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何がおかしい(2020 佐藤愛子)11
11 ついについにとここまで来ぬ
ついに私も入歯をするようになった。老眼鏡をかけねばならなくなった時、「ついに私も老眼鏡をかけねばならなくなっ たか!」と嗟嘆したものだったが、そのうち、右の目が何やらかすんで来て、 白内障 が出かかっていることがわかり、「ああ、 ついに私も白内障がきたか!」と嗟嘆し、 そうして今、「ついに入歯」という仕儀と相成った。
いや、考えてみれば、十何年か前、「ああ、ついに一巻の終りか!」と思った閉経 という事態もあったし、撮られた写真を見るたびに、「ついにかくなりたるか!」と 暗澹とし、ついについにとここまで来てしまった。
そのうち、「ついにこうなったか」と思いつつ、死に向う病の床に臥すようになるのだろう。そして、「ああ、私もついに死ぬのか!」と覚悟を決める日が来る。 もっ ともボケていれば、そういう感懐もある筈はなく、私の娘、友人、知己が、 「ああ、あの佐藤愛子もついにあんな姿になってしまったのね!」と嘆く。あるいは笑う。
そうしてやがて私は骨になって、私の娘がそれを拾いなが ら、「ママ、とうとうこんな姿になったのねえ」と涙するかホッとするかはわからないが、ともかくその日が近くなってきていることは確かだ。
こう考えてくると、 入歯の段階ではまだそう嗟嘆するほどの事態ではないのだろう。 もっと絶望的な「ついに!」がまだ先に控えている。しかし、そう思いつつも、やは りこの人歯、「ついに!」の思いは拭い難いのである。私は十代の頃から歯槽膿漏の気配があって、下の前歯の一本が指で押すと動いていた。
「ほら、見てごらん、私の動くのよ」指で動かして友達に見せ、驚くのを見て悦に入っていたのだ。二十代、三十代、四十代と、忘れたり思い出したりしながら、「動く歯」をそのま まにしていた。 歯ぐきが腫れたり、血が滲んだりすることはあったが、ほうっておくといつの間にか治っているというあんばいで、それほど気にしなかった。
そのうちに歯の根はだんだんゆるんで、グラグラになって来た。それでグラグラに なったやつを、舌の先で押して遊んでいた。たまたま奥歯が痛んだので歯科医院へ行ったところ、そのグラグラを発見され、それから三月に一度、歯石を取ってもらいに 行くことになった。その三月に一度が毎月になり、やがて終始歯ぐきが腫れて膿を持 つようになった。
しかし歯は抜かない。歯科医は抜いた方がいいと考えているらしいが、私の断 応答を見て、いい出すのを諦めているという様子である。抜くのはイヤである。絶対、イヤだった。
身体髪膚これを父母に享く、あえて毁傷せざるは孝の始めなり、などといって、 抜きなさいよと勧める娘を退けていた。抜くのがイヤな理由は、本当は入歯がイヤな のであった。テレビのCMで入歯専用の歯磨が出て来ただけで、正視出来ずに怒って いた。ああいう麗なものを口に入れて尚生きなければならんとしたら、潔く死を選びたい! などと口走っていたものだ。
ところがついにその日が来た。 前歯は大グラグラもいいところ、人と対話中、「そうねえ......」と何げなく頬杖をつき、ふと指が顎のへんを触っただけで、口の中で前歯がグラリ、内側へ倒れている。それを舌の先でもとへ戻し、何くわぬ顔をして話をつづけている、という苦労が生じて来た。 朝夕の歯磨がたいへんである。 歯ブラシを 歯の内側へ当てるとグラリ外側へ。外側を磨こうとするとグラリ内側へ。
ついに私は歯科医へ行っていった。「観念しました。抜いて下さい」 そうして出来た入歯である。 入歯といってもたった一本だ。一本だが、前歯の内側に合成樹脂(多分そのようなもの)の歯の台(?)を渡さなければならない。 この先生は入歯の名手で名高い方であるから、歯の調子はまことにいい。見た目も全 くわからない。私の歯は特殊な形をしているが、その通り特殊に作られている。
しかし、とにかく、口の中に異物があることは確かである。 入歯を入れた日、私は 料理をしながら味見をして、絶望的になった。たったそれだけのことで味がわからな いのだ。こう見えても私は料理の味つけには自信がある。母親のことは褒めたことが
ない娘も、それだけは一目おいているのだ。
ああ、それがダメになったのだ。気に入った味つけを味わうには入歯を外さなけれ ばならないのである。かくて一日の殆どを私は入歯を外して過している。 来客と話をしながら、「あ、忘 れた」と気がつく。普通なら急いで歯を入れに立つところだろうが、いったん見せて しまった楽屋裏を、今更とり繕ってもしようがないのである。
「ちょっと失礼」といって立ち上って部屋を出て行き、にっこり入って来たのを見たら、さっきまで抜けてたところにしっかり歯が入っているそれも知っておかしな ものではないか。これではいったい何のために入歯を作ったのかわからない。グラグラを抜くだけでよかったのである。
先日、私は講演旅行に出た。行く時は入歯を入れているが、ホテルに入るとすぐ外 している。講演時間がくるまでベッドで本を読んでいたが、時間が近づいたので支度をするためにバスルームへ入った。化粧をして、さて入歯をはめようとしたら、 入歯 がない。慌てて捜した。ない。
確かに外した入歯は洗面台の上に置いておいたのだ。だが、ない。どこにもない。 仕方ない。 入歯なしで講演するしかない。多少、空気は洩れるかもしれないが、たいしたことはないだろう。ともあれ、講演前に出すモノを出してと、便器に目をやると、なんと、我が入菌は便器の穴の水底に光っているではないか。一瞬、息を呑んだ。そして考えた。これを拾って口にはめるか否か・・そして決心した。 拾い上げてはめよう、と。
――なに汚いことはない、この便器を使ったのは私である。さっき使った後、当然水を流しているから、それほど汚くはない。 万一多少の尿が残っていたとしても、我が尿だ。 我がものと思えば軽し傘の雪だ...。
そう自分を慰めて手を入れ、歯を拾った。 洗ってはめた。 折しも電話がかかって、お迎えが参りました、とのこと。かくて私はにこやかに車中の人となり、講演会場で熱弁をふるったのであった。
13 前向き
美容整形医に鼻を高くしてもらったという青年に会った。 なぜそんなことをしたのかと訊くと、 「だって鼻が高くなったら前向きに生きて行けるからですよ」と答えた。
「前向き」とは「積極的」というような意味であろうか。しかし鼻を高くしたことが一躍ポパイのほうれん草、スーパーマンのマントの役目を果すとは、何と簡単な人生だろう。
――これからは自信をもって前進して行きます....。 その言葉だけを聞けば、今どき覇気のあるなかなかの若者じゃないかと頼もしく思うが、その頼もしい言葉が鼻を高く直してもらったことから出たのだと知れば、呆気 にとられて怒る気もしない。
「人生を生きる姿勢はハナによって決るんですか?」 せい一杯のイヤミをいったつもりだが、相手は極めて素直、無邪気に、 「だってそうじゃないですか。 仕事って、 相手の人に好感を与えることでうまく行くものでしょう? 女性にももてるし、もてたら自信がつく。その自信が積極性を産む... そういうものじゃないかな?」
「そんなね! ハナの高さで自信があったりなかったりするような男、女は魅力を感 じませんよ。我々女が男に期待するのは、女には持てない男の意志力、体力ですよ。
女には持ちにくい理性的判断力ですよ。 人はどういう人間に感動するかといえば、努力する人、勇気ある人、強い人、情熱を持っている人、そういう人に心が動くんです 。 ハナ見て感動する人なんていません!」
しかし若者はニコニコ顔で、「でも、実際にモテるようになったんですよ」へんべい モテる! この立看板みたいに扁平で作りバナのヘナヘナ男が!
