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関係の因縁と証しの必要性
2006年3月19日(日)。漢南国際研修院。
このみ言葉は朝の訓読会の時になされたものである。
(敬拝)「さ、わが信俊が、拍手!マンセー(万歳)!拍手!まんせー!(オモニム)」(拍手)ウインク!(笑い)さ、我が訓読会!「今日は鮮文大学校を中心にカープ(CARP:大学原理研究会)126人が来ました。」鮮文大学カープたち?「はい。」そう。さ!
自由という言葉は一人おいてする言葉ではない
(『天聖経』 ‘祝福家庭’ 偏 ‘第1章 真の父母と祝福 1)祝福の意義と価値 ③祝福を受けなければならない理由 ㋤怨讐の血統を受けた’から訓読)
『・・・・・・メシアがこの地の上に来られる時その方は個人として来られるが個人ではありません。その方の価値は全世界人類が信じている信仰の結実体であり、全世界人類が願っている希望の結実体であり、全世界が願っている愛の結実体です。その結実体にはすべての歴史路程が連結されています。すなわち過去・現在・未来がすべて連結されています。そして個人から家庭・氏族・民族・国家・世界が全部連結されていて天と地がすべて連結されているのです。イエス様は人類の父母の位置に立たなければならない使命を持って来られたが・・・。』
皆さんは今その場の上に座らなければならない。過去・現在・未来の基盤の上にすっきりと洗って、すっきりと洗われなくてもすっきりとした以上の天地を抱くことができる母体になりうるその場の上に座らなければならない。何の言葉かわかるか?
大学生であるが卒業生手を挙げてみなさい。今年4学年!これが何か、これが?手を挙げてみなさい。今年からは卒業生たちは卒業以後に統一思想教育を7か月だとか再びしなければならない。そこに卒業できなかった人は卒業状の延長だ。新しい時代に入るのだ。わかるか?「はい。」
適当にしてはだめなのだ。詐欺をしてはだめだ。皆さんが一生生きる根から死ぬ時まで霊界においてコンピュータのような写真を撮っておくために、その原版がそこにあるが偽の版をもって突きつければこれは連絡なしに‘ペッぺッ!’というのだ。‘ペッペッ!’というのは地獄に落ちるのだ。深刻なのだ。
皆さん心が皆さんがすることを全部すべてわかる、知らない?「わかります。」する前にわかる。するようになれば勧告する、‘こ奴よ!’‘こ奴よ!’‘この女よ!’‘それではだめ!’と言ったが、その心の命令を聞いても後にひっくり返って戻って行動するのだ。神様を後において悪いのは天、良いのは自分がするというのだ。サタンの王子王女、王権を中心に歴史的な審判の中にすべての罪悪の根から幹から目と枝の罪まですっぽりとかぶって行って真っ暗な、光の世界でなく暗い世界に行くのだ。
皆さん五感があっても五感が役に立たない世界に入って闘争以外に、闘争の概念しかない。体心が争う?「はい。」体心が争わない人、手を挙げてみなさい。これが何故こうかを哲学的にも、宗教的にも解決できない。宇宙の根本が解かれないために宇宙が行かなければならない結果の世界は混とんと未知の世界として終わって苦しむのだ。
皆さんが世の中を知らないじゃないか?統一教会を知ったとすれば蕩減復帰とか何とか、真の父母とか何とか、救世主が必要だというこのような理論的な体制をしな得たものがつくっておいた根源よりももっと確実になっているが、これがもっと確実なものを反らずその場に行けない人は脱落だ。
皆さん思い通りできるという事実は何か?自由という言葉、一人で自由をして何をする?自由という言葉自体が一人を置いてする言葉ではない。この全宇宙と共にする言葉だ。若い奴らが今日堕落したサタンの子になって何自由というがそれはならず者の自由であり、ならず者の自由。原理原則を無視すればそこに存在の起源が無視される。自分自体の首を切って根源を無視しながら1人自由一人して何をする?
最近の若い奴ら、‘旧時代のお母さんお父さんは関係ない。新時代!’というが、雑種犬たち!いくらも行けない。そう、良心の歓迎を受けて良心の解放を受けて神様よりも私は高く宇宙のどのような治理者よりも私は先頭に立てると考える?共産党?
皆さん、良心ということであり、嘘をつく時真っ赤な嘘だというのか?世の中に真っ赤な嘘というのが何かというのだ。真っ赤だが、鎌とハンマーをもって来て置いて世の中でそれを切って叩けばなくなるようか?それは真っ赤な嘘だ。共産党は真っ赤な嘘だ。理論を見なさい。闘争歴史だ。
女を標準にして男をつくった
私が昨日も話したが、上という言葉をするためには何か?下を先有条件と認定しなくては上というものを決定できない。そうか、そうでないか?「そうです。」右手という時は左手を認めてする言葉だ。下という時は上を認めてしなければならない。天が高いという時は低いことをまず先有条件として認めてする言葉であることを知らなければならない。
あんたたち、男か、女か?「男です。」男という頭、見るのが嫌なこのような図々しい奴を言うようになる時は憐れに目を遮られて体を延ばすことができない女がいるということを知らなければならないし、図々しくできなかった、図々しくできない。それを知らなければならない。男という言葉は女を先有条件として決定した上で成立される言葉であって、男だけ持って・・・。この地球星に座っているのは座っているのでなく反対にくっついているのだ。
360度これはすべて他のものだ。それを座ったとできる?そう、上弦・下弦、右弦・左弦、前弦・後弦がある。それを認めれば二つが・・・。人と言えば二人を言うが男だけか?女だけか?わかる、女?
それでは神様が何を標準として、何を図面としてそして男をつくったのか?女を代表にして女に合うようにつくった!その言葉が合う、間違う?「合います。」それでは創造の始まりは誰からか?女からだ。
皆さんが生じたのがどこから出て来たのか?父親のお腹の中に子宮があるのか?「ありません。」ない。生死が落ちてどこに行くのかというのだ。精子は旅行するのだ。神様の精子が出発してまだ定着して卵子に会うことができずにいるそこに精子卵子が合わさって人の子になったという天理に島流し的なこのような存在がどこにある?これはブルドーザーで押してアスファルトコンクリートの地にしてすべすべが何か?毎日のように叩いて殴って粉まで飛ばされて地にないようにつくらなければならない存在たちだ。何の言葉かわかるか?「はい。」
目をしきりにしばたいてこの口先を引いて食べて通うと私の思い通りするのか?それは悪魔よりももっとひどくなったのだ。悪魔は恥ずかしいことが分かる。‘神様の前に私が間違った。いずれにせよ私は清算されなければならない。’と知っているのだ。だからメシアを送れ。メシアが主人なので主人が来て清算してあげるのだ。今まで生産がだめだった。
驕慢と謙遜の道理
あんたたち体と心が争う、争わない?「争います。」争う所は神様が絶対・・・。間違った人は正というのがありえない。正というのが‘モムルル(모를) ジ(지:止)’、ストップするのにこのようにトゥコン(뚜껑:一)を覆わなければならない。思い通りこれを覆たのだ、全部すべて。‘パルル(바를) ジョン(정:正)’の字をこのように使うのか?一を今や思い通りできないのだ。出発する通り行かなければ、‘ストップ!’こうであれば・・・。
あんたたち、漢字を学ばないのか、学ぶのか?最近では小学校から学ぶじゃないか?中学校では学ぶ?「はい、中学校から学びます。」学ぶ?‘クィ(귀) イ(이:耳)’偏にこれを解いてしまえばということであり、一回り回れば‘ヌン(눈) モク(목:目)’の字になる。これがなくなるのだ。‘ソン(성:聖)’の字が‘クィ(귀) イ(이:耳)’偏に‘イプ(입) ク(구:口)’と‘ワン(왕:王)’だ。耳と口、目が王になるのだというのだ。運動するようになれば耳のあたりがなくなる?その次に耳がどこの体に打たれている?聞くために四方をこうなのか?それは目のために動かない。
皆さんが鼻をつかんでするようになればどこに息が出るのかと言えば耳からも出るが目からカチンとカチンと先にです。一度してみなさい。力の限り息を吸い込みなさい。息を吸い込む時こうなのか?こうで大概後ろにへこまなければならない。息を吸えなければ行くのだ。危険千万な生命としてつくったが、その発動機が故障していないためにこれがフィーンこのようにして‘オ!’という時は下りて行く?これが何か?死んだ!驕慢であれば、テガリ(대가리:頭)をあげれば死ぬのだ。謙遜すれば生きるのだ。死んだ、生きた!
