます。偽物の生殖器です。あらゆる機械(器具)がすべてあるのです。
ですから、わたしはホモセクシャルの人たちの怨讐です。フリーセックスを好む新聞社の怨讐です。“あいつはどうして死なずに……。恐ろしいことは恐ろしい。どうしてあのように上がってくるのか?”と思うのです。自分たちも手を出そうにも手を出すことができません。
今ではもうそのようになりました。わたしは「新聞王」の名を持っている人です。CIA(米国中央情報局)に聞いてみるようにということです。
韓大使! (「はい。」)頭が白いですね。朴正煕元大統領が米国に行ったとき、プレスクラブに行って演説するとき、先生は慶州かどこかに逃げていたのですが……。
そのときの韓大使が、なぜそのように頭が白いのかということです。妻は来ましたか? 妻とたまにけんかするではないですか?
統一教会に入ってきて、やるべきことができなかったことを十倍、百倍大きくして果たし、なおかつ「できませんでした。」と悔い改めることまですれば、喜ぶことができるのです。これは、すべて本当に警告のみ言の代わりとして先生が話しているのです。分かりますか? (「はい。」)
このようにつくっておいて、サタンが神様に言うことは、「このようにめちゃくちゃな、ぼろぼろの状況であり、そのぼろぼろのふろしきにあちこち穴が開き、その穴をいくら繕ってもきりがないほどになっているのに、神様が本然の男性と女性の器官において、堕落のない、エデンの園の春の季節に花が咲いて香りが漂い、直短距離を通して収穫の実りとして天の倉庫に持っていき、天の国の展示場に最高級品として展示したかった本然のアダムとエバの姿をどのように取り戻すのですか?」ということです。このような問題を考えてみるようにということです。
それは不可能に思えることです。しかし、文総裁は、「可能です! わたしに任せてください。」と言ったのです。母、妻、子女、三代まで六、七人です。上・中・下、三掛ける三は、九ではないですか?
それで、親戚(近親)相姦関係です! 米国ではおじいさんと孫娘が暮らしています。おかしなことがあります。父親の前に母親と娘が出てきて、放送していたのです。娘と父親が暮らしているのです。
「それをどうするのか?」と言うと、その母親が言うには、「そのようになったのだから、しかたがないではないか。」と言います。何と!
そして、娘が九つですが、「娘たちに、ぼろぼろのサタンの血統を与えたくない。」と言いながら、自分の父親が九つの娘をめちゃくちゃにしてしまったのです。長女、次女、三女まで、その次には、全員が父親を憎み始め、家の同じ部屋で寝たくないと、荷物をまとめて、近くの友達の家に引っ越して出ていくということが起きるのです。
そのような環境で、天国の家庭をつくることができますか? それが可能ですか、可能ではないですか? 可能ですか、不可能ですか? (「不可能です。」)不可能なのです。
しかし、統一教会の先生が、十六歳(数え年)から今まで、本然の心情を失わずに「プリチャッキ(ルーツ探し)連合会」、根本先祖の役割をして、「平和の王侍衛教育大会」をしたのです。「平和の王侍衛教育大会」という大会が、どこにありますか?
