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アジアを旅して大衆食堂や屋台を訪れ、現地の人たちと同じものを味わう。気軽な食事と交流は、海外旅行の楽しみの一つです。でもその裏で、日本では食べ慣れない食材に、感染の危険が潜んでいることがあります。ワクチンで予防できるものもありますが、どうにもならずにヒヤヒヤしながら食べざるを得ないことも。今回はそんな食材の一つで、私自身もタイに出かけると”サラダ”で食べる「サワガニ」に焦点を当てます。
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前々回は、A型肝炎感染に注意すべき場面の一つとして「アジアの、屋台など現地の人と同じ食事」を紹介しました。
アジア行くならA型肝炎ワクチン
私が院長を務める太融寺町谷口医院の患者さんは比較的若い世代が多く、ビジネス、観光のみならず、留学、ボランティア、あるいはバックパッカーとしてアジア諸国を訪れるという人が大勢います。食事の注意点を尋ねられると、一応は「外国人が利用する(高級)レストランで食事をするように」と伝えています。
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ですが、短期間の観光や大企業の駐在員(屋台での食事を禁じている企業も多い)ならともかく、留学生やボランティアの場合は、現地の人たちと仲良くなるのが当然、というよりそれが渡航目的のひとつですし、また、できるだけ節約したいですから、食事はどうしても屋台や大衆食堂が中心になります。バックパッカーの多くの人は10円でも安いところを求めますから、高級レストランなど初めから眼中にありません。
ですから、屋台や大衆食堂を利用するならA型肝炎のワクチンは必須となります。では、それだけで充分なのかというとそういうわけではありません。「他にどのワクチンを打つべきですか」という質問がありますが、ワクチンのみで解決する話ではありません。ワクチンで防げない感染症はたくさんありますし、現地の人でも食中毒を起こすことはあります。今回はそんな感染症のなかで、私自身がいつも困る食べ物を紹介したいと思います。
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ワクチンでも防げない感染
タイのHIV感染者を支援している関係で、私は現在も年に一度はタイに渡航し、現地の関係者と食事をします。バンコクならいろんなタイプのレストランがありますが(といっても結局大衆食堂で食べることがほとんどです)、北部や東北地方(イサーン地方)の奥地、つまり外国人がほとんど訪れない土地に行くと、普通の旅行者が食べないような料理のオンパレードとなります。
見たこともないキノコ、昆虫の素揚げ(イナゴ、タガメあたりは有名でバンコクでも入手できますが、奥地に行けばバッタ、カナブン、コオロギなど実に豊富です)、巨大な赤アリの卵(高級品。4月の「ソンクラン」という祭りによく食べられます)あたりは、私も問題なく食べられるのですが(とはいえ、これらを食べる日本人はそう多くはないと思います)、いつも悩まされるのが「サワガニ」です。
悩みの種はサワガニ
もちろんサワガニも加熱してあれば問題ありません。ですが、東北地方でよく出てくるサワガニは、たしかに純粋な「生」ではないのですが、強烈な”腐敗臭”がします。タイ人は”発酵”だと言いますが、私にとっては水槽で飼っていたザリガニが死んで数日間放置されたときの臭いと変わりありません。
サワガニを料理として出されたときは、まず深呼吸をして気持ちを整えてから食べるようにしています。医師という立場からは言うべきでないかもしれませんが、やはり現地の人と仲良くなるには現地の料理を一緒に食べるのが一番です。“腐敗”では失礼なので、ここからは「発酵サワガニ」としましょう。その発酵サワガニが最もよく使われるのは「ソムタム」と呼ばれるパパイヤサラダです。
「ソムタムはとてもおいしいし日本人に合うよ」と言う人が指しているのは「ソムタム・タイ」のことで、たしかにこの料理は日本人に人気のタイ料理のひとつです。発酵サワガニのソムタムは「ソムタム・プー」と呼びます(「プー」はカニのタイ語ですが、「プ」は日本語にはない音です)。ソムタム・プーとソムタム・タイはまったく異なる料理と考えた方がいいでしょう。
![2018年3月、バンコクでイサーン地方の料理として提供されたソムタム・プー。中央の黒いものがサワガニ。下にたくさんある細長く白いものはパパイヤ=筆者提供](https://img1.daumcdn.net/relay/cafe/original/?fname=https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2018%2F10%2F16%2F20181016med00m010009000p%2F8.jpg%3F1)