宗教の道理も驕慢な人は死ぬ。息を吸えない。息をつく。謙遜でなければ息を吸い込むことができない。謙遜すれば息を吸い込むのだ。もっと開ければ吸い込む。そうじゃないか?一つの自体が宗教とか何とか哲学とか、生命の根源のすべての全部が息を吸って吐くことと異なったものではない。運動することも同様で、天地が、宗教も同様だ。謙遜しなければならない。
宗教は血を流さなければならないのだ。これがすべて塞がってしまえばすべて出たのにということであり、これは穴が開けられれば‘パーン!’と取った通り、口で行けないので取った所に入って来るのだ。横にお腹を裂く溶かしてパイプの穴を出せば息を吸って生きるのだ。精子卵子が左側にこれでは右側が反対になっているのだ。目がそこで閉じた開けたそうだ。
神様がそうだ。赤ん坊が生まれて目を開けられなければ大変なのか?3時間もならずして目を開けるのだ。目を開けなければ大変だ。‘ハアクハアク、してみなさい。それをあんたたちがする?私が‘閉じなさい、開けなさい。’そのようにする?また息を吸うことも‘息を吸って、息を吐いて。’そうか?話すのも心から湧き出れば口がテキパキテキパキと合わせてどのように発音をそのようにしてする?それは神秘なことだ。
このようなすべてのことを否定させておいて・・・。自分を中心に食べるというのは驕慢なのだ。目がすべて空かなければならない。すべて開けておかなければならない?そうかそうでないか?「そうです。」息を吸おうとすれば入れて置かなければならない。哲学とか何とか、ギリシア哲学は闘争だ。あ、そのようにして見るのか?事実合う。先生がもらって食べてこのような話をするのか?先生がどれほど・・・。
何故これがこのように行く?このように行ってもよいのだが、このようにこのように行けばどれほど良い?それでは心臓が問題になるのだ。心臓がこのようになればここが敷かれる?そのために左側に持ってきてくっつけた。へその下にあればよいのか?へそが運動の本部だ。心臓が運動する本部を押してあげることができない。だから横に行っている。
皆さんの中に左手を使う人、手を挙げてみなさい。左利き!挙げてみなさい。いない。「あちらに一人いる。(オモニム)」一人は賞をあげようか、罰をあげるか?(笑い)見なさい。左手を使う人は結婚の時も問題になります、かえって。(笑い)それは病身の取り扱いを去れる、原理原則に合わないので。何故左手を使う人を病身の取り扱いをするのか?心臓に打撃を与えるのだ。(テーブルを叩かれて)近いので。そのために東洋人が偉大だ。東洋人はそれを知ったためにわが先祖たちは右手を使った。
これはいくらこのようにしても分散されてしまう。ここまでは雄。完全に運動するがぴたりと中央に陰のない正午定着と同様に、陽の光だけ行って明るいものと同様に真っ黒な影のような所を探す時、反対に立っている。これがこのようになるじゃないか?運動すれば運動は必ずこのようにすればこちらに行ってこのように動いて全部すべてこうなので、これを中心に動いて全部すべてこうなので、ここ羽のような所なので被害を受けるのだ。わかるか?「はい。」
皆さんが大学に通うがこのような言葉を初めて聞く?「はい。」自分の生理的な、声帯的な環境に対することも初めて聞くので宇宙の生態的な根源をどのようにわかる?何大学を出たと威張ってはならない。
相対がだめであれば残る存在がない
昨日よく行った、先生たち?「はい。」朝食べて行った?「はい。」それでもそれはよくできた。磨いて立てなさい。私が行くようになれば体でぶん殴って、園に越えて来れない奴はいばらの鉄網にかかって飛んでしまわなければならない。鳥のご飯。鳥のご飯がわかるか?鳥たちが来て掘って食べて獣たちが来て裂いて食べるご飯だ。
皆さん死んだ体は犬も咥えて行かない。あんたのお母さんお父さんが‘そ奴の子、でて戻って来るな。’と言えば死んでしまう。お母さんも監獄に‘ペっペッ!’唾を吐く。‘英、すっきりする!’という。食べて戻る時‘こ奴の子、毎日のように近所のまた近所の世界に問題になって誰々のお父さんという言葉、誰々のお母さんという言葉私は嫌いなので今では多くなったのだ。’そうだ。父母も殺したい心があるのだ。だから追い出す。追い出すが食べるものたくさん背負って追い出すのか?すべて奪って追い出す。
奪ってすべて脱いでおけばそれは生まれた自体を否定するのだ。最近韓国語で言えば何を掘ってしまってそうか?父子の関係の戸籍を掘ってしまってそうだ。それは恐ろしい言葉だ。どこに行って父母がいて血族がいて関与して、私の思い通り行ってなくなるのだ。相対のない存在はなくなるのだ。理論が確実だ。
そのために目も相対になっている?目がこうなのか?鼻がこうか?唇が3ミリメートル間違っても話をできない。発音が合わない。耳もこのように二つが合わさって入ってくる音がぴたりと同じで和音になって回るのだ。回るこれがよく悪い言葉をたちどころに聞いて知るのだ。上がろうとして。上がろうとすれば空気を抜いてこうでなければならない。お尻にガスまでもすべて抜いてしまわなければならないのだ。引っ張ってしまったのだ。
それだけを正に知って生きても哲学が必要ないし、何の科学が必要ないし、宗教が必要ない。それ自体が天理原則と呼吸を共にしているのだ。
これらが自分が一人自立するのか?目一つが自立できない。目がこのように生きてみなさい。あんたたちが好む自由とすれば、男女が全部すべて自由にするとすればこのようにするという話ではないのか?鼻も共にする必要がない。何か、これは?食べる時も4つの分かれ、上弦・下弦、右弦・左弦、前弦・後弦として口を開けても四方に繰り広げられる?相対がだめであればそこに残る存在がないのだ。耳もそうだ。
そして手もそうだ。拍手してみなさい。(拍手)拍手をするのに声は何故出るようにする?これも拍手ではないのか?(笑い)相対に対して、これをこのようにこのようにしなければならない、(拍手をされる)これは破音だ。このように伸びて行かなければならない。ここに流してしまわなければならないのだ。ぴたりとこのようにすれば音がすべて流してしまう。そのためにこれを集めてこのように(両掌を合わせて打たれる)‘ピタリ!’見なさい。このようにすればいくら大きくても和音ではない。切れるのだ。しきりに大きくなるのだ。
和音というものがそうじゃないか?音楽も独奏することよりも2重奏、3重奏、4重奏をするのか?和音にならなければならないのだ。それをする時ここで‘エン!’と言えばだめだ。横隔膜の上から高麗磁器があのように生じた?あのようなものをフーッと呼べば底に行くために‘フウウウウン!’と戻ってくるそこで自分の音声が生じなければならない。声が良いと考えるなと言うのだ。和音が出て来て3つ、3色が繰り広げられるのだ。そうじゃないか?お母さんお父さん、息子娘が個性真理体が異なる。東西南北四方を代身して3色の音声が出れば和音になるのだ。
ここもそうじゃないか?1,2,3、ここ3つが顔に絶対必要だそこでここにすべて打っておいた。耳がどこに行く?耳が山脈が大きな山脈、小さな山脈、3つの山脈から来た空気がフイーッと回って、大きな山脈から風が出て来て小さい所にして今や下の底に・・・。上から追い込んだので下に行かなければならないが行く所がないのでこの穴に入って行くので、その二つが話声の周波周波がここに来ればぴたりと合うので良いと言って聞くのによく、和音になって知るのだ。一人は知らない。
韓国語は啓示的な言語
一人で愛がわかるか?男が、私が一人でいると喜愛をするといくら‘あ、私愛か、愛か!’と言えば狂った奴だ。それを知らなければならない。愛そうとすれば愛の相対が出て来なければならない。そう、男の愛の相対は自分の体ではない。そのテガリ(頭)をかき混ぜて通うのではない。愛の相対は自分でなく見るのが嫌な女だ。
堕落する時どれほど初めに見るのが良かったのか、見るのが嫌うのが?‘あ奴の女!’超えたと言うのだ。私という時‘ワンナ(왔나:来たのか)’と言う時と‘カンナ(갔나:行った)’は異なる。‘カンナ’と言う時はフィーっと吐いてしまう?‘ワンナ’と言う時口を開けて、入って来る。同様だ。カンナ!カンナの前にはワンナ、嫁を娶った、嫁に行ったそれだ。そうすれば和音になる、和合が。合徳になるのだ。
ハブ(합:合)はサラム(사람:人)に大きなハナニム(하나님:一)のイプ(입:口)、神様のみ言葉を中心に一つになった人、これが合わさったのだ。イプ(입:口)はみ言葉ではないのか?神様のみ言葉、一番大きな一灯になるその口が一つになって人になる!徳にならなければならない。合徳がならずして存在するものはない。
そのようなものを先生はわかるために宇宙は双双制度になっていると言う言葉を言ったが、それはレバレント・ムーンが発表した言葉だ。授受作用とか何であってもそうだ。そうか?その次には‘為に!’と言うが、こ奴の子供たちはバンクェット(宴会)しながら集まって悪くても良くても‘為に!’そうだ。それは先生がすべてつくった言葉だ。
どこの誰であれ私に反大使な人がいないのだ。文総裁は一番嫌いながら‘為に!’そうだ。何故?一番好まなければならないのだが一番嫌って今一番好む時が来た。私死ぬ、薬を飲むと言う時はすべてなくなるのだが。なくなるので早くなくなったのが死んでも、先に共同墓地に行っても土でも先に・・・。そのようなことがすべていチリがある言葉だ。良心、本心はすべてのことを知って口を通して発表しているのだ。
‘新う!’と言うが、何故死ぬとそうか?死んだご飯と異なって流れる!その次に‘生きる!’生きると言う時は‘コメになってご飯と言えば生きる。流れない。’それは言葉にもなるのだ。啓示の内容のようにいくらでも信仰的な面で解釈をできる。
その近所の皇族たちが住むが、やくざの子たちが夥しく住む近所の中で皇族のその近所に一人の乙女が生じたとすればこのやくざたちは全部すべてそれをなくそうと、占領しようとそうだ。‘それを誰が先に取って食べたのか?’取って食べるとそうだ。そうか、そうでないとか?「そうです。’啓示的だ。
アダム(아담)が何故アダムになったのか?ア、ダムをつくった!ア、ダム!何故へワ(해와:して来なさい)か?ダムを壊して平地をつくって来いと言ってヘワなのだ。(笑い)いいや、それは啓示的だ。‘チョック(좋구)は何か?‘チョック’と言う時は何か?与える人、受ける人がすべて好まなければならない。そうすればよいのだ。良くなってから‘おお、よしよし私の愛よ!’良くて悪いのが丸くならなければならない。良し!‘おお、よし私の愛よ!’でなく‘おおよしよし私の愛よ!’良くて悪い相対的な関係を言うのだ。おお、よしよし何か?私の愛のだ。わかるか?「はい。」지:至)’と‘ノップル(높을) コ(고:高)だ。神様に到達するのだ。全部すべて啓示的に解き放つことができるのだ。わかるか?「はい。」
3大祭物たちの特性
祭物(供え物)が、3大祭物が何か?「鳩と羊、牝牛です。」鳩!「羊!」羊!「牝牛!」鳩。羊、牝牛!羊も胃がある、ない?胃が牛のように4個か?胃が4つである動物は弱い動物だ。食べる時ちょうどよい時に食べられない。一度食べれば2日食べるものを貯蔵しなければならない。4つなので3日4日食べる物を貯蔵しなければならない。大きくなって、育ってから大きくなる時までこれは危険千万な場に立っている。そう、一番弱いのだ。そのようなものが祭物だ。
鳩も出て来る?わかるか?クククク言う鳩がしきりに与えればヨンピョンと跳ねたものがしきりに呼ぶが、体がこのように呼ぶがしきりに拾って食べる。食べてこのように歩いたのがこのように歩く、お尻をこうして。こうしながら拾って食べるとそうだ。それがわかるか?
