東京の椿姫(昭和27年)津村 謙
東條 寿三郎 作詞 、渡久地政信 作曲
https://www.youtube.com/watch?v=2ayQYd4vajs
東條 寿三郎 作詞 、渡久地政信 作曲、津村 謙 唄
*画像は茅ヶ崎市の氷室椿庭園です。
**再度、津村謙の唄を取り直した。ちょっと、音がハッキリしすぎたかもしれない。
窓うつ風の ためいきか
Mado utsukaze no tameikika
更けてネオンの 点る街
Fukete neon no tomoru machi
その名は 知らない
Sono nawa shiranai
いつか寂しく 浮ぶ顔
Itsuka sabishīku ukabe-gao
あゝ思い出の 胸にすむ
Ah omoide no mune ni sumu
東京の椿姫
Tōkyō no tsubaki hime
............................................
嘆きの酒に 酔いしれて
Nageki no sake ni yoishirete
なにも云わずに 泣いていた
Nani mo iwazu ni naiteita
その名は 知らない
Sono nawa shiranai
夢にしみこむ 古い傷
Yume ni shimikomu furui kizu
あゝさすらいの 君いずこ
Ah sasurai no kimi izuko
東京の椿姫
Tōkyō no tsubaki hime
.......................................
夜霧の街に つつまれて
Yogiri no machi ni tsutsumarete
暗いさだめの 果てを行く
Kurai sadame no hate o yuku
その名は 知らない
Sono nawa shiranai
呼ぶな彼方の 白い星
Yobu na kanata no shiroi hoshi
あゝ胸に咲き 胸に散る
Ah- mune ni saki mune ni chiru
東京の椿姫
Tōkyō no tsubaki hime
@毎床善春2 years ago (edited)
素晴らしい 正統派ですね 繰り返し聴いています♪♪
@澤田和男-u5d3 years ago
傘寿をはや過ぎ懐かしい 今はもうこの様な美声の 歌声は聴かれない
@竹中寛-v6q1 month ago
滑らかな歌声、まさにビロードの歌声!!
つばきひめ [椿姫] 뒤마의 소설·희곡.
1.『춘희』 2.1848년 발표
『椿姫』(つばきひめ)は、ジュゼッペ・ヴェルディが1853年に発表したオペラである。原題は『堕落した女(直訳は「道を踏み外した女」)』を意味するLa traviata(ラ・トラヴィアータ)。日本では原作小説『椿姫』と同じ『椿姫』(仏: La Dame aux camélias(椿の花の貴婦人)の意訳)のタイトルで上演されることが多い。
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東条 寿三郎(とうじょう じゅさぶろう、1920年12月1日 - 2003年11月26日)は福島県出身の作詞家。
法政大学卒業後、1950年にキングレコード専属作詞家となり、代表作は1951年に津村謙が歌唱した「上海帰りのリル」。「リル リル…誰かリルを知らないか」のフレーズが大流行した。主に渡久地政信・吉田矢健治とコンビを組み、主な作品は他に「雨降る街角」「吹けば飛ぶよな」「星屑の町」などがある。
2003年11月26日午前2時55分、老衰のため千葉県柏市の病院で死去。享年82。
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津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961年11月28日)は、富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。
本名:松原 正(まつばら ただし)。妻は元宝塚の大国阿子。
魚津中学校卒業後、上京し、江口夜詩の門下となる。1943年(昭和18年)、テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。
1946年(昭和21年)、芸名を津村謙として再デビュー。この芸名は、戦時中に発表されて一世を風靡した映画『愛染かつら』の主人公・津村浩三の「津村」と、それを演じた俳優・上原謙の「謙」を取ったものである。
しばらくヒットに恵まれなかったが、1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒット(島耕二監督によって1952年に映画化/後に根津甚八がカバーする)。一躍大スターになる。この曲は、1957年に作家の松本清張が『別冊・文藝春秋』に発表した「捜査圏外の条件」[1]にモチーフとして使われており、発売後6年経過した時点でも、人々に口ずさまれていたことがわかる。
東京の椿姫 青江 三奈
https://www.youtube.com/watch?v=U6vaQoNJ05Y&t=12s
Shizuko Ihara (井原 静子, Ihara Shizuko, 7 May 1941 – 2 July 2000 (câncer de pâncreas / cancer of pancreas)), professionally known as Mina Aoe (青江 三奈, Aoe Mina), was a Japanese female enka singer who had a series of popular hits in the late 1960s and continued charting late into her career.
With her distinctive husky voice, she acquired the nickname "Queen of the Blues". She appeared 18 times on the annual Kōhaku Uta Gassen show. After her death, a memorial to Aoe was established in the Isezakichō shopping area in Yokohama.