私はひとり憤然としたが、彼は平然として動じず、 「ぼくの前に新しい世界が開けたような気がして、 毎日が充実しています」
「そりゃ結構ね!」という声は我ながら捨てばちで、もうどんなイヤミも説教も罵詈も、彼の胸を刺し貫くことは不可能であることを思い知った。新しいハナが彼のプロテクターになったのである。
この問題の鍵はどこにあるか、と私は考える。社会がもっと単純であった頃は、プ男はブ男であることを背負って、その代りにその失点を補う努力を重ねることによって、 ブ男を克服した。 ここに於てブ男のブ男ぶりは、そこいらの美男よりも存在感を持つに到ったのではなかったか?
そういう発奮努力をする必要が今はなくなった。昔はブ男を直す技術がなかったから、いやでもそれを背負って生きなければならなかったのだが、今はプ男をハンサム 風に(この風というところが大事なのだが) 手を入れることが出来るようになった。 失点を補う努力をしなくても、金を稼いで美容整形医の手に委ねればいいのである。
もっとも昔は男の容貌が問題になるのは役者俳優くらいなもので、普通の男は顔など気にする必要がなかった。男は力さえあればよかったのである。しかし今は政治家がテレビ映りを気にして化粧をする時代である。顔のよし悪しが大事な問題になってきた点で、男は女と同じになったのだ。
「ぼくらが女のひと見る時だって、顔よりもカッコだもんネ。カッコ悪いかいいかで決るでしょ。女のひとが男性見る目だって同じだと思うの。安モノだと、同じジャケットでもシルエットがちがうんだよネ」
折しもテレビでそんなことをいっている若者がいたが、今度は顔よりもカッコだという。しかもそのカッコは心の鍛練によって作るものではなく、上等のジャケットで作るものだという。
私はつくづくその若者の顔を見て、シルエットを強調するしかないそのキモチはわ からないではないけれど、それよりも脳ミソの方を充実させることを考えた方がいい のじゃないかという感想を持った。
要するにそう思わせられてしまうような顔なのである。しかし年代によっては同じ女でも、ああいうのを魅力的だと思うのであろう。 困ったものである。すると若いお嬢さんがこういった。
「あら、どうして? どうして困るんです?」 どうしてって、決ってるじゃないか。かつて男は女の香に惹かれる蜂だった。花が美しく身を飾れば、 蜂は寄ってきて何でもいうことをきく。
この女を守らなければ、 と思い、得たい、 尽したい、幸福にしたいと思う。女が美しくありたいのは、男の機嫌をとるためなんぞではなく、男の讃美と奉仕を受ける満足のためではなかったか。
それが男も女のようになったために、女の美しさを愛でるよりも、女に愛でられたいと思うようになった。今に男が美しい女を求めるのは、憧れを手中にしたいという欲望ではなく、自分のカッコよさを引き立てるアクセサリーとして美しい女を求めるようになるだろう。
自分を飾り、ひけらかし、どう見られるかということばかり考えはじめた時から、男の下落が始まる。 修行せず、鍛練せず、力を失って行く····· そういう私に、彼女はあっけらかんといった。
「それがどうしていけませんの? 男と女が対等で、 同一線上で、お互いに美しくな って眺め合い、アクセサリーにし合い、それで両方ともに満足していれば、それでいいんじゃありません?」
いいんじゃありません? と何の悩みも疑いもなげに可愛らしくいわれると、そう いわれればそういうものかねえ、という気になって返す言葉がなく、 ま、 あんたたちがそれでいいのなら、多分それでいいんでしょうよ、時代というものはそうして流れ 動いて行くものなんだから....という声には力がない。
「愛でられる喜びだけでなく、愛でる喜びも加わっ方がいいんじゃありません?」と追い打ちをかけられ、「ン、まあ、それはでしょうけどねえ…」
それならそれで勝手にやれ。せいぜいフヌケを愛でいつくしめ! そんなことをいってると今に、腰抜かした男を担いで逃げなきゃならんようになるぞ。 その時のためにせいぜい腕力を鍛えておいた方がいいでしょうよ!
● 何がおかしい(2020 佐藤愛子) 14
14 観心
五月に入ったら、五月に入ったらと、北海道の家へ行くのを楽しみにして、春の間、 花粉症と戦いながら仕事に精を出した。漸く一段落して出かけることになったのだが、 今回は娘がフェリーで苫小牧まで車を運び、私は飛行機で行ってフェリーを降りた娘と千歳空港で落ち合うという手筈を整えた。
娘は私よりも二日前に有明埠頭を出発する。 夜の十一時過ぎに乗船して翌々日の朝、 苫小牧に入港する。まだ台風シーズンは遠い。海は穏やかな季節である。しかしヨー ロッパのどこかでフェリーが沈没したというニュースを新聞で見たばかりだ。 私は心配でたまらない。
心配でたまらないが、それを口に出すわけにはいかない。出して悪いというわけはないが、出せない。 なぜ出さないのか。
今更出したところでしようがないからである。とにかくフェリーで行くと娘は決めたのだ。彼女はフェリーの一人旅をしたいのである。したいといっていることを、心配だからといってやめさせるわけにはいかない。だから黙って心配している。案外、私も心配性だなァと思いながら。
出航は十一時だが、八時には家を出なければならない。早目に夕食を作って食べさせる。船の食事はまずいだろうから、娘の好きなおかかのおむすびを作ってやる。
食事が終ると娘は支度をしに二階の自分の部屋へ上って行った。私はテーブルの上の皿や茶碗を重ねて流しへ運んだ。自分が出立するわけではないのだが、何だか気忙しい。いつもなら脇取盆に並べて運ぶのだが、積み重ねたお皿をお腹で支えて運んだ。 いったい何をそんなに慌てているのかわからないままに、やたらに慌てている。
積み重ねた皿、茶碗を調理台に置こうとした途端に、重ねた皿が崩れ、一番上に乗っていた茶碗が落ちて割れた。見ると娘の茶碗である。しかも唐津で貰った上等だ。 はっとした。惜しいと思う気持と一緒に、 みるみるイヤな予感が胸に広がった。 人が死んだ時、その人が朝夕使っていた飯茶碗を割るという風習がある。
