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毎日新聞 2021/9/1 東京朝刊 有料記事 1882文字
「南海トラフ巨大地震」の被害想定について記者会見する中川正春防災担当相(中央)と、阿部勝征東大名誉教授(右)、河田恵昭関西大教授(肩書はいずれも当時)=東京都千代田区で2012年8月29日、手塚耕一郎撮影
東日本大震災から10年の節目となった今年、日本は未曽有の感染症禍に見舞われている。私は大震災以降、自然災害と、政府の災害対策に関する取材を続けてきた。新型コロナウイルスの感染拡大に対する政府の迷走ぶりを目の当たりにして、災害対策で培われた政策決定の制度やノウハウを感染症対策にも生かすべきではないかと感じている。
政策判断の過程 透明性確保して
同僚と共に今年4~6月、大震災後の地震学と防災対策を巡る動きを検証する記事「地震学の現在地」を朝刊科学面で計8回連載した。情報公開請求で入手した議事録や関係者への取材で、南海トラフ地震など巨大地震のリスク評価や被害規模の想定に際し、必ずしも科学的とは言えない意図的な政策判断があったことを明らかにした。
この取材で思い知らされたのは、科学的知見が限られた中でリスクを発信したり、政策を導いたりすることの難しさだ。「見つけた現象を社会にどのような言葉で発信するのか。その『翻訳』の仕方が、本当に難しい」。長年、地震予知に関わってきた気象庁幹部がしみじみと語った言葉がとても印象的だった。
地下深くで起こる現象がどのように大地震につながるのか。未知のことが多く、避難など防災行動につながるようかみ砕いて市民へ説明するのには多大な困難が伴う。「今後30年で○%」のような地震発生確率の算出や、津波高や死者数の被害想定も、正確な予測はほぼ不可能だ。大震災の発生も想定外だった。
政府は根拠・証拠(エビデンス)に基づく政策立案を掲げているが、エビデンスの一つとなる自然科学は万能ではなく、最後は総合的観点から政策決定者の判断に委ねざるを得ない。だからこそ、その決定過程はオープンにされる必要がある。そうでなければ、政治的な意図で都合良く科学的な解釈をねじ曲げることも可能になるからだ。
新型コロナ対策では昨春、官邸主導で一斉休校や布マスクの配布が行われた。しかし、その判断は密室で行われ、医学的見地から助言してきた政府専門家会議(当時)の合意を得られていなかったことが判明している。感染爆発の危機に直面した時に、科学的知見を政策に生かす仕組みが整っていなかった。
最悪のシナリオ 意思決定に必要
象徴的な出来事があった。昨年4月、厚生労働省クラスター対策班(当時)のメンバーだった西浦博・京都大教授は、流行対策を何もしなかった場合、国内の重篤患者が85万人、死者は42万人に達するとの予測を公表した。官邸は「公式見解ではない」と否定的な反応を示し、一部のメディアは「扇動」とまで批判した。しかし、これは「何もしなかった場合」の予測だ。
後に西浦氏は自身の著書で、予測を出す意味をこう説明している。「(厳しいシナリオと)向き合って、それだけは避ける策を皆で考えないといけない。リスク・インフォームド・ディシジョンといって、きちんとしたリスクの認識の下に意思決定してもらう」。あくまで対策のための最悪のシナリオだった。
一方、最悪のシナリオを政府が示した上で事前の対策を進めているのが、自然災害、とりわけ巨大地震だ。例えば南海トラフ地震では「最悪ケースで死者32万人」との予測が公式に発表され、それを回避するための法整備を含めた対策が平時から進んでいる。
首都直下地震では、2013年に「死者2万3000人、経済被害95兆円」という被害想定が公表された。当時官房長官だった菅義偉首相は「出さなければいけないのか」と語り、有識者会議の委員からも「首都のマイナス情報を出す国は珍しい」との指摘が出たという。それでも被害想定が発表されたのは、度重なる震災を被ってきた日本が、地震のリスクを示して対策する制度を成熟させてきたからだ。政府の地震調査委員会は地震ごとの発生確率を評価し、中央防災会議が被害想定をつくり対策を決めている。
もちろん新興感染症は不確定要素がより大きく、災害対策の制度を単純に当てはめることはできない。しかし、一定の間隔で起こる巨大地震と同様に、コロナの「次」の新興感染症は遅かれ早かれ、必ず人類を襲うだろう。互いの分野で知恵を共有すべきだ。
科学者の代表機関である日本学術会議は昨年7月、専門家から成る「感染症委員会」を常設で内閣府に置くべきだと提言した。ただ、まだ目の前の感染対策に精いっぱいで、政府側の検討は始まっていないという。
自民党総裁選、衆院選が今秋に控える。感染症対策に専門家の知見を生かす方法について、建設的な議論が交わされることを期待したい。
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