人として生まれて、天が選んだ人を国がすべて一つになってたたきつぶし、踏みつぶしたのであって、侍衛して仕えながら、その体までも自分が死んで保護しようという、そのような伝統がありませんでした。今からその伝統を立てなければならないのです。
金博士も、しかたなくその伝統を立てようと思うのなら、孫のような人が大韓民国の王になっても大王陛下として仕え、国法に該当する法を守らなければならないというのが天法なので、国連の憲法と同様の天法に屈伏しなければならないでしょう。
そうではないですか? 金博士、先生! なぜですか、なぜですか? (「そうです。」)そのように生きてみてください。
わたしは、この人たちに奉仕できなかったので、わたしの代わりに……。わたしよりも年が若いでしょう? 今、七十いくつですか? 六十いくつですか、七十いくつですか? (「七十二にしかなりません。」)
七十二なのですから、わたしよりもどれほど若いですか? わたしが(数えで)八十六なので、十四歳下です。わたしがこき使わなければなりませんが、わたしの言うとおりにしないではないですか? しますか、しませんか? (「します。」)
きょう約束してください。(「はい。」)それでは、このようにしてください! (指をかけて約束するしぐさをされる)(笑い、拍手)
わたしが来た人たちをすべて忘れてしまっても、金博士一人だけを神様の息子として入籍手続きができるように報告すれば、それで……。李相回氏、三人なのに一人抜けましたね。
李何ですか? 秦何ですか? ここに来ましたか? (「きょうはほかの約束があると…。」)なぜですか? 三人が一緒に来なければならないでしょう。
この人たちと、「皆さんは、百二十人ずつ既成教会の長老たちを集めてください。」と約束したのに、既成教会の長老ではなく、全員牧師の友達ばかりついてきて、わたしの頭が行ったり来たりしてくたびれるのです。郭錠煥氏、分かりますか? (「はい。」)
わたしが「五千人しなさい。」と言ったのに、二千人の看板を付けて自分が始めたのです。そのようなやり方がどこにありますか? (「五千人にはなりません。」)
今、そのように言ってもよいのですか? 出発を二千人にすれば、泣きわめいて抗議する人たちが出てくるのです。「ああ、千二百人なら、もう少しだけ増やせば二千人でいっぱいになるのに、どうするのですか?」とデモをするという話をしたでしょう?
尹晶老氏! (「はい。」)デモをすると、抗議すると、わたしに報告したではないですか? 「違います! 五千人なので、まだ半分にもなっていません。」と宣伝してください。(「分かりました。」)
この人は二千人で、あなたは五千人です! (笑い)二千人と言うとき、五千人やってみるようにということです。弟が兄のカインよりも、りっぱであればよいでしょう。
そのような世の中を、神様が文総裁を信じて、わたしに任せようとするのです。そのようにすることができる、任せることができる限界線を超えましたか、超えていませんか? (「超えました。」)結婚するときは交叉結婚です!
今、文総裁の息子、娘たちを交叉結婚させる時が来ました。四代目です。三代以内に天の国の相続権を取り戻すことができる時が、遠くにいる船が来るとき帆柱が見えるのと同じように時間を待つのが退屈ですが、それが訪れてくるようになっているのです。
そのようにできる内容ができていますか、できていませんか? 郭錠煥氏、できていますか、できていませんか? (「できています。」)
できているのです。平和の王たちを、今から駆り立てなければなりません。平和の王たちが「自分の所有権である。」と言っているものは、泥棒したものを売る市場から買ってきた贓物です。
その主人に返してあげなければなりません。聖書にもあるでしょう? 息子が来るときは問題が起きるという話です。
蒙古斑を中心とする摂理
文総裁によって、それが可能な世界になります。今、どのようになっていますか? 蒙古斑、これ(蒙古斑同族連合)が最後です。国の先祖がどこかといえば、蒙古斑(同族)です。
サタンは巧みです。血統を失ってしまわないために、真っ黒な斑点を中心として、強い位置に立っているので、蒙古斑の人が結婚すれば、黒人ももっと黒く蒙古斑が出て、白人も真っ黒に出てくるのです。
ここに、だれか白人はいますか? 白人と結婚した人はだれですか? 鄭元周さん! (真のお母様「子供を連れてきています。」)
子供を連れてきているのですか? お母様が何と言ったのか、一度、話してみてください。鄭元周さんの息子、娘は白人ですが、蒙古斑があったと言って、喜んでいたのです。(笑い)
蒙古斑同族ではありません。同族といえば、東西南北のあらゆる民族を合わせて生んだ子供を先祖たちが同族と認めましたが、これは血族にならなければなりません。血族は根が一つです。
血統は一つであって、いくつもあるのではありません。蒙古斑同族を蒙古斑血族として血盟をしなければなりません。それをすべて知っているので……。
では、わたしたち統一教会は、鮮文大学校に何大学(学部)がありましたか? (「純潔大学(学部)です。」)何人、卒業したのですか? (「次に二十人ずつ卒業します。」)
ですから、何人、卒業したのですか? 八十人を超えるではないですか? (「八十人にはなりません。」)それでは何人になりますか? (「約七十人になります。」)七十人です!