祭物は何か?胃が4つある動物たちが祭物のなった。食べても食べたまましない。気運がないのでお腹を出さなければ。羊も牛のようか、どうか?地球上の牛は草を掘って食べる所は3分の2の芽を切って食べる。馬は3分の1を残して3分の2の中でここから牛が食べて残されたのを掘って食べる?幹を食べるのだ。だから走る。
牛に乗って戦争に出ることはないのか?長く吐しれない。殴って追うようになれば少しだけは知って横に抜けていく。馬はそうではない。走れば主人が落ちる時まで走る。何故?食べるに幹を食べる、幹を。羊はどこを食べるのかと言えば根を食べる、根。馬が食べて残ったものを掘って食べる。
そのために牛はこっそり見られる定礎にスーと通り過ぎ、馬はその次にもっと高く上がって、羊は深くするのでてっぺんをいつも願う。‘私が一度高い所に行けばよい。’だから祭物になりえるのだ。いつも追われて何時も為に与える。そうか?そうか、そうでないか?鳩もそうだ。鳩の肉がどれほど美味しいかわかるか?鳩が体は非常にふんわりしている。女のようだ、女。
女は胃の代りに袋が何個か?牝牛だ。黄牛は受ける。虎であってライオンであってなんでも。ライオンもむやみに入って来ないのだ。食べなくても争う。雌の奴はそうでない。生きるために食べ、雄の奴は争うために食べるのだ。異なる。
そのために3大祭物も弱いのだ。一番の祭物が‘ヤン(:羊)’だ。‘ういろうる(의로울) ウィ(의:義)’の字は‘ヤン(양:羊)’に‘ナ(나:我)’を持って来てくっつけた。そうか、そうでないか?「そうです。」
孔子様もそこで元亨利貞、元来の元亨、本来の宇宙は、元来にあるものたちが行く道は、‘元亨利貞は天道之常なり’、天の法度に従っていつも同じもの、共に動くものであり、仁義禮(禮)智は・・・。‘イン(인:仁)’はトゥ(두:二) サラム(사람:人)を言う。その次‘イェ(예:禮)’の字は‘ポイル(보일) シ(시:示)’の中で‘プンソンハル(풍성할) プン(풍:豊)’だ。すべてのものが現れてオーケイだ。‘チ(지:智)’の字は‘なる(날) イル(일:日)’の上に‘アル(알) チ(지:知)’の字を言う。時間時間すべての全体を知らないのがないのだ。仁義禮智は人性之綱なり!人性が何か?人間世界にすべての行かなければならない道理の道だ!これが儒教思想の骨子だ。
儒教思想をよく知らないのか?そのためには儒教には‘千字文’、‘無題詩’、『明心宝鑑』、『小学』、その次に『論語』、『孟子』、これが四書三經に行くが、『禮記』まで行く。法まで、礼法を見れば大胆だ。先生は『禮記』の本を書き写そうと驚いた考えが出るのだ。本を求めるのがやさしい?勉強しようとすれば数十里の道を訪ねて行って行ったり来たりして学ばなければならないのだ。
皆さんはあまりにも自由なのでこ奴の子供たち、与太者になった。与太者と言うのが何か?引っかかってかかって駆けている!与太者と言う言葉がそのように解釈される。遊んでは落ちると言うのだ。梯子の上って足にかかってても出さずにかかっているのでこれこそ死ぬようになっている。それが啓示的になっているが、かんこくごがいりばんそうだ。わかるか?「はい。」
為にしまた為にされる主人が神様
生畜、‘フィセン(희생:犠牲)’の‘フィ(희:犠)’は‘ソ(소) ウ(우:牛)’偏に何かと言えば‘ウィロウル(의로울) ウィ(의:義)’の字に‘ペオナル() ス(:秀)’の字だ。ヤン(:羊)のようなものを抜き取って牛のように犠牲にする!牛は家畜なので何とか全部すべて、骨まで売って食べる?歯磨き粉のようなものは何をもってつくるのか?牛の骨!馬の骨とも言うが一番よいのは牛の骨だ。牛は家で育つが、お母さんの愛を受ける赤ん坊と同様だ。すべてヤン(:羊)が入っている。
義なる人か?男として生まれればこれが天使長は相対もなしに自分第一主義者だ。天使長は所有がない。主人がすべて天国に入って生きる時に食べて残ったもの、また主人が愛の心で与えるものを食べるようになっている。自分の独自的な所有がない。空中と同様だ。天地と言うようになれば空いた場が空中なのだ。
そう、サタンは空中の権勢をつかんだのでサタンは不利なものがない。天は男の所有であり、地は女の所有であり、空気とこれは息子娘の所有と言うのだ。一段階低い。このようなすべてのものを深く深く考えれば一つの動機から全部すべて・・・。
義と言うのは何かこれだ。羊を置いて言うのだ。羊を中央にぴたりと切っておけば、これを二つの中で切っておけば何になるのか?‘コムル(거물) ヒョン(현:玄)’の字二つを持って来てぴたりと合わせたのだ。そうだろう?ぴたりと切って二つにしておけば、これこれ二つは‘コムル ヒョン(玄)’の字と同様だ。‘コムル ヒョン(玄)’の字と二つをすれば‘ジャビ(자비) ジャ(자:慈)’の字になったのである、慈悲と言う時。
そのために二つが晴れれば、なくならないようになれば光が出るのだ。石も打てば光が出るのだ。‘コムル ヒョン(현:玄)’の字を二つ持って来てくつけば明るくなると言うのだ。そうだと言うのだ。羊もそのような意味があり、慈悲もそのような意味があると言うのだ。これはこのようになっているために主人である、主人。このように切っておいたので‘イム(임:主人) ジュ(주:主)’の字と同様になるのだ。
そのために男も自分の主管、個性真理体と言う言葉があれば、男もそうだし女もそうだし男の思い通りすると言って女の思い通りすると言うことはなくなるのだ。思い通りすると言うことはなくなるのだ。互いに為にするとしなければならない。神様がそうでなければならないのではないのか?神様が思い通りすると言うようになれば夜の中は神様一人しかいない。いくら大きくても相対の概念がないのだ。そのために相対のために存在すると言うのです。
そう、わが統一思想が異なったのがそれだ。神様は何かと言えば相対のために存在するのだ。全知全能な神様であるが思惟際所に与え、それを与えてとすればなったと言うのではない。与えてなったとすればまた与える。誰に与えるのかと言えば神様の相対に与えるのだ。そのために為にまた為にまた為にされる主人が神様だ。永遠に為にされる神様と言うのです。
だからその世界は動いて出ればしきりに大きくなるのだ。そこで大宇宙になる。太陽系の1千億倍になる大宇宙なのでどれほど大きいのかと言うのだ。この膨大な世界を誰のために創ったのか?神様のために創ったのでない。
皆さんは一番よく一番大きなものを願うのか?すべてそうか?動物たちはそれを知らない。人は一番高く一番大きく一番よいことを願うのか?そうか、そうでないか?「そうです。」そうたりえない。神様がそうだと言うのだ。見なさい。一番大きなもの、一番よいもの、その次には何か?一番大きくよく、その次に何?よく与え受けるのだ。誰であれ順応して‘こちらに来い。’と言えば、‘イェ!’と。‘こちらに行きなさい。’と言えば‘イェ!’と言うのだ。
正直でなければならない
そのためにこのような金奉泰にもなりえるし、ここはまた誰にもなりえるし、見るのが嫌な柳鐘寛(ユ・ジョングアン)になりえることもあると言うのだ。ヒバリはと言うことであり、雄がここに辺豆があるのがわかる?そう、この人の性格がそうだ。大会をすれば私が報告しなさいと言う話をしないがぴたりと来て‘先生、今日大会でこのようにこのようにしました。’報告しなさいとしなくても自分が報告しなければならないようになっている。見るようになれば顔が四方に平地のような気分が出る。
黄善祚は鼻が目だっている。自分の主張が大胆なのだ。その耳がここで上がるなと言うのだ。環境に行くようになれば環境にカチャカチャッと合わせることができる素質があるのだ。早くキャッチしなさい。そうだ!耳がとがった人は14歳までは発行だ。15歳からは大将になる。男大丈夫だとそうか?7×2=14、スタークラスまで疲れ切って駄目になる。
あんた、このようにしてみなさい。このようにしてみなさい。目をこのように見なさい。ここ折り目が広ければ広いほどよく生きる。乞食たちはこれがこのように入った。探して見なさい。先生がすべて研究してみるのでそのようなことが分かる。私が何観相学を学ばなかった。
目も閉じた開けたと言う時ある人は閉じた開けたと言うがこちらを見る人、こちらを見る人、上に見る人、四方に回る人がいる。そのようなことを皆さんは知らない?目は二重瞼が良い、一重瞼が良い?二重瞼は詐欺をして食べようと言うのだ。一重瞼は詐欺をして食べる奴が批判できるのだ。目が小さく一重瞼で、ここの目に肉がなくすっきりした人は宗教指導者にならなければならない。すでに突き通してみるのが異なる。カメラと同様だ。絞りを小さくするので遠く見るのか?そこにガラスが曇ればどのようになる?