東京の椿姫 昭和歌謡 戦時歌謡
昭和26年(1951年)
作詞:東条 寿三郎 作曲:渡久地政信
窓うつ風の ためいきか
Mado utsu-fū no tameiki ka
창문에 부는 바람 한숨인가
更けてネオンの 点る街
fukete neon no tomoru machi
밤 깊어 네온 켜지는 거리
その名は 知らない
sononaha shiranai
그 이름은 몰라요.
いつか寂しく 浮ぶ顔
itsuka sabishiku ukabu kao
어느새 외로이 떠오르는 얼굴
あゝ思い出の 胸にすむ
ā omoide no mune ni sumu
아 추억이 가슴에 젖어드는
東京の椿姫
Tōkyō no tsubaki
도쿄의 춘희
嘆きの酒に 酔いしれて
Nageki no sake ni yoishirete
탄식하는 술에 취해서
なにも云わずに 泣いていた
nani mo iwazu ni naiteita
아무말도 하지 않고 울고 있었지.
その名は 知らない
sononaha shiranai
그 이름은 몰라요.
夢にしみこむ 古い傷
yume ni shimikomu furui kizu
꿈에 빠진 오래된 상처
あゝさすらいの 君いずこ
ā sasurai no kimi izu ko
아 유랑하는 님은 어디메
東京の椿姫
Tōkyō no tsubaki
도쿄의 춘희
夜霧の街に つつまれて
Yogiri no machi ni tsutsuma rete
밤 안개낀 거리에 안기어
暗いさだめの 果てを行く
kurai sadame no hate o yuku
어두운 운명의 끝을 가네
その名は 知らない
그 이름은 몰라요.
sononaha shiranai
呼ぶな彼方の 白い星
yobu na kanata no shiroi hoshi
부르지 마라 그쪽의 하얀 별
あゝ胸に咲き 胸に散る
ā mune ni saki mune ni chiru
아 가슴에 피고 가슴에 지는
東京の椿姫
Tōkyō no tsubaki
도쿄의 춘희
つばきひめ [椿姫]
1.『춘희』 2.1848년 발표
作詞者東条寿三郎(とうじょう・じゅさぶろう、1920年12月1日~2003年 11月26日、福島県出身)の詩は「上海帰りのリル」でも解説しましたが、
非常に情念的かつ観念的で意味の取りづらい所があります。この「東京の椿姫」でも情念的言葉をバラ撒いて全体に収斂させる手法、いわば演繹的作詞の構成になっています。「おさげと花と地蔵さんと」や「星屑の町」などは特にその傾向が顕著ですが、見ていただくと分かります。
작사자 도조 히사시로(도조·쥬사부로, 1920년 12월 1일~2003년 11월 26일, 후쿠시마현 출신)의 시는 “상해 돌아오는 릴”에서도 해설했습니다만,
매우 정념적이고 관념적이라 의미가 어려운 곳이 있습니다. 이 「도쿄의 츠바키 공주」에서도 정념적인 말을 흩뿌리고 전체에 수렴시키는 기법, 이른바 연역적 작사의 구성이 되고 있습니다. 「그녀와 꽃과 돌부처와 」나 「별무리 마을」등은 특히 그 경향이 현저합니다만, 봐 주시면 알 수 있습니다.
* おさげと 花と 地蔵さんと : (댕기머리 소녀)그녀와 꽃과 돌부처와 ...
-おさげ [御下げ] ① (소녀의) 땋아 늘어뜨린 머리 ② (일본 여자 옷에서) おび를 매는 법의 하나 ③ 양끝을 늘어뜨림
* 星屑の町 별무리 마을 - ほしくず[星屑] (밤하늘에 빛나는) 많은 별들
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「お富さん」(おとみさん)は、春日八郎の歌で1954年8月に発売された歌謡曲である。
春日八郎《お富さん》1954年 (昭和29年)
山崎 正 作詞, 渡久地政信 作曲
https://www.youtube.com/watch?v=VBqdCcmFKm0
粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだ筈だよ お富さん
生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 玄治店
過ぎた昔を 恨むじゃないが
風も沁みるよ 傷の跡
久しぶりだな お富さん
今じゃ呼び名も 切られの与三よ
これで一分じゃ お富さん
エーサオー すまされめえ
かけちゃいけない 他人の花に
情けかけたが 身のさだめ
愚痴はよそうぜ お富さん
せめて今夜は さしつさされつ
飲んで明かそよ お富さん
エーサオー 茶わん酒
逢えばなつかし 語るも夢さ
誰が弾くやら 明烏
ついてくる気か お富さん
命みじかく 渡る浮世は
雨もつらいぜ お富さん
エーサオー 地獄雨
お富さん(春日八郎) Otomisan Kasuga Hachiro
https://www.youtube.com/watch?v=p2sDnxlepRU
お富さん / 昭和歌大好き さらさ
https://www.youtube.com/watch?v=q5CMarPW044