郭錠煥氏、今から何をするのですか? モンゴルの大統領がいるではないですか? (「はい。」)自分がモンゴルの国家メシヤでしょう?
モンゴルの大統領、副大統領、国会議長を集めて、「蒙古斑の先祖が韓国なので、モンゴルは弟の国として入籍しなさい。」と通告してください。(「はい。」)
しなければ、追い出してしまうのです。それで、わたしが新聞社の輪転機をモンゴルに与えたのです。自分がどうしてモンゴルの国家メシヤになったのですか?
珍満氏! (「行きました。」)そこに行っているのですか? (「はい、行事を行って、帰ってきます。」)分かりますね? (「はい。」)
今年十二の国が集まるようになれば、国連をわたしの腰に下げます。見ているようにということです。
それで、韓国民団と朝鮮総連を中心として、これを……。朝鮮総連が国に入ってくるようになれば、一人だけ入ってくるとしても、大使館の許可を受けなければなりません。許可が何ですか?
「朝鮮総連五百人、韓国民団五百人、すべて大会の時に出席!」と言って、韓国民団が、日本が朝鮮総連に反対しても、何でも断行したのです。「どれ、統一部から出てきて出席しないか見てみよう、(しなければ)雷が落ちる。」と言うのです。
わたしはそのような基盤を持っているのです。十七個、十八個の体育館を借りて、三日以内に一度に大会をすることができる基盤も持っている人です。
米国から来るときに連絡して、「何々をするように。」と言えば、問題なくできるではないですか? 今回、麗水でしたことは何日かかりましたか? (「連絡されたのが六日前です。」)それで、動員を始めたのが何日前ですか? (「三日前です。」)三日前に始めたのですが、世界の百五十五か国が参席しました。そのくらいなら恐ろしい動員力でしょう。
文総裁にどのような度胸があるのか、どのような妖術があるのか、お腹の内臓に引っかけて、来ざるをえないように引っ張ったので、来たのです。それを認めなければなりません。金博士も認めなければなりません。(「もちろんです。動員能力も国家よりも、もっと大きいです。」)(笑い)
ああ、国家がそのようになれば、滅ぶのではないですか? (「国家も、三日前ではもともとできません。」)国家がそうなので滅んだのではないですか? 三日が何ですか? 三日ではなく、それ以上でもできるでしょう。
見てください。米国でのことですが、そのような大会を一年に百十三か所でしました。米国の人たちは、自分が一番だと思っていたのですが、文総裁にはかなわないということを感じざるをえないようになりました。
これは、一週間に二回ずつしても、五十二週で百四回にしかなりません。ところが、百十三回して超えたので……。一週間に二回以上、一つの部署が二年かけなければならない大会を、そのようにしたのです。
ですから、大会の王は文総裁だとして、国務省が人を送り、自分たちが大会をする所は時間がかかって秩序が定まらないので教えてくださいと、わたしたちに任せているのです。
夢のような話です。真っ赤なうそのようですが、それが事実なのです。
文総裁は苦労しましたか、苦労しませんでしたか? 先生が大会をするのに、どこのだれが一銭のお金でも支払いましたか? 口がたくさんあり、目がたくさんあっても、それを否定する人はいません。
ですから、救世主です! 「救世主」と言ってみてください。(「救世主。」)神様曰く、救世主がだれですか? 「文鮮明は救世主である!」、その次にまた何ですか? (「メシヤである。」)また、その次に何ですか? (「再臨主である。」)また、その次に何ですか? (「真の父母である。」)
