ビジネスに役立つのは「話し方」より「心の読み方」 何回説明しても伝わらない人とコミュニケーションをとるコツ
職場でのコミュニケーションの齟齬は、仕事が円滑に進まなかったり、人間関係のストレスを招いたりする要因にも。今井むつみさんは「相手の立場に立つ」とは、「ただ思いやりを持てという意味ではない」と話します。
若田悠希 / Yuki Wakata
2024年09月29日 10時0分 JST
【あわせて読みたい】「仕事に感情を持ち込むな」と言う人の盲点。ビジネスの意思決定の精度を上げる方法
部下に何回説明しても伝わらない。報連相(報告・連絡・相談のほうれんそう)を徹底しているのに、上司がその内容を理解してくれない。取引先と「言った言わない」でトラブルになってしまった──。
職場やビジネスシーンでのコミュニケーションの齟齬は、仕事が円滑に進まなかったり、人間関係のストレスを招いたりする要因になり得ます。
そうした多くの人が抱える悩みに、認知科学や心理学の視点から解決策を提案するのが、慶應大学教授・今井むつみさんの著書『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)です。
Advertisement
なぜコミュニケーションエラーが起きるのか。コミュニケーションが上手な人は何を意識しているのか。今井さんは、コミュニケーションの基本とされる「相手の立場に立つ」とは、「ただ思いやりを持てという意味ではない」と話します。
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』の著者・今井むつみさん
日経BP提供
間違えているのは「話し方」ではなく「心の読み方」
──人のコミュニケーションの前提には「スキーマ」があるとのことですが、スキーマとはなんでしょうか?
スキーマとは「暗黙に持っている知識の塊」のようなものです。その人のこれまでの学びや経験、育ってきた環境、興味関心などによって形成される知識や思考の枠組みを、認知科学では「スキーマ」と呼んでいます。スキーマは私たちがものを考えたり相手の言葉を理解したり意思決定したりする時、常に脳のバックヤードで働いています。
人はそれぞれ異なるスキーマを持っているので、一生懸命言葉を尽くして何回も説明しても、相手に伝わらないということが起こります。つまり、その人の「わかった、理解した」というのは、あくまでその人のスキーマを通したものであるということです。人は、自分のスキーマによって、相手にとっては重要な情報を簡単に聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れていきます。これは脳の認知的な負荷を下げるためには必要なことでもあります。
Advertisement
Advertisement
よく、ビジネス書では「伝え方」や「話し方」が指南されます。それがまったく効果がないとは思いませんが、スキーマがある以上は「伝え方」を変えるだけでは限界があるかもしれません。本書ではコミュニケーションが向上するための「心の読み方」を紹介しています。
──「専門性を追求することは、視点を偏らせることでもある」とも指摘されています。ビジネスはそれぞれの専門性を持った人たちの協業で進みますが、どのようなコミュニケーションを心がけたら良いでしょうか?
専門性と思考の枠組みは深く関わっているので、同じ専門性を持つ人の間では共有できたスキーマも、違う分野に取り組む人とは共有するのが難しくなります。まずは、人はそれぞれ異なるスキーマを持っているのだと知り、相手や自分自身の思い込みと対峙することが重要です。その上で、意見を擦り合わせたり、異なる意見を認め合ったりすることができます。
人は自分の「小さな世界」を基準とする認知バイアスを持っており、これはビジネスシーンでも散見されます。自分の考える「みんな」や「普通」は、自分が経験しうる、狭い射程のものでしかありません。
今は外国人と働いたり外国企業と商談したりする機会が増えています。日本は言葉で細かく説明しない「察する」コミュニケーションが特徴的ですが、海外の人との仕事では通用しないことが多くあります。たとえば「気が利く」人は日本では重宝されがちですが、国によっては「頼まれてもいないことをやってはいけない」「勝手に何かをするのは失礼」と考える場合もあります。多様なバックグラウンドの人と働くというのは、多様なスキーマを持つ人と働くということであり、そうした文化的な違いには意識を向けたほうがいいでしょう。
Advertisement
Advertisement
「マルハラ」はなぜ起きるのか。チャットやメールを書くコツは
──自分の話が伝わってないなと感じた時、何を変えたらうまくコミュニケーションがとれるでしょうか?