そのために正直でなければならない。正直でなければならないのだ。正直でない人は宗教人になれない。孝子になれないわかるか?「はい。」皆さんは孝子だ、でないのか? 顔を見る時すでに自分の思い通り生じた人は眺める必要もない。孝子になれない。このように行けと言えば自分の思い通り行く。主人が見る時までは行くが、見ない時になれば峠を越えれば異なって行くのだ。皆さんもそうだ。峠を越えても二つの峠、3つの峠まで越えて行くと言う人は義なる人だ。少年時代、青春時代、老年時代、そうじゃないか?3つの峠だ。
皆さん、どこに行って‘遠く行くな。’と言う時、園の山を越え、谷間の隣の近所もいくつかの峠を越えるなと言うのではないのか?父母たちはそうだ。いつでも見えることができるが、夜にも見えることができ利くことができ、呼べば聞いて見ることができ臭いを嗅ぐことができる所があることを願う。埠頭街に行けば埠頭街の臭いが出る?そうじゃないか?自分たちが船に出れば‘フムフム!’臭いが出なければならないし、また話す時は匂いを嗅いでみてすべてしたとすればその海辺に行って話しても魚を捕る話を専門的に言うじゃないか?またそのような相対になりうる人になれば耳で和合するじゃないか?
すべて互いが和合して大きくなるための補助物になっている。万物もそうだ。万物も全て見習うじゃないか?いくら小さな虫も・・・。ここ芝生のような所を夏に今しも掻いてみなさい。目に見えない虫のようなものがどれほど多いかわからない。それらも全部すべて子を産んでいる。子を産んで、そうして子を育てる自分の生命をかけて育てる。
訓読会にいたずらに行ったり来たりするのは損害が出る
人は・・・。ワッ!(急に大声をあげられる)「びっくりだ!」‘あ、びっくりだ!’と言った女たちは眠ったのだ。(笑い)
今日訓読会であれば訓読会でもしてその付録、説明をするのは勉強しながら参考にするだろう。皆さんも勉強することがつらく何を悟らせることがつらければ先生がそのようなことをすべてこれこれをもって悟らせたために助けてあげるためのものだが、それは関係なく眠りたければ眠って見なさい。ここに来て去るようになる時にここの周囲に、自分の麾下で統一教会の本当に骨髄分子たちだと後で数多くのサタンたちがついて来て‘エイ、ついて来て行くのか、来た奴らが顔も良くてすらっとした奴らであるが眠っているので私があの乙女、あの男を連れて行かなければならない。’と守っているのだ。
そのようなことを知るために先生が悪口を浴びせてそうだ。それを悟ろうとすれば称賛するのか、歌うのか?‘この二人!’悪口を言うようになれば慌てふためいて覚める。覚めなければそれをサタンが咥えて行く。いたずらに行ったり来たりすれば損害になるのだ。自分の欲望を持って来て行く時には行って交通事故が起こるとか足が折れるとか故障が出る。
そう、教会に来るようにするためには、教会は天の代りの大きな国のために行くほどに補ってあげようとしなければ、ほじくって食べるとすれば天がじーっとしておくのか?ほじくって食べるものはサタンたちがほじくって行こうと来てほじくって食べる橋になったのでどれほどして・・・。目が澄んでいるが、先生が見るようになれば視線がこうだ。それを見れば髪の毛を触るとか何を触るのか必ずそうだ。
あの女が使えるのかと見れば、座る時姿勢をこのように座ったとすれば終わりまでその姿勢で座ってそのようにして終わりまで合わせて‘ありがとうございます。’と挨拶すればそれは正しい人だ。その人たちは福を受ける。
テガリ(頭)が偉ぶる人たち、男たちが多い?見よう。顔を見よう!1,2,3,4、立ちなさい。何を振り返るのか?立ちなさい、あんた。何故おかしく頭がそのように立ったのか?歌を一度してみなさい。や、歌をそこでしなさい。時間がない。そこでしなさい。してみなさい、どうか。(何だとぶつぶつと言うや)なんか?「日本人です。」*日本の歌でもよい。「はい、歌います。」うん?「歌います。」もじもじせずうたってみなさい。(*から日本語で話される)与太者まで多い。(笑い)してみなさい。(歌)(拍手)
先生は一生をこのように生きるためにあの女はこのようなことを好み、あの男はあのようなことを好んで・・・。座って私が見れば何の面白さで見るのか?(笑われる)言葉をすべて知っているが。先生がした話を多く聞くが、その深さや何とか私がすべて知っているが、聞くのか聞かないのか深く考えるのか、峠を上がるが休もうとするのかと言うのだ。峠を上がればつらいので休もうとするじゃないか?寝よう。
どこに行こうとすれば秋を見て化粧の代りにこのように自分の顔を美しくあるようにすべて率いてそうでなければならないじゃないか?自分の姿勢を備えるが、その姿勢が出発だけ姿勢で行けば行くほどごちゃごちゃになる。数千里行くようになればその姿勢そのままその通りなるのかと言うのだ。つらい。
そのために狩猟場に連れて通って海に連れて通ってみればわかる。少しだけ何・・・。一日にもどれほど孤高が変わる?朝夕に気候が異なる。日の光が照らしてよかったが少し過ぎるとアイゴ、霧がかかっても全部すべて眠ってしまう。‘アイグ、自然面白くない。’それは面白くない人だ。
朝の日の光が鮮明な、先生の名前のような鮮明なこともよいが、そのようにだけ毎日のようになれば何の面白さがあるのか?雲もかかって、雪も降って、風も吹いて、暴風雨も吹いて、それはどれほど芸術的か!そうじゃないか?「そうです。」
最近踊る所は秩序もなく法もないじゃないか?あるものは手だけ踊るが足をもって踊れ、ありとあらゆることをすべてできると言うのだ。頭を持ってもすべてできると言うのだ。自由だと言ったので踊りもすべて、音楽もすべて、技芸とかなんとかしべ手ごちゃごちゃになってしまった。礼法も自分の思い通りだ。それをどこに使うのか?どこに行って合わせる?宇宙のどこに行って合わせて、あんた自身をどこに持ってきて合わせるためなのか?
