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2.
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(ひどい)匂いだった。肺の奥深くに押し寄せて来て、内臓のあちこちを刺激するほどにひどく臭った。タクシーのドアを開ける前から吐き気を催した。運転手が、急いで橋の前に車を止めた。彼がタクシーから、走り出て、べとべとする唾を長く垂らしながら、境界石にもたれかかって吐く間、料金を受け取れないでいた運転手は、臭いをかがないためにマスクをした口を、手袋をはめた手でふさぎ、その場を離れて立っていた。かろうじて吐き気を落ち着かせ、料金を支払うと、運転手は、こんなところに居られるかとばかりに速度を上げて抜け出していった。
(回想→)空港から出て来た彼は、タクシーに乗る(←チャプタ)のにしばらく骨を折った(←エルル モゴッタ)。タクシー乗り場(←乗降場)ですぐにタクシーに乗ることは乗ったのだ。しかし、運転手は、彼が差し出した住所が書かれたメモを見ると、断固として首を振らなかった。行けないと言った。そんな風に何台かのタクシーに乗っては降りて、または、乗る事も出来ずに乗車を拒否された。彼は、本社と宿所がある第4区が、運転手たちが行くのをはばかるところであることに気が付いた。どこでも道が狭く、道路標示がめちゃめちゃで、道路の状態がわるく、人の気配が少なく(人跡(インジョク)イ トムロ)、お客を乗せられず、抜け出る(→言い訳にして逃れる、の意か?) 確率が高いところがあるものだ。第4区がそうである様子だった。
第4区は、C国の首都であるY市の中心部の郊外(←外郭)地域で川の丘(←トゥンドク)を再開発して作った離れ島(←ウェッタンソム)だった。再開発当時、大量の産業廃棄物と家庭ゴミを埋め立てた事実がばれて、事業を推薦した政治圏の担当者(→政治家)が、弾劾されて政治生命が絶たれたりもした。第4区は、最初Y市のベッドタウンとして計画されていたが、ゴミの埋め立て地だと言う噂が広がって、地価(タンカプ)が暴落して、相場(時勢)が下落し、住民たち(←居住民)が沢山離れて行った。今は、比較的賃貸料が安いオフィスタウンとして活用されており、やはり同じ理由で再び住民たちが定着し始めた。いくつかの長い橋が、川で囲まれている第4区を陸地と連結していた。
空港の近所のホテルに泊まらなければならないのでは無いかと思いながらも、最後だと思って、尋ねてみたタクシーの運転手が、メモを受け取りながら、しばらく彼に何かを説明した。ゆっくりと何度か繰り返し聞いてみたら、メモに書かれた住所までは、行けないが、近所に降ろしても良いと言った。近所と言うのがどこを言っているのか、分からなかったが、一般的な意味の近所なら、隣接地域のタクシーをたやすく利用できるだろう。彼は、承諾の意味で、うなずいた。
目的地まで行く間、運転手は一言も話さずに黙ってラジオのニュースを聞いた。アナウンサーと現場の記者の慌ただしい声がかわるがわる聞こえてきた。同じ内容のニュースが何度も繰り返されている感じだった。あまりにも話す速度が速いので、彼が聞き取れる言葉は、全部と言っていいほど、ほぼ無かった。お陰で、彼は、慣れない外国語を音楽でもあるかのように無心に聞きながら、夜の暗闇に包まれたC国を眺めることが出来た。車窓にすばやく通り過ぎる都市の夜景の上に、彼の顔が幽霊のようにぼんやりと写っていた。実在を表さない形のない(←非形状)の存在である幽霊。それこそ今の、都市で彼の存在を言い表す(←規定する)最も適当な言葉だった。
(2017年5月22日は、ここまで)
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彼は、ただ、特別な恩恵(特別扱い)を受けていると言う理由で、仲が悪くなった職場の同僚たちのもとを離れ、かつては彼と最も親密な存在だったが、いまは他人同士も同然になった前妻のもとを離れ、すべてを新たに始めると言う気持ちで、(また)すべてがうまくいくだろうと言う気持ちで、新たな人生をプレゼントされた気分で、C国に来た。それにも関わらず、どういう訳か、母国を思い浮かべると、再び足を踏み入れられないかのように、残念な気持ちもし、自由意思でない誰かのせいで追放になった感じが押し寄せてきた。追放者の感じと、新しい人生に対する自負心が絡み合い、心臓がバクバクした。そのせいで、タクシーが、暗い夜の都心を通過する間、手を持ちあげてなじみの薄い(今までにない)心臓の拍動をぎゅっと押さえつけなければならなかった。
橋は、終わりが見えないくらい長く、深い闇に埋もれて中間がとぎれた(途絶えた)ように危険に見えた。彼は、しばらく、通行人と車両が全く居ないので、静かな(ムンムカン)した橋を眺めた。橋の向こうの暗闇の中には、彼が
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泊まる宿舎があり、(これから)業務をしていく本社があった。疲れて疲労し切った時代と、別れを告げた彼がいたし、外国人の同僚たちと付き合って、活気を満たすような一人の生活を楽しむ彼がいた。彼の全てが、漆黒のような闇の向こう側にあると言う事が、残念なだけであった。
しばらく待っていたが、空のタクシーのようなものがいるはずがなかった。彼は片手でトランクを引き、もう片方の手で鞄を持ち、黒い石油のような(川の)水を横切る橋を渡った。大したものを持ってきたわけでも無いのに、トランクは、全世界(のもの)を詰め込んだように重かった。水は、ぷかぷか浮いているゴミの山—---水害でも遭ったように水の上には、各種のゴミが浮かんでいた----で無ければ、長い間、よどんで腐った沼のように見えた。タクシーの運転手は、言った通りに近所に降ろしてくれたはずだが、川を横切るこの橋は、C国の人事担当者が送った航空写真にも表示されたもので、第4区の進入路(←(読み方)チニムノ)の役割をしていた。
ひっくり返った胃(吐き気)をなんとか押さえつけた彼は、橋を渡る時の(イヤな)臭いの根源を探し出した。橋の終わり(端)に黒いゴミの山がビルのように層をなして積み重ねられていた。闇の中で、彼が、商店の立て看板だと思ったのは、ゴミであり、軍隊の小さな幕舎(テント張りの小さな兵舎)に見える細長い形の建物も、実は数十個のゴミ袋が隊列をなしていたものだった。通りに転がるものは正体を調べる必要のないくらいほとんどゴミだった。目に付くところはもちろん、目につかないところにもゴミが積まれてあった。臭いは、その放置されたすべてのゴミから漂ってきており、ゴミから流れた汁が、真っ黒にしみ込んでいる地表からも流れ出て来ていて、古くなったゴミが埋め立てられた深い地面からも漏れ出てきていた。
