無残に破壊され、崩れ落ちた大聖堂。
略奪され、焼かれた博物館。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻からまもなく3年がたちます。
多くの命が失われた一方で、これまで長い歴史をこえて受け継がれてきた貴重な文化財の数々も甚大な被害を受けました。
残された文化財をどう守り抜くのかという課題に、いま、日本の知見が生かされようとしています。
ウクライナの文化財をめぐる現状とその支援の現場を追いました。
(科学・文化部記者 三野啓介)
ウクライナの文化財が迎える危機
大きく損壊した大聖堂。ウクライナ南部、オデーサで撮影されました。
ユネスコの世界遺産に登録された「歴史地区」にあるこの聖堂はおととし、ロシアのミサイル攻撃で甚大な被害を受けました。
それだけではありません。
東部マリウポリでは、新石器時代の貴重な考古学的資料を収蔵する博物館が略奪を受けたり、南部主要都市のメリトポリではスキタイ文化の金製品が奪われたりするなど、東部と南部を中心に数多くの文化財が被害に遭っているといいます。
ユネスコによると、歴史的な建造物や博物館、遺跡など文化財への被害は、1月末の時点で476件。
残された文化財をどう守り抜くのかが喫緊の課題です。
“緊急時に向け避難を準備”
こうした中、1月、奈良市で開催されたシンポジウムに登壇するため、ウクライナから5人の考古学者が来日しました。
テーマは「ウクライナの文化遺産と戦災」。ロシアによる軍事侵攻がウクライナの文化財に与えている被害状況に加えて、戦火からいかに文化財を守り抜くか、その方策が報告されました。
登壇した1人、考古学者のリュドミラ・ミロネンコさんは首都キーウにあるウクライナ国立科学アカデミー考古学研究所で、収蔵庫の管理を担当しています。
長年にわたって受け継がれてきた文化財は人々の心のよりどころにもなる貴重な存在です。
ミロネンコさんは、軍事侵攻で多くの命が失われ、国が危機的な状況に置かれている今こそ文化財の重要性が高まっていると考えています。
考古学者 リュドミラ・ミロネンコさん
「文化財は何世紀も前から現代に継承されてきた価値ある遺産です。その土地や世界の歴史を物語ってくれるもので、私たちの文化的なアイデンティティーでもあります」
講演はおよそ40分間にわたって行われました。
そして最後にミロネンコさんは、ロシアの侵攻が差し迫った際には、ある対応を検討していることを明かしました。
リュドミラ・ミロネンコさん
「緊急事態の発生に備えて資材や物資の目録を作成し、避難の準備をしています」
首都キーウでも侵攻が脅威
ミロネンコさんが所属するウクライナ国立科学アカデミー考古学研究所の収蔵庫には、東ヨーロッパでも最大規模のおよそ160万点の考古資料が保管されています。
初期鉄器時代の人々の生活を今に伝える土器。
黒海北岸にあった古代ギリシア時代の植民都市の遺跡から出土した貨幣。
収蔵品はいずれもウクライナの歩みを物語る貴重な文化財です。
ロシアの侵攻が迫った際にはこうした文化財を国外など安全な場所に避難させようというのです。
研究所がある首都キーウは戦闘が続く地域からは離れてはいますが、いつ、略奪や破壊をされた地域の博物館のような被害に遭うかわかりません。ロシアの侵攻は彼らには差し迫った脅威なのです。
避難を検討も課題が…
ただ、実際に収蔵庫から避難させるには大きな課題が立ちはだかっているといいます。
まず1つ目がこん包がされていない文化財があることです。
収蔵庫では、資材不足のため収蔵品の数々が床に置かれたままの状態になっていて、そのままでは運び出す際に破損してしまう恐れがあります。
そして2つ目が箱に収められた収蔵品について、保管場所の情報が共有されていないこと。
有事の際に優先して運び出すにしても、どこにあるのか分からないという状況です。
日本になにができるか
こうした課題をどう解決できるのか。
ミロネンコさんたち、ウクライナの考古学者の支援に動いたのが日本を代表する文化財の研究所、奈良文化財研究所でした。
支援の中心メンバーとなっているのが研究所の考古学者、庄田慎矢さんです。
自然災害も多い日本の文化財の保管技術は、世界でもトップクラス。その技術をウクライナでも活用できるのではないかと考えました。
庄田慎矢さん
「ロシアの攻撃が始まってからもうすぐ3年。文化財は日々破壊されているのですが、世界でもいろいろことが起こっていて、ウクライナの問題が埋没してしまうのではないか、忘れられてしまうでのはという危惧があります。日本の技術を現地にあった形でカスタマイズしてうまい支援ができないか、そう考えたのです」
実情に即した支援は?