顔を見れば運動の法則を中心にすべて合うようになっている
しきりに眠りが来ようとそこでそうか?あんた!「はい?暑くてです。」‘あんた、朝にお母さんお父さんが隠しておいたものを盗んで食べて未だに消化がだめだったのでその気運を持って来てだから暑いとかき回す。’このように説明するとでないと言えない。火力が出てきたがあのようになれば欲望も多いのだ。(笑い)何故笑う?これが出てきたことが下を支えてあげればよいのだが、このように流れて行けば八字(運勢)が強い。
見なさい。ここも見るようになればと言うことであり、下の支えこれが狭い人はこれが狭くなる。そのために美人と言うようになれば卵型を言う。卵型は、双子の卵と言うことであり、上とか下とか同じだ。それを双子だと言う。女の標準が卵型だが、そこの男は長い。卵が長いのだ。長くて大きいのだ。そのために男の顔は背が大きいので、女のように丸ければどれほど金運がないのか?(笑い)そこで長い。男は根であるために顎が入らなければならない。打ち込まなければならない。女が顎が入ればそれがどのようになる?回らないじゃないか?すべてそのような運動する法則を中心にそこに合わせるようになっている。
我がオンマはどこに行った?私はいるものと思っていたがこれしか残しておかなかった。(笑い)話して‘これがいるのか?’と言うのが習慣になっている。足を私がこのように置く時はこの手で‘いるのか’ということであり、このように置く時この手がなければ‘これがどこに行った。’と言う。(笑い)そうでなければならない。‘よく行った。’と言えばそれは大変だ。守ってあげなければならないのだ。
だから一人で住んだおばさんたちはこのように顔がこれでも笑わず、無理にこのように耐え忍ぼうとする顔になっている。寂しい、このおばさん?何か?文何のヨン(영)?「文ウオニャン(문원양)ウオニャンニャンか、クニャン(근양)か?「文ウオニャンです。」ウオニヤンか?「はい。」ウオニャン(遠洋)の海なのであの遠い海に行ったのだ。「私はいないと考えません、アボニム。」ないと誰が考える?(笑い)私がいないと考える?いないと考えないことが原則であるが、ないと考えない言葉はまた何か?「いる時とかない時とか全く同じだ。」前にもそうだった?文ウオニャンを私が相対にしてあげると行った時嫌だとそうだった、顔をしかめたことを忘れてしまわなかっらが?何故首をうなだれる?全く同じだとすればその時も全く同じでなければならないが。
愛が偉大なものである、愛が。愛が何かわからないが、これを持って来て合わせれば6か月だけになればすべて同じくなる。ついて行きたいのだ。雄雌の鳥たちもそうだ。寝る時は全部すべて他の所で分かれて寝ても落ちたその場に会うことで約束して来て会えばその次には二人がご飯を食べなかったとすれば食べられない鳥は雄でもついて行かなければならないし、メスでもご飯を食べたとすれば先立たなければならないのだ。それが自然的な与えて受与えて受ける理致なのだ。その通り拍子を合わせられなくてそうだ。
拍子を合わせて和合できることを知らなければ
皆さん、統一教会が入ってくる前と入って来て数年過ぎてみる時、入ってくる前の私と入って来た今の私を見る時異なった。その通りか?どのようになったのか?異なったのか、そのままその通りか?あ、尋ねているじゃないか?多く異なった。何故?天地理致が拍子を合わせて和合しなければならない。
和合、言ってみなさい。「和合!」‘ワ(화:和)’と言う字は何かと言えば‘ファハル(화할) ファ(화)’の字であるが、‘ビョ(벼) ファ(화:禾)’偏に‘イプ(입) ク(구:口)’、一緒にご飯を食べることを言う。和合、和してご飯を食べて一緒に生きることができて!’ご飯を食べて和合したとすれば何をするのか?休まなければならない。
休むことと寝ることと何が異なるのか?寝るようになればそれは終わりを見たのであり、休むのでご飯は休むようになれば少し休んだことは食べることができるが終わりになって混ぜれば食べられないじゃないか?そう、休むのだ。今まで正常的な状態を理想なものとしてつくろう、他のものを!良いとか悪いとか、そこに戻るのだ。
寝ると言う言葉は息が絶えると言う言葉だ。穏やかに弱くなると言う言葉と同様だ。起きると言う時は起きるのは全体が起きる、すっくと起きるそうじゃないか?すっくと起きることはこのようにあったものがパッと起きると言うのだ。それはすべて意味がある。意味の中ではすべての行動できることが四方の環境に合わせて動くと言うのだ。
見よう見よう見よう見よう!1,2,3、黄色い頭!あんたと私と歌ってみなさい。あんたも日本の娘か?振り返る娘!あんた、あんた!いや、その前に!よし見よう。後ろに立った顔を見よう、二人!見よう。後ろに二人出て来なさい、二人とも。(笑い)二人とも出て来なさい。一人づつ歌ってみなさい。一人づつ歌って二人が一度合唱して見なさい。日本の娘か?「韓国人です。」あちらも?「私は日本人です。」そう、よくした。(笑い)あんたから1つしなさい。「友人たちと一緒に歌っていいですか?」友人たちは何・・・。あんたの声が聞こえて良ければ、今後私が今や世界的な音楽団体をつくる時素質があれば抜いて育ててそうしようとするが何故・・・。してみなさい。(歌)(拍手)
あんたの声はと言うことであり、ここから出さずここの横隔膜を通してこのようにして喉頭音大きくすればとても良い声だ。女男の中間で声がそのためにそれをするようになれば歌っても聞きよいし、とても高音に和音になって出て来るこれが拍子がよく合う。聞くのが嫌ではならない。またその次には?(歌)
声などがすべて良いのだ。今後合唱団員をするようになれば、一人する独唱の歌よりも合唱団をする時必要たりうる喉頭音を、垣根になりうる音も持ったために聞く人たちが破音でない。そのようなことを全部知らなければならない。こうして和音になって3つの声、お父さんも好みお母さんも好み息子娘が好む3色にならなければならない。そのような音声を持った人が休まない。二人が一度してみなさい、二人が。(笑い)よく合わせて二人がしてみなさい。合唱!(歌)
また日本食口手を挙げてみなさい。高く挙げなさい。何の歌をするのか?日本全部すべて合唱を一度してみなさい。座ってしなさい。何の歌?幸せ?(歌を先唱されて日本食口が合唱)
3回も敗けるとすれば憐れなので勝たざるを得ない
今日は・・・。何時か?6時半しかならないのだ。今日は12時に野球(ワールドベースボールクラッシック大会韓国と日本の準決勝戦)、(笑い)その次は3時にサッカー(城南一和と蔚山現代の競技)をする。(笑い)昨日済州島で我々が女サッカーチーム、韓国の我がチームがと言うことであり、数個のチームの中で新たに決定した我がチームと4つのチームがしたが、我々がソウルのチームとして3対0で敗ければよいのか、勝てばいいのか?「勝てばよいです。」3対0で敗けず勝った!(拍手0神様が私が好むことをすべて好む法だ。(笑い)
今日12時に野球で敗ければ・・・。野球(여구)!野球は薬(약)が上がるそうだ。1等、2等、3等、3番目に勝っておけば日本はあの深い海に入るが、その水は永遠に上がって来れないようにして5大洋に流れて行くのだ。今回3回まで勝っておけばどのようなのか?勝つようか、負けるようか?「負けるようです。」「勝つようです。」(笑い)
皆さん、人も面白さがそのような面白さだ。‘私は勝つ!’と言ったが、あちらでは‘あんたは負ける!’と言う。(笑い)2回目、敗けると言う言葉よりもまた勝つし、2度勝つのだ。3回勝とうとするが本当にあちらでまた上げて出て来なければ3回目は負けるのだ。初不得?「三!」3だ。3回目まで、一度負けても、2度負けても勝つとすれば勝つのだ。
神様が聞くようになる時2回づつ負けて3回も敗けると言うようになれば憐れじゃないか?そう、神様もわが民族がそのように考える時憐れなので敗けることができないし勝たざるを得ない、なくなくない!3回すれば勝つのだ。
その次に我々が浦項(ポハン)か?我が一和のサッカーが3時に浦項とするが・・・。「蔚山です。」蔚山!蔚山か、蔚三か、蔚上か(笑い)
私が運動ができないのがないのだ。してみなかった運動がないのだ。全部すべてしてみて、争いもしてみて・・・。人々が1回づつすべて知っているがしてみなければならない。相撲であれば相撲もまたしてみて。してみてから応援すれば実感が出る。知らない時は人に負われて行って見物する気分は味がない。
*日本のメンバー、日本から来た統一教会のメンバー、手を挙げてみなさい。(*から日本語で話される)半分もっと来た。これは何故このように多く来たのか?(笑い)「鮮文大学校にアボニムのみ言葉の従って留学に来た学生たちです。」鮮文大学校に留学に来ない韓国人たちもいるのではないのか?女とか男とか3分の2以上が日本人なので今日サッカーとか何とか一緒にしては・・・。日本が勝てと応援するのか、韓国勝てと応援するのか?うん?(笑い)
自分が本当に統一教会の教徒になったのかならなかったのかと言うそれを見てわかる。(笑い)自分も知らずに心を持ってでも‘韓国敗けろ、そ奴敗けろ、敗けろ。’と言うようになれば自分も知らずに拍手しようとして‘あ、あ、あ、・・・。’そうなのだ。(笑い)それが数十回しきりにそうしながら小さくなるのだ。日本人は韓国の飲食よりも日本の飲食を食べるのが簡単で便利だ。韓国飲食は全部すべて来て・・・。
昨日も私がとても昼食をとることが心配になって町中の焼き肉店に行った。サムオンわかるか?サムオン何だと?「サムオンガーデンと言うのがあります。」サムオンガーデンか、サムオン何の突発なのかわからない。そこに最近行って、ウルグアイに多い魚がいる、パクとその次にハリバットが。我が(国家メシアたちが)これを160匹を捕らえるが58人が行って二人がこどって来ると言う言葉を私が聞いたがと言うことだ。
我がシンジュニ(文信俊)が魚と言うようになれば、パクがいる所に行くのでご飯を食べて出て来る所であるが、最近行く時はそこに水族館をつくって壁をそのようにつくった。そこの魚がどれほど良く見えるかわからない。大きなものたちもいるがと言うことだ。そこでご飯を食べてすべて好みそうしながら見物して功だったのだが、同じ家に行ったのでなく他の所に行くのでご飯を食べてからはそこに行きたいのだ行ってみると相変わらずだ。相変わらずなのだ。本当にそれがパクなのだ。それをどのように捕って来たのか、買って来たのか?船頭だとかがいて持って来る時はここに来ようとすれば数日かかったのだがと言うことであり、それを生かして持って来ようとすれば、飛行機でなく船で持って来ようとすれば相当につらく持って行ってしたと見るのだ。
そのサムオンガーデンと言うことであり、そこを見るようになれば30年がなったのだ、30年。イヤ、だからその時はソウルでもお上りさんの姿であの瓦にあった家が今30年が過ぎるので都市の中央になった。見るようになればアイゴ、このような良いものが今後において国が何をする時需要量を下ろしてよい競技場、ビルを建てるとか何の体育館をつくるようになれば奪われるのだ。政権がしきりに交替されれば奪われるのだ!私はそうしながら最近に売って他の通りに移すことが良いだろうとそのように考えたのだ。
生態的環境に合うようになっている自然世界
私も土地を多く買った。私が2千万人を食べさせても残ることができる土地を持っている。韓国の地は農業ができる土地が2百万ヘクタールだ。ところで私が120万ヘクタールを買った。わかるか?韓国の土地の半分のようなこのような土地を持っているが、それが韓国は1年に1毛作するがこれは1年に4毛作をする。コーンをこちらで蒔きながらあちらでは借り入れる。
そのために統一教会の人たちは数千万が飢えても行って汗を流して生きるようになれば食べることができるように、飢えて死ぬ人をなくすためにそのような遊びをしたが、その土地をもって概観しながら文化村を一度つくると言う人がどこにいる?