そして、ソムタム・プーには「プララー」と呼ばれる発酵させた淡水魚の塩漬けが入っていることがあります。もうお分かりだと思いますが、この淡水魚も「発酵」とは呼び難く、私にとっては金魚の腐敗臭のような臭いです。ですが、現地の人たちと同じようにもち米(カーオ・ニアオ)を右手で丸めてそれをこの発酵サワガニと発酵淡水魚の”スープ”に浸して食べているうちにある程度は慣れてきます。
話を進めましょう。発酵サワガニの問題は寄生虫です。私が初めてソムタム・プーを出されたときに危惧したのが「宮崎肺吸虫」です。患者さんを診たことはありませんが、この疾患については医学部で学んでいます。
寄生虫の危険 知りつつ食事
非加熱のサワガニを食べるとこの寄生虫の幼虫(セルカリアと呼ばれる)が一緒に口の中に入ってきて、小腸を突き破り、腹腔(ふくくう)→胸腔→肺と移動します。そして、胸膜炎(肺を覆う膜の炎症)や気胸(肺に穴が開き突然痛みが生じる)を起こすのです。治療薬はありますが、たいていは重症化し入院を余儀なくされます。
前々回及び過去の記事で述べたように、医療者は生ガキを食べられません。ノロウイルスのリスクがあることが分かっていて感染し、仕事を休むようなことがあってはならないからです。
では、宮崎肺吸虫のリスクがあることが分かっていてソムタム・プーを食べるのはどうでしょうか。宮崎肺吸虫はノロウイルスのように潜伏期間が1~2日というわけではなく、肺に症状が出るまでに2カ月程度かかります。というわけで、私がソムタム・プーを食べたときはその後2カ月は胸が痛くならないかヒヤヒヤしているというわけです。
この話を何度かタイ人にしたことがあります。タイ人は「自分たちは頻繁に食べているのにそんな話を聞いたことはない」と言います。宮崎肺吸虫への感染は、タイでは起こらないのでしょうか。文献にはアジア全域で起こっていると書かれています。ですが、タイ人口の4割、約2600万人が住むタイ東北地方で、日常的な食べ物であることを考えると、危険性はゼロではないものの、発症リスクは低くそれなりに”安全”なのかもしれません。
![](https://img1.daumcdn.net/relay/cafe/original/?fname=https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2018%2F10%2F16%2F20181016med00m010011000p%2F8.jpg%3F1)
同じ寄生虫は日本にも
では、日本国内では大丈夫でしょうか。実は、タイを含む東南アジアから日本にやってきた人たちが、母国と同じような要領でサワガニを料理して宮崎肺吸虫や他の肺吸虫に罹患(りかん)する事例が増えているのです。
実数を正確に知ることはできませんが、国立感染症研究所は昨年、ホームページで、肺吸虫感染に注意を呼びかける記事を出しました。
その記事によると、肺吸虫の患者は年間50~60人出ていると考えられます。患者の2割が関東在住で、その中で外国人女性が約4割、さらにそのうち東南アジア出身者が8割です。原因食品をみると全国的に、淡水産のカニが約6割を占めます(2位はイノシシ肉の33%)。淡水産のカニが感染源だった患者の割合は関東で極めて高く(94%)、一方、九州ではイノシシ肉が原因の患者が約半数です。
![サワガニ取りに夢中な子供たち](https://img1.daumcdn.net/relay/cafe/original/?fname=https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2018%2F10%2F16%2F20181016med00m010010000p%2F9.jpg%3F1)
サワガニは加熱して食べて
さらに、2008年に東京都内で食用として販売されていたサワガニの肺吸虫の寄生状況の調査では、検査したサワガニ266体のうち17%から肺吸虫の幼虫(セルカリア)が検出され、その93%が宮崎肺吸虫でした。感染研は「市販サワガニは肺吸虫勘の原因食品として危険であり、喫食するのであれば十分な加熱が必要である」と訴えています。
最近の感染者は東南アジアの女性だけでなく、その女性たちと一緒に食事をした日本人の間でも増えてきていると聞きます。現地の人たちと仲良くなるために同じものを食べるのは現地だけにしておいた方がよさそうです。そして、現地でも危険性がゼロでないことはお忘れなく。
![谷口恭](https://img1.daumcdn.net/relay/cafe/original/?fname=https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2015%2F11%2F25%2F20151125med00m070033000q%2F41.jpg)
谷口恭
太融寺町谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。太融寺町谷口医院ウェブサイト