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ゴミで頭を悩ます都市の話を聞いたことがあった。C国の話ではなかった。美しい港として有名な別の国の都市だった。埋立地が飽和状態になり、政治的な問題で回収業者が長期間集団ストライキを敢行し、収集されないゴミが、いにしえの時代の遺跡を大切に保存している都市の(ど)真ん中でそっくりそのまま、放置されたのだった。通りのあちこちに腐ったひどい臭いがし、有毒ガスが立ち上り、失費が発病し、遺跡が腐食した。ゴミのせいで起きた抗議(性)のデモ(←シウィ)を政府が過剰(←クァイン)制圧して、流血の暴動が発生した。鉄製の鎮圧用の警棒を持ったジョンギョン(戦警=戦闘警察隊)と、クイ(←ピケ)を持ったのどちらも(들が分かち書きになっているのは、等の들では無く、この들以前に並列された人(動物)など全部が全部そうだ、の意味の들であるため)が、ゴミの山をかきまぜた(ティソギタ→警察と市民がゴミの中で入り乱れた)。流血デモが起こった(←ボロジン)道路から少しそれる(ポソナダ)と、港があった。遠くからみると、港の全景は絵葉書(←クリムニョプソ)のように美しいばかりだった。港には、白い帆を張った(ドチュル トゥルダ)船が風に穏やかに船体を揺らしていた。近くに行ってみれば、水の上にもゴミがぷかぷか浮いているのを知ることが出来た。ゴミは、帆を張った船の影であるかのように(丸く)帯状に(←帯を結んで)広がっていた。第4区もまた、全く同じ状況に置かれているのかも知れなかった。
ガタガタと震えながら(ドルドルデミョンソ=ドルドルゴリミョンソ)不安そうに動いていたトランクの車輪が、隊列(←隊伍)をなして果てしなく並ぶゴミの山を過ぎたころ、ついに外れてしまった。車輪は、道路へ転がり、ゴミの山の中へ入って行った。彼は、車輪を探すかわりにトランクをずるずる引っ張る方を選んだ。ゴミの山の方から絶えずビニール袋がガサガサと音を立てて(パクラクゴリダ)、ハアハア(←パップゲ)息をあえがす声が聞こえてきた。猫か、犬が、沢山のネズミの群れがゴミをひっくり返しているのだった。この都市で、彼らが飢える(クムルジュリ)ことは無さそうだった
片手でトランクを引き、片手で鞄を持つために、鼻をふさぐ
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手が無い(手で防げない)せいで、ずっと臭いをかぎ続けなければ無かった。そのせいか、内臓がひっくり返る(ねじれる)ようにひどかった臭いにも次第に慣れてきたようだった。その上、立ち止まって(モムチュォ ソソ)灯りの消えた食堂の看板と窓ガラスに見える食べ物の模型(→食品サンプル)をゆっくり調べたりもした。食品サンプルを見ると、道に転がっているゴミとそこで漂う悪臭にも関わらず、ひどくひもじさが感じられた。
商店は、全部閉まっていた。Y市は、商店の営業時間を夜8時までと制限していた。市議会で、法律で制定された事項だった。商業従事者の生存権より、人間的価値を保護しようと言う趣旨だった。市民たちは、生計を維持する事以上に人生の質を向上させるための努力する義務があった。Y市が、市民たちに望むのは、一定の水準の教養を持つ事だった。そのためなら、不便があり(不便を感じ?)、経済的損失を甘んじて受け入れたとしても、生活の余裕を確保しなければならないと信じていた。そのせいで、取り締まり(←タンソク)を避け、こっそり裏で、不法営業をする業者がはやっていると言う話は、外国のガイドブックにまで、載せられているほどだ。もちろん事前申告で、合法的に許可を得て、営業するところもあったと言う。
こんな悪臭の中で、どうやって人間的な生活を保証されるのか。時間が与えられたなら、教養というのが自動的に生じて来るものなにか、疑問であったが、悪臭の中にいると、すぐに同化されて、感じることさえできなくなると言う事をタクシーから降りて歩いてくる間実感した。ゴミがこの程度、放置されたのも、ゴミの収集人が、生活の質を保証されるために、積極的に意思を表わした形なのだろう。すると、いくらゴミが腐って行く都市と言えども、(また)悪臭を放つ都市と言えども、人間的な生活とは、維持されるのが当然だと
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言う考えが浮かんだ。歩道に散らばる(←カッリダ)ゴミを踏みながら、宿舎へ向かう間、彼は、C国でなら、自分にも、強制された余裕と、教養、人間的生活と言うものが、ただちに生じるような気がして、ワクワクさえ感じてきた。
* * *
夜のアパートは、図体のでかいおとなしい犬のようにうずくまっていた。ついに到着したと言う安堵の気持ちに彼は、トランクを立てかけて(?←セウォノッコ)玄関の前に立って天を仰ぎ見た。空は、せまく、暗くて、深い井戸のように見えた。その暗い井戸の中にアパートのてっぺんがパッリョ(吸い込まれるように?)入って行っていた。顔を挙げて空を見る間にも、暗闇が少しずつ建物をつまんで飲み込んでいた(チボサムキゴ イッソッタ)。
アパートは、各層の18世帯が、非常階段がある中央部を四角に取り囲んでいる状態(←形局=1.風水などでの「場所」2.(あることが生じた時の)状況)であった。非常階段は、建物のてっぺん(最上階)である25階まで連結された螺旋形であった。非常階段がある中央部は、天井が無く、ぽんと空いていたが、火災時に有毒ガス排出口を念頭に置いたものの様だった。
エレベーターから降り、4階の6号の鍵穴に玄関で使ったものと全く同じマスターキーを差し込むと、カチャリと音を立てて留め金(チャムグムセ)開いた。横になりたい気持ちで(なりたかったので)、足が震えるほど(-ル チギョン)だった。トランクを引いて来る間、ズキズキしていた(シクンゴリドン)腕は、感覚がなくなるほどカチカチになっていた。彼は、トランクを廊下に置き、中へ入ってセンサーにマスターキーを挿した。 少しして(←少し間を開けて←ご飯を炊けたあと少し蒸らして)灯りが付き、部屋と台所、トイレがそれぞれ一つずつある典型的な独身者用宿舎が、姿を現した。
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ちょうど靴を抜いだ時、電話のベルが鳴った。予想外の音だったので、仰天した。電話があるとは思わなかった。入居を確認しようと言う管理人であるか、到着の可否を確認しようと言うモールであろう。彼は、急いで靴を脱いでドスンドスンと言う音が出るほど走っていって、電話をとった。
(2017年6月5日はここまで。Sさんから発音の指摘を沢山受けましたので、書き残しておきました)