様々な姿を出して互いがよくできたとして、都市のような所で商売をするのを見ればアイク、家々がこれほどの家にも看板を大きく大きく大きくして、これを掲げておいてご飯を食べて生きると言うのであ、憐れな人たちだと言うのだ。小さな土地で数十人が互いが争って、カリカリと争ってそこで食べて生きると獄殺撲殺?何とそれは?「獄殺撲殺です。」しきりに話してみると獄殺撲殺が韓国語なのか何なのか忘れてしまう。そして生きているのでどれほどもどかしいか?
それよりも南米のような所、我が土地のような所に行くようになればと言うことであり、車で一日中行ってもはてが見えない。そのような所に一度言ってみたくないか?水平線でなく地平線だ。その中では夜だけになるようになればじ~と高い地帯に座っておれば四方から聞こえてくる音がさまざまな獣の声がすべて聞こえる。
良い月夜に、十五日のような時に上がって眺めるようになれば、天は穏やかで地には様々な声が聞こえるのだ。夜に大きな獣たちが餌を求めて出て来るのだ。狼のような声が聞こえないか、豚の声が出ないのか、ネズミの声が出ないのか、夜に大きな獣たちがでないのか、うさぎの声が出ないのか、ノロの声、鹿の声が出ないのか、ありとあらゆる声がすべて聞こえてくるのだ。
そうしながら夜は12時を過ぎて新しい朝に向けて通り過ぎるが、朝の日の光が次第に明るくなってくるようになれば大きな獣たちは高い山を過ぎて深い山に戻らなければならない。深い山にいた弱い獣は全部すべて海辺に、平地に求めて出て来るのだ。食物連鎖に従って限界線を守るためにそれがすべて生き残る。
ライオンのようなものが夜に食べて寝る時はネズミたちが行ってここにあるこれをすべて掘って食べる。それでもじ~とひっくり返るのだ。すでに臭いを嗅げばわかる、寝るのかどうか。すべてそうしながらも・・・。また鳥たちもそうだ。自分の生態的な環境に処することができる、食物連鎖によるその限界線が園であれば小さな園や大きな園やぴたりと同様だ。
小さな園に生きる獣たちは小さな園を去れば死ぬ。大きな園に生きる獣たちが小さな園ではもどかしくて生きられない。その環境に従って分配されて限界がある。そうして連帯的な一つの夜であれば夜、昼であれば昼において生態的な生活をするのにすべて合うように供えられている。
虎のようなものは12時を越えなければならない。12時から4時まで餌を食べなければならない。餌を食べるために4百里を一晩で動作し、3百里以上4百里。どれほどつらいか?そう、虎のようなものは露のような所を好まない。高い山があれば7部稜線以上に行くので、そこは風も吹くので露が全て落ちるのだ。高い山の深い所は高い山に隠されて低い所は露が消える。低い所は虎がいない。露がある所はなく意思のある所があるのだ。ヒマラヤ山脈のような所は猛獣たちが、白虎がいるのだ。白い虎がいる。や!
そのために環境環境に従って生きるのが異なる。皆さんも個性真理体なので全部すべて異なる?春型である春型、春夏秋冬の型においていたずらに生きるのではない。万一虎のようなものが犬のように臭いをよく嗅げば動物たちが生き残るのか?雌が雄の臭いを嗅いでも絶対谷間にに降りて行かない。
そうして大きな奴らはと言うことであり、小さな奴らは・・・。兎のようなものは子を多く生む。15匹以上までも産む。3か月に1回づつ子を産むのだ。若娘さんたち、嫁に行かない人は何赤ん坊を産むことを心配するが、その赤ん坊を産むのがどれほど面白いか?男と生きるが、その男の先祖の全体が、血統が降りて来るために‘ある先祖の血統が私に現れるのか?’それがどれほど謎か?
考えを多くして実際に行う人が先立つ
顔は出来損ないでも産んだ子は出来損ないに見える法がない。そのために血統に従って結婚しなければならない。韓国に立派なものが、軍隊であれば軍隊の血族がおり、―すべてそうじゃないか?―博士であれば博士コースを勉強するこのような血族がおればまたそうだ。勉強をよくしなさい。
わが統一教会の赤ん坊たちを見るようになればお母さんに多く似るよりもおじいさんに多く似た。すでに幼い頃から考えが異なる。そのために顔を見るに真っ直ぐなことよりも血統を見て結婚しなければならない。
昔韓国がそうだった。おじいさんのおじいさんも同じ科挙に合格し、そのような状況がどうなのか、官職において国を動かすことができればそのおじいさんは武官と文官どうし・・・。文官どうしすれば弱化されると言うことだ。同じ同族どうしすれば弱化されるのだ。イスラエル民族が同じ同族どうし結婚して血友病というものが生じる、生じる。血が一度出れば止まらない。
端と端がしなければならない。高い所に行こうとすれば高い所がこの中でこのように来ようとすればよいのか?回る時加速度が加わるほどにこの中心に立って遠心力によってもっと遠くに行こうとするためにこのように回ろうとするのだ。そのために極と極が和合すれば音も合ってすべてそうか?
大きなものから音が出るようになればワンワン音も出て雷が落ちる音も出てそうだが、フィール(wheel)が回る発電所のような所に行くようになればと言うことであり、全国に対する際が戻って行く所があれば支障が多いためにそれこそこのように見るようになれば大きな周りが動かないようだ。さっと対すれば殻だけ・・・。早い。そのように精密なのだ、発電機は。少しだけ間違えばステイター(stator:固定者)とルーター(rotor:回転者)がぶつかるようになれば燃えてしまう。燃えてしまえば大変なことが起こる。そのように精密につくらなければならないのだ。
そのようなすべてのものが拍子が合う、拍子。拍子がわかるか?「はい。」大学校に必要であれば大学校の風土に習得するのだ。勉強をよくしたとすべて立派なのではない。勉強はその時勉強して熱心にすればなるが、一生涯勉強を継続する人は10年、20年、30年後にその結果に自分の人格というのが千態万象に異なるのだ。学校で誇ることよりも粘り強くしなければならない。
先生はその為に30歳まで話しをせず生きた。30歳になる時まで話しをせずに生きた。話すようになればその環境で話すことができる時間が消耗されるじゃないか?考えるのだ。ありとあらゆる考えをすべてしておくのだ。
先生が話せば先生の言葉を中心に先生があのような性格なのでこのような性格だ、それではその先生が私が考えることが合うのかといって1学年、2学年、3学年過ごした先輩たちにあってその先生の性格がどうなのかと尋ねるのだ。よく尋ねてみれば。また反対の性格があればよく尋ねてみなさい。‘そのような性格はそうだしそうなのだ。’自分が考えたことがどれほど合うのか?それを研究しなければならない。覆っておいて自分の考えだけせずにそのように人の心も研究しなさいというのだ。
考えを多くした人が先立つのだ。また考えを多くして実際に行う人はもっと先立つのだ。行うことは垂直に上がるのだ。これが体験が必要だ。共に行動しても人が感じることができないことを感じなければならない、体験。そうすれば発展するのだ。
皆さんも食物連鎖のあるラインに集まっている。性格がこのようなおばさん、朴普煕(パク・ポフィ)の妻のような性格のおばさん、これをこのように顔が異なるほどにそのような種類と合う相対たちがいる。
統一教会を過ぎた歴史が死ななかった
食べたい人?(笑い)(水を飲まれる)自分が好きな歌でも一度してみなさい。私田舎の考えをしてそうだ。「はい。宋榮錫(ソン・ヨンソク)このような時には、先生が田舎でこのように日が上がろうとする時・・・。あの鳩も飛んで来るじゃないか?故郷を多く考えるようになる、故郷。懐かしいのが故郷だ。
故郷を考えればお母さんが何の言葉をし、お父さんが何の言葉をし、寺小屋で訓長の年寄りから悪口を多く受けたこと、称賛されたこと、友人たちがどこに集まって和合できたこと、すべてのことを考えるのだ。そのような人たちはどのようになったし、そのような訓長のお年寄りはどのようになったし、お母さんお父さんはどのようになったのか、そのようなことを考えるのだ。さ!(宋榮錫事務総長の歌)
朴貴玉(パク・クィオク!「はい。」ここ鮮文大学の学生たち、神学生たちでない?「はい、一般学生です。」カープ(CARP:大学原理研究会)学生たちがいるが、このような時とともに膨らんだ心をもって生きた時、統一教会に入って来ながら苦悩した話だとか、彼らの前に懸念になりうる話を一度しなさい。
出来が良かった、できが良くなかった?女として言えば性格が悪い性格であるが普通の女のタイプではない。特別な女のタイプなので皆さんも参考できる何かがあるために、歌って過ごすことよりも話しを聞いて感動されうる理由がもっと多くその理由の中で皆さんがひっかかりうる数が多くて良い種が生じることができる可能性があるために特別な女を呼んで立たせたのだ。よく聞きなさい。「はい。」わかるか、わからないか?「わかります!」わかります!そう、そう。
「嬉しいです。」「アンニョンハセヨ。」「私は・・・。実に、時間は?」時間よ何3時間を部屋に閉じ込めておいたので時折節日を経て、部屋を数部屋つくるのかと考えれば時間は量ることができるのではない。継続されるのでこの人たちが好めば何一日中してもよい。(笑い)話す話が多いという話か?そうか?すこしなれば嫌だその言葉であるが、多くてもよいそこで時間、多くの部屋があらねばならないというのだ。時、時間が立って一間、府二間・・・。思い通りしてみなさい。(朴貴玉奥様の証し)
「・・・アイゴ、8時半なので。そこで祝福されて我々が3年伝道に出た。」
8時間でもすべて聞くのがつらい。世の中の生活をしようとすれば風波がどれほど多いのかわからない。この谷間、あの谷間に住む人、あるものたちが異なるほどに悩まされることが全部異なる。そのために皆さん若者たちがこれから出発であるが、社会に出れば直接ぶつかる時すべての四方のありさまがすべて現れるので聞くのが嫌でも聞いておけばようで先生がこうだと座っているのだ。私がこれを何回聞いたのか?「多く聞かれました。」そう。
皆さんがどのように聞いてどのように考えるのか相当に関心が多いのだ。皆さんが将来性がいるのかいないのか鑑定しているのだ。こうしてこうして様々な姿がすべてあるために。今8時が何の問題か?8日もならなかったが8時になってこうであれば・・・。(笑い)8年、千年大患乱時代が来るのだがその時はどのように生き残るのか?さ、継続しよう!(証し継続)(拍手)
統一教会が過ぎた歴史が死ななかった。それを知らなければならない。今やこのお姉さん、姉が話したことが死んだ話ではない。自分が体験しながら発展した歴史の根本だ。歴史の根源になっているのだ。そのようなことを聞くということが最も貴いのだ。
多くの先輩たちの言葉を聞いて、彼らが動くすべての生活もすべて共に参席して経験もしてみたし、そこで損害が出るものがないのだ。多くの人の内容を聞いて、それは霊界で全部すべて関係を縦的にしてこの人たちを千人万人関係して私と因縁されればそのすべての総合的な結果の天の運勢が私に集まるのだ。
多く見て多く聞いて多く尋ねてみることによって間違ったことを悟らなければ
そう、皆さんが統一教会の教徒たちどうしも全国にある統一教会の責任者がどれほど良くするのか、自分の教会だけ熱心に通って風評せずそのようなたびごとに他の教会に行ってみなさいというのだ。自分のような人にぴたりと合う。会うが‘ここに来るので我々のような人は熱心であるがどのように熱心か?丸3,4週間行ってみるようになれば自分が間違ったことを悟る。わかりますか?
