出處 : “道をひらく” 松下幸之助 著
109 Page : 時 を 待つ 心 - 2.
時 (토키) を 待 (마)つ 心 は 、 春 を 待つ 桜( 사쿠라) の 姿 (스가타) と いえよ う 。
때를 기다리는 마음은, 봄을 기다리는 벚꽃의 모습이라고 할 수 있다.
だが何 (난)もせずに 待 (마)つ ことは 僥倖 (교오코오)を 待 (마)つ に
하지만 아무 일도 하지 않고 기다리는 것은 요행을 기다리는
等 (히토)しい 。
것과 같다.
静 (시즈카)か に 春 を 待つ 桜 (사쿠라) は 、 一瞬 (잇슌)の 休 (야스)み も なく
조용히 봄을 기다리는 벚꽃은, 한순간의 휴식도 없이
力 (치카라) を たくわえ て いる 。
힘을 쌓아두고 있다.
たくわえ られ た 力 (치카라) が なけれ ば 、 時(토키) が 来 (키) て も 事( 코도) は
모아진 힘이 없으면, 때가 와도 일은
成就 (조오주) し ない で あろ う 。
이루지 못할 것이다.
時 (토키) を 得 (에) ぬ 人 は 静か に 待 (마)つ が よい 。
때를 잡지 못한 사람은 조용히 기다리라.
大 自然 (다이 시젠)の 恵 (메구)みを 心から 信 (신)じ 、時 (토키)の 来 (쿠)を 信じて、
대자연의 은혜를 진심으로 믿고, 시간의 오는것을 믿고,
着々 (차쿠차쿠)と わが 力 (치카라) を たくわえる が よい 。
차근차근 내 힘을 기르는 게 좋다.
着々 (차쿠차쿠) と わが 力 を た くわえる 人 に は 、 時 (토키) は 必ず 来 (쿠)る 。
차근차근 우리 힘을 비축하는 사람에게는, 시간은 반드시 온다.
時期 ( 지키) は 必ず 来 (쿠)る 。
시기는 반드시 온다.
待 (마)て と いわ れれ ば なお あせる の が 人情 (닌초) で ある 。
기다리라고 하면 더 초조해 하는 게 인정이다
だが 、 自然(시젠) の 理 (리) は わ が まま な 人情 (닌조오)には
하지만, 자연의 이치는 내 맘대로의 인정에는
流 (나가)さ れ ない 。
흐르지 않는다.
冷 (츠메)たい の で は ない 。 静 (시즈)か に 時 (토키) を 待 (마)つ 人 に は 、
차가운 건 아니다. 조용히 때를 기다리는 사람에게는,
暖 (아타)かい 光 (히카리)を 注 (소소)ぐ の で ある 。
따뜻한 빛을 쏟아 붓기 때문에 있다.
おたがいに 時 (토키) を 待 (마)つ 心 を 養 (야시나)い たい 。
서로 때를 기다리는 마음을 키우고 싶다.