予想通り、モールであった。モールは、彼の外国語が未熟であることを勘案(考慮)して、ゆっくり、比較的容簡単な単語を使って短く文章を続けていった。純然と(全く)モールの努力で言葉をほとんど聞き取った。モールは彼に、入国時の疲労と抑留(発音:オンニュ)による苦労を手短かに
(チャルマッカゲ)慰労した後、難しい頼みごとでもするようにためらいながら、当分の間、出勤しなくても良いと言った。入国後、処理しなければならない事が多いだろうから、しばらく休めと言う事だった。彼としては、うれしい事限りない通告(←通報)だったが、モールのためらう態度が、どういう訳だか、釈然としなかった。
「では、いつから出勤しましょうか(出勤すればいいですか)?」
「おそらく、内部会議を得て、決定されるでしょう。」
モールは、大体一週間から10日間ほどになるだろうと付け加えた。確認が必要な問題のようなので------彼は、いくら簡単なものでも、C国の言語をしっかりと聞き取れなかった(かもしれない)と言う不安感に悩まされた。-----一週間や、10日間後ですか? と尋ね返した。
「まだ、確実でない事項ですが」モールが答えた。「会議の結果により、変わってきます。」
モールは、担当者の間で決定しなければならない事項があると言った。前半の部分がはっきり聞こえず、決定しなければならないことが何か、推測が難しかった。彼は、意味をしっかり把握しようともう一度言ってほしいと頼ん
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だが、モールはすぐに招集される内部会議が終わったら、また電話するので、その時相談(←[漢字]相議←サンイ)しようとだけ、答えた。どんなことも尋ね返しようがないほど、幅広く(発音:ポンノルッコ)あいまいな回答だった。
彼は、モールに、尋ねたいことを尋ね、望む回答を得るためには、どんな単語や(どんな)文型を使用したらいいか考えていたので、しばらく時間を引き延ばした。しかし、いくら頭をひねっても、彼の外国語の実力で求める言葉を聞こうとすれば、すべてを偶然に任せなければならないと言う考えが浮かんだ(→考えに至った)。
何か、もっと説明が必要だと思ったが、モールは、これはC国の特殊な事情のせいだと付け加えた(発音:トップッチョッタ)。遅くとも一週間後には、決定された事項を知らせられると言った。彼は、モールがその言葉を言いながら、「特別な異常が無かったら」と言ったなと思ったが、彼の言葉は、「特別な場合であるので」と聞こえたりもした。
モールの言葉に彼は、安堵と不安を同時に感じた。「遅くとも」と言う言葉は、彼に安堵を与えた。派遣勤務の状況に変動があるのでは無いと言う意味が込められていたからだ。通話の終わりに彼が聞いた言葉が、「特別な場合なので」が正しかったならば彼に、短ければ一週間、長ければ10日間休めと言ったのを特別な場合だと指して([漢字]指称=指す、称する)いるのだと言えた。反面、「C国の特殊な事項」と言う言葉は、彼をすこし、不安にさせた。ゴミ騒動([漢字]波動=騒ぎ、(オイルショックのショックのような)ショック)と伝染病が拡散の一途([漢字]一路)に立っているC国の状態が自国民も安心できない程度だと聞こえたからだ。
彼は、どんな心配(気がかり)も解決できないまま、モールと「ありがとうございました。」と「失礼します。」と言う言葉をかわるがわる何度かやり取りした後に-----モールの
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挨拶が続き、彼はまるきり(トムジ)電話を切る瞬間をつかめなかった-----電話を切った(←終えた)。受話器を降ろしながら、モールに電話番号を聞かなければならなかったと言う事を考え出した(→思い至った?)。彼は、自分の部屋に置かれた電話の番号を知らなかった。ただ(オロジ=ひたすら)、ベルが鳴った時だけ使えるのだった。彼は困って受話器をのぞき込んだ。通話音(←[漢字]信号音。受話器を上げた時に聞こえるツーツーツーという音)は彼が番号を知らない事とは関係なく、平和([漢字]泰平)で均一な音を鳴らしていた。母国で聞いたのと特別変わりない音だった。それにも関わらず、一方的な受信者だと言う事のせいで、通話音が聞きなれない(ナッソルダ=馴染みのない)ものに感じられ、自分が異国の見知らぬアパートに来ていると言う事が実感された。
(6月12日はここまで。いつもの会場が使えなかったので、韓国サイト(Naver, Daum)の地図とGoogle地図とのちがいの話やその他の話もしながら、ゆっくり進みました。ご報告まで)
(6月19日はお休みでしたので、ここから26日↓)
対象者として選抜されたことは、だいぶ前の事だったが、研修を兼ねた本社への派遣は、ほとんど取り消されたものとみえた。電子メールを通じて突然出国の指示が伝えられた(る)一週間前までだけでもそうだった。気温部開始日は、延長され続けた。最初合意された勤務日に際して(ついて)は、C国の政治的状況が極度に混乱してきているようだった。長い間権力を手にして来た保守陣営の独走が極限に達し、大々的な市民蜂起(ボンギ)が起こるだろうと言う予測があった。予測と異なり、小規模のデモが散発的に起こったが、うやむやに(フジブジ)終わってしまった。慌ただしい雰囲気の中で、施行された選挙でも、保守性向の政党が安定的な勝利を手にした。
その次に合意された勤務日の頃には、C国に大地震が起こるだろうと言う噂が拡散された。C国は、2つの地質学的パン(場所?) が出会う近所
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にあり、地震の危険に常にさらされていた。世界各国に地震関連の協会から前兆現象(ジョンジョヒョンサン)を根拠にいくつかの大地震の予想日を公開した。掲示された予想日が、すっかり過ぎて行くまで地震は発生しなかった。 出国を引き留めたのは、支社長だった。彼は、何年か前にC国の都心地の地震で従兄を亡くしたことがあった。万一、派遣社員が障害を負ったなら、保証手続きが複雑になるのだった。
次の勤務日に際しては(~エ ズュームハダ=…に臨んで、…に際して、…に当たって)、C国の本社役員(任員=役員)の間で、派遣に多雨する懐疑的な意見が出(てき)た。経営者の要請は、名目のみで、本社の技術とノウハウが流出し、支社が技術的、財政的に独立する原因(ピルミ=呪い、不幸の原因)を提供すると言うのだった。現地職員の支社長の選抜は、時期尚早だと言う意見もあった。予定された勤務日が近づいてきたが、一部の役員(←任員)は、反対の立場を曲げなかった。
