もし、あなたが「がん」にかかって、治療に高額な薬が必要だとしたら…。
近年、画期的な新薬が次々と開発され、治療成績が向上している「がん」。
一方で、その費用は高額で治療が長期間に及ぶこともあるため、患者の経済的負担が新たな課題になっています。
そんななか、去年12月には政府が、医療費が高額になった患者の自己負担を抑える「高額療養費制度」の自己負担上限額の引き上げを検討。
がん患者などの反発を受けて見送られましたが、政府はことし秋までに方針を示すとしていて、議論の行く末を患者たちは固唾をのんで見守っています。
がんになったら避けては通れないお金の問題。
どんな制度があるのか、どんなことに気をつければよいのか。記事の後半に専門家のアドバイスもあります。
(社会番組部ディレクター 田淵奈央 越村真至)
クローズアップ現代「がんになったらお金は…生存率“向上”の一方で」
5月19日午後7:30~放送
NHKプラスで5月26日 午後7:57 まで配信↓
クローズアップ現代「がんになったらお金は…生存率“向上”の一方で」
子どものために治療あきらめるしか… 高額な医療費に悩む女性
4年前に肺がんが見つかった北川綾香さん(仮名・44)です。
2人の息子と夫の4人で暮らしています。
ステージ4の進行がんのため、毎日抗がん剤を飲まないと、がんの進行を抑えることができません。
医療費の支払いには、国の「高額療養費制度」(※制度については記事の後半で)を利用していて、月々の自己負担額は4万4400円。これを3年以上にわたって、毎月支払ってきました。
もともと北川さん夫婦は共働きでしたが、綾香さんは次男の妊娠を機に退職していたため、現在の収入は夫の給与のみです。
一方の支出は、子どもの成長とともに教育費や食費が増加。家賃や通信費などを合わせると、毎月10万円の赤字となっていて、マイホーム購入のために夫と一緒に蓄えてきた貯金を切り崩して、穴埋めしています。
収入を少しでも増やしたいと仕事探しを続けていますが、抗がん剤の副作用によって激しい下痢や腹痛に襲われることもあり、体調が許す範囲でできる仕事はまだ見つかっていません。
北川綾香さん(仮名・44)
「人生設計としては次男が1歳になったら私も働いて、お金がないなりにも家族で楽しく生活するというのが理想でした。今は子どもにも夫にも外出や買い物などの楽しみを我慢してもらわないといけないです。私が生きているがゆえにかかってしまうお金が、私だけではなくて家族にとっての負担にもなっていると感じてつらいです」
1日1錠服用する抗がん剤 飲み忘れないように日付を書いている
北川さんが、がんの治療を始めるときに1つだけ決めていることがありました。それは学費など子どもたちの将来のための貯金には手をつけないということです。
できるならずっと子どもたちの成長を見守っていたい。しかし治療を続けられる限界も同時に感じているといいます。
北川綾香さん(仮名・44)
「このままでは、あと数年で貯金が尽きてどうにもいかなくなる未来が見えています。もし子どもたちのための貯金に手を付けなきゃいけないときがきたら、それは治療をあきらめるときかなと思っています。子どもたちにも“お母さんはあきらめないといけない”と、いつか伝えないといけなくなるのかなと。いつまで私は子どもたちと一緒にいられるのかな…」
いつまで続くか分からない「再発予防」の治療
がんが一度治まったあとも、再発予防や医療費以外の出費が家計を圧迫するケースが少なくありません。
40代の佐々木美帆さん(仮名)です。
数年前に卵巣がんと診断され、手術や抗がん剤治療を受けましたが去年再発。週1回の抗がん剤投与を18回繰り返す治療を乗り越えたところで、医師から示されたのはさらなる再発を予防するための「維持療法」でした。
3週間に1度通院して点滴を受けるもので、1か月の医療費の自己負担額は多いときで約7万円です。医師からは「治療に終わりはない」と言われています。
さらに抗がん剤の副作用で髪が抜けたため購入したウィッグ(約25万円)、ウィッグの手入れに必要な専用のシャンプーやスプレー(一式約1万円)、がん治療の影響で起きる手足のむくみを予防する靴下(約3500円)といった出費も。
現在休職中の佐々木さんの収入は、元の給与の3分の2が支給される傷病手当金約20万円のみで、こうした医療費以外のさまざまな出費も家計に響きます。
