|
|
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
かつて「古代東アジア仏教絵画の最高傑作」と称えられた「法隆寺・金堂壁画」。
およそ1300年前に描かれたとされますが、1949年に不慮の火災によって焼損、仏たちの姿や鮮やかな色彩の大半が失われてしまいました。
「金堂壁画をかつての姿によみがえらせたい」
共通の思いを持つ、法隆寺、文化庁、奈良国立博物館、そして専門家や技術者たちがひとつになり、壁画の完全復元に挑んだプロジェクトに密着しました。
(NHKエンタープライズディレクター 公文浩人)

NHKスペシャル よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~
初回放送日 8月30日(日) 午後9:00~午後9:50
聖なる空間つくり出す金堂壁画
2023年11月、奈良国立博物館の研究員から、法隆寺の金堂壁画の復元プロジェクトが始まっていることを聞き、取材を始めました。
法隆寺は、日本の世界遺産第1号、そして、世界最古の木造建築を擁する寺として知られ、7世紀はじめ、聖徳太子により建立されました。寺の中で、最も大切な場所とされるのが金堂と呼ばれる仏殿です。
内部には、本尊・釈迦三尊像が安置されています。金堂壁画は、豊かな色彩でこの像を四方から囲み、厳粛に飾りたてていました。
古来、金堂は寺の中心的な場所として、人々から信仰を集めてきました。この聖なる空間をつくり出していたのが金堂壁画なのです。

金堂
最も美しいとされた「阿弥陀如来説法図」
この壁画が描かれたのは、飛鳥時代の終わり。7世紀末から8世紀のはじめと言われています。
この時代は、聖徳太子が大陸との交流の道を切り開いたことから、さまざまな異国の文化が日本にもたらされています。そして、大陸の技術やデザインを取り入れた、国際色豊かな作品が数多く生まれました。
仏の教えが描かれた金堂壁画もそのひとつ。インドや中国の仏教絵画で用いられていた最先端の技法が、シルクロードなどを経由して奈良に伝わり、日本で独自に洗練されたものと言われ、明治時代から「国宝の中の国宝」「別格」と専門家からはこの上ない賛辞が贈られていました。

火災に遭った金堂外観
ところが、およそ80年前に金堂が火災に遭ったことにより、12面の壁画は、その色彩のほとんどが焼損。
中でも、特に損傷が激しかったのが、通称6号壁と呼ばれる、「阿弥陀如来説法図」でした。かつて、12面の壁画の中で、最も美しいとされた6号壁は、消火活動により、阿弥陀如来の顔に穴があくなどして痛ましい姿になってしまいました。

火災により焼損した「阿弥陀如来説法図」
この6号壁をよみがえらせるというのが、今回の復元プロジェクト。色彩だけでなく、図柄までも失ってしまった壁画への挑戦が始まりました。
撮影技師が残していた“奇跡の資料”
復元のカギとなる重要な資料が、奈良国立博物館に残されていました。ガラス乾板という、写真フィルムが主流になる前に使われていた記録メディアです。実は、この乾板に、焼ける前の金堂壁画の姿が、克明に記録されていました。
撮影したのは、京都の印刷会社で文化財の撮影技師を務めていた佐藤浜次郎。昭和10年、国が主体となり、法隆寺の記録事業の一環で、ガラス乾板による金堂壁画の撮影が行われました。その総指揮を担ったのが佐藤です。

壁画の撮影を指揮した 撮影技師・佐藤浜次郎
実は、この事業で計画されていたのはモノクロでの撮影。カラー撮影は予定されていませんでした。
カラー撮影の提案をしたのは佐藤でした。金堂壁画に光を当て、そのすばらしい極彩色の世界を見た佐藤は、急きょ、カラーでの撮影を決断したそうです。
かくして、焼損前の金堂壁画の色彩や図柄が鮮明に記録された、唯一無二の“モノクロとカラーの奇跡の資料”が誕生しました。

焼損前の壁画の姿が記録されたガラス乾板
ちなみに、当時、モノクロとカラーでの撮影にかかった期間は2か月半。機材のセッティングに5日、ピントの調整に2日。8日目にして、ようやく撮影が始められたと言います。
さらに、モノクロは300億画素、カラーは8億画素という驚くべき高画質の画像データでした。
「美しい壁画を後世に伝えたい」という、1人の撮影技師の情熱があったからこそ、金堂壁画の色彩が、現代に伝えられています。
壁画の撮影から14年後、金堂の火災の知らせを受けた佐藤は、こう振り返っています。
「壁画の撮影に半生を捧げて来たような私は、泣けて仕様がありませんでした。
12壁全部を乾板に色を分解して原色撮影をしておきましたが、今ではこれが唯一の貴重な形見になりました。この乾板さえあれば火災前の色彩に復原することが十分出来ると思っております」
また、金堂壁画の保存の歴史を研究する青柳憲昌さんはこう語っています。