だから一つの教会に行ってみて二つの教会に行ってみなさいと言うのだ。人がいつも力だけあって飛ぶだけしないのだ。食べられなければ休む時が多く、また一人おれば寂しい時が多いのでそのような時友人たちを中心に訪ねて行って会って対するその人たちの中に霊界によって指導されてそのすべてのむつかしさの中から出てきた人に会うようになればということであり、自分の心がわかる。‘あ。このお姉さんであればお姉さん、姉であれば姉を私がついて行かなければならない。’そのような考えが起こったのでその教会にひと月でも行ってみて、ふた月も行ってみるのだ。それではその教会で自分に助けられる人、友人も生じて話すことができれば、かえってその友人の友人を伝道するがその友人が伝道することよりも私によって多くの人が伝道されることによって友人も私を尊敬するのだ。
そうたりうる背景一つの教会から二つの教会、二つの教会から10の教会、全国の実況を知るようになれば指導者たちの性格に従ってそれを比較して批判することが分かる。‘あ、あのような性格なのでこのお姉さんがこうだったし、だから私もこのお姉さんが批判することがよくなかったので是正できる。’というようになるのだ。
そのような多くの経験を通した先輩たちを中心とした証し者あるいは反対者にあって帰って助けを受けて助けてあげることができる環境を多く持つことによって家庭生活をする時は、一番初めに嫁に一人で行くが夫に侍って赤ん坊を産むようになれば義母義父その次にはその義父母の親戚から伯母とか叔母とかその環境がどれほど広がるのかというのだ。
そこでそのような環境もすべての一つの家庭の垣根圏内で自分が探求してきたすべての食口の助け、教会の伝道師を中心に感じて批判したすべてのことが私によってなりうるために、私が主体の場から行こうと言ったその道は自分の歴史に残る道であるためにどれほど助けを受けて助けた関係を結んだということが私にどれほど勉強になるのかという参考資料になるのだ。
だから対する世の中がどれほど舞台が広がるのかというのだ。多く見て多く聞いて、‘よい師が誰なのか。’と言えば、全国で‘誰がよいのか。’と言えばそこを訪ねてみるのだ。また‘どこは伝道がよくなるのだ。’と言えばまた行ってみてということだ。こうたりえなければならないのだ。
女たちがましてやそうだ。家庭においてひとりで学校に行くとかすれば垣根になって警戒する人が多いので注意注意するが、注意注意して一生にそうたりうる環境にならない。嫁に行って赤ん坊を産めば門が四方に開かれるが、その開かれる四方において自分が行こうとして行かなければならないのだ。経験もなく始めて対するそこで彷徨することによってどれほどそれが発展に支障があるのかというのだ。
多くの証しをして多くの人に対して好い因縁を結ばなければ
そう、信仰の友、信仰の同士、信仰のためにできる自分の友たちが誇ったその近所であれば近所を訪ねてみて教会も訪問してみて誰それの宣教師がいたことを私が知ると、私のその方のこのようなこのような助けを受けて今このように大きくなって今はこのようなことをするとその教会に行って証してあげることによって、その教会の責任者と一つになれず反対する人、何様々の種類の人たちに・・・。好むする人もいるが悪くする人もいるのだ。その環境で分けてあげればその分けてあげる言葉たちは疑わず意味なしに話したのであるが、その背後にそのようなむつかしい立場で解放されまた新しい分野を発見することによって新たに決心する多くの人たちが現れる。
多くの人がいる場に行くようになれば‘アイゴ、証しをする。’したい心が先立たなければならない。信仰告白!のみならず朴貴玉に見せてあげた事実たち!一番初めにはそのように天が自分を指導することを知らない。一度、二度、三度、四度こうであることによって経験してすべて知るのだ。
そう、統一教会は皆さんが決心するとしても一生涯この道を行けない。教えを受けなければならない。精誠を捧げるようになれば、世の中の友たちが助けてあげられず世の中の周辺の集落が助けてあげることができなければ先祖たちが現れて精誠を捧げた比準に従って保護してあげて教えてあげるために近く来るのだ。
先祖たちの中では信仰世界で千態万象の宗教環境も異なりまた住む生活風習も異なるために・・・。全羅道であれば慶尚道と、あの咸鏡道(ハムギョンド)とどれほど異なる?異なるが、霊界では他の時代に住んで行ったが精誠を捧げた自分の孫がおれば地方を越えてでも共に問議もできるし、良いことがあれば互いに助けることができるために協力して自分だけでなく他の道に行ってもそのようにするのだ。私が平安道(ピョンアンド)の人であれば江原道に行ってこのようなことをすれば江原道の人は平安道の先祖たちに会えることができるために二人が協助して助けてあげ、それでは二人が協助してあげて助けてあげたその息子娘であるとか素も後孫たちがよくなれば霊界は統一が繰り広げられるのだ。そうじゃないか?
二人がこうだったものがまた3,4としきりに広がっっていくのだ。霊界は良いと言える物を助けてあげなければならないし協力しなければならないとするために、一つの何の結果的に影響を及ぼすことができる事件が繰り広げられればその人を中心に関係がすべて通じることができるのでどれほど早い?地上にはつらいがということだ。
地上においてそのような環境が霊界で全面的に拡大されうる遊びをしなければならないために学校であれば学校に行って伝道しなければならないし、また行き来する町でも伝道しなければならない。自分が知るその近所、学校に行ったり来たりして知る自然山川、集落に入って言葉を一言でも残して行くというそのような人であってこそ、その地方で善なる青年、あのような青年が私の息子娘かを願うすべての先祖たちはそのような青年を終結させて後援してあげるグループが生じるのだ。そのグループが大きくなれば大きくなるほど自分が行く道に保護権を中心に環境が私を挙げてあげることができて引いてあげることができるので早く発展するのだ。それを知らなければならない。
‘どこに行って話すことを私は嫌いだ。’と言えばよくない。わかるか?経験のようなものがあれば訪ねて行って友になりえるし、自分のよい家を過ぎても訪ねて行ってその家に入ってそのような経験した事実たちを話してそのような因縁を結ぶことができるように努力をできなければならないし、またそうであれば霊界もそのような努力の結果がそこに飢えられるように息子娘だとか関係されうる人を育てて出て来るのだ。
そのために多くの言葉をして、多くの証しをして、多くの人に良いこのような因縁と対して良い結果を見せてあげるようになれば、皆さんの一生にした人がそうだったが、その一人によって影響を受けた人が地方を越えて環境与件に数重数百になれば霊界だとかその地方に及んだ結果が、誰も考えられなかったが結果が次第に大きくなるために自分が行く道が上がるようになるのだ。わかるか?「はい。」
煉瓦を見たと煉瓦を見て怖れるなというのだ。アイゴ、煉瓦を持って行くが私がつらく持って行っても朝のような時、露になれば煉瓦を二つだけ十字であてて置いて座って休むこともできるというのだ。私だけ休むのでなく、このような場で多くの人が休めるようになれば彼らがどれほどありがたかるのか!それではその時私を導いた霊界があればそのような人がついて来てそれを助けることができるのだ。それを知らなければならない。
証しが必要だということを知らなければ
そのためにみ旨をもって生きる人にみ旨の結果は必ず影響を終えて、影響を及ぼすように努力したものたちは、それを植えれば大きくなる気を見ることができて植えて木の実を見て後代後孫たちの前に贈り物として残してあげることができるのだ。それがこの地に生きられるやりがいのある生活ではないのかとというのだ。わかるか?