もしや、これは娘の船旅が死出の旅路になるという前兆ではあるまいか? 茶碗は実に簡単にポカッと割れたのだ。割れた茶碗を拾う私の胸は暗雲に閉ざされている。こう書いてくると読者は私を縁起かつぎだと思われるだろうが、必ずしも私は縁起を考える方ではない。
占師からこの日に飛行機に乗るのはよくないといわれていても、どうしても乗らなければならない時は私は乗る。占師のいうことをきく時もあればきかない時もある。すべてその時の気分である。絶対に海外旅行などしてはいけない、という占師の言葉に逆らってスペインへ行き、出発の日に突然、のどに灼けつく痛みを覚えたのがはじまりで、十日余りのスペイン旅行を咳と熱で喘ぎ喘ぎ強行したという経験もある。
よくまあ肺炎にならなかったわねえ、と人からいわれたが、私もそう思う。それほと酷い旅だった。つまり自分が危機苦難に遭遇することについては、私はそれほど神経質ではないのだ。しかし娘のことになると神経質になる。私も年老いて気の弱りが出て来たのか。おそらく親というものはそういうもので、私もついに世間の親ナミに なったらしい。
ところで私は割れた茶碗を大急ぎで紙に包んで、屑籠の底に押し込んだ。この不吉を娘にいうにいえない。いえばいくら暢気な娘でも気にするだろう。しかしおそらくこれは杞憂なのだと一所懸命思い直す。90 パーセントまでいらぬ心配であることはわかっている、と思う。わかっているが、残りの10 パーセントの不安はべったり私の心臓に張りついて離れないのだ。
ああ、なぜ脇取盆を使わなかったのか。いつも娘がそれを使わずに食器を重ねて持ち運びするといって怒っているその私が、この日に限って脇取盆を使わなかった―― この、「その時に限って」という言葉を、 よく事件・災難の後で耳にする。――その時、既に不幸の影を踏んでいたのです・・・などと。
やがて何も知らぬ娘は支度を完了してから二階から降りて来た。白と紺の野球帽みたいなのをかぶって、ジーンズに白いジャケットを着ている。いつもはニクたらしいやつだが、今日に限ってへんにコドモコドモして可愛らしい。それがよけいに不吉な予兆を感じさせる。
ふとう「有明埠頭まで行って、もし海が荒れるようなら車だけ乗せて、あんたは帰っていらっしゃいよ」といった。フェリーは車だけでも送ってくれるのである。「うん」と娘。「でも荒れるかどうかはわからないからね」 それはそうだ。私は口を噤み、考える。
「それじゃあね、もし、ものすごく荒れるようなら仙台で降りなさいよ。 仙台から飛 行機で千歳へ行けばいい」「うん...」「わかった!」「うん、でも...」「なに? なにがでも?」 「勿体ないじゃないの、そんな余計なお金を使うなんて....」 「勿体ないことなんかない。お金はそういう時に使うものです!」
常々、「勿体ながり」の私を知っている娘は、勿体ないと思う一心から危険を冒すかもしれない。そう考えて声に力を籠めた。 「こういう時に贅沢をする! それが佐藤家の家憲です!」「わかったよ......」
親の心子知らず。娘は面倒くさそうにいって出発して行った。 亭主がいたら、と思うのはこういう時である。「なにをバカなことをいってるんだ。 大丈夫だよ」の父親の一言があれば母親というものは気が鎮まるのだが。
翌日、船の中から電話があり、穏やかな航海をつづけていると知ってひと安心する。 そしてその翌日、私は飛行機で千歳へ向い、 苫小牧で下船した娘と無事出会った。
別荘へ向う車の中で、「実はネ」と一部始終を話す。「それであの時あんなに沈んでいたの。なんでこう暗い顔してるのかと思ってたんだ」と娘は笑っていた。
それから三日ほど経って、ふと娘がいった。「あのネ、わたし、この間からムネ痛んでることあるの」 「なに?」「あの、実はあのママが割ったお茶碗ネ、 アレ、前にわたしが割ったの、叱られると思ってボンドでくっつけといたの...」「なにイッ...」 と私はゲンコツをふり上げ、忽ち親心はケシ飛んだのであった。
何がおかしい(2020 佐藤愛子)15
15 女心
見知らぬ女性から電話がかかってきて、相談したいことがあるという。山陰の方の小さな町からで、女性は中学の教師だといった。中学の教師からの相談といえば、暴生徒に手を焼いているがどうしたらいいだろうとか、生徒の作文指導についてとか、 PTAの攻撃とどう戦ったらいいか、などという内容だろうと推量しつつ、「どういうことでしょうか?」と訊いた。
なんだかとても元気のない、悩みに悩んだという声 である。そう若い声ではない。 「あのう、実は私、今、恋人がいるんです」思い決したようにいった。いきなりそうこられると私は、 「は?」としかいいようがない。
「その人も同じ学校の体育の先生なんです」「は?」とまだたまげている。「もう六年もつづいているんですけどこの頃、どうしたらいいかわからなくなって······ 子供も来年は高校に入りますし……」
「子供さん、いらっしゃるの」「はい、二人。主人は」「えっ、ご主人もいらっしゃるの!」 「主人は高校の数学の教師です」 「ほーン」
教師も人間であるからには、恋をして悪いということはない。しかしこうスラスラと説明されると、私といえども戦前派、 「はーン」としかいいようがないのである。ありようはこうである。
彼女は六年前から同僚の体育教師とわりない仲になった。体育教師には家つき娘の妻がいる。子供もいる。彼と彼女は毎週、土曜日の午後は外れのラブホテルでひとときをしている。彼女はマイカー通勤をしているのだが、彼の家は、彼女の帰宅路の途中にあるので、いつも帰りの時間が合えば彼女の車で彼を送っている。
従って土曜日にラブホテルへ立ち寄るために一緒に乗っていても、誰も怪しまないのだ。(と 彼女はいう) そうして六年の月日は流れた。 誰も二人のことは感づいていない。(と彼女はいう)
