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ラストホープ・福島孝徳医師 「神の手」を持つと呼ばれた男はなぜ3万人以上もの患者を救うことができたのか工藤千秋・くどうちあき脳神経外科クリニック院長
2024年5月1日
福島孝徳医師の訃報関連記事=米デューク大脳神経外科のホームページより
世界にその名をとどろかせた脳神経外科医、福島孝徳先生が亡くなられました。享年81。3月22日、福島先生の公式ホームページが公表しました。患者さんの負担を減らそうと、10セント硬貨(直径約2㎝)ほどの穴を開け、顕微鏡を使って患部を切除・縫合する「鍵穴手術(キーホールオペレーション)」を独自に開発。間近で見たことがありますが、その手技はまさに「神の手」そのものでした。生涯手術件数は3万件以上にも上りますが、なぜあれほど多くの患者さんの命を救うことができたのか――。福島先生を悼みつつ、彼との思い出とともに振り返ってみたいと思います。
「The Last Hope」
福島孝徳先生についてはこれまで、テレビや雑誌などで何度も取り上げられているので多くの方がご存じかと思いますが、簡単に振り返っておきましょう。
福島先生は太平洋戦争中の1942年、神職で明治神宮の宮司だった福島信義さんの次男として誕生しました。68年に東京大医学部を卒業し、海外留学をへて78年に東京大病院助手に就任。80年から三井記念病院の脳神経外科部長を務め、ここで有名な鍵穴手術を確立しました。
その後、<学閥と人脈、基礎研究論文数を選考基準とし、脳神経外科医としての臨床実績やHigh Levelのマイクロ手術手技を評価しない日本の医学界に疑問を覚え>(公式ホームページ)たといい、48歳の時に渡米。南カリフォルニア大医療センター脳神経外科教授、ペンシルベニア医大アルゲニー総合病院脳神経外科教授、デューク大脳神経外科教授などを歴任。臨床現場にこだわり続け、<30数年間にわたり毎年600人以上もの手術>(同)をしてきたといいます。
福島先生の公式ホームページによると、脳腫瘍手術は2万例以上。特に手術が難しい頭蓋(ずがい)底脳腫瘍手術を1万2000例以上も手がけるなど、多くの患者さんの命を救ってこられました(22年9月現在)。そして、世界最高水準のアメリカの医療関係者から「神の手を持つ男」「The Last Hope(ザ・ラスト・ホープ)」と称賛されました。
長年勤めてきたデューク大脳神経外科も3月19日、「With his passing, neurosurgery lost a great master surgeon, physician, and colleague.(彼の死により、脳神経外科は偉大な外科医、医師、そして同僚を失いました)」と追悼文をホームページに掲載。いかに福島先生が周囲の人々から崇敬されてきたかがうかがい知られます。
「手術一発」
福島先生は後進の育成にも大変熱心な方でした。自ら開発したさまざまな技術を惜しげも無く公開し、国内外の脳神経外科医らに広めていきました。実は、僕も短い期間でしたが、福島先生に学ばせていただいた医師の一人なのです。
僕は昔、パーキンソン病の外科的手術を学ぶため、イギリスのバーミンガム大に留学していました。ところが、そこで師事していた先生が突然、亡くなられたため、どうすべきか迷っていた時、「アメリカに福島という有名な先生がいる」ことを知り、ご本人に連絡しお願いしたところ、快諾していただけたのです。
福島先生が50代半ばくらいのころだったかと思います。福島先生のもとで1カ月ほどお世話になりましたが、間近で見ていて、福島先生の仕事ぶりはやはり「神」がかっていました。
福島先生は、朝の7時にはもう病院に来ていました。軽くサンドイッチをつまみながらコーヒーを飲み、すぐにオペ室へ。そして、夜遅くまで手術をこなす――。そんな日々を送られていました。手術は非常にスピーディーで、三つの手術を同時にする日もありました。それを1年365日、ほとんど休みなく続けておられました。とても尋常ではありません。
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福島先生はよく「手術一発」と言っていました。当時、脳神経外科の手術はステージド・オペといって、手術を2回、3回とわけて行うことが当たり前でした。ただし、患者さんは複数回手術を受けなければならず、体への負担も大きかったのです。ところが、福島先生はたった1回の手術で治療を終え、患者さんを家族の元に返すことを信条としていました。それが患者さんにとっては体の負担を最小限に抑えられ、「最高のプレゼントになる」と言っておられたのです。