派遣を主張するほうは、支社長と、本社にいくらもいない、意思決定にたいして影響力が無い支社長の側近だった。最終決定が支援される間、彼は、支社長が本社の反対を顧みず(ムルブスゴ)、あえて対象者を選抜したのは、退職までいくらも残っていない自分の本社内の立地確保のためだと言う事に気が付いた。また、派遣を絶対に成功させるぞと職員たちに自信ありげに言った(壮談ハダ=確信をもって自信ありげに話す)のとは異なり、支社長には、欲望を具体化する力と推進力、(それに)相応しい人脈が無いと言う事も分かるようになった。
結果的に派遣は保留されたが、対象者の選抜をめぐって、職員たちの間で起こった波紋は、沈静(カラアンチ)しなかった。彼の選抜に一番憤慨したのは、魚(類)先輩-----両目が甚だしく離れているのでつけられたあだ名だった-----と、彼に従う何人かの動機だった。現地職員が
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支社長になるなら、経歴と年齢が一番上の魚類先輩だろうと言うのが普通の考えだった。経営者研修を兼ねた派遣勤務の対象者が選抜されたなら、それも魚類先輩であるだろうと言うのが、職員たちの考えだった。入社(時期)が同じでも誰かが先に昇進することがあれば、彼であってはならないことだと言うのが、同期たちの考えだった。
同僚たちが、彼の選抜に敏感に(←鋭敏に)受けいれたのは、派遣勤務に、とくべつな意味があるだろうと言う推測のせいだった。支社長は、赴任の初日にスピーチで、次期の支社長は、C国の人間で無いだろうと断定的に言及した。また、本社と緊密に協力しなければならないだけに次期支社長の選抜には、本社での勤務経験が重く働くであろうし、現在、慎重に派遣対象者を検討中であると言った。それは、皆が期待していることのように、特に魚類先輩が期待しているように現地の職員を派遣し、経営者研修をした後、支社長として抜擢されるだろうと言う話だった。
彼もまた、自分の選抜が納得できない部分があったので、職員たちが単に彼を非難するため、対象者として彼を推薦した支社長を非難するため、彼の選抜を決定した本社の担当者であるモールを非難するため、たびたび休憩室や、給湯室(タンビシル=[漢字]湯備室か?) に集まるのは、見て見ぬふりをした。それにも関わらず、平素彼に親切でつまらない(シシハン)冗談をよく仕掛けて来た魚類先輩の、急変した冷ややかな(冷冷ハダ(発音:ネンネンハダ))態度と彼を非難することに熱を上げる(かっかとして彼を非難する)同期たちの態度は、深い傷として残った。魚類先輩は、純朴で善良に見える表情-----両目の距離が遠いので(目と目が離れているので)、目をやさしく開けばよかった-----を見せつけ、自分が不公正な人事の被害者だと言う心のうちを隠さなかった。彼の動機たちは、暇さえあれば、魚類先輩の
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そばに集まって支社長の偏った(←偏向的)人事推薦を糾弾(←声討)し、支社長を(基本方針のはっきりしない)無原則主義者だと息を殺して(?) 、非難した。しかし、誰も支社長に彼が選抜された理由を話してくれとか、派遣勤務の意味が何なのかと聞かなかった。
「ネズミのせい(ここは、ためだ、おかげだ、どれでも可)だ。」
勤務条件を伝えられた(トンボ=[漢字:通報]通知して報告すること)場で、彼がためらいながら、選抜の理由を尋ねると、支社長が答えた。
「ネズミですか?」
「そうだ。ネズミ。おれが見るに、君ほどネズミをうまく捕まえる者はおらん。」
通訳を兼ねる支社長の秘書が、面白いと言うように、彼をちらちら伺い見た。彼はたちまちしょげた。経営者(←[原語]経営人)としての研修まで兼任すると言いながら、まったくもって(←トデチェ)、選抜の事情(=理由)が、つまらないこと限りなかった(→本当にくだらなかった)。いくら防疫会社であると言っても、将来性が嘱望されているとか、業務態度が立派だとか、実力が優れているだとか、経営者マインドを持っているとか(-ダヌニ,-タヌニ→「あるいは…であり、あるいは…である」の意を表わす)、そのどれでもなければ、わけもなく気に入っているとか言う心にもないお世辞(イベ バッリン ソリ)でも(あるように)願ったが、よりによって(ハピリミョン)、最も汚い(←汚くも汚い)、心から(クムチギ)嫌いなネズミのせいだなんて。
「ネズミを捕まえる者は、私でなくてもたくさんいますよ。」
「もちろん、そうだろう。しかし、みんな作られた(→既製の?自社の?) 薬などを売ったり (→油を売る、の意味のほうかも←ここは、意味がまだわからない)、地下室にわなをしかけよう(←トッチュル ノッタ)とするだろう、直接ネズミを捕まえようと肉弾戦を繰り広げる者はいないと思うが。」
ほかの誉め言葉を期待しながら、訪ねた時も、支社長は、ネズミを捕まえるためだと言う単純明快な理由を曲げなかった。
(以下、しばらく回想→) 彼がネズミと印象的な(印象に残る)肉弾戦を繰り広げたのは、支社長が赴任した直後
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の事だった。社員会食(親睦会?) を兼ねた、支社長の引っ越し祝い(チプトゥリ)の場だった。庭園の片隅(ハングソク)で女性職員と支社長の未就学()の息子が仲良くキャッチボールをしていた。はるかに遠くなった空を代わる代わる行き来する白いボールの短い放物線を見ていると楽しくて、彼は、肉を焼き網(ソクセ)にのせて焼きながら、そのボールに気を取られていた(チョンシヌル パルダ)。
人々が焼けたばかりの肉を食べ始めた時、空(←虚空)を切って(←分けて)ボールがポンと落ち、きれいに刈られた芝生の上をゆっくりと転がった。目でボールを追っていた(ボールを追って視線を動かした)二人の、断末魔のような(←息が絶える、息を引き取る)悲鳴が聞こえてきた。女性職員が硬直した腕をぐっとのばし、指さした先(←果て)にボールが転がっており、その後ろにたくましい(壮健な)男の腕ほどの大きな(大きさの)ネズミが、たった今下水口を拭いた(ばかりの)雑巾のように汚い毛のネズミが、自分に向かって威圧しながら(←原文:威脅的)転がってくるボールを見つめながら、怯えた両目をまん丸く見開いていた。
女性職員の低い悲鳴が行きかい、捕まえろ(←殴って捕まえろ)、と言いながら、殺虫剤はないのか(殺虫剤くらい無いといけないんだが)、支社長の家なのに殺鼠剤も持ってこないで何をしているんだ、襲い掛かって来ないのなら知らないふりしろ、殺鼠剤も無いのだからその逃げさせておけ、等のさまざまな声が慌ただしく行きかった。皆、指示ばかり出して、捕まえようとしないのは、彼らが薬品実験によく(フニ)使用していた、しょっちゅう触って調べていたピンクの胴体(モムトン)の小さな実験用のネズミでなく、汚く汚らわしい巨大なドブネズミ(シグン=どぶ、下水)のせいだった。正直言うと(or 率直に言って)実験室でない、日常で対面したネズミが怖かった。