お互いに連れあい、子供を持つ身であるから、離婚の結婚のという問題は起きない。 このまま土曜日ごとの逢瀬を楽しむことで満足していれば、それで平和なのである。 (と彼女はいう)
ところが、この頃、彼女の胸に何だかモヤモヤしたものが漂い始めた。そのモヤモヤとは「何となく不満」といった形のものだという。
お定まりの「結婚したい」「一緒に暮したい」という欲望なのかというとそうではない。彼の妻への嫉妬かというとそれでもない。
六年間、彼女は土曜日毎のホテル代をずっと支払ってきた。彼は一回も払ったことがない。ところがこの前の土曜日、たまたま、彼女に用意がなかった。うっかりして 財布の中みを調べることを忘れたのである。
いざ勘定ということになって、六千円、足りないことに気がついた。それで彼に不足分の補充を頼んだ。すると彼は金を出しながらいった。 「今日はぼくの方に持ち合せがあったからよかったよ。もし、ぼくが持ってなかったら、どうする気だったんだね!」
彼女のモヤモヤはその時から始まったのである。そこで私はいった。「そんなケチな男!どうしようもないじゃないですか!....」 それまではこれも「浮世のおつきあい」という気持で聞いていたのが、急にノッてきた。男のケチは私の一番憎むところである。
「そんなのクズですよ! 男のクズ! 恥知らずだわ!」 「佐藤さんもやっぱりそうお思いになりますか?」「思いますとも! 私ならもうとっくに別れてますよ!」「はあ……やっぱり......」
「あなたはあそばれてるんですよ。一文も出さないで、タクシー代もいらないで女と あそべるなんて、男にとってこれほど重宝なことはないもの。私はその人のあなたに 対する愛情を疑うわ・・・・・」
「私も......そう思いはじめて・・・でも、彼は収入は全部、奥さんに押えられています。 から、苦しいことは苦しいんです・・・私の方は共働きですし、主婦ですから苦しくて
もお金のやりくりが出来るんです」とかばう。男と会う金をおかず代から浮かせるというのか。ご亭主と子供こそいい迷惑だ。
「はっきりいってしまうと、彼は一文もいらないからあなたとつづいているんですよ。ホテル代をもたなければならないとしたら、とっくに別れてるわ」
「…そうかもしれません…このへんできっぱり別れた方がいいでしょうか?」
「決ってますよ。でもそう思いながらも別れられないから、だから私に電話してきた
んでしょう?」「その通りです…………..」
「だからね、この次の土曜日にこういってごらんなさい。この頃、子供にお金がかか
って、今までのようにホテル代を出せなくなったって。だからこの次はあなた出して よって。その時の彼の顔をよく見るのよ。 そして何というか。彼の出かたを見て、別 れるかつづけるかを決めればいいじゃないの...」
「わかった? それによって彼のキモチがはっきりわかるでしょう?」そうしたらフンギリがつく。そうしてみます、といって彼女は力なく電話を切ったが、その一週間後にかけてき た。
「もしもし、この前お電話した者ですけど」「ああ、あなたね! どうでした? いいましたか?」私はのり出した。実はこの結末を、楽しみに待っていたのだ。
「土曜日にホテルへ行ったんでしょ?」 「行きました」と弱々しい声。
「で?いったの? お金のこと・・・」
彼女はいった。「何度かいおうとしたんですけど・・・いえませんでした・・・」
「いえない! なぜ!」声に怒気が籠る。
「怖くて・・・」「怖い?」
「彼の返事を聞くのが怖くて・・・・・・」
返事を聞くのが怖いのは、その返事がもう彼女にはわかっているからだろう。
「じゃあその時もあなたが払ったのね!」
返事は聞くまでもない。
「私、もうどうしていいか。自分で自分が情けなくて」「私もそう思いますよッ! クズ男と知りつつあそばれてるなんて!」
しかしここで女が悪いか男が悪いかを論じてもしようがないのである。わかっていでもどうにも出来ない。
恋というもの、女心とはこういうものなのだ。病なのである。だが彼女の病は今、漸く快方に向おうとしているとみていいだろう。あと二、三回も男がケチぶりを発揮すれば全快するだろう。しかしこんな先生に教えられている生徒こそいい迷惑だなァ。
● 何がおかしい(2020 佐藤愛子)
16 完全敗北
ある代理店から十月に大阪での講演依頼の電話がかかってきた。ハキハキものをいう若い女性である。 今は八月。私は北海道へ来ているが、予定表に十月のスケジュー ルを書き込むのを忘れてきたので、東京へ電話をかけて調べなければ返答が出来ない。
その旨を説明して、五時にもう一度かけて下さいといった。その時が三時頃だった。 すぐ東京の留守宅へ電話をして調べさせたら、先方からの依頼の日は空いている。
大阪神戸は私の故郷であるから、講演嫌いの私もあまりいやがらずに行く気になる。 私の気に入りの神戸のポートピアホテルで、 女学校時代の仲間と会うのが何より楽しみである。
行く気になって電話を待っていた。いつも私は五時か五時半頃入浴する習慣がある。 我が家は丘の上の一軒家、風呂場の窓は浴槽から天井まで、大きく取ってある。外は見渡す草原。ちょっとした野天風呂の気分を味わうためにそうしたのだ。だから日が暮れてからは入浴したくない。
「佐藤のばあさんの裸ときたら…」酒の肴にされるのが。そういう次第で陽のあるうちに入浴したいのだが、五時に電話がかかってくると思 って待ってた。娘が町へ行っているので私一人である。入浴中にかかっては困る。
真の闇が窓ガラスの向うに広がっている。 こっちは明るい。もしあの闇の中に目を光らせているものがいるとしたら…と思うとおちおち入っていられない。裸を見られて 恥かしいという年ではないが、むざむざ見せてやるのがシャクである。
五時半になった。かかってこない。
六時まで待った。かかってこない。
七時に来客の約束が入っている。 娘はそのもてなしの酒肴を整えに町へ行ったのだ。 思いきって入浴しょうか?