佐々木美帆さん(仮名)
「はたから見たらぜいたくで抑えられる出費だと思われるかもしれませんが、自分の気持ちを守るために必要な経費でした。働いていたときは、お出かけや食事でお金を使うことが“ご褒美”だと思えていましたが、今は働けない状況なのに、決して楽しくないことでどんどんお金が減っていってしまいます」
現在独身で高齢の両親と暮らしている佐々木さん、今後、両親の介護が必要になるときがくるかもしれず、生活を維持していけるのか不安を募らせています。
“命綱”とも呼ばれる 高額療養費制度
がん治療に高額な費用がかかることは珍しいことではありません。
去年、全国のがんの専門医で作るグループ「JCOG」は、大腸がんや肺がんなど17種類の進行がんの薬剤費(自己負担で支払う前のがん治療薬そのものの値段)について実態調査を行いました。
その結果、59%の患者で1か月当たり50万円以上、17%の患者が100万円以上の治療を受けていることが判明。10年前と現在の標準治療の薬剤費を比較すると、10倍から50倍に高くなっていることも明らかになりました。
こうした高額な治療を受けた患者にとって、なくてはならないのが「高額療養費制度」です。
患者の負担が重くなりすぎないように、ひと月当たりの医療費の自己負担に上限を設ける制度で“命綱”とも呼ばれています。
例えば50歳で年収500万円の人が、ひと月の医療費が50万円かかったとします。窓口での負担は3割の15万円ですが、この制度を使えば最終的な自己負担は約8万円程度に抑えられます。
いくらまで自己負担する必要があるかは、年齢や年収などに応じて決まります。(下の表は70歳未満の場合)
70歳未満の高額療養費制度の概要
さらに負担を軽くする仕組みもあります。
▼世帯合算
1つの医療機関で自己負担では上限額を超えないときでも、他の病院や薬局などの受診や同じ世帯にいるほかの人(同じ医療保険に加入している人に限る)の受診にかかった費用が、1か所で2万1000円以上(70歳未満の人の場合)であれば合算できる仕組み。
▼多数回該当
直近12か月の間に3回以上、高額療養費制度の対象となった場合に、4回目からは上限額をさらに引き下げる仕組み。上記の表の右側「4回目以降」がこれにあたります。
個人差が大きいがん患者の状況 だからこそ相談を
がん患者の家計相談にのるファイナンシャルプランナーの黒田ちはるさんに、がんにかかったとき、どんなことに注意すればよいのかポイントを聞きました。
患者家計サポート協会代表 黒田ちはるさん
ポイント1「公的な制度」が土台
「がん」と聞くと、がん保険を連想する人が多いですが、患者さんに先に確認するよう勧めているのは自分がどのような「公的な制度」を利用できるかです。
なかでも、高額療養費制度の自己負担限度額は重要な基準となります。例えば70歳未満の場合、年収の区分が(イ)の人と(ウ)の人では、ひとつ区分が違うだけですがひと月の負担に約9万円もの差があります。自分の自己負担限度額といつ頃まで治療が予定されているかで、おおよその医療費が分かりますので、まずはここから見通しを立てるのがいいかと思います。
がんになったとき利用できる資源はさまざまなものがありますが、がん保険といった「備え」や直近で使える「貯蓄」には限りがあって一時的なものになります。一方、公的な制度は長期の医療費や治療生活を支える土台になります。
家計相談のなかでは、最初にこうした公的な制度の活用や、無理のない働き方への調整、さらには家事の分担をどうするか家族などに相談(その結果、場合によっては外食や家事代行サービスの利用が必要になり家計に影響します)することが重要だと伝えています。
ポイント2 相談のタイミングは「治療方針が決まったらすぐ」
がんと診断されたあとの流れとしては、詳しい検査が行われ「治療方針」が決まります。治療方針が決まったらすぐに、がん診療連携拠点病院などにある「がん相談支援センター」に相談することをおすすめします。予約制で医療ソーシャルワーカーや看護師に相談することができます。
ポイント1の「利用できる公的な制度」は個人差が大きく制度も複雑なため、自分でゼロから調べるのは体調がすぐれないなかでは難しいことが多いです。