仕方なく彼が近くの椅子に置いてあったカバンを持って立った。周りに置かれたもののうち、投げても壊れない唯一の品物がそのカバンだった。ネズミを捕まえなければならないと思ったのは、魚類先輩がサイン(合図)を
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送るように、自分をちょんちょんと(←スルッチョクスルッチョク=ほかの人にばれないように素早く)押したからだった。彼はその場にいる男性職員のうちで、比較的入社の順番が遅いほうに属していた。殺虫剤であれ、罠であれ、結局は下っ端(←マンネ)に当たる(ッポル)自分が、名乗り出て捕まえなければならないのだった。ネズミもまた群れの中の下っ端なのは、明らかだった。わが家の近所で繰り広げられる餌争い(モギッサウム)ではじき出されて、見知らぬ土地まで出てきたはずだった(=出てきたように見えた)。ねずみと彼は、お互いに困難な(つらい)心情を図りあうように黙って向き合った(相まみえた)。
【↑2017年6月28日は、ここまで】
彼が怯えたネズミにカバンを投げようとした瞬間、女性職員が悲鳴を上げた(←悲鳴を爆発させた)。内臓が破裂したネズミを想像して張り上げた悲鳴だと思ったが、カバンのせいだということを後で知った。ネズミは幸いなのか、不幸なのか、彼が投げつけたカバンにまともに(チョントンには、正統の意味のほか、肝心かなめなどの意味がある)下敷きにされた。何かがぶすっと言って破裂する音がしたと思ったが、彼の耳が作り出した音(空耳)だった。同じ区間が反復されるテープのように、彼の耳には、水がいっぱい入った風船が裂ける音が聞こえ続けた。女性職員が、分割払いも終わっていないカバンだと泣き出す声を聴いて初めて、耳から聞こえてきていた音が止まった。
「無駄遣いしたわ。」
困り果てた(←[漢字]難堪ハダ)表情の彼に、魚類先輩が笑いながら近づいてきた。
「なんで寄りによってあのカバンをえらんだんだ?」
「……」
「一目見ただけでも、高そうに見えるじゃないか。もっと安物(←サグリョ=時価より安い品物、安売り品)を選ばないと。」
「見えたのが、あれしか無かったので…….」
「かばんは投げて、ネズミには当たらない。それが一番、理想的な状況なんだがね。」
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「どうせ投げるのなら、当てないと,,,,,,」
「ネズミ一匹くらいは、逃がしておいても良いんだ。お前が名乗り出て捕まえようとしたことが大事なんだよ。」
魚類先輩が声を低めて話を続けた。
「支社長が見るのは、それだけだ。ほかのすべてがそれ式ってことだ。なにより下敷きなって死んだのは汚い。汚いのは本当にぞっとする(←チルセク)のに。」
先輩の言葉通り、ネズミを捕まえようと投げつけたカバンは、一目でも(分かるように)隅っこ(←キィトゥンイ=耳元、角、出っ張った部分)がゆがみ、表面が何か所かひっかき傷ができていた(←引っかかれていた)。カバンの底の面は見ていないものの、破裂して出てきてきたネズミの内臓と血が、鼠色の毛、桃色の小さな肉片(←サル点)ともつれてくっついているはずだ(←推測)。カバンに入っていた品物は青い芝生のあちこちに散らばっていた。彼は、ゆっくり、パウチ(布袋)と筆箱と手帳を拾った。ちょうど生理用品を拾ったとき、そこに描かれた天使を見て、状況にふさわしくない笑いがひょっくり飛び出しそうになったが、カバンの主人(持ち主)である女性職員がとうとう張り裂けんばかりに泣き出した声が聞こえてきた。
肉がすっかりまずくなったという声と今何を持っているのかと言うひそひそ声が聞こえた。彼は、これから、羽の生えた天使を見ても、絶対に笑わないぞと思った。女性職員のk版を投げることも、しないぞと思い、高いカバンを見分ける目も養っておくぞとも思った。女性職員のカバンは、4か月の分割が残っていた。何より再びネズミを捕まえることはしないでおこうと心に決めた。死んだネズミを片付けようと立ち上がる彼を避けて、同僚たちが後ろに下がった。彼らが自分を、ネズミであるかのようにみるのは、全部ネズミのせいだった。内臓まで破れて、気持ちの悪いことこの上ないネズミを持って、ゴミ箱へ向かいながら、彼はもう一度、
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(もう一度)ネズミを捕まえたら、自分を人間ではない、ネズミだと考えることにしようと決心した。
「あの時、内臓がだらりとぶら下がっているネズミのしっぽを掴んでゴミ箱に入れる姿を見て、感動したよ。」
ネズミを捕まえることは、大したことではないと謙遜してふるまえばいいのか、いつでも庭園にネズミが現れた時は、捕まえて差し上げますときっぱりと言えばいいのか(壮語)、わからず、じっと聞いているだけだった。秘書は、笑いをこらえるのに、唇をきっと噛みしめていた。ネズミを掴むのを感動だと言うので、自分でも納得できない気分だった。自分を悪く言う職員たちを理解できると思った。
(派遣勤務が決まった時点に戻った→) 口の軽い秘書のおかげで派遣勤務が、内臓が破れたネズミと女性職員の冷遇とカバンの月賦の代価として支払って、もらったチャンスだと言う事を知った同僚たちは、彼を幸せのねずみ男と呼んでからかった。選抜の理由を根拠にますます、不公正性を強調した。ともすると(←トゥカミョン)口を合わせて(口をそろえて)彼の業務実行(業務遂行)能力をけなし、ひいき性の強い人事を恣行(→ほしいままに行う)する支社長を非難した。同僚たちが掲げた根拠は、派遣されて業務を遂行するには、彼の外国語の実力が足りない(←[漢字:微賤]=いやしい)し、経営者になるには、リーダーシップが不足で、これまでこれと言った成果がないという事だった。
全部が正論であったが、職員たちの間で広がる(流布する←トルダ(回る))話を伝え聞いた支社長は、リーダーシップは地位と権力の副産物(→地位と権力を持てば自然に備わるもの)だし、成果は、業務の副産物であるとむしろ、彼を激励した。地位が手に入れば、リーダーシップも起きてくるし、相応しい業務が与えられたなら、成果も大きく出るものだというのだった。未熟な意思疎通能力についても、問題ないという反応だった。派遣勤