しかし風呂場から居間の電話まで、二つの座敷を裸で走り抜けなければならない。それを思うと、もう少し待ってみようという気になるのである。 ここまで読まれた読者は、ハハーン、ここで佐藤愛子が湧き立つのだな、とお思いになるだろう。それはこの数十年来の私のパターンである。
しかし「憤怒の女」の異名をほしいままにした私も今、六十四歳になんなんとして、 ついに憤怒に飽きた。気の弱りではなく、 飽きたのだ。そして考えた。「もしや、あの電話は悪戯のニセ電話ではなかったか?」
飛躍のしすぎ、というなかれ。 自分から依頼しながら、五時に電話をという約束を忘れてほっとく、なんてことはマトモな人間のすることとは私は思えない。 ついに私は待つのをやめて入浴しようと心に決めた。
こういう場合、私は普通の人よりも律儀すぎるという悪いクセがある、と家の者からよくいわれる。「律儀すぎる悪いクセ」とはまさに現代的な表現である。 律儀ということは美徳であるとばかり私は思っていた。
原稿の締切りを平気で延ばすというような芸当は私には出来ない。締切りがきているのに姿をくらました、なんていう作家の話を聞くと、答めるよりも尊敬したくなるくらい(それこそ大作家というものなのかもしれない! などと考えて)人との約束は守る人間である。入浴しようと思い決めた時に娘が帰宅したが、丁度、そこへ客が来てしまった。
客が帰ったのは十時半である。あと片附をして風呂に入ったのが十一時だ。窓外の闇を気にしいしい入っているうちに、だんだんアタマが熱くなってきた。漸く怒りが訪れてきたのだ。「いったい···」 私は風呂場から出て、突然、大声で喚いた。
「もし悪戯電話でなく、ホンモノの依頼だったとしたら、許さない! こういう手合の依頼は断じて断る!」 娘は至極のんびりと(というのも私の怒号には馴れっこになっているので)、「えらい今回は発火が遅いねエ」と客が残したイカの飯詰めを食べている。
「だからねえ、待たなければいいのよ。待つから怒ることになるんだわ」「そんなこといったって、お風呂に入っている時にかかってきたらドタバタ裸で走らなくちゃならないじゃないか!」
「その時はほっとけばいいのよ。そうしたらまた、向うで時間をみはからってかけてくるでしょ」 「しかし五時にかけて下さいといっておいて電話に出なかったら、約束を破ったことになるじゃないか」 「そんなたいそうな問題じゃないでしょ。またかければいいだけのことなんだから」
「ではなにか、あんたは約束というものは守らなくてもいいという主義なのか」 「オーバーだなあ。主義とかなんとかじゃなくね、ものごとは流動的にやればいいっ
てことよ」
流動的! なるほどね。では流動的にやるとして、待ち合せの時間が過ぎても相手がこなかったら、さっさと帰るというわけか。 「そうよ」「その五分後に相手が来るとは思わないのか?」「来るかもしれないけど、向うが遅れたんだからかまわないのよ」
「遅れてきた人がさっさと帰ってしまったとは思わないで、いつまでも待っていたらどうなる?」「そこまで責任持てないよう。 遅れてきた方が悪いんだから」
いい悪いの問題ではなく、来るわけがない人間をいつまでも待っている人のことを思うと、 気持が落着かないではないか。「そう? 私は何ともないよ」論争は零時すぎまでつづいたのである。
翌日、 翌々日、私はまだ気にかけているが、 電話はかかってこない。忘れた頃---四日目にかかってきた。この間のハキハキ女史の声が朗らかにいった。 「この間のスケジュールの件ですが、いかがでしょう?」
待ちかまえていたように私の口から言葉がほとばしり出た。「五時という約束でしたから待っていたんですが、かかりませんでしたので行く気を失いました。約束を守らない人とはつき合えないんです」どうだ! マイったか! と思う。
すると彼女はいった。例のハキハキした声で、「そうですか。ハイ、わかりました---では失礼します...」 暫くの間、私はポカーンと坐っていた。
娘が見て、「どうしたの、ポカンとして?」「折角絞りに絞って矢を射たのに、ギクリともしない。 謝らない。弁解もしない。そうですかの一言よ」「つまり、 的がなかったわけね、アハハ."
私は敗北したのである。――と日記に書いた二日後、またあのハキハキ声の電話が きた。「佐藤さんですか? この間の件ですけど、どうしてもダメでしょうか?」 おそらく彼女はもう一度、頼んでみるようにと上司から命じられたのであろう。
だがもう一度頼むには頼み方というものがある。まず先日の非礼を詫びてから、事情を述べ辞を低うして頼むべきではないか? 今こそ私に敗北の屈辱を癒すチャンスが到来したのである。私は勇躍して答えた。
「ダメといったらダメです···…」 どうだ、 マイったか! 上司の期待に添えない部下。 お前さんは無能の部下ということになるんだぞ!
しかし彼女はあっさりいった。「そうですか。じゃあ、また・・・」彼女は上司に告げたのであろう。「佐藤さんはダメといったらダメといいました」かくて私はここに完全敗北を喫したのである。
● 何がおかしい(2020 佐藤愛子)
17 久々の美談
九月十三日は北海道浦河町字東栄集落を鎮守する東栄神社の祭礼の日である。 東栄は漁師の集落であるから、若い漁師たちが大漁旗を立てた漁船に御輿を乗せて沖合を三度廻った後、御輿を担いで集落を廻る。
私の家は集落の後ろの間の上にあるので、 御輿が来るのは一番最後である。岡の上だから御輿はトラックに乗って坂道を上ってくる。それが毎年のことだ。
「あなたたち、トラックなんかに乗ってこないで、 お御輿担いで上っていらっしゃいよ。」毎年のように私は若者たちにそういう。まったく、トラックに乗った御輿なんて、 引越しの手伝いじゃあるまいし、格好がつかなすぎるではないか。
しかし若者たちはいつもこう答える。 「なに、担いで上ってこいってか」「ムチャいうよ…」そういって御輿と一緒にトラックに乗って帰って行くのだ。 ああ日本の若者、ダメになったのは東京ばかりじゃなかったのか! 毎年私は歯がゆい思いでトラック御輿を見送ったのである。
そうして今年もまた、トラック御輿が登って来た。 トラックから御輿を降ろし、我が家の庭でワッショイワッショイともんで、 またトラックに乗せる。今年もまた私は、 例年のように若者たちにいった。
「あなたたち、来年はトラックに乗らないで下から担いで上ってこない?」毎年、御輿の若者は少しずつ顔ぶれが変っている。 「一度くらい担いで登って来てみたらどう。 東栄の漁師の意気を見せてちょうだいよ 」それから私の口は勝手に動いてこういっていた。
ちょっと私はアテが外れた。私は来年のつもりだったのだ。「百万円ならやってもいいけどな」というのもいる。「いや、カネはいらねえ。やるよ!」そういったのは 「和製トニー・カーチス」と我が家の娘たちが呼んでいるアイス系のハンサムである。
「賞金出すわよ、十万円」よく考えもせずにスラーッといっていた。するとトラックの上から一人の若者がいった。「十万か。 そんなら今から降りてもういっぺん上ってくるべよ」「もういっぺん? 今から?」
「ほんとにもういっぺん来るの?」「来るよ!」そういってトラックは下って行った。私は呆然として見送る。テラスに残っていた祭礼の世話役の親爺さんたちはこの話を聞いて呆気にとられている。「本気かい。センセェ」という。
「ほんとに来るかしら?」「いや、来ないべ」とあっさりいう。ここへ来るにはおよそ五〇〇メートルの砂利道を爪先上りに上って来て、最後は一〇〇メートルの急坂を登らなければならない。この胸突八丁が問題である。私は様子を見に降りて行くことにした。「クルマで行くかい?」世話役。彼らは乗用車で来ているのだ。「いい、歩いて行くわ. 」
みんなに担いでこいといっておいて、自分は車に乗ったのでは女がすたる。 そんな 気持だった。私は坂を下って行った。静かだ。晴れ渡った秋空の下、 小鳥の囀りが聞えるだけである。右は牧草地。 左は道よりも高い草原だ。やがて道はくの字に曲る。 そこでおよそ半分来たになる。立ち止って耳を澄ました。まだ静かだ。
「逃げたな」と思った。やっぱり来なかった。東京の若者だけがダメなのじゃない。 地方の若者も今は同じなのだ。意地もハリもない――。そう思うのと殆ど同時に頭を通った思いがある。
----これで十万円出さなくてすむ...。ケチというなかれ。 こんなことでスイと十万円出すほど本当は私は金持ちではない のである。行きがかり上、口が勝手に動いてしまったのだ。
彼らが来なければ情けなくて腹が立つ。しかし十万円は助かる。いったい怒るべきなのか喜ぶべきなのか、自分でもよくわからないで呆然と立っている。 と、その時微かに聞えてきた。
「ワッショイワッショイ」という声が。思わず声に出た。「あっ!来た!」(ああ、十万円)しかし胸は轟き口もとは笑み崩れている。何という若者たち! 彼らは来た。 ワッショイワッショイはだんだん大きくなって、やがて御輿が現れた。