よく「相手の立場に立って物事を考えよう」と言いますが、それはただ思いやりを持てという意味ではありません。相手の置かれている状況を的確に推測し、それに応じた提案をするということです。努力すればその精度を上げることはできます。ただ、万能の処方箋やマニュアルはありません。
自分の言葉を相手がどう受け止めているのか把握するには、表情に注意を向けるのが有効です。表情は人が何を考えているかを示す一つの窓であり、多くのシグナルを発しています。言語の性質上、思っていることを全部言葉にすることはできません。なので、多くの場合、人はその言葉の背後にある「感情」を読み取っており、それは表情に表れます。
ビジネスシーンでは要件だけを伝えるコミュニケーションが中心で、自分がどういう感情なのか、相手に感情的に何をしてほしいか言わないことがほとんどだと思います。その感情的な要求にどこまで応じるかは別ですが、読み取る努力をしたほうが、理解が深まる近道になります。
──「表情は窓」とのことですが、今はオンラインの打ち合わせやチャット上のやりとりだけで業務が進むことが増えており、どうしても表情がわかりにくいことが多いです。
人は言葉以外でも、声のトーンやスピード、態度、表情から様々なシグナルを発しており、聞く方はそれを読み取ってコミュニケーションをとっています。オンラインだとその精度が落ちるのは否めません。対面などで空間を共有したほうが、コミュニケーションは円滑に進みます。
Advertisement
Advertisement
ただ、対面はかなりコストがかかりますよね。対面で会うコストを払って深いコミュニケーションが必要なのか、あるいは要件だけを伝えても問題ないのか。ケースバイケースで使い分けるのが良いでしょうね。
──若い世代の中には「。」で終わる文章は威圧的だと感じる人もいると、一時期「マルハラ」が話題になりました。
チャットやメールを受け取って、この人は私に対して怒っているからこんな書き方をしているんじゃないかと思うことは、誰にでも経験があるのではないでしょうか。人間は、結果を説明するための理由を求め、その仮説を形成する「アブダクション」を常に行っており、考えなくていいことまで、自分で勝手に解釈してしまうんです。
──仕事で気軽にチャットでやり取りできるのは便利ですが、誤解のないよう伝えるための文言を考えるのに時間がかかることがあります。何を意識したら良いでしょうか?
人は文章を読む時もスキーマで行間を補いながら情報を解釈していますが、チャットやメールだと、相手の気持ちを表すシグナルがテキストに限られてしまうので、誤解が生まれやすいです。相手のスキーマと自分のスキーマが重なり合う部分を考え、相手の理解度を想像しながら話を組み立てることが大事です。
Advertisement
Advertisement
コミュニケーションの達人のマネジメント方法
──管理職が若手メンバーをマネジメントする際に心掛けるべきことはあるでしょうか? 上司が、自分が正しいと思う方法や成功したやり方を、無意識に部下に押し付けるようなことも多いように思います。
自分が成功した方法というのは、サンプル数としては1でしかないのに、あたかも万民に対して普遍的に使えるかのごとく拡大解釈するのは、人間のありがちなバイアスですね。ビジネスだけではなく、子育てなどでも起こります。自分のこれまでの経験に基づき、どのように行動すべきかを決める価値観である「神聖な価値観」は物事を単純化するためのツールにもなり得るため、注意が必要です。
──成功体験が多い人ほど、そのバイアスは強く働くのでしょうか?
確かに全体的にそういう傾向はあるかもしれません。年齢や職位が上、もしくは自分に自信がある人ほど、「自分のやり方は正しいんだ」と思い込み、自分と異なるやり方の人は間違っているんだという決めつけにつながりやすいです。
しかし、ビジネスに長けたコミュニケーションの達人とは、過去の成功体験に乗っかって同じパターンを繰り返し、部下や同僚にそれを押し付けるのではなく、まずは自分自身がどんどん探求を深め、自分自身も変わっていこうとする人ではないでしょうか。そうすると、部下にも一方的に押し付けるのではなく、自分と同じように探求することを望み、部下も自律性が育まれると思います。
──コミュニケーションでは「理由を伝えるだけで相手の納得を得やすくなる」ということですが、なぜ理由が大事なのでしょうか?
Advertisement
Advertisement
人間は理由を考えずにいられない生き物だからです。たとえば、相手が理由を説明せず遅刻してくるとムッとしますが、理由がわかれば納得できることも多いですよね。これは必ずしも自分がネガティブな目にあったときだけのことではありません。人間は赤ちゃんのときから常に世界を観察し、必ず理由を求めるんです。
ベッドに寝た赤ちゃんの足と、天井から下げたモビールを紐で結ぶ、心理学の実験があります。赤ちゃんは足を動かしてモビールの動き方を学習して、自分の身体を上手にコントロールする方法を見つけます。しかし、赤ちゃんは上手くいったという結果に満足するだけで終わらず、今度はわざわざ上手くいかない方法も試してみるんです。人間は成功したらそこで終わりではなく、上手く行った方法をいったん壊して、別の方法でやってみるという探索欲求が本能的に携っているんですね。
なので、その延長として、理由も説明されずに一方的に決められると人は不快感を示します。「丁寧に説明する」というと、「伝え手が決めた事案を相手(受け取り手)が承服するまで繰り返し通達すること」だと勘違いしている人が、特に政治家などでは頻繁にみられますが、決してそうではありません。丁寧に説明するとは、結論だけを伝えるのではなく、相手が納得できる理由や根拠をきちんと示すことです。
(取材・文=若田悠希/ハフポスト日本版)
【PROFILE】今井むつみさん
慶應義塾大学環境情報学部教授。1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。主な著書に『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)、『ことばと思考』『学びとは何か』『英語独習法』(岩波新書)、『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)など。共著に『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書、「新書大賞2024」大賞受賞)、『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫)、『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)などがある。国際認知科学会(Cognitive Science Society)、日本認知科学会フェロー。最新刊は、『学力喪失』(岩波新書)。