|
真の愛と和合統一の目的は真の家庭の絶対価値観の完成である
第三回「安侍日」 2004年5月21日 麗水・清海ガーデン
尊敬する内外貴賓の皆様!
山高く秀麗なここ麗水の地において、広大な太平洋を胸に抱き、こののどかな春の日を皆様と共に過ごせることを、まず天に心から感謝申し上げます。
皆様、きょうは特別な日です。一万五千人以上の韓国と日本の指導者、そして平和国連の大使たちが、一堂に会したことが特別なのではなく、「先天時代」が終わり、今から新しい「後天時代」が開かれる、貴く恵まれた日なので特別だというのです。
私は、五月五日を期して「双合十勝圏の日」の出発を宣布し、「天と地、人間と万物、先天と後天、陰と陽、東洋と西洋、日本と韓国、そして慶尚道と全羅道の和合と統一を完成しなければならない時代が『後天時代』である」と満天下に公表しました。
堕落の後裔である人間の目では見ることができませんが、天の摂理のみ旨は、一寸の誤差もなく、今日私たちが生きているこの時代を、「後天時代」と命名し、宣布するようになりました。
このように、歴史上空前絶後の貴い天運の時代を開きながら、天は今、私たちに新しい時代に合う新しい絶対価値的生活を送りなさいという天命を下されるのです。したがって、きょう私が皆様に伝えるこのメッセージは、皆様だけでなく、六十億の人類全体に宣布する召命的天命であり、選択の余地のない真理のみ言です。
果たして、どのようにして、この驚くべき摂理的「後天時代」を開き、天一国絶対価値的主人の位置を確保できるのでしょうか。天を中心とする絶対価値観を喪失した今日の世界は、あらゆる罪悪と混乱により、方向感覚を失ったまま漂流しています。
したがって、きょう天が私を通して明らかにするこの天倫の秘密は、絶対価値観の新天新地である「後天時代」を迎える天一国主人であるならば、必ず知って実践しなければならない絶対価値観なのです。
「真の愛と和合統一の目的は真の家庭の絶対価値観の完成である」という題目のみ言です。
相対的な関係に創造された世界
皆様、神様が人間を創造された目的とは何でしょうか。全知全能であられ、遍在される神様も、一人でいることを願われなかったので、人間のための環境創造の一環として、天宙が先に創造され、その基盤の上に、御自身の絶対愛の対象として創造されたのが人間です。
神様は、その対象である人間が、神様御自身よりも立派で偉大な存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造ってくださったのです。世の中でも、父母は、子女たちが自分たちよりも幸せになり、立派になることを願うではないですか。これは、すべて神様が祝福として下さった父母の愛です。
子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受けて真の子女を繁殖し、真実で永遠な理想天国を成し遂げて生きるのを見ながら、喜びを感じてみたかったというのが神様の創造目的だったのです。
愛の主人になる道は、先に相対のために自分を徹底して犠牲にし、投入する真の愛の実践を通して開かれるようになります。
神様が人間を創造される時も、先に御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てて一〇〇パーセント投入されたのです。相対圏を絶対価値圏として立てるのです。愛の主人は、一人で成立するのではありません。必ず対象を通じて成立するのです。この絶対的価値圏の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、父母は永遠に愛の主人になれないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。絶対主体と絶対対象の価値観が生じて完成するのです。
宇宙の秩序を見れば、大きいからといって無条件に小さいものを犠牲にして取り込むようにはなっていません。ヘレニズムに基礎をおく弱肉強食を通じた適者生存の理論は、根本的に間違っています。
「ため」に存在し、真の愛で投入して忘れてしまう絶対服従の対象として、主体的愛の主人を完成させようという絶対価値観を、彼らは見過ごしているというのです。真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るようになります。しかし、神様の創造原理は、闘争を通じて生存し、発展するのではありません。主体と対象の関係の中で、相互に授受作用をしながら、絶対価値観に向かって調和統一を追求するのです。
小が大のために犠牲になったとしても、それを闘争と見てはいけないということです。相互発展のための投入と見なければなりません。
個人は家庭のために、家庭は国家のために、そして、国家は世界のために譲歩して犠牲を甘受するということが、どうして「闘争」と言うことができるでしょうか。このように絶対価値観は、先にお互いが、相対を真の愛の主人格として立てることにより、真の愛を完成するためのものなのです。
利己的個人主義はサタンの発悪
私たちの生活の中で利己的な個人主義的思考や行為は、徹底してその根を抜かなければなりません。これは、堕落性の根のようなものであり、あらゆる悪の原因となっています。個人的次元の利己主義的行動や集団個人主義的行為も同じです。
それは、真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。人のために犠牲になって善を施す代わりに、自分のために人を犠牲にさせ、自分の利益ばかりを追求する破廉恥な行為です。利己的個人主義は、堕落によって引き起こされた人間の心と体の矛盾の中に巧妙に入り込んだサタンが植えておいた毒きのこです。それは、一身の栄達と安慰のために、見て美しいからといって一度取って食べれば、中毒になり、一生苦労しても抜け出すのが難しい悪の罠です。