道幅が狭いので道いっぱいになって迫ってくる。 「わァ、えらいえらい!」私は拍手をしたが、若者たちは見向きもしない。目が据っている。ワッショイワッショイ、つむじ風のように私の鼻先を通り過ぎて行ったのであった。
胸突八丁の手前で足並は乱れたようである。ここでダウンすれば五万円に値切ってやろうか。しかし御輿はワッショイワッショイの声も高らかに一気に登り切って私の視野から消えた。
「降参、降参、いやあ、お見ごと!」いいながら私は庭に入って行った。若者たちは庭草の上にへたばってハアハアいうのみだ。「えらいえらい。お見逸れしました。 さすが東栄の若者、日本一!」いいながら、ハテ、十万円、うちにあったかしら? と心配になる。
娘に麦茶を出させて奥へ引っこみ、財布から取り出した一万円札、ひいふうみい・・・ と数えれば八万円しかない。ちょっとちょっとと娘を呼んで二万円借りる。
「まったく、ママったらケチのくせにつまんない浪費ばっかりする人ね」 「なにをいう。若者が見せてくれたこの意気、この感動は十万円には替えられないのよ!」 半ばヤケクソでそういって庭へ出た。
「はい、ご苦労さま。これ賞金」 さし出せば、目の前の若者、急にモジモジして、 「カネはいらねえ」 「いらない? どうして?ほら、取って」「いらね」次の若者も手を引っ込める。
ああ愛すべき若者たち! (だからといって、 金を引っ込めたのでは女がすたる。) 結局、大団扇振って先導を務めた親爺さんが受け取った。「みんなでイッパイやりなさいね」ワッショイワッショイと若者たちは帰って行ったのである。
翌日、世話役に聞いたところによると、若者たちは十万円を町の老人ホームに寄附したというではないか。「センセェに東栄の漁師の意気を見せたからそれでいいんだっていってね」
やってくれるじゃないか、東栄の若者たち! 日本の若者もまだ捨てたもんじゃない。希望が湧いてき「日本一!」と呼べば、十万円で穴のあいた胸の痛みはカラリと消えたのであった。
● 何がおかしい(2020 佐藤愛子)
18 草色の帽子
小学校へ上った頃の私は、恥かしがりやの弱虫だった。おとなに挨拶をするのが恥かしいから黙っている。すると母は、よその人に挨拶をきちんとしないといって怒る。 だからよその人がくると、逃げた。
挨拶をしないのは、するのがイヤだからしないのではなく、恥ずかしからしないのである。 しかしひとには、なぜ恥かしいのかがわからない。だから、 「おかしな子やなァ」と嘆かれる。 この「恥かしがり」という病(?)を背負って、私は人しれず苦しい思いをして思いをしていたのだ。
「なにが恥かしいの、え? なにが?」母はいう。しかし何が、なぜ、恥かしいのか、私にもわからないのである。「いうてごらんよ。いいなさい・・・・・」母は迫り、居合すおとなたちが口々に、 「なにも恥かしいことなんかないでしょう? ハキハキご挨拶したら、ああ、ハキハキしたええお嬢やなあとみんな感心しますがな」
「ご挨拶出来ない方が恥かしいのんよ」などというのを聞くと、私は貝になり、口を引き結んで涙ぐんでしまうのだった。 いうてごらんよ、なぜいわない、とおとなたちは迫るが、私は「いわない」のではなく、 「いえない」のだ。それがおとなにはわからない。「なに泣いてるの、おかしな子」 ということになってしまう。
小学校一年の時、私は帽子をなくした(その頃は男の子は学童帽をかぶるきまりで、 女の子は自由だったが、大半は好みの帽子をかぶって通学していたものである)。そ れは草色の「変型ベレー帽」ともいうべきもので、縁に革がついていてありふれた型 ではないから目立つ帽子なのである。
それが学校の「落し物戸棚」の一番上に懸けてあったのだ。「落し物戸棚」は大きなガラス戸棚で、昇降口の中央に置いてあり、教室への出入のたびに目につくように なっている。そこに草色の帽子を見つけた時、私は心臓が止るほどギョッとした。
それが私のものである以上、私は先生のところへ行ってその帽子を貰い受けてこなければならないのである。だが、それが私には出来ない。どうしても出来ない。だから帽子なんか、なくしたことにしてしまえばいいのだが、しかし校舎の出入のたびにそれが目につくのである。見まいとしても目に入ってくる。
ㅡ―わたしはここにいるのよ!どうして出してくれないの! と帽子がいっているような気がする。帽子が可哀そうでならない。けれども私はどうしても先生にそれを申し出ることが出来ないのである。
そのうちに家の者が私の帽子がないことに気がついた。どうした、どうした、と訊かれる。 「知らん...わからへん...」と私は答える。私の母は「しょうがないねえ」というだけで、帽子のことはすぐに 忘れてしまった。
しかし母は忘れても私は忘れない。私は、 毎日ガラス戸棚の中の帽 子の前を通らなければならないのである。私は帽子を見捨てようとしている! その思いが私をさいなむのである。
ついにある日、私は母にいった。「わたしの帽子、 忘れ物戸棚の中にあるねん...」なら先生にいって貰ってくればよいと母はこともなげにいう。「いやや」私はいう。なぜいやなのか、と母は問う。それくらいのこと、なんでもないじゃないか先生は叱ったりしない、という。
しかし、私は叱られるのが恐くていえないのではない。それが母たちにはわからな い。「なにが恥かしいのん、え? なにが? いうてごらん・・・」例によってはじまる。
そうして母は匙を投げて家事手伝いを呼んで学校へ行かせ、やがて「ひさ」というその家事手伝いは、 笑いながら帽子を持って帰ってきた。ほっとして帽子を手に取ると、漸く難関を突破したという安堵と、一旦は見捨てようとした帽子への哀れさ、申しわけなさで胸がいっぱいになるのだった。
私がこんな思い出話をすると、人は皆、信じられないという。「ほんとですか」と念を押す人もいる。 「佐藤さんもそうだったのかと思うと、元気づけられます」といったのは、気弱な子供を持ったお母さんである。
「でも、そんな子供だった佐藤さんが、どうして今のような鬼をもひしぐ人になったんでしょう」と質問した人もいる。どうしてか私にもよくわからない。
「私という子供」は、本当は強いものを持っていたのだが超過保護に育ったために弱虫になっていただけなのか、それとも今の「強気の私」は弱い自分があまりに苦しいので、自分で自分を作り替えたための結果なのか。私にわかることは人間は変る、 変り得るということである。
ある時、デパート食堂で六歳くらいの女の子がシクシク泣いていた。若いお母さんが横あいからいっている。 「泣いてるだけじゃわからないじゃないの、 いいなさいよ、理由を。え? 何なの? 何なのっていったら…へんな子ねえ、いつもこうなんだから…」
お母さんはブリブリして、小学校高学年の姉らしい女の子をふり返った。「この子、なんで泣いてるんだと思う?」「知らない......」
姉の方は無関心に答えて大事そうにアイスクリームをなめている。 「へんな子……わけわからずにすぐ泣くんだから...。 ママはそんな子、キライよ」私はその子に心から同情した。どうして、どうして、とおとなはいうけれど、どう してそうなるのか、自分でもわからない。
――わからないが泣けてくる。 わからないが恥かしい。それがわかるくらいなら、苦労はしやしない。 人に説明出来るくらいなら泣きはしないのだ。
私はその子の代りに怒ってるお母さんにそういってやりたかった。しかしたとえそういったとしても若いお母さんは多分納得しないだろう。人は母親になるとなぜか自分が子供だった頃のことを忘れてしまうのである。
● 何がおかしい(2020 佐藤愛子)
19 ふしぎな話
PTAの集りの帰りとおぼしきお母さんたちが数人、 バス停でバスを待ちながら、この頃の子供はナイフで鉛筆を削れないのよねえ、と話していた。 「ナイフもあつかえないなんて、どうなるんでしょう」
「日本人は器用だということになっているけれど、この分じゃだんだん欧米人なみになるわね」 「うちの上の息子なんか、果物はバナナかミカンしか食べないのよ。柿や梨は食べないの。剥くのが面倒くさいというか、つまりうまく剥けないのよ。リンゴは皮のまま食べられるからいいんだけど」
「柿でも熟し柿ならいいのよ」「うちの子は下の前歯で削るようにして食べてるわ」「お猿さんナミじゃないの」どっと笑って「どうなるんでしょう」と嘆いている。
「女の子でも大学を出る年になってじゃが薯が剥けないのよね。だから料理学校では、 剥く、切る、刻むなどの基礎を教える教室を作ったんですって」 「まあ!」 「いったいどうなるの!」とまた歎きの声が上る。
私はふしぎでたまらない。歎いている暇に子供にゴボウを削らせればいいじゃない か。リンゴを剥かせればいいじゃないか。なぜそうしない?
