「この味がもう食べられなくなるなんて、信じられないっす」
東京・大井町駅から徒歩30秒ほど。27年間続いたラーメン店が先月閉店しました。
去年、倒産・休廃業したラーメン店は過去最多を更新し、その8割以上がいわゆる“個人店”です。
地方では店主の高齢化と担い手不足が進み、地域に根付いた「ご当地ラーメン」にも危機が迫っています。
クローズアップ現代「あの一杯が消える!?どう守る”日本のラーメン文化”」
2月10日19:30~放送
NHKプラスで2月17日まで配信
ゲスト 林家木久扇さん
27年の歴史に幕 店主が築き上げたこだわりの一杯
閉店を前に多くの常連客が集まった店内
「この先、どこに行けばこの味が食べられるんですかね?」
2025年1月20日。開店前から客が並び、カウンター12席のラーメン店は別れを惜しむ常連客で一日中ひしめきあっていました。
「移転するんですか? もう本当におしまい?」 「はい」
「ウソだったらいいのにって言いながら今日きたんですよ。ずっとあるもんだと思ってたからびっくりしました。さみしいです。豚鶏ラーメン一筋、たくさん食べさせていただきました」
3種類のラーメンを食べ納め
多くのラーメン店が立ち並ぶ品川区大井町駅東口。その中でも特に地元から長年愛され続けてきた「江戸一」。昼時や飲み会終わりの時間にはいつも客でいっぱいだった人気店が創業27年の歴史に幕を閉じました。
看板メニューの豚鶏(とんとり)ラーメン
常連客のお目当てが看板メニュー「豚鶏(とんとり)ラーメン」。しょうゆ豚骨スープをベースに鶏ガラで取ったスープを合わせた一杯です。濃厚ながらすっきりとして、すっと体にしみこむダブルスープの優しい味わい。
麺は何種類もの小麦を試して行きついた北海道産ブランド小麦を使った自家製で、もちもちとした食感とつるっとしたのどごしがたまらない一品です。
「江戸一」店主 荒木昌宏さん
店主の荒木昌宏さん、56歳。10年間の修行を経て、生まれ故郷であるこの地で念願の店を開業しました。
モットーは「熱々の一杯」。注文を受けてからチャーシューをあぶり、麺をゆでている間にスープが冷めないよう、どんぶりも温めます。
店主 荒木さん
「自分の好みなんですけど、熱いものは熱くって自分の考えがあるんで。ほかの店に食べに行っても、ラーメンすぐぬるくなるところあるじゃないですか。それもうガッカリしちゃうんで」
店の2階で製麺をする
調理場の奥から細い階段を上がると、ふわっと小麦の香りが広がる製麺スペースがあります。荒木さんのもうひとつのこだわり、自家製麺です。開業当初から欠かさずその日の分の麺をつくってきました。長年の経験から、一回一回手でちぎる1杯分の麺の量は5グラムも違わないと言います。
スープに合わせて麺の種類を使い分け、豚鶏ラーメンには「中太ストレート麺」、味噌ラーメンには「ちぢれ麺」、替え玉用には「極細麺」を用意。極細麺なら注文されてからすぐに提供できるのでスープが冷めないでしょう、と無料の替え玉にも細やかな気遣いが込められています。
店主 荒木さん
「とにかくおいしいものをっていう考えで、自分の好きなラーメンを作って食べていただく。それでおいしいって言っていただければそれは本当にうれしいので」
他店にはない“荒木さん好み”のラーメンは、多くの人の胃袋をつかんできました。
2歳の子どもと来店した常連客
常連客
「もともとラーメンが好きでいろんなところで食べてはいるんですけど、やっぱり『おいしい』って思うお店って少ないなって思って。でもここは初めて食べたときからおいしくて、やみつきになって」
値上げはしない “自分の好きなラーメン”のまま閉店を決めた
なぜ客が絶えないラーメン店が閉店を決めたのか。荒木さんは「総合的な理由で」とぼやかしながらも「値上げせずに終えられる」のが今だったと話します。
豚鶏ラーメンは1杯800円。
この1年で材料費や光熱費がさらに高騰し、経費が3割増加しました。それでもラーメンの価格をこれ以上上げることは考えなかったといいます。
“荒木さん好み”の味を守るため、材料の質を落とし原価を下げるという選択肢もありませんでした。
店主 荒木さん
「まあ値段を上げればね、簡単なんですけどね、あんまり好きじゃない。材料なんかこの先どこまで上がるかもわかんないですし、ラーメンが1杯1000円以上っていうのはどうなのかなっていうのもあります。自分は古い考えなのかもしれないけど」