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(勤)務とは言うけれど、すぐにプロジェクトに投入されるのではなく、何か月間かの適応期間を経るので、その間に言語の勉強にまい進すればよいという事だった。支社長は、彼が入社後数年ぶりに業務的な面で、目覚ましい成長をしたことを見るに(鑑みるに)、いったいどのような点で成長したのかは言及しなかったけれども、外国語習能力もまた、人並み以上だと期待したいと言った。
彼が知っているC国の言語は、基礎的な水準に過ぎなかった。派遣勤務の決定が下された後、多少急いで(一夜漬けで)三か月間初級過程を終了したのが全部だった(やっと終了したのだった)。それすらもだいぶ前だった。派遣勤務自体が、不確実な状況で時間を作って(←チャムル ネダ=暇を作って)外国語の勉強に拍車をかける(さらに精を出す)余裕がなかった。会社は、常に忙しかった。彼を気に食わない先輩たちは、成果が大きくない(大きく出せない)のが明らかな、面倒でとても手のかかる仕事を毎回彼に押し付けた(トノムギョッタ)。ほとんど毎日残業をしなければならない状況(チギョン[漢字]地境)だった。そのうえ、その頃、妻と仲が悪くなり始め、まったくもって(ドトン)外国語の勉強に気を配る暇はなかった(ウル ギョルルド オプタ=~する暇もない)。
ようやく初級過程のみを終えた彼は、C国の言語として至極(チグキ)単純な感情的なものと、幼児的で原始的な欲求しか表現できないが、具体的な対象と質量を話すことは出来なかった。心に生じた比較的はっきりとした感情は、伝達できるが、なぜそのような状態になったかは、説明できなかった。意思や要求を表現するときは、低調な方法を知らないので、ストレート(←[漢字]直説的=面と向かってありのままに言うこと)に命令したり、指示する文型をよく使ったり、そのために講師に外国語として話すとき、権威的で冷たく見えるという評価を聞いたりもした。
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(C国語)塾で最後に学んだ文型は、使役受動(態)だった。C国のご言語にある、独特の文型だったが、無理やり気に食わないことに巻き込まれたという意味が含まれていた。彼は、教材に出てきた例文を繰り返しながら、文型を身につけた(イキダ)。「先月、会社から夏(休暇)のボーナスを受け取りましたか?」「いいえ。会社を首になりました。」「すみません。残念です。」と言う例文だった。使役受動式に表現しようとすると、講師が彼にこのような気乗り(ネキダ)しない表現を果てしなく繰り返して言わせた。そのせいで文型をすっかり身につけたころには、ボーナスをもらわなければならない月に解雇された勤労者になったように憂鬱になり、C国の言語で話さなければならない状況に出会ったら、どんな場合でも、「いいえ、会社を首になりました。」と言う文章がまず出てきそうになった(舌の根をぐるぐる回った)。
そのうえ、彼は、C国の文化的社会的政治的状況について、正確に知っていることがほとんど無かった。C国が世界共通の年度表記法を使用すると同時に昔からの伝統に沿って、王の年号をいまだに使っているというのは分かったが、だからと言って今が具体的にどの王朝の何年だというのは知らなかった。C国の現内閣総理の名前は知っていたが、彼(総理)が属していた保守的な性向の党の名前はよく混同(ホッカッリダ←通常は、ヘッカッリダを使う)し、以前の総理の名前をいくつか記憶しているが、順序は正しく言えなかった。
外国語の学習能力に対する支社長の意見は、推薦書の下段に参考事項として記載され、人事担当者のモールに送付された。推薦書を検討したモールが、面談次元(?)で、彼に直接電話をかけてきた。彼を推薦したのは、支社長であったが、最終決定を下す人間は、モールだと言った。モールの言葉は、いまやっと初級過程を通過した(終えた)人間としては、ほとんど聞き取れなかったほど速度が速かった。彼は、語尾ごとに「…したと思います」をくっつける支社長の語法をまねて、終結語尾を統一し、モールが何の依頼や質問をしても(ハゴン=ハゴドゥン)、「今は、(実力)不足ですが、一生懸命やらなければならないと思っています。」と言う風に初めて面接を受けに来た求職者のように判で押したような(パネ パクタ)答えを並べ立てた(ヌロノアッタ)。
同僚たちが見るに、無様な(コリ サナプタ)ことこの上なかった。彼が受話器に向かって(← -エ デダ)、たどたどしくC国の言語で話すのを聞いて、近くの同僚たちはもちろん、比較的距離が遠く離れている同僚たちまでも思い切りあざ笑ってやると言う考えで、彼の後ろに屏風のようにならんで彼が通話するのを見守った。
無様な通話の果てに、彼が、何度かモールに感謝のあいさつをしながら、「失礼します」と言う言葉を最後に受話器を下すや、丸く集まって彼を見ていた同僚たちが、「本当に失礼にあたる言葉ばかり言っているな。」だとか、「失礼だとわかっているなら、そんな風に言ったらだめだろ」だとか、「これからもずっと失礼ばかりするだろうから、大変だ。国の恥だ。」とそれぞれひそひそ話をし、その場を去った。彼が焼けつくような視線を耐えながら、その場に頑張って座り続けてできることと言えば、「みんな私に失礼すぎるな」と心の中でぶつぶつ言いながら、受話器を握っていようと、汗のにじんだ手のひらをズボンに(?)拭くことだった。
彼の選抜を主導したのは、支社長だが、同僚たちは、支社長に腹を立てるより、選抜された彼を熱烈に非難する方を選んだ。支社長の指示は相変わらず素直に聞き入れ(コブンコブナダ)たが、ささいな冗談にも大きく爆笑し、昼食時間になれば、支社長の趣向に合わせてメニューを選択
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した。
<7月3日ここまで>
半面、彼は派遣対象者として選抜されたのち、薬品製造並びに適用実験において、同僚たちの小さな助力 (←[漢字:協助])さえ得られず、どんな情報も聞けず、食事会から除外され、冗談にも割って入れなかった。勤務開始が何回かに渡って延び延びになって、結局なかったことになった後にも、彼は、職員たちが休憩室に二人以上集まっていさえすれば、突然休養ができたとでも言うように背を向けて出、コーヒーを引き抜こう(?)と自販機の前に行って、誰かが居れば、下の階の自販機を利用し、動機たちの集まりにも出なかった。
同僚たちが彼を気に食わないのは、彼が派遣勤務として選抜されたからだった。平素特別に評判が悪かったからでは無かった。対象者として抜擢されることだけでも、彼は普通の職員たちと同様に、どんな同僚たちが知らない秘密を-----もちろん大部分の秘密は、すぐに発表されたり、漏洩された-----やり取りする程度に私的な関係を維持していた。ある同僚とは私的な性向が全く合わなかったにもかかわらず、会議のたびにいつも意気投合し、案件を定義し、その案件で多数の同僚たちの同意を導き出した。ある同僚とは、たいして親しくもなく、座席が遠いので、あいさつの他は一言も交わさなかったが、どういうわけか同席する場合にはいままでお互いに疎遠だったことを心から詫び、近況を伝え合った(←安否をやり取りした)。行ってみれば、人間関係や業務形態において、実に平凡な職場聖愛kつを維持していたと言えた。