現地で有効な手法はどういったものなのか。
ミロネンコさんたちに実際に体験しながら確認してもらおうと、庄田さんは日本の最新の保管技術の現場を視察してもらうことにしました。
まず、1つ目の課題としてあがった「こん包資材の不足」の解決のため、都内にある文化財の運搬専用の箱を製造する企業を訪ねることに。
その場で紹介されたのが、この企業が製造する段ボールと同じ構造のプラスチックケースです。
耐久性にすぐれているだけでなく、折りたたんで運び、現地で組み立てることもできるため、現地に大量に届けられるという利点があります。
「ふたも作れるのか」
「何段くらい重ねられるのか」
ケースを手に取った彼らからは矢継ぎ早に質問が上がっていて、関心の高さがうかがえました。
続いて訪れたのは、奈良文化財研究所の収蔵庫。
ここでミロネンコさんたちが体験したのが最新の収蔵品管理システムです。
2つ目、「収蔵品の場所に関する情報が共有されていない」という課題への対策です。
用いるのは専用のタグと小型の端末。まず、端末に登録したタグを収蔵品に取り付けておきます。
そして、対象となる収蔵品を探す際に端末で検索すれば、レーダーと発信音でありかを教えてくれるという仕組みです。
タグは離れた場所からでも反応するので、広い収蔵庫でも目的の収蔵品を効率よく探すことができます。
さらにタグは点滅するものもあり、仮に停電で暗くなってしまっても問題ありません。
ミロネンコさん
「この管理システムはとても使いやすかったです。私の研究所のスタッフであれば誰でも使うことができるので、必要な収蔵品が収められた箱を見つけ出すことができると思います」
“支援の輪を広げたい”
今回、ミロネンコさんたちは1週間ほど国内に滞在しました。
限られた日程ではあったものの、課題の解決に向けて、大きな成果があったようです。
ミロネンコさん
「日本は地震や台風、津波などの自然災害が多いので、そうした脅威からどのように文化財を守るのか知見があると思います。だからこそ、私たちは日本から多くを学びたいし、支援は非常に私たちの助けになっています。それは単に製品を紹介してくれるからではなく、日本の持っている経験を私たちに共有してくれているからなのです」
一方、庄田さんは、こうした支援を通じ課題が解決されるだけでなく、ウクライナの問題に日本の人が心を寄せるきっかけとなることを願っていました。
庄田慎矢さん
「ウクライナの文化遺産が人類共通の遺産であって、戦火の文化財に対して国際社会がどう取り組んでいけるか、その一つの例になってほしいです。そして、より多くの方にウクライナにずっと関心を持ってもらい、そして必要なときに助けてもらう。そういった支援の輪を広げていくことが何よりも大事だと思っています」
今も厳しい状況に置かれているウクライナでは、文化財を気にかける余裕がまだ無いという人も多いかも知れません。
振り返って、日本では東日本大震災のときに多くの文化財が被災した一方、救い出された文化財の数々が人々の心のよりどころになり、被災した人たちの支えとなりました。
同じようにウクライナの文化財は人々の心の支えになるはず。
ミロネンコさんたちと庄田さん。
国境を越えて協力する考古学者たちの姿が印象的でした。
(2月6日「おはよう日本」で放送予定)
科学・文化部記者
三野啓介
2012年入局
徳島・津・名古屋の放送局で勤務
おととし夏に現部署に異動し歴史・音楽などの取材を担当
母が奈良市出身で寺と仏像に幼い頃から親しみました