それぞれの人生に寄り添ってきた「味」が消える…
閉店の日、10年以上前から通ってきたという男性が家族を荒木さんに紹介したいとやってきました。
家族を紹介したいと連れてきた常連客の佐山さん
初めて来店したのは18歳のとき。その後プロレスラーになり、現役中のハードな日々を支えてくれたのが荒木さんのラーメンだったといます。
常連客 佐山さん
「現役中ずっと応援してくれて、家族みたいな第2のホームみたいなそんなお店でした。いつも1人で来てたんですけど家族にも食べさせたかったので、閉店と聞いて急いで連れてきました。もうちょっと食べたかったなっていうのが本音の気持ちですけど、最後にしっかり味わって帰ろうと思います。本当においしいですよ」
この店の最後のラーメンを食べた常連客
夜9時。最後の客となった男性はラーメンをすすりながら涙。会社員になりたての頃、荒木さんのラーメンに出会ったといいます。
最後の客
「若い頃めちゃくちゃ仕事もつらかった中で、ここで食べるラーメンが本当においしくて、こんなすばらしいラーメンがあるなら頑張ろうなんてよく思っていて。ラーメン食べて泣くと思わなかったけど、食べてたら昔のこと思い出しました。
弟子もとらずに閉めちゃうんですね。めちゃめちゃ残念ですけど、本当おいしかったです。ありがとうございました」
店主 荒木昌宏さん
「今まで大切にしてくれたんだなと思いますね。お客さんに支えられてやってこれましたので、やれることはやったかなと思います。27年やってお客さんもついてくれて、しょっちゅう来てくれる人もいたんで、そういう方には申し訳ないなと思いながら。自分一代で好きでやったことなんで、始めるもやめるも自分だけでやります」
2024年に倒産・休廃業となったラーメン店は過去最多の88件。その8割以上が従業員が5人未満のいわゆる個人店です。(東京商工リサーチ調べ)
荒木さんの店のように長く愛された町のラーメン店が次々と姿を消しているのです。
有名ご当地ラーメンにも危機が!? ラーメンの町・喜多方の闘い
「御三家」と呼ばれた老舗ラーメン店が閉店
喜多方市役所 職員
「長年ずっと愛されてきたお店、ファンもたくさんいた行列の店がなくなったというのはやっぱり大きかった」
福島県喜多方市。創業76年、喜多方を代表する老舗有名店がおととし閉店しました。
個人店の減少は地方ではより深刻です。物価高騰に加え高齢化による後継者不足が大きな要因となっています。
あっさりしょうゆベースのスープに中太ちぢれ麺がからむ「喜多方ラーメン」。札幌、博多と並び日本三大ラーメンと言われています。
喜多方ラーメン
喜多方ラーメンはおよそ90年の歴史を誇り、早朝にラーメン店に行列ができる“朝ラー”文化を巻き起こしました。市を訪れる観光客のおよそ7割がラーメンなどのグルメを目当てとしていて、ラーメンは地域にとって大きな観光資源になっています。
1999年”朝ラー”の行列(おととし閉店)
しかし最盛期には120店舗ほどあったラーメン店も現在は90店舗ほどに減少。歴史ある名店も相次いで閉店し、喜多方の人々の間にも危機感が広がっていました。
市役所に「喜多方ラーメン課」発足
地域のラーメンを守ろうと立ち上がったのが喜多方市役所。去年4月「喜多方ラーメン課」という部署を発足させました。国内外への魅力発信に加え、ラーメン店の後継者不足などの課題解決に取り組む使命を担います。
配属された職員たちは無類の麺好き。好きなラーメンはチャーシューメンだという喜多方ラーメン課の早川直樹さんに話を聞きました。
喜多方ラーメン課 早川直樹さん
喜多方ラーメン課 早川さん
「朝から食べられるあっさりとした味だけど、店舗によって味が全然違うので毎日食べても飽きないというのが喜多方ラーメンの魅力だと感じています。ただ、昭和50年代後半くらいの喜多方ラーメンブームに開業された方が多くいてお店の方はそれなりに年齢も重ねていらっしゃる」
後継者育成をラーメン課がサポート
創業47年の老舗ラーメン店・店主の遠藤進さんと妻の昭子さんです。長年夫婦2人で店を守ってきましたが、87歳の進さんは去年の夏に無理がたたり過労で入院しました。
妻 昭子さん
「もう駄目かと思ったね、10キロ以上もやせて。まだ頑張れる?」
進さん
「まだ大丈夫。あと1年ぐらい大丈夫だな」