私たちの体を見ても、自分のものだと主張できる部分は、一つもありません。
父母の愛によって生まれた私たちは、九九・九九九パーセントが母親の骨と血と肉です。残りの○・○○一パーセントは、父親の精子だと見なければなりません。こうした点から、どうして「私のものだ」と主張することができ、利己的個人主義に対する名分を見いだすことができるでしょうか。私たちの四肢五体は、すべてが母親の延長だという事実を認めなければなりません。
すなわち、私たちの体のあらゆる要素は、既に父母の精子と卵子に包含されていたのです。誰彼を問わず、例外はありません。
「前」と「後」という言葉を考えてみてください。「前」という話をすることそれ自体が、既に「後」を先有条件として認め、「上」と言う言葉も、「下」を先に認めて成立する言葉であり、「左」という時は、「右」を前提として言うのです。
同じ論理で、「男性」という言葉も、「女性」という存在を前提として成立するのです。すなわち、「男性は女性のために生まれたのであり、女性は男性のために生まれた」と言うことができます。
男性がいなければ女性は必要ありません。同じように、女性がいなければ男性は存在価値がありません。
結局、自分のために生まれたものは一つもないということです。あらゆる存在物は、相対のために存在し、作用するのです。それは、相対的関係で理想郷に向かうように創造されたという意味です。
人間の五官を考えてみてください。目が、目自体を見るために生じましたか。目、鼻、耳、目、手、すべてが相対のために生まれました。だとすれば、この五官を総動員して生命を維持し、活動を継続するようにするその力とは何でしょうか。真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛の実践のために必要な道具にすぎません。
このように、自分のために生まれたものは一つもありません。「ため」に生きて善を施し、愛で犠牲になり、服従で愛の主人を完成させる人生こそ、神様の創造理想にかなった人生なのです。
相対のために創造されたので、当然相対のために生きなければならないのが天理です。ここから真の愛の絶対価値が創出されるのです。
堕落はフリーセックスの根
神様は、エデンの園に人類の先祖であるアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器を共に許諾されました。それは何のためだったのでしょうか。彼らが成長して完成すれば、彼らを結婚させ、罪のない子女を繁殖するようになり、御自身の創造理想である地上天国を、アダムの代でこの地上に完成しようとされたのです。
問題は、彼らの堕落にあります。堕落によって偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が生じるようになりました。神様の愛と生命と血統を保存して相続しなければならない彼らが、反対にサタンの血統を受け、サタンの血統の相読者に転落してしまったのです。
したがって神様は、無価値的な存在となった彼らを、エデンの園から追い出さざるを得ませんでした。
本来アダムは、地上界で神様の体となり、エバは新婦になっていなければならなかったのですが、堕落によって自身の心と体と理想が病に冒されるようになり、怨讐になったのです。それを見つめる神様の心情は、どれほど悲痛だったでしょうか。
堕落は、自らを埋葬する墓です。人のものを奪っていく盗賊行為です。堕落は、フリーセックスの根となり、利己的個人主義の祖になりました。
今日、皆様の周囲を一度見回してみてください。極度の利己的個人主義、度を越えた私生活の追求、そして、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延しています。洋の東西を問わず、家庭の尊厳と価値を、古草履のように投げ捨てて肉身の享楽を追い求め、あげくの果てに、麻薬中毒者やエイズ患者になって、悲惨な姿で生を終えているではないですか。
人間の本心は、極度の個人主義や肉身の快楽ばかりを追い求める、とんてもない放蕩の道は願いません。宇宙と国家、町や隣近所、そして家庭において、父母と兄弟の愛を受けて暮らしたいと思うのが、天が与えた私たちの本心が志向する人生です。
しかし、それとは正反対の道を駆け上がっているので、良心は燃やし尽くされ、本心との矛盾を感じるようになり、かえって薬を飲んで自殺する道を選ぶ事件が、日に日に増えているのが今日の現実ではないですか。「植えたとおりに刈り入れる」という歴史的証言と、ぴったり一致していることを目撃できる今日なのです。アダムとエバがエデンの園で何の種を植えましたか。フリーセックス・シード、すなわち不倫の性関係の種を植えました。それで彼らは、堕落直後に陰部を隠したのです。
秋収期である終わりの日には、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延するという現状が、世界的に必ず現れるのです。サタンは、無秩序な性関係を通して、ただの一人も神様の前に帰ることができないように発悪するようになるのです。全人類をめちゃくちゃにして、地上地獄をつくることがサタンの目的です。
幼い子女たちも、父母が隠しておいた菓子を盗んで食べているところを見つかれば、手を隠し、口を隠すのが本性の作用です。もし、彼らが善悪の実を取って食べたとすれば、取って食べた手や口を隠さなければならないのに、なぜ陰部を隠したのかというのです。これだけを見ても、堕落は淫乱によって行われたということを否定できないでしょう。それが血統関係による問題であったために、神様もどうすることもできない悲劇でした。
