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毎日新聞 2021/4/26 東京朝刊 有料記事 1352文字
絵・五十嵐晃
中国は台湾海峡と技術覇権をめぐる日米共同声明に反発しているが、話題の米映画「ノマドランド」にも怒っているらしい。
「ニューズウィーク日本版」(23日)で知った。
この映画は、きょう決まるアカデミー賞作品賞の本命である。米国で活動する中国出身の女性監督、クロエ・ジャオ(39)には、中国の体制を批判した過去がある。中国は身構えているようだが、映画の主題は政治ではない。不安定化するアメリカ資本主義の辺境に現れた現実である。
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ジャオは北京生まれ。15歳で渡英。米国の大学を出た。「ノマドランド」がゴールデン・グローブ賞(作品賞、監督賞)に輝いた今年2月、中国メディアは沸き、中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」は祝福の書き込みであふれた。
だが、8年前、彼女は米誌のインタビューで、中国は「いたる所にウソがある場所」「若いころに得た情報の多くは真実ではなかった」と語っていた。
そうと分かるや、ジャオをたたえる書き込みは大半が削除された。中国メディアは彼女を無視するか、批判に転じたという。
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映画の原作は、ジャオと同世代の米国の女性ジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーが2017年に発表した同名のノンフィクション(邦訳「ノマド/漂流する高齢労働者たち」春秋社18年刊)である。
ノマド(nomad)という英語は元来、遊牧民を意味している。映画の中のノマドは車に寝泊まりしてさすらう。アマゾンの配送センターやファストフード店や国立公園の事務所に雇われて食いつなぐ。
高齢のノマドは08年のリーマン・ショックがきっかけで増えたという。オスカー女優、フランシス・マクドーマンド(63)演じる主人公ファーンも、工場閉鎖で町が消滅し、職と家を失い、夫に先立たれた――という設定である。
職と家を失えば誰だって落ち込むが、意気盛んなノマドもいる。ローンに縛られ、カネに支配される都市の資本主義システムから逃れ、自然へ返り、仲間同士助け合い、<真の自由>をつかもうとする。新天地を求め、アメリカ中西部の山河、砂漠を放浪する。現代の西部開拓史――という評が出るゆえんである。
ちなみに、原作者は3年間、マクドーマンドは5カ月間、ノマドになって放浪した。道すがら交流した本物のノマドが映画に出てくる。演出と実録が混じり合った作品である。
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日米首脳会談に伴う共同声明は、技術開発の相互補完、半導体サプライチェーン連携――を強調し、中国の経済覇権に対抗する決意を明らかにした。
競争力強化は資本主義のさらなる効率化を促す。効率化を通じて拡大発展をめざす経済体制は、人々をより良い生活――都市圏の不動産や高額商品の購入――へと駆り立てる。
仕事が順調なうちはそれでもいい。だが、産業の衰退や感染症の影響で収入が途絶えれば、ローンは払えなくなる。不安で不自由な拘束に縛られたままでいいか? コロナ禍で疑問は急激に膨らんでいる。
「ノマドランド」は先月から日本公開中。私は先週見たばかりだが、客席は年配客が目立った。高齢労働者の漂流は米国だけの問題ではない。追い詰められたノマドの選択に心動かされる予備軍は日本にも、中国にもいる。(敬称略)(特別編集委員)=毎週月曜日に掲載