真の父母なら「真の父母」だけなのに、なぜごちゃごちゃとこぶ(名称)がたくさん付いているのですか? 血統が変わってしまったからです。救世主の役割をしようとすれば、血統を転換させなければなりません。蒙古斑の血統を転換させれば、すべて終わるのです。
それをするためには、国家と民族を生かしながらしなければなりませんが、世界史的な基盤を通して引っ繰り返すことができる基盤を通して、引っ繰り返すことができる峠をすべて越え、統班撃破をすべてできるようにして、その次に、祖国光復の故郷と国もすべてして、行事がすべて終わったのです。
「天宙統一平和の王戴たい冠かん式」
二月十四日は、何の祝福の日ですか? 平和の王、天地父母平和の王……。(「『天宙統一平和の王戴冠式』です。」)戴冠式です。それが終わりです。
戴冠即位式は、皆さんが知らなければなりません。統一をするためには、戴冠即位式をした伝統がなければ、統一された天国ができません。天国に入っていくことができる道も、できないということを知らなければならないのです。
先生が戴冠式をすることによって、道もでき、天国に入っていくことができる高速道路もすべてつくっておきました。その次に、その道を築こうとすれば、高速道路を築く方法を知らなくて、できますか?
どうやって文総裁がこの位置まで来たのですか? 「プリチャッキ(ルーツ探し)連合」と蒙古斑同族が血族となり……。「プリチャッキ(ルーツ探し)連合」が何かというと、神様は、真の父母の王を中心に根の中の根です。それを否定できません。
この二つが一つになることによって、堕落したこの世界と天上世界は、完全に抜け出すのです。レールが変わります。堕落した世界と霊界の地獄ができ、天国に行くことができない人たちが願い事を言う声を、わたしも聞きたくないのであり、神様も聞きたくないのです。
ですから、今からは、言うことを聞かなければ、この二つの世界を切って、蹴飛ばしてしまう時が来たのです。けりがつくのを見届けなければなりません。
先生は韓国の民族ではありません。統一された神様の愛する血族を中心とする王になっているのです。ですから、韓国の民が涙を流し、今まで八代政権がわたしを捕まえて、亡き者にしようとしたのです。サタンの操縦で商売しようとしたのです。それを知らなければなりません。
金日成とゴルバチョフ(当時、ソ連大統領)が文総裁殺害を計画した事件が明らかになったことを知っていますか? その事件が終わっていないのに、わたしがソ連に行きました。
CIAで、「文総裁は気が狂った。事件もまだ終わっていないのに、なぜそこに行こうとするのか?」と言ったというのです。
「わたしが行って共産党に染まるか、染まらないかを見ていなさい。わたしを信じなさい。」と言いました。行って、ゴルバチョフを説得し、マルクスとレーニンの銅像を降ろしましたか、降ろしていませんか? それを降ろしたのです。また、三日革命(クーデター)の時、ソ連政府を救ってあげたのが、わたしです。
それで、そのとき、文教部の長官が統一教会のわたしに感謝の手紙を送ってきたのですが、その手紙がどこに行ったのか、朴普煕氏に預けたのです。
そこに、CIAの副局長による七十八年間のすべての記録が、二本のテープになっています。それを売ってしまったかもしれません。それを明らかにして、終わりの日に整理すべきことが、たくさんあるのです。分かりますか?