皆様、天国と地獄がどこで分かれるのかを知っていらっしゃいますか。空中ですか。礼拝堂ですか。国家ですか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける分界線なのです。これが、天地をひっくり返すという、人類歴史上最大の悲劇を引き起こしてしまったのです。
目の見えない人のように方向を失ったまま、むやみに生殖器を使えば地獄行きであり、反対に、これを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば天国に行くのです。誰がこの事実を否定できますか。疑問が生じれば、私が天理を発表しておいた『原理講論』を熟読してみて、それでも疑問が解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得ることができるでしょう。レバレンド・ムーンの教えを受け、今では、世界の数千、数万の若者たちが、フリーセックスを撤廃して、アブソルートセックス、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のように広まっています。
フリーセックスが自己の欲望とサタンを中心とする偽りの愛である反面、絶対愛は、神様を中心とする真の愛なのです。多くの文学作品と言論媒体が、歴史的にフリーセックスを刺激し、あおる傾向がありました。
しかし、これからは、政治家、経済人、文人、言論人、宗教者、哲学者など、あらゆる分野の指導者たちが、一斉に先頭に立ち、人類の亡国病であるフリーセックスを追い出さなければなりません。
世界平和のための礎石を置くのも、真の愛の絶対価値観を剔出するアダム家庭であり、世界平和への道を破壊できるのもアダム家庭です。それで、先祖であるアダム家庭が重要だということを銘記しなければなりません。
私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろして、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたのも、今はもうその時になったからです。
家庭はなぜ良いのか
地獄になってしまったこの世界を、果たしてどのような方法で変えることができるでしょうか。真の愛を中心とする和合統一の実践だけが、絶対価値観を取り戻す唯一の道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対の基準に立っているので、私たちもこれを手本として生きなければなりません。
皆様、家庭はなぜ良いのでしょうか。それは、父母の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目にはどんなにみすぼらしくても、輝く真の愛の核を備えた心情で結ばれた人間たちによって、本然の家庭が成された時、人間はもちろん、神様までも自由を感じられるというのです。愛が欠如した自由は、真の自由ではありません。
私たちがある家に客として行った時、不自由さを感じるのは、まだその家と深い愛の因縁を結ぶことができていないからです。すなわち、愛の因縁が四方性を備えていないので、ぎこちなく不自由だというのです。
そうだとすれば、本然の家庭で最高・最上の価値とは何でしょうか。本然の父母です。本然の父母はなぜ良いのですか。永遠の愛の主体であられるからです。一生の間、愛を中心に関係を結ぶことができる、最も近い位置にいらっしゃる方が、正に本然の父母です。
私たちが生まれて、最初に喜びを授け受けする相対が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあったのです。
私たちがうれしい時、一番先に喜んでくださり、私たちが悲しい時も、誰よりも先に悲しみの涙を流す方が、私たちの本然の父母です。ですから、父母のいない子女を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。
そして、二番目は、愛する夫と妻が、本然の家庭において最も貴い価値的存在になります。夫と妻は、条件的な愛ではなく、無条件的な本然の愛を与えて受ける夫婦でなければなりません。
たとえ、初めから天が与えた、絶対的次元の永遠の愛の関係をもって始まった愛ではないとしても、夫婦という絶対的次元の因縁を土台とする相対関係で結ばれた本然の愛になれば、その愛こそが家庭に幸福と喜びをもたらす根幹になるのです。
しかし、このような理想的本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終われば、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びになることはできません。夫婦の前には、必ず本然の子女がいなければならないということです。夫婦二人だけで幸福に暮らそうと考えて、子女を生まなければ、どうなるでしょうか。人類は、二代を越えることができずに絶滅してしまうでしょう。本然の子女から戻ってくる愛を受けて生きることができてこそ、真の夫婦として本然の父母の位置まで上がっていくようになるのです。