「オペはリズムだ!」
それにしても、なぜこれほど多くの手術をテンポよくできたのでしょうか――。僕には忘れられない思い出が一つあります。
福島先生に誘われ、ある日の朝5時ごろ、アメリカのご自宅に行った時のことでした。
「グッドモーニング! 工藤ちゃん、ちょっと入りなよ!」
福島先生に招かれ、リビングルームに入ると、そこにはとても立派なドラムが一式置いてありました。そして、いれたてのコーヒーを飲み終えると、いきなり、先生が演奏し出したのです。
ズンズンチャン、ズンズンチャン~~♪
とても軽快で、かつリズミカルに。しかも本当に楽しそうでした。学生時代からドラムに慣れ親しんできたとは聞いていたのですが、正直、プロ顔負けの腕前でした。
15分か20分ほど演奏し、ますますリズムに乗ってきた福島先生でしたが、突然「レッツゴー」と言って演奏をやめ、僕を車に乗せてそのまま病院へ直行。そして、控室で先生はこう言ってにやりと笑ったのです。「工藤ちゃん、オペはリズムだよ!」
脳神経外科の手術では、技術はもちろんのこと、脳のどの部位を切り、どの角度で器具を入れるか、そもそもどんな器具を使うか、テンポよく決めていかなければなりません。通常、20時間はかかる手術も、福島先生は6時間程度で終えていました。
まさに、福島先生はドラムをたたくことで、こうした感覚を養っていたのだと思います。また、そうでなければ、これほど多くの手術をこなすことはできなかったのではないでしょうか。
脳外科は体力こそ重要
ほかにも、「脳外科医は体力だ」とも言っておられました。脳外科医は手術時間が10時間以上になることもざらにあります。まさに、体力こそ命です。
福島先生はゴルフが趣味で、僕もお供をしたときがありました。ご存じの通り、ゴルフはゴルフ玉を打って穴(ホール)に入れる競技ですが、福島先生はカートを走らせながらとにかく打ちまくり、グリーンにオンしたらOK。次のホールへと向かいます。これを早朝からやって、8時前にはハーフ(9ホール)を終えていました。そして午前中に全ホール回り終えると、また病院にいって手術をしていたのです。
ゴルフをやって気分転換するとともに、体力も鍛えていたのでしょうか。まさに超人的な体力ですが、還暦を過ぎても世界中を飛び回り、難しい脳外科の手術をこなしていた先生のご活躍をみれば、納得いくものがあります。
「福島チルドレン」が遺志をつぐ
このように、臨床をやる上で強力な武器となる優れたリズム感覚と体力をお持ちだった福島先生でしたが、基礎研究を重視する一方、臨床を軽視する傾向が根強い日本の学界(とくに大学)に納得がいかず、アメリカに渡られたと聞きました。アメリカは基礎研究だけでなく、臨床もきちんと評価する土壌があったからです。しかし、そんなアメリカに拠点を置いたからこそ、福島先生は思う存分、力を発揮できたのかもしれませんね。
不世出ともいえる福島先生を慕い、多くの臨床医が福島先生のもとに集い、学び、そして「福島チルドレン」として今、国内外の各地で大勢の患者さんの命を救っています。私もその一人として、今後も患者さんと真摯(しんし)に向きあっていこう――。福島先生の訃報に接し、そう気持ちを新たにした次第です。
福島先生の心からのご冥福をお祈りします。
特記のない写真はゲッティ
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くどう・ちあき 1958年長野県下諏訪町生まれ。英国バーミンガム大学、労働福祉事業団東京労災病院脳神経外科、鹿児島市立病院脳疾患救命救急センターなどで脳神経外科を学ぶ。89年、東京労災病院脳神経外科に勤務。同科副部長を務める。01年、東京都大田区に「くどうちあき脳神経外科クリニック」を開院。脳神経外科専門医であるとともに、認知症、高次脳機能障害、パーキンソン病、痛みの治療に情熱を傾け、心に迫る医療を施すことを信条とする。 漢方薬処方にも精通し、日本アロマセラピー学会認定医でもある。著書に「エビデンスに基づく認知症 補完療法へのアプローチ」(ぱーそん書房)、「サプリが命を躍動させるとき あきらめない!その頭痛とかくれ貧血」(文芸社)、「脳神経外科医が教える病気にならない神経クリーニング」(サンマーク出版)など。