アダムが果たせなかった責任分担、創造性の偉業の相続をすることができる全権を、文総裁が独占しています。アーメン。(「アーメン!」)
堕落によって絡まった血統を、蒙古斑を逆さまに引っ繰り返して、血統を立て直すのです。ですから、カイン・アベルの伝統的歴史を立て直したのです。
神様の摂理の中で二大事件が何かといえば、エデンにおいて創造性の偉業を継承できなかったこと、そして、祝福をしてあげて相続させることができなかったことです。
その次に、アダム家庭の長子が次子を殺した歴史が残っているのですが、これを清算することができませんでした。エバが、母がこの地上に現れて息子、娘を生み、二人の兄弟が母親、父母に侍ることができるようにするための準備がイスラエルの国であったのですが、四千年準備したメシヤが来たにもかかわらず、殺してしまったのです。
それで、父母を中心としてカイン・アベルを一つにできなかったその歴史が残ったので、先生を通して、カイン・アベルを中心として、お母様を中心として一つになることができ、お母様がカイン・アベルを育てるのです。
それで、エバ国家を中心として日本の女性が世界的な受難を経て、お母様の代わりに国の基準において先生を解放させるためには、カイン・アベルの殺戮戦争の血統を引っ繰り返さなければならないのです。
それが個人時代、家庭時代、氏族時代、世界基準を超え、お母様とエバ国家が一つになってやらなければなりません。日本の国自体が、今から女性たちをすべて動員して、今、韓国を助けています。エバ国家なので助けるのです。
長子の国家の米国は、長子なので、今から父母を中心として伝統歴史と国を取り戻すために、世界の国連とキリスト教文化圏のカイン・アベルを結び、最後の決定的な時間を準備しているのです。
ですから、米国で選挙をして、大統領を立てることができる権限が、統一教会の力をもって可能な峠を越えているのです。分かりますか? (「はい。」)
米国に民主党と共和党がありますが、朝野を超えてグレス・ルート(grass root:草の根組織)を組み、それを凌駕することができる基盤を築いたので、今回、わたしがいなければ、米国は滅んでいました。
こうして、シコルスキーの航空技術を中心として、米国と韓国とアジアに接ぎ木することができるという事実を知らなければなりません。最後です。
ですから、わたしが西洋よりも東洋に先に入ってきて、韓国の民は雷に打たれるべき、良くない民ですが、同族なので、解放されたわたしにこの民族が後からついてこなければなりません。
そうすることによって、わたしが願えば、神様は境界線の門を閉じるのを何年間か延長され、この民族を境界線の中に追い込んで天国の民として考えてくださるのです。
そのような厚遇をしてくださった天の国の王に侍ることができる、天地の平和の王権を相続した民族となり、国家になるとき、失ってしまった神様の故郷と神の祖国を取り戻し、偽りの父母が奪っていき、贓物購買して偽の主人をつくったことを復帰して償い、天の国の真の愛、真の生命、真の血統を相続し、連結した直系の一族の基準を中心としてささげたものを受けるのです。
先生が責任分担完成、創造性継承、その次に所有権を認定し、ささげたものを再び皆さんに分けてあげるその時こそ(手の平を合わせられる)、天地を相続する息子、娘の権威を持つのです。すべて否定しなければなりません。
それで、共産党が否定的な論理を立てるのです。民主世界は、すべてなくしてしまわなければならないのです。
そのようなものは、すべて「原理」の中にあるので知っている話です。アダムが失敗した責任分担、創造性の九七パーセントに三パーセントを中心として、百パーセントをつくらなければなりません。百パーセントをつくるのですが、だれが愛の主人にならなければなりませんか?