それで、その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の愛です。絶望ではなく、あすの希望が芽生える理想的な環境を慕いながら、子女が明るく肯定的な姿勢で本然の父母のために犠牲になり、愛することができるならば、その愛は、家庭の幸福のための、純粋で真実な価値としての本然の愛になるのです。このように、本然の家庭において三代圏を成し、本然の父母の子女のための犠牲的な真の愛と、本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女の本然の父母のための真の愛が完璧に具備された本然の家庭があるならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭になるはずです。
世の中で、どのような人を「幸福な人」と言いますか。何を幸福の基準にしているのかということです。ほかの人がもつことができない能力や権勢をもったとして、幸福な人ですか。
皆がうらやむほどたくさんのお金をもつことが幸福なのですか。世界的な碩学となり、万人がうらやむ位置に上がることが幸福なのですか。絶対に違います。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障することはできないのです。幸福を求めていく条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体にはなることができないのです。
結局、愛する本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の子女がいる時、その家庭において真の幸福は始まるのです。
家庭は天国完成の基本単位
皆様、天国はどのような所でしょうか。神様の創造原理によれば、天国は、先にこの地上界で完成されなければなりません。人間は、地上で肉身をもって天国生活をし、その肉身を脱げば、自然と霊界の天国に移動して永生するように創造されたのです。そうだとすれば、私たちが創建しなければならない地上天国は、どのような姿でなければならないのでしょうか。その答えは遠くにあるのではありません。私たちの本然の家庭と天国は、その形が同じなのです。
基本的に、家庭には本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄弟姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的に訪れるのです。その基台の上に、真の愛と、真の生命と、真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです。本然の祖父母は、本然の父母に真の愛の伝統を相続することができなければならず、本然の父母は、本然の子女に同じ真の愛の生を譲ることができてこそ、「本然の真の家庭だ」と言うことができるのです。
本然の兄弟姉妹の間においても、祖父母と父母に似て、お互いに「ために生きる生活」を実践する真の愛の本然的関係が形成される時、その家庭は天国家庭になるのです。この中から、どれか一つでも抜ければ、本然の家庭単位の天国は不可能なのです。
夫婦の間でお互いに愛する、それ以上に父母を愛することができなければならず、父母を愛するそれ以上に祖父母を愛してこそ、真の愛の価値観の伝統が立つのです。本然の家庭が天国の典型だと言いました。
したがって、本然の父母は、国家の主人のような立場に立つようになり、本然の子女は、民のような位置に立つようになり、万物は、国土に代わる位置に立つのです
個人完成は心と体の統一によって
このように、天国の起点は、個人ではなく、国家でもなく、家庭です。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ってみれば二度と出ていきたくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思う、そのような愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う所です。
しかし、そのような天国は、一度に成されるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、空中からぽとっと落ちるように、天国が私たちの目の前に現れるのではないのです。私たちは、まず天国家庭を成すことができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。
個人完成を通した真の人格者になる道は、心と体の調和統一を完成しなければなりません。
本来人間は、心と体が一体になり、何の矛盾も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体を成して生きるように造られたというのです。しかし、人類の先祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の矛盾の中で苦しんで生きているのです。
歴史上、心と体の一体を完成して生きた人は誰もいません。人類を救援しようとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げて、心と体の闘いから解放された者がいなかったというのです。
数えきれないほど多くの人々が、深い山中に掘っ立て小屋を建て、一生を懸けて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人がいなかったというのです。
その理由は簡単です。歴史上、誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。それは、個人的に志を立てて修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間進行させてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで行き、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないというのです。
このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、二千年前に来られたイエス様でした。
しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、結局はユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛しなさい」と、訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。
しかし、天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今では、レバレンド・ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃいます。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして真の父母として、その使命を勝利的に完遂したレバレンド・ムーンを通して、人類が個性完成を成して人格革命を成就し、この地上に理想天国を創建することのできる、真の愛の絶対価値観的真理を明らかにしているのです。
皆様、皆様の心と体を和合統一させることができる唯一の道は、「ため」に生き、真の愛で投入して忘れてしまい、絶対服従によって対象としての主体的愛の主人を完成させる、絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性本性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために善を施し、絶対価値観的人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的生を守ることができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。
結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だというのです。
したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に、絶対服従する人生を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつどこででも軌道修正することができる、水晶のように澄んだ心を維持しなければならないのです。
いくら体の欲望が強くても、原理の教えに従い、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身もついてこざるを得ないのです。できなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水を流すようにすれば、結局澄んだ池になるのです。
これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の苦言に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。
良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になってみなさい。自分の心と体の和合統一はもちろん、広大な新しい天下を見渡せる世界が発見されるはずです。
心身一体の境地に行けば、良心と肉身が共暗闇に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において初めて理解できるのです。
心に尋ねれば、神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのか、いらっしゃらないのかを教えてくれるのです。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に交流し、皆様の永生問題に対して、徹底した準備ができる生活を送るようになるはずです。
国内外の貴賓の皆様、今から人類は、この韓半島を中心として展開する真の愛の大革命を目撃するでしょう。数千年間、サタンの偽りの愛の中で苦しんだ人類が、今や真の家庭の絶対価値観を確立して定着させ、この地からあらゆる偽りの価値観を追い出す、喜びの喊声を聞くようになるでしょう。
手のひらも、二つが合わさって音が出るのです。天は、既に真の父母であるレバレンド・ムーンの勝利的基盤の上に「後天時代」の門を開きました。私たちの責任は、今から絶対的主体である天の前に絶対的相対となり、天地開闢の新しい時代を開いていかなければなりません。
閑麗水道の中心であるここ麗水から、天一国四年五月二十一日、きょう、この意義深い第三回「安侍日」を期して、一万五千人が共に点火した「後天時代」を明るく照らす真の愛ののろしが揚がりました。四千以上にもなる韓半島の島々を開発し、三千里江山を育て、六十億人類が、真の父母のいらっしゃる聖地として巡礼する新天新地に変えていきます。忌まわしいサタンのくびきを投げ捨て、解放と釈放の歌を歌うことができる、すなわち蕩減革命、良心革命、心情革命を完成した理想の園に再創造していくのです。
皆様、両手を取り合い、広大な太平洋と地球星に向かって、喉が張り裂けるほど喜びと希望の万歳を爆発させましょう。皆様の理想家庭に神様の祝福が共にあることを祝願いたします。
ありがとうございました。