「この現象はだいたい、電動式の鉛筆削りが出廻ったのが発端なのよ」と、見るからにキリリと眉の上った、しっかり者らしい口もとのお母さんがいった。
「私が聞いたところによると、子供に刃物を持たせない運動というのが起った時期があって、その時にどの学校も電気鉛筆削りを教室に備えるようにしたというのね」
「なぜそんな運動が起きたかというと、なんでも刃傷沙汰というか、ナイフで傷をつけるような事件がその頃よく起って、それでナイフは絶対、持たせてはいけないということになったっていうのよ」
「そういうことが発端だったの? 私が聞いたのは、 これは鉛筆会社の企みだというのね」「電動式でガーッとやると、みるみる削れてあっという間に短かくなってしまうものねえ」「子供は面白がってやるのよ」 私はふしぎでたまらない。
鉛筆屋の陰謀か、刃傷沙汰か、理由はいろいろあるだろうが、ことは簡単。 自分の家では電動式鉛筆削りを買わなければいいではないか? 学校へ行くと電動式を使う。だからせめて我が家ではナイフを使わせようとなぜ思わないのだろう?
私はそう訊ねたくなったが、 訊かなくてもだいたい答はわかっている。「だって、お友達が皆、持っているのに、買わないわけにはいかないのよ。 よっちゃんチは電気の鉛筆削りがないんだっていわれると可哀そうでしょう」
「そうなのよねえ、つまらないことのようだけど、そんなことが劣等感のもとになったりしたら、と思うと、つい買ってしまうのよねえ....」
そこへバスが来て、お母さんたちは乗り込んだ。 私も後から乗って、なるべく話がよく聞けるように近くに立つ。話題はいつか給食問題に移っていて、 「母親が手ヌキ出来るものだから母親は給食賛成してるけど、子供は手作りのお弁当の方がいいといっている、なんてテレビで批判してたけど....」
一行のリーダー格とおぼしき縁なしメガネ夫人がいった。「わたし給食に賛成なのは、何といっても平等である点を評価しているからな。お弁当がイジメの原因になったりすることだってあるかもしれないでしょう...」
「そうよねえ。マスコミは何でも悪い方にとるのよねえ...五色弁当でなければ子供が貧乏人あつかいされるなんてことになったら可哀そうだもの。毎日のことだものたいへんよ」
五色弁当とは何か、例えば卵の黄色、ほうれん草の緑、人参の赤、フライの茶色、カマボコの白...というふうに色どりを華やかにするお弁当のことだと後に教えてくれる人がいた。
なぜ五色弁当にしなければいけないかというと、それによって子供の 「情操」を養うのだそうで、「みんなが楽しく、心ゆたかに食事をする」ということが 大切なのだそうである。
私はふしぎでたまらない。 五色弁当でなければ「心ゆたかに楽しく食事出来ない」ような子供がいるとしたら、 それは親が悪い。弁当の中身に関心を抱いて、とやかくいうことは、「下司根性」がすることだ。 弁当の中身を心配するよりも、それを子供に教えた方がいい。
人は人、自分は自分という考え方、自信を子供に植えつけるのが教育というものではないのか。なぜと同じでなければいけないのか?あるお母さんにそれを訊くと、「同じでなければサベツされる」という答が返ってきた。
サベツはイジメに通じ、イジメは劣等感につながる。子供に劣等感を与えたく ない、サベツ、イジメから子供を守らなければならない。それが親が何より大事 問題として考えなければならないことだといわれた。
そこで又、私はふしぎに思う。劣等感のもとを排除することよりも、劣等感と戦いうち克つことの大事さをなぜ考 えないのだろう。 なぜそれを教えないのだろう。 人間、生きている限り、何らかの形 で劣等感はやってくる。
劣等感は人が成長する過程に必要な 「毒」 あるいは「病気」 である。子供の幼い身体はハシカや百日咳を乗り越えることによって成長し、強く なっていくのだというが、 劣等感は心のハシカや百日咳であろう。
しかし今はワクチンの力でハシカや百日咳を抑制する。 同様に劣等感のもとになるものも排除しなければならないとされている。そうして今の子供はひだ がんばりの力がない、何も出来ない、といって歌いているのはおかしくはないか?