愛の実を収めるのは、神様お独りではできません。愛は必ず相対を通して完成するので、アダム、エバ、三数を中心として、生殖器が一つになり、神様を父母として侍ることができる家庭の平和の基地、生活的な出発の基地をつくらなければ、永遠に天国の基準を相続できないというのが、原理観です。
その次に堕落性です。弟が兄を祝福してあげなければなりません。霊界が天使長の息子でしょう? 本来、天使長には祝福がありません。
祝福して相続権を与え、地上で先生が先に先祖たちを祝福し、兄弟のようになった天使長が地に降りてきて、再び国の上で、韓国の国の上で祝福を受けるために真の父母に四年以上、侍ることによって、地上で侍ることができなかった起源を解消し、解放の天国に入城するのです。
そのようなこの重要な期間に入ってきたことを理解して、一心協力し、天に記憶される一家庭と一民族、国家となり、神様の故郷と神の祖国の旗を掲げていこうということです。
国境線撤廃と交叉結婚
立ち上がるときは、国連はすでに……。わたしが有名です。国連に対して、「国境線撤廃」を話しました。相続権が、所有権が異なる一つの境界線があります。この解決方法は交叉結婚です。
国境を中心として、隣国同士が怨讐です。交叉結婚をしなければなりません。入れ替えなければなりません。下にあったものが上に行き、上にあったものが下に行って、入れ替わらなければならないのです。
交叉結婚をして、カイン・アベルを中心として家庭に入っていけば、おじいさんが孫に侍ることができ、お父さんが息子の位置、兄が弟の位置に行くようになって引っ繰り返り、三百六十度、すべてをまっすぐにしたその位置に立たなければなりません。不可避的にそのことを実践できる時になったので、統班撃破からそのすべての準備を終えたのです。
ですから、本部の殿堂がスタートするようになったのですが、これは何かといえば、統一教会の教会ではありません。天の教会を代表し、自分の国の王の基を代表した基準として立てたものなので、ここはかってに出入りすることはできないのです。祝福を受けた人以外は出入りできないようにしなければなりません。
「祝福第一」を広げていかなければなりません。蒙古斑を蒙古血族にしなければなりません。一つの血統に結ぶということを、一瞬のうちにできるのです。
国を中心として国を祝福し、接ぎ木する時が来ました。個人救援ではありません。国まで接ぎ木することができる時なので、いくら世界が広くても、世界の統一教会の教会員とキリスト教と宗教圏が連合してすれば一瞬のうちにできるので、天の国の復帰が遠くない目前にあるということを知らなければなりません。
今から足が長くなり力を持つようになり、三段跳びでやれば、それをやって余りある道なので、冒険千万なことでも忍耐しながら行けば、太平聖代の王の後継者になることができる時代が来たのです。
ですから、そのことを連結させるために、あらゆる忠誠、あらゆる誠心を尽くし、天が感動してわたしたちについてくることができるようにしようという、この日の祝福の意義を受け入れ、そのようにすることができるわたしになると思わなければなりません。
そのようにできる人は、両手で拍手しながらきょうの記念式を終えましょう。ありがとう。(拍手)
(「本当にありがとうございます。真の父母様が祝祷してくださいます。」)祝祷ですか? 郭錠煥氏! (「はい。」)出てきて祈祷してください。わたしは少し休みます。
(郭錠煥会長の報告祈祷)
きょうを期して、孝律氏! (「はい。」)カイン世界をすべて天の国の眷属にするために教育すべき責任があるので、今からは、一つの血族として兄弟の友愛をもって兄弟のようにならなければなりません。
わたしたちがみ旨を知る復帰の道において、王国の民のパスポートを持つことができる立場にいるので、その位置に立つことができない人たちを早く消化して教化し、自分の兄弟の友愛を成して、父母様に侍らなければならないという決心を、新たにしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)
金博士! (「はい。」)平和大使が一万二千人以上になります。その次に、NGO(非政府組織)のグループを中心として、一人が十三数に対する責任を果たさなければなりません。
平和大使と公職を中心として、後継者たちを養育する意味でこれを履行すれば、世界的に集めるときにはあっという間にできるのです。郭錠煥氏、分かりますか? (「はい。」)宋榮錫氏、分かりますか? (「はい、分かりました。」)
そして、きょうお母様は、父母様がきょうこの日を記念するために三十万ドルを出して、そのお金を抽選して当選した人たちに分けてあげようと思いました。
しかし、抽選はやめて、そのお金を集め、きょうが子供の日の記念日なので、孤児たちを中心として、かわいそうな人たちの教育費として、再び三十万ドルを集めて預けておくことを約束しました。
ですから、そのように理解して、三十万ドルを計画し、お母様が伝達するものを受け取り、きょうの子供の日を記念して、祝福家庭と宗教圏を通して募金運動をたくさん行い、新しい出発をしなければならないのです。
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