立命館大学教授 文化財保存史 青柳憲昌さん
青柳憲昌さん
「光を当てて、すばらしい色の世界を目の当たりにして、これはちょっと、カラーで撮影しておかなきゃいけないというふうに、技術者である佐藤浜次郎さんが、まず思ったんですね。あのとき撮影していなかったら、法隆寺金堂壁画の色の世界っていうのは、ほぼほぼ、もう失われていたんじゃないかと思いますね」
最新の写真科学の技術で色彩をよみがえらせる
90年以上も前に、佐藤が残してくれたガラス乾板に記録された色彩を、どのようにすればよみがえらせることができるのか。この難題に挑んだのは、大手化学メーカーで、長年、写真フィルムの研究開発や色彩再現を手がけてきた3人のプロフェッショナルです。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 米山博之さん(左)と山田誠さん(右)
3人は、まず、どのような照明が使われて、どんなカラーフィルターで撮影されたのかなど、佐藤が所属した印刷会社まで足を運び、当時の撮影状況を徹底的に調べました。
最大の課題だったのは、ガラス乾板から、焼損前の色彩を正確に引き出すことです。実は、これまでも、ガラス乾板の色情報を頼りに、既存のインクを用いた印刷で、色の再現が行われていました。さらに、江戸時代以降、多くの画家たちが、壁画の模写に挑んできました。
しかし、これらの試みは、色彩再現の上では限界があったと専門家は指摘します。印刷の色校正や画家が絵の具を選ぶ際に、どうしても、その人の主観や解釈が入ってしまうからです。今回の色彩復元プロジェクトでは、人の主観や解釈を排除した、かつてないレベルでの完全復元をめざしました。
そこで、化学メーカーの技術者たちが用いたのが、主成分分析という手法です。カラー乾板に記録された色情報を忠実に引き出すために、壁画に使われたと考えられる218色の絵の具を割り出し、1色ずつ解析して、その主成分となる“3つの色”を導き出しました。
この3色を、ガラス乾板に記録された色情報と照合させていくことで、従来の模写や印刷物では実現できなかった、焼損前の色彩を科学的に引き出すことが可能になりました。

色彩復元に挑んだ 化学メーカー技術者 北岡弘行さん
化学メーカー技術者 北岡弘行さん
「ひとりの人(佐藤浜次郎)の強い気持ちがあったからこそ、これが成し遂げられて、そして、ちゃんとこういうもの(ガラス乾板)が残っていて。本当にすごいと思います」
化学メーカー技術者 米山博之さん
「それだけのものなので、やっぱり写真に関わってきた者としては、それを全部ちゃんと引き出してあげないと、あまりにももったいないというかですね。とにかくできる限り、カラーの情報を取り出して、いろんな人に知っていただくのが意味があるのかなと思って」
3人の技術者は、12壁全部を記録した佐藤浜次郎の唯一の貴重な形見を確かに受け取りました。
そしていよいよ、復元の作業に臨みます。
まず、カラー乾板から引き出された色彩を、より高画質のモノクロ乾板のデータに重ね、色を際立たせようとしました。ところが、記録された際、乾板ごとに微妙なゆがみや傾きの違いがあり、うまくいきません。細かなズレを補正する地道な手作業が、1か月以上にわたり続きました。
よみがえった、圧倒的な美の世界
プロジェクトが動き始めて4年。ついに、法隆寺金堂壁画6号壁のデジタル復元画像が完成します。
仏教美術の専門家たちが、その出来栄えを確かめました。

300億画素におよぶ超高精細な復元画像から見えてきたのは、古代仏教絵画の最高峰にふさわしい仏たちの緻密な造形。あたかも壁面から浮かび上がるかのような仏たちの立体感や躍動感は、大陸の仏教絵画をもしのぐ超絶技巧が駆使されていました。
長らく目にすることができなかった飛鳥時代の鮮やかな色彩が、令和の技術によって再び私たちの前に姿を現したのです。
長年、金堂壁画を研究してきた増記隆介さんは、復元画像を見てこう発言しています。

東京大学教授 仏教絵画史 増記隆介さん
増記隆介さん
「体の奥行きを表現するんだと思うんですけれども。その立体感のつけ方っていうのが、今まであんまり考えたことがなかったような表現ですし、壁から仏が浮かび上がってくるというか。
かなり色のコントラストとか組み合わせとかを、すごく意識的に塗り分けているということが見えてきたと思います」
復元された画像は今、奈良で開かれている展覧会で披露されています。
法隆寺の金堂壁画。
焼損してもなお、金堂壁画を守り、かけがえのない遺産を未来へつなごうとした人々によって、日本美術の原点と言っても過言ではない、圧倒的な美の世界が現代に受け継がれました。

NHKエンタープライズディレクター
公文浩人
2009年入社
「夏井いつきのよみ旅!」
「歴史秘話ヒストリア 薬師寺」
「歴史探偵 岡本太郎と太陽の塔」
「歴史探偵 甲子園100年」などを制作