からは純粋に派遣勤務者として選抜されたせいで、同僚たちの妬み(シセム)を帯びた非難といじめを受けた。それに基づく(-ロ マルミアマ)業務助力が難しくなって結局同僚たちの非難のとおり、機械を持てずにリーダーシップを
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発揮できず、業務遂行能力も次第に落ちていった。派遣の話がなくなる可能性が高くなるほど彼はしだいにC国に行きたくなった。彼のあら捜し(ホルトッタ=あら捜しをする)をし切れずいらだつ(アンダッラン(←アンダルナダ))同僚たちから離れたかった。C国への派遣は、期限([漢字:期約])のない少額積立貯金([漢字]積金=月掛け貯金)をする(チョックムル ブッタ=月掛け貯金をする)ように、兵弁極まりなかった彼の人生に受け取り([漢字]受領)が保証された高額保険証のように思えた。
* * *
ベランダのガラスドア越しに見える向かい側のアパートは、モザイクのようにところどころ明かりを灯している。光が暗闇の中に広がり、ベランダのドアに星のように輝いた。光が作り出す風景(光景)を彼はうっとりした(フッリダ)ように眺めた。光だけ見れば、通りを一杯に埋めたゴミとその匂いを考えなければ、母国でと別段変わらぬ夜だった。暗いかと思えば、明るく輝き、静かだと思えば、うるさいざわめきが壁越しに聞こえてきた。全ての物が夢のようにぼんやりし、幽霊のように(曖昧)模糊とした(あいまいな)中で、母国と全く同じ([漢字]同一)な夜だけが彼に現実感を吹き入れてくれた。
アパートの前には、一目ですっかり見渡せるほどに小さな公園があった。公園は、二つの街灯([漢字]街路灯)が光っており、あかあかと光る電話ボックス([韓国語]公衆電話ブース)もあり、深い夜更けにも関わらず、それほど暗くは無かった。中央に位置する丸い形の芝生には、根本(トゥンチ)が太い木々が枝を四方に長く垂らして(ヌロットリダ)いた。昼間ならかなり涼しい(気持ちのいい)影ができるだろう。公園のベンチに座ったり、寝そべったりした人々が目についたが、時間が過ぎても席を立たないのを見ると、公園で暮らす浮浪者(ホームレス)のようで
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あった。彼が見下ろしている間、気に黒い実のように座っていた大きな鳥が、おそらく烏の様だったが、上空を飛びあがりながら、何度か奇異な(おかしな)鳴き声を上げた(鳴き声を爆発させた)。彼がアパートで初めて聞いた生き物の声だった。
ベランダのガラス戸の右側へスーパーシングルサイズのベッドがきれいに洗濯された綿のシーツに覆われており、ベッドの下の部分から1メートルくらい離れて2尺あまりのブルバギジャン(作り付けのタンス)があった。
(2017年7月10日はここまで)
ベッドの向こう側には、テレビの受像機セットと小さな机、椅子が並べて置かれていた。ケスデ(皿洗いする作業台→流しの水槽か?)が、一つしかないシンク台には、2種類のナイフと大きさの異なるいくつかの食器と鍋が水気をすっかり切って整頓されていた。シンク台の横に、別途の空間として分離した洗濯室には、洗濯可能容量5kgの小さな洗濯機が置かれていた。化粧室は、シャワー室と便器が分離した構造だったが、シャワーをしようと思えば、壁に何度も肘が当たるくらい狭かった。これが、宿所の所帯道具(←サッリムサリ)の全部だったが、彼としては、十分だった。
宿所をすっかり見まわしてから、(まるで自分の)皮膚の(一部である)ように馴染んだパジャマに着替えて休もうとして、トランクを廊下にそのまま置いてきたと言う事に気が付いた。彼は、慌てて走り出て玄関のドアを開けた。廊下は、がらんとして何もなかった。トランクがなかった。世界中の物を詰め込んでいるように重かったトランクが、見えなかった。彼は、信じられずに、トランクが置かれていた場所、トランクを降ろして置いたと思った場所をみつめた。質感がざらざらとしたカーペットが敷かれた廊下は、口を閉ざしていた。暗闇のみで(暗闇の他は)何もなかったと言うようにとても静かだった。廊下に一定の間隔で並んでいる鉄の扉は、開けられたことがあったとは思えないほど固く閉ざされていた。
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だから彼は、その内のどこかの一つのドアが開いて、誰かがトランクを持って行ったのではなくて、はなから、自分がトランクを廊下に置いたと考えているのが錯覚ではないかと言う疑いがもちあがる程だった。
玄関の灯りが、床をにらむ彼をぼんやりと照らした。彼は、トランクの紛失に共謀した薄暗い(オドゥカムカマン)廊下を見まわして、左側の方向に回りながら、4階にある18世帯をざっと(じろじろ?)見た(フルトボアッタ)。彼が通り過ぎるたびに各戸のドアの前にぶら下がったセンサーの灯りがついたり消えたりしていた。ドアの前の方を一生懸命見て、眠りについていない家があるか調べたが、玄関ドアの下のほうへ光が漏れ出ている家は、一か所も無かった。
一回り回って再び宿所(部屋)の前に帰って来た彼は、仕方なく(ハリルオプシ)、いくつかのドアと彼の部屋のドアに、ウェバギヌン(外側に打ち付けられた目?) のようについている魚眼レンズを、怪しみながらじろじろ見た。ドアたちは、固い表情で彼を見返した。彼が家にいる短い時間にそのドアのうちの一つが開き、誰かが静かに歩み出て来て、重いトランクを持って行った。引きずって行ったなら、廊下の床を引きずる音が彼にも聞こえただろう。カーペットにトランクを引きずった跡が残っていたかもしれなかった。音も跡も残さなかったところをみると、トランクを持ち上げて行っただろうに、一気に持ち上げて行ったのを見ると、力が強くて体つきの大きな人であるようだった。それが消えたトランクについて彼が推理できることの全てだった。
彼は、閉ざされたドアを一つ一つ睨みつけながら、トランクに入っていたのが、全世界でなくて何であったかを推量してみた。出国する日の朝に右往左往しながら取りそろえたので、正確に思い出すことは出来なかったが、手あたり次第(ソネ チャッピヌンデロ)何枚かの衣服と下着を入れた。簡単な洗面道具----それらを果たして