相談支援センターでの相談では、年齢や年収、がんの部位、加入している医療保険などの質問に答えていくことによって、自分がどのような公的制度が利用できるのか整理していくことができます。
働いている人の場合は、休暇の取得も計画的に行う必要がありますが、相談支援センターを通じて社会保険労務士の助けをかりることで、就業規則や雇用契約書をもとに職場の休暇の制度を確認することもできます。
相談のタイミングが非常に重要です。例えば「職場に迷惑をかけるから」と、がんと診断されてすぐに退職してしまうと、その後の相談では支援の選択肢も狭まってしまいます。
相談のタイミングは「治療方針が決まったらすぐ」です。
ポイント3 家計のなかの固定費に注目
公的な制度などをきちんと利用したうえで、支出を抑えるときの注意点は「固定費」に注目することです。固定費は住宅ローンや教育費、民間の保険料といった、月々決まった額を支払うものを指します。
例えば生命保険について見直す場合、患者さん本人だけでなく家族全員の保険証券を持参してもらいます。保障内容が重なっていることで保険料が割高になっていないか、また必要な保障が足りているかを見極めてアドバイスしています。
食費や光熱費などの「変動費」は手を付けやすい一方で、長期間節約を続けるのは難しいです。がんの場合は特に、食費を切り詰めることで体調の悪化につながったり、生活のなかの楽しみが減ることで「何のために治療を続けるのか…」と治療への意欲の低下にもつながりかねません。
固定費の見直しには専門的な知識になる場合が多いので、可能であればがん治療や治療中の生活について詳しいファイナンシャルプランナーに確認できるといいでしょう。
「懐が痛むのも副作用」 医療者も対策を模索
がんになることで生じる経済的な負担は「経済毒性」とも呼ばれ、対策の必要性を訴える声が医療現場からも高まっています。
毒性とは通常、治療によって体に影響が出る「副作用」のことを指します。
経済的負担も同じように、患者の生活の質の低下や精神的負担の増大、場合によっては治療成績の悪化につながるというのが「経済毒性」の考え方です。
愛知県がんセンターの腫瘍内科医・本多和典さんは、この経済毒性の軽減に取り組むことも医療者の役目だといいます。
愛知県がんセンター薬物療法部医長 本多和典さん
対策の一つとして本多さんが進めているのが、患者の自己負担額をシミュレーションできるソフトの開発です。
これまで多くの場合、診察室では医師から治療の効果や副作用の説明はあっても、医療費の自己負担に関する説明はなく、患者や家族は治療や検査のたびに「今回はいくらかかっているだろう」と不安を抱えながら会計に向かっていたといいます。
開発中のシミュレーションソフトでは、治療の種類・開始時期、身長や体重、高額療養費制度の年収区分などの情報を入力すると、毎月の患者の自己負担額が瞬時に分かります。
本多さんはこのソフトを診察室に導入することで、患者に治療の方針を説明する際、経済的な負担も併せて示すことを目指しています。患者に十分な情報を提供することで、先が見通せないことによる不安感を解消するのが目的です。
開発中のソフトの画面
愛知県がんセンター 本多和典さん
「薬が進歩して治療成績がよくなったことはいいことではありますが、一方で、医療費を用意するために患者さん自身が無理して仕事を増やしてつらい思いをしながら治療を続けるというケースも出てきていて、これでは本末転倒です。
シミュレーションによって“お金がかかる”という現実を、治療が始まる前の患者さんやご家族に突きつけてしまうという面もあるとは思いますが、一方で医療費がそれだけかかるという現実を変えることはできません。あらかじめ情報提供を行うことで、早めにがん相談支援センターにつながることもできるかもしれません。
診察室でお金の話はしづらいと感じるかもしれませんが、コミュニケーションをとって医療者自身も患者さんの背景にある生活にしっかりと目を向けて、最適な治療を一緒に考えていく“シェアードディシジョンメイキング”を行っていくことが必要だと考えています」
社会番組部ディレクター
田淵奈央
2014年入局
松江局、首都圏局、あさイチなど経て現所属
社会番組部ディレクター
越村真至
2017年入局
札幌局、「おはよう日本」などを経て、現在は「クローズアップ現代」のデジタル展開を担当