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毎日新聞 2021/7/26 東京朝刊 有料記事 1792文字
中年危機の乗りこえ方についてまとめた「ミッドライフ・クライシス 80%の人が襲われる“しんどい”の正体」(青春新書)
生きている以上、悩みは尽きない。特に、人生が「上り坂」から「下り坂」へと転じ始める中年期は、いろいろな悩みが一気に押し寄せる時期でもある。
たとえば、人生のピークが見えてきたことによって、自分の限界を知り、言葉では言い表せない絶望感に襲われる。子どもが巣立ち、心にぽっかり穴が開く。そんな「空の巣症候群」、介護を終えた後などにも、同じような心理に陥るといわれている。
さらに中年期は、身体的にも変化する。がんなどの大きな病気が見つかったり、高血圧や糖尿病などの慢性病の芽も現れたりしてくる。女性も、男性も、更年期を迎え、不調に苦しむ場合もある。男性の更年期は、テストステロンというホルモンの減少により、肥満や集中力低下、うつになってしまうことがある。
このような中年期に襲われやすい危機を「ミッドライフ・クライシス」と言う。40~65歳に多く、8割の人が体験するといわれている。
ぼく自身も、ミッドライフ・クライシスを経験している。48歳のとき、突然、頻脈発作や冷や汗に襲われるパニック障害となった。不眠にも苦しんだ。原因は、オーバーワークだったと自己分析している。当時、病院長として、累積赤字4億円の病院を黒字経営にし、人材が集まる病院にしようと駆けまわっていた。その目標がある程度、達成されつつあり、さて、次の目標をどうするかというタイミングでもあった。
結局、3年ほど、不調に苦しんだ。だが、マイナスばかりでもなかった。立ち止まって考えることで、「がんばる」だけの生き方はもろいことに気付いた。自分の生き方を見直す機会になったのだ。
当時、ぼくは仕事人間だった。それも、かなり重症の。それを何とかしたいと思い、病院の仲間と、バンドを作り、ドラムに挑戦した。バンド名は「ペースメーカー鎌田とオールモストイルネス(ほとんど病気)」。冬には、半日だけでも病院に行かない時間を作ろうと思い、スキーを始めた。スキーを始めて、筋肉が重要だと気づき、メタボぎみの体形も改善していった。
また、二つのNPOの医療支援活動に力を注ぐため、8年かけて若い世代に病院経営を譲り、56歳で引退をした。作家としての時間も、多くとれるようになった。本を書いたり、講演に呼ばれて話をしたり、テレビやラジオで自分の考えを述べたりする新しい人生が始まった。今思うと、ミッドライフ・クライシスが、ぼくの人生を「二毛作」にしてくれたように思う。
うまく通過すれば、人生にいい影響をもたらすミッドライフ・クライシス。こじらせず、上手に脱するにはどうしたらよいだろうか。
まずは、体を整えることを勧めたい。この時期、表面化してくる生活習慣病の予防や改善のために、筋肉を刺激する「貯筋運動」と、ウオーキングなどの有酸素運動の両方を習慣化してほしい。
筋肉ができることで、テストステロンというチャレンジングホルモンが分泌され、心理的危機を突破する力になる。また、将来のフレイル(虚弱)を予防し、元気な高齢期を作ることにもつながる。
その次は、自分のふるまい方、生き方のクセを見直すこと。中年まで生きてくると、気づかないうちにクセがついている。
とにかく気合で押し切ろうとする「なんでも根性症候群」といった人もいれば、協調性が欠落している人もいる。他人にレッテルを貼っているのに、そのことに気付かないということもある。ものの考え方が視野狭窄(きょうさく)に陥っている場合もある。自分はそんな人間ではないと思っていても、案外、そういう行動をとっていることがある。よくよく注意して、自分のクセを見直したほうがいい。
もう一つ、ぼくが大切にしたいのが、「丁寧に生きること」だ。
2000年に訪れたアウシュビッツ・ビルケナウ収容所
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所を訪れたことがある。その時、案内ボランティアから聞いた言葉が今も忘れられない。
厳しい収容所で生き残るには、何が必要か。希望がなければ、生きられなかった。でも、希望だけでは生き残れなかった。毎日のささやかな営みを丁寧に続けた人が生き残ったという。どんなに絶望しても、朝起きた時に服にこびりついた泥を払い落とし、髪の毛を整える。そんなふうにして、自分の尊厳を守ることが大事なのだ。
こうした生きる姿勢は、中年期の危機だけでなく、いくつになっても、どんなときも、人の心を支えてくれる。(医師・作家、題字も)=次回は9月20日掲載