遠藤さん夫婦
この日、遠藤さんの店に1人の若者がやってきました。地域おこし協力隊の星智也さん、35歳です。
市のラーメン課が喜多方の味を守り継いでいくために始めた「研修制度」で、地元のラーメン店をひとつずつ回ってラーメン作りの技術を習得しているのです。
任期は当面3年間で店が何らかの事情で営業が困難になったときにサポートに入り、任期を終えた後はいずれかの店を継ぐか市内に新たなラーメン店を出す約束となっています。
店主の遠藤さんと地域おこし協力隊の星さん
星さんはラーメン好きではあるものの元自動車メーカーのエンジニアでラーメン作りは全くの初心者。店主の遠藤さんは厨房の温度や湿度によって異なる麺のゆで時間の加減、スープの材料や作り方、チャーシューの仕込みなど、47年間試行錯誤を経て築き上げてきた企業秘密を時間の限り伝えました。
店主 遠藤さん
「おかげさまで全国的にも喜多方ラーメンっていうのは有名ですし、営業する分にはそれなりにやっていける状態なんですよ。ただ、続けるっていうには年齢がね。自分も87歳で、たぶん現役最高齢。喜多方ラーメンが続いていくためには、後を継いでいく、これしかないでしょうね。いいところ全部吸収すればいいんです」
喜多方ラーメン課 早川さん
「長く続けてこられた古いお店も残りつつ、新しいお店もできるといういい流れをつくって、喜多方の味を守っていけるといいなと思っています」
地域おこし協力隊の星さんはこれまでに6店舗で研修を受け、そのうち4店舗のサポートも始めています。
生き残りをかけて“秘伝を開示” 栃木 佐野ラーメン
「あなたの熱い本気度、求む!」
ご当地ラーメンの生き残りをかけた取り組みが実を結び始めているところもあります。
栃木県佐野市。「佐野ラーメン」は透き通るようなしょうゆ味のあっさりスープに青竹で打ったコシのあるちぢれ麺が特徴です。
佐野ラーメン
市役所の裏手に5年前誕生したのが「佐野らーめん予備校」。
人口減少が深刻な課題となっている市が、佐野ラーメンの後継者育成と移住希望者の呼び込み、この2つのニーズをかけあわせたプロジェクトです。
地元の店主たちが予備校講師となり佐野ラーメンの肝となる「秘伝の麺作り」など1か月かけて伝授。ほかにも経営やマーケティングの授業に、店舗物件や従業員を探すコツなど、新規出店のための具体的なノウハウを幅広くレクチャーします。
受講料はおよそ25万円。これまで20人以上が卒業し9店舗が市内で開業しました。
佐野ラーメンの「青竹打ち」を伝授
佐野らーめん予備校代表 若田部賢さん
「予備校がなかったら、技術の習得に時間も費用も2倍3倍かかると思うんですよね。より短期的に、より効果的に後継者を育てていくことができる場だと思います。
一方で、卒業して開業したあとは現実を見て相当苦労すると思います。そんなときに、予備校でつくった既存店の店主たちとのつながりなども生かしながら、乗り越えてもらえればいいなと思っています」
去年11月にも、またひとつ予備校卒業生のラーメンが市内に開業。開店に必要な物件や調理器具などは予備校関係者のつてを頼りに揃えることができ、物価高騰のなかでも40万円ほど安く開店にこぎつけられたといいます。
去年11月にオープンした予備校卒業生のラーメン店
卒業生 宮川岳大さん 群馬から移住
「本当にずぶの素人だった当時の自分からしたら、ここまでの形は全然予想してなかったです。この先佐野市を盛り上げるきっかけだったり、他県の方にも佐野ラーメンを知ってもらうきっかけの一つになれたらいいなと思っています」
日本のラーメン文化の礎を築いてきたのは、店主たちの「おいしい」ラーメンへの飽くなき探究心とこだわり、そして愛だと思います。
容赦なく襲う物価の高騰、高齢化や後継者不足-食文化を守る職人の苦悩はまさに日本の社会問題の縮図でした。心救われる一杯を守るために一人ひとりが何をできるか考える、そんな“優しい社会”こそが今求められているのかもしれません。
報道局社会番組部ディレクター
笠井 清史
1990年入局
名古屋局など経て現所属
“事実を持って語らしむ” 起きている事実を事実として丹念に調査取材し記録することを続けていきたい
福島局ディレクター
渡邉 龍
2022年入局
仙台局を経て現所属
社会の大きな動きの中で“苦しむ立場の人” “埋もれている声”は何か考え続けていきたい