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きちんと揃えて来ただろうかと言う疑いがよぎったが----- と、げた箱を開けた記憶があるところをみると、おそらく何足かの靴も準備したのだろう。めについた何枚かのCDと映画のDVDを選んで入れ、本も突っ込んだ(スショノアッタ)。それでも幸いだったのは、企画会議?(←企画会)の資料の一部をノートパソコンに入れて、辞典、パスポートと一緒に別のカバンに入れてきたことだった。思ったほど特別な愛着を持ってわざわざ持ってきたようなものは、なかった。世界が詰まっているように重かったトランクは、ただ重たいばかりのくだらない品物の集合に過ぎなかった。すぐ着替える衣服が無くて不便ではあったが、幸い無くしたものは、C国でもたやすく求めることができた。母国語の本が無くなったのは、多少残念だったが、弁起用するつもりでC国の本をゆっくり読むのも、悪くないようだった。なので、お金さえあれば、いつでも購入できるものを詰め込んだので、トランクがあのように重かったのだ。
トランクを失ったことよりも、C国の到着から経験した続けざまの不運のために、彼は多少気分が憂鬱になっていた。しかし、すぐこれらのすべての事は、C国に滞留しながら起きるだろう事の厄除けになるだろうし、公衆衛生医の言葉通りに、ハプニングに過ぎないと自らなぐさめた。もともと(ウォナゲ=ウォナク)状況が自分の思いのままに解決しなければ、すぐに元気がなくなり、勇気を失う性格の彼が、それでも気力を出して、自らを励ましたのは、宿所へ入る前、廊下に設置された監視カメラを見たせいだった。管理人の助けを借りて、録画テープを検討したなら、トランクを持って行った者を確かめられるだろう。なくしたと思った物は、すぐにまた、彼のもとに戻って来るだろう。とにかく、全ての事において、下手な(ソップリダ=生半可な?)悲観は、
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禁物だった。
* * *
すべての悲観は、結局予想されたけっこを招くものだ。部屋に入って携帯電話がトランクにあったと言うことに気づいて悟った考えだった。携帯電話は、電源を切った状態で充電器と一緒にトランクに入れておいた。彼は、携帯電話に保存した番号以外は、別途に連絡先(=電話番号)を持ってきていなかった。母国の友人たちに連絡をしようと思えば出来ただろうが(ヨンラグル ハルスヤ イッケチマン)、長距離電話を何度もかけなければならないのは、不便だった。誰とも気軽に通話できなと言う考えが浮かぶと突然世間の外に取り残された(トロジョナオダ=落とされて出てくる) ように寂しかった。持続的に連絡をしたり、暇ひまに元気がどうか尋ねる友人がいるのでは無いにも拘わらずそんな気持ちになった(←そうであった)。もしかしたらトランクを探せず、そうなったら、最初の悲観のとおり、疎通が可能な世界をすべて失ってしまったのと全く同じだった。
彼は、その考えを落ち着かせようとつとめた。なくしてしまったのは、ただ何枚かの衣服と、ここでも購入できる電子機器に過ぎず、そんな事実を何度か繰り返せば繰り返すほど、自分の古くなったパジャマが懐かしくなり、誰でもいいから、電話をしたくなった。そのパジャマを着なければ、いくら疲れた夜でも寝付けず、母国語を聞かなければ、安心できないと思った。
のどが渇いた(モギ タッタ=モギ マルダ)。飲むものがあるはずが無かった。長い間ひねっていないような水道からは、錆が出た水が流れ出続けた。
(2017年7月24日ここまで↑)
彼は茶箪笥(食器棚)から茶碗を
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取り出し、水道管が裂けるほどドクドク(クァルクァルゴリダ)と吹き出す錆の出た水を汲んで、錆が沈むのを待って、ゆっくりと飲んだ。幼いころ、友人たちと冗談でさびた水を飲んだことがあったが、その時も急いで口をゆすいだ記憶がある。それにも関わらず、長い間、さび水を飲んで来たように、巧みにその水を飲んだ。何回か水を汲んでも、水道からは相変わらず、錆が混ざり出て来てお腹がいっぱいになるほど飲んだが、渇きをいやせなかった。
彼は、ベッドに寝そべり、寒くも無いのに、掛け布団を首まで覆って、テレビをつけた。失くしてしまった物を考えると、頭が痛くなる状況なので、何でもしなければならないと思った。夜更け(ヤシム(夜深)ハダ=夜が更ける)のため、大部分のチャンネルで、画面調整用の虹(色)の実線が出て来て、一つのチャンネルだけがニューズを報道し続けていた。
スタジオに座った記者とアナウンサーが、気ぜわしく言葉をやり取りしていた。資料として提供される画面は、古い映画の一場面のようにスローモーションになり、しばしば切れた。放送局で撮影したのでなく、誰かが携帯用の機器で撮影したもののように、状態が良くなかった。
画面は、何軒かの住宅を脈絡もなく(←トゥソ(頭緒)オプシ=とりとめなく)映していたと思ったら、突然、大病院を移したり、空港の検疫官のように全身を防疫服で武装した人々が、白い布をかぶせた移動式ベッドを救急車で病院に運んで(シロナルダ→シッタ=載せる、ナルダ=運ぶ、運送する)いた。移動式ベッドを覆った白い布は、戦闘に降伏して掲げる敗残兵の白旗のように無気力に下のほうに垂れ下がっていた。ベッドで運ぶのは、患者ではなく、遺体であるように、白い布が、全身を覆っていた。
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没頭して見ようとしても、ニュースは、コマーシャルでしばしば中断された。憂鬱で陰鬱なニュースの画面とは異なり、うつ病の前駆症状にでもなったように、コマーシャルは、うきうきするユーモア一色だった。死を伝える画面の次に続くコマーシャルで、男が楽しくて死にそうだと言う顔で、泡がいっぱいにたったビールを美味しそうに飲んだ。コマーシャルが終わると再び、画面が変わって、アナウンサーが固い表情で情報(←ソシク)を伝え、しばらく後には、再び全く同じビールのコマーシャルが続くと言う方式だった。世界で最初に開発されたアルコール0度と言うビールだった。一体全体アルコールのないビールをなぜ飲まなければならないのか分からないと言う彼の考えとは関係なく、いくら飲んでも決して酔わないと言うキャッチコピー(←カピ)がコマーシャルの最後を飾った。彼は、新時代(←シンキウォン=新紀元)の発明品だと言うように楽しく、アルコール0度のビールの誕生を知らせるコマーシャルと、週末を予告(←イェボ=予報)するような誰かの死亡の消息を伝える陰鬱なニュースを代わる代わるみているうちに知らず知らずのうちに寝入った。