自分でひ弱にしておいて、ひと心配している。「教育熱心」とされているお母さんほど、 そうなっているということで、それが私のふしぎである。
なぜ五色弁当にしなければいけないかというと、それによって子供の 「情操」を養うのだそうで、「みんなが楽しく、心ゆたかに食事をする」ということが 大切なのだそうである。
私はふしぎでたまらない。 五色弁当でなければ「心ゆたかに楽しく食事出来ない」ような子供がいるとしたら、 それは親が悪い。弁当の中身に関心を抱いて、とやかくいうことは、「下司根性」がすることだ。 弁当の中身を心配するよりも、それを子供に教えた方がいい。
人は人、自分は自分という考え方、自信を子供に植えつけるのが教育というものではないのか。なぜと同じでなければいけないのか?あるお母さんにそれを訊くと、「同じでなければサベツされる」という答が返ってきた。
サベツはイジメに通じ、イジメは劣等感につながる。子供に劣等感を与えたくない、 サベツ、イジメから子供を守らなければならない。それが親が何より大事問題として考えなければならないことだといわれた。
そこで又、私はふしぎに思う。劣等感のもとを排除することよりも、劣等感と戦いうち克つことの大事さをなぜ考 えないのだろう。 なぜそれを教えないのだろう。 人間、 生きている限り、何らかの形で劣等感はやってくる。
劣等感は人が成長する過程に必要な 「毒」 あるいは「病気」 である。子供の幼い身体はハシカや百日咳を乗り越えることによって成長し、強くなっていくのだというが、 劣等感は心のハシカや百日咳であろう。
しかし今はワクチンの力でハシカや百日咳を抑制する。 同様に劣等感のもとになるものも排除しなければならないとされている。そうして今の子供はひ弱だ、がんばりの力がない、何も出来ない、といって嘆いているのはおかしくはないか?
自分でひ弱にしておいて、ひ弱ひ弱と心配している。「教育熱心」とされているお母さんほど、 そうなっているということで、 それが私のふしぎである。
● 何がおかしい(2020 佐藤愛子)
20 さんざんな私
年明けにS社から私のエッセイ集が出ることになった。題名は「さんざんな男たち、 女たち」という。 さんざんな男たち、女たち--。いったいどういう意味なのだろう?
自分の著書なのに「なのだろう?」とはおかしいとお思いでしょう。私もそう思う。 しかしその題名は S社が考えたもので、しかも最高幹部が知恵を集めた結果、「これだ! これよりほかにいい題名はない!」といって決ったものなのであるという。
向うは「これだ!」と思ったかもしれないが、私は 「これはひどい! ひどすぎ る!」と思った。「さんざんな男たち女たちとはどういう意味なんですか、 いったい――」といった私の声は隠しようもなく不機嫌である。
私はそのエッセイ集の中でこの頃、身に染みて感じていることを書いた。かいつまんでいえば、世代間の断絶が価値観だけでなく、日常の生活にも及んできているということへの慨嘆である。もはや自分のいい分が正しいなどといえる時代ではなくなった。
どっちが正しいという価値判断や主張が出来る時代ではなく、それぞれがその違いに耐えて生きなければならなくなってしまったのだ。怒りたいが怒っても相手に通じない。 通じないとわかってはいるがしかしハラが立つ。
ハラを立てながら無力感を覚えているという、そんな矛盾への自嘲を籠めて書いたものであるから、私としては、 「いうはムダとは思えども」 (いわずにゃおれぬこの辛さ)とつけたい。
あるいは「憮然、呆然、 唖然』とでもつけたい気持である。しかしS社Y氏はこういった。「つまりこの本の中で佐藤さんは若い人たちに対していろいろ腹を立てて悪口を書いていますね。そんなふうに書かれてですね、さんざんな目にあった男たち、女たちそういう意味なんです」
「でもおかしいじゃありませんか。あなたのいうように私がさんざんな目にあわせて いるとしたら、第三者がいうのならともかく、そんな目にあわせた本人がいうのはヘ んですよ。第一、「さんざん」という言葉のあとには、『目にあった」という言葉がつくべきものでしょう?」
「その通りです。ですからここではそれを抜いているんです」「抜いている!」簡単に抜いてもらっちゃ困る。それは日本語に対する冒瀆ではないか?不肖佐藤 愛子、書くものはふざけていても言葉だけは正しく使いたいと念じているものだ。 「さんざんな男たち」なんて勝手に手ヌキしたわけのわからん言葉を題名に使いたくない!
そもそも「さんざん」とは、1) 残る所のないさま。ちりぢり、ばらばら。2) 容赦なくはげしいさま。 したたか。3) 甚だ見苦しいさま。ひどくみじめなさま。と広辞苑にある。
「さんざんな男たち、女たち」のさんざんはその 3)に当るとY氏はいいたいのであろう。 3)の用例に、「あれは散々の醜男ちゃ」という狂言の言葉が出ているが、この場合「散々」は醜男の「醜」にかかっている。つまり「甚だひどい醜男」ということになる。
「'さんざんな男たち'では、いったい何が散々なのか、わからないではないですか?」「ですからそれは、中身を読めばわかるわけでして」「私がやっつけているから?」「その通りでして」
「ですからねッ! 私はやっつけているんじゃないんです! ボヤいてるだけなのよっ!
この断絶を···どちらかといえば、私の方がさんざんな目にあってるって気持なのよっ」
「あっ、そういう意味も籠められますね! 読む人によっていろんな意味にとれるというのもまた面白いんじゃないでしょうか...」「ちっとも面白くありませんよッ!」
「そうでしょうか? ぼくは面白いと思いますがねえ。いろんな意味にとれるというのは実に現代的です」 「わかったわ、あなたはフィーリングで考えていらっしゃるのね!」「そうそうそうなんです。 フィーリングなんです!」
「けど私は言葉をフィーリングで使うことは反対です。私は正確な言葉を使って余韻を持たせたいのよ」「おっしゃることはわかりますが、しかし、この題名はいいと思いますねえ。これなら売れると思いますよ」
売れる! ああもう聞き飽きた。売れる、売れる、売れる...。誰も彼も今は「売れる」 「儲かる」ということばかり考えていて、 その目的のためには、どんなことでも許されると信じている!
更に情けないことは、「売れる」と一言いえば、どんな人間も主張を引っ込めて妥協すると思いこんでいることだ。そうでない人間が今の世の中に生きているとは思わないことだ。その確信のブルドーザーで作者の意図、主張は押しつぶされてしまう。
怒髪天を衝くという趣で、私は口をパクパクさせ、次の言葉がでてこない。敵のこの確信を粉砕するべきどんな言葉も私には思いつかないのである。 「よろしい! じゃあ、その題で出せばいいでしょう。
その代り、私は前書きを書きます。つまりこの題は気に入らないのに私はS社に押し切られた。この題名こそ現代の知的産業の堕落の象徴であると書いて、読者の判断を求めるわ。それでもいいですか?」どうだ! マイったか!
敵は慌てて意見を撤回してくると思いきや、「やあ!」Y氏は朗らかに叫んだ。 「そいつは面白いですねえ! これは面白い、売れますよ!」私は辛うじて態勢を立て直し、「いいんですか、あなたの社を罵るわけよ」「ぼくは面白いと思いますねえ!」
「赤恥をかかされるのよ、私に。それでもいいんですか? あなたはよくても、社長はどう思われるか...」
さすがにためらいが起きたとみえて、では相談して後ほどお返事します、といって電話は切れたが、十分経つか経たぬうちにかかってきた。「先ほどはまことに失礼いたしました。相談の結果、社長もたいそう面白いといいまして、ではそのように、おっしゃるようにしていただこうということになりました」
「いいんですか...ほんとうに...」敗残の兵のごとく私はいった。ああ、かくなりたる上は 「さんざんな男たち、女たち」ではなく、「さんざんな私」 と題名をつけたいものである。