今日どこをぴたりと行くようになれば誰に会ったとすれば‘あの人は商売をするので原理のみ言葉を商売をする人に合うようにそのようにしなければ案らないし、また従順して奉仕する人はみ言葉をこのようにしなければならない。’と言うのだ。そう、皆さんが原理のみ言葉を知ればそれくぉ活用することを知らなければならない。だから多くの人に対して使って見なければならない。わかるか?「はい。」
自分がそのために都市が多くて大衆に対するのだが大衆に対することができる主題をどのように作るのか?主題を間違って作れば大変なのだ。その主題の説明がその講演内容と通じなければならない。そうでなければだめだ。そのように主題を残して一度して感動されれば二度して感動され三度して感動されるのだ。
それは皆さんが今後において説教集のような所に残して第2、第3代までも参考にできる材料になると言うことを考える時それを必ず残してあげることを知らなければならないのだ。またそのみ言葉を聞いて感動できる集落の環境に残してあげることができる、今後後代の人たちが受け入れることができる環境を私が準備しておくことが先輩として、あるいは先祖としてしなければならないことではないのか言うのだ。。
このような未来に対する責任も責任であるが原罪に対する責任、先祖に対した責任を負うと努力する人は休んで遊ぶ間がない。眠ってもみ旨とともに、み言葉とともに寝て覚めてこのようになるのでその生涯は輝く生涯になってそのようにすれば何の努力もしなかったが結果が植えられた木に実が結ばれればその近所だとかその木のある地方の関心事になってその種を求めていく人が全国におれば全国に広がることができる道にもなるのだ。
どの誰の後孫がどの誰の別れを通して自分の国と自分の一族の前に助けになりうる道が待っていおると考える時、それを探して私との関係と結果が良いと言えるように努力すると考えて生きる人は滅びない。
先生もそうだ。ある国に行くようになればその国を利用しようと考えない。ある近所、集落が暮らし向きがよくなければ‘アイゴ、私が船をつくるとか借りても与えなければ案らない。’といって船を載せて行って落下させてあげるのだ。それではそれの主人になりうる人になれば月賦で船の値段を受けることができるのだ。一度でなく10回、1年2年3年でもそれを月賦で与えるようになればそれが一隻だけではない。2隻、3隻、数十隻を売ることができるのだ。
因縁があればその因縁を忘れてしまえばだめだ。必ず関係を結ばなければならない。因縁があれば必ずその因縁のある所を訪ねて行って関係になりうるようにその人が望むこと、その人が願うこと、私に尋ねてみたものがあれば尋ねてみたことを解決してあげて、答えることができなかったとすれば自分が本を借りて、あるいは先輩たちから聞くようになった責任だとか聞いたみ言葉を行って補ってあげて真剣にその家の兄よりも、兄弟たちよりも、親戚よりももっと為に与えれば自然とその人を中心として対する人が近くなる。近くなればお母さんお父さん、その環境が大きければ大きな環境が自然に連結されるのだ。
そのために証しが必要だと言うことを知らなければ案らないのだ。わかるか?「はい。」皆さんは‘一番初めにあのおばさんが何のおばさんか?じーっと見ると次第に話も・・・。’2時間近くした?「2時間しました。」2時間近くしたが、ためらわずにいくらでももっとできる気力があって、そのような余裕が甘いのである集落、ある近所、ある都市に行っても自分がお腹が空けば、ご飯を求める前に人々を教育するようになればご飯のお膳が待って、夜であれば寝る部屋が待って、今後旅人の身の上として行ける未来の費用もすべて準備されるのだ。わかりますか?
先生がたくさんの仕事をした?「はい。」そうだ。休む間がない。あのあった人が私に会って天のみ旨があって合うようにしたが、地獄に行ってする時はみ旨を中心に教えてあげなかったために地獄に行ったと言う問題が繰り広げられるのだ。
そこで人に対することが恐ろしいのだ。善なる結果がだめなのでよいと言える善なる人たちであったが悪くなりうる立場に切ってしまえばどのようになるのか?そう、事務的になってはならない。就職、金儲けする伊会社のように考えてはならない。これは時間を超越していつでも自分がすることを自分がして経て行けば後患がない患
そのためにこのような集まりの場を多く訪ねて行って、多くの人に対して、多くの人と関係して、多くの人と風変わりな経験をして、共に寝たりもして遊びもしてすべてこうでなければならないのだ。その時間が多くなれば友になる。友がたいしたものがいるのか?多くの時間を共にすることが友なのだ。
朝に争ったが昼食にまた訪ねて行くのが友だ。誰が間違ったのかわかるのだ。私が言葉を間違ったのでお姉さんであればお姉さん、姉であれば姉、弟であれば弟がこのようにすべて解放してみれば二人が会う時間が発展できる、よく合うことができるこのようなものになれば、良くよいものでありうる環境がなされるのは理論的だ。理論的なのだ。
苦労するところ大きいものがわかる
そう、今日聞いてみると・・・。何の‘クィ(귀)’の字か?朴氏はわかったが‘귀’の字か?「‘クィハル(귀할) クィ(귀:貴)’の字です。」自分を見て尋ねた?こちらに尋ねてみるのに。‘オク(옥)’の字は何の‘オク(옥)’の字か?「‘クスル(구슬) オク(옥:玉)’の字です。」朴貴玉、クィオギ!一度聞いておけば・・・。先生が考えるには、脾臓と胃がもともとよく場が大きく生じたがおじいさんだとカスム環境において小ぎれいですっきりと作った。統一教会に入って来て多く広くなったし、どこに行こうとすべて話すようになれば感動を受けることができる歴史と背景があるので、それは戻してでも話を聞くようにしてあげなければならない。
ここに統一教会を信じない人もいる?「今日は出て来ませんでした。」カープ(GARP)!「すべて食口です。」食口というのは口食(クシク:旧食)であり、反対にすれば。(笑い)旧食がよければ・・・。新食にならなければ、旧食反対。多くの人は食口をつくりなさいと言うのだ。わかるか?「はい。」
皆さんもそのような歴史を知って、全部これが皆さんがやられなければならないのだ。先生も私がやられうるそのような全ての記録を持つためにそれを伝授してあげたくて苦労もさせるのだ。苦労する所で大きいのだ。わかるか?「はい。」
私が昨日おとといの世界日報の調査委員が1,650人が集まったが、ぞろぞろと輩たちだ。調査委員たち。世界日報の調査委員に対して話す時簡単なのだ。それを話そうとすれば先生がみ言葉もできないので・・・。その核心は何かと言えば、調査して難しくすべてこうであっても結局は耐えるものが、耐えて為に挙げればすべて終わるのだ。「核地域の有志達です。」
今日は私がこのようにうんざりすることが。‘12時が近くなる!’(笑い)誰が一人だけくわえれば、通いながら精誠を尽くして考えたそれがバラバラにならず継続できれば一人もッとさせればよい!朝を食べず昼食を食べられなくてもそれが精誠だ。そのような人千人の言葉を聞くようになれば霊界の人たちがじーっとしているのか?そこが真空状態になるので風が吹いて来なければならないし、流れた水はここを埋めてあげて行かなければならない。それが自然理致なのだ。おかしい言でもないのだ。自分がする通り実を結ぶのであり、自分が遊ぶ通り環境が美化されるのか、悪くなるのかそのようなのだ。
既成教会がいくら統一教会が悪いとしてもそれを誰が、統一教会の教徒たちが信じるのか?統一教会の女たちが多く私を思慕する人が多いが先生を思い通り会えないと見る。どれほど先生が厳格な先生であるかもわからない。ドイツに行けばドイツにもそのようなことが繰り広げられ、イタリアに行けばイタリアにもそうだし、フランスに行けばフランス、イギリスに行けばイギリス、全部すべてそのようなことが繰り広げられる。韓国とぴたりと同様だ。
み言葉を聞き始めれば覆ってしまったすべての取るに足りない恒久のそれがずーっと穴が開けられる。本心と通じるようになればその周辺がそうして男とか女とか誰よりも見たいし、誰よりも、お父さんお母さん、愛する愛人よりも、それを願って原理のみ言葉を聞けば先生について来ようとそうだと言うのだ。
女たちが泣くのは常識だが、男たちも見たくて泣く。あんた、先生を見たくて泣いて見たか?「はい。」昔の人は泣くだけする?家に行けず先生が住む家の壁をつかまえて泣きながら守って、朝に挨拶してその次に先生が難しければ私がこの前にうどん屋でも連れて行って準備して・・・。そのように生きた人が多いのだ。そのような歴史を残した人は天が捨てない。また先生が捨てられない。
そのような地域に行けばすぐにそのような事件があった人が思い出される。それではその人をすべて考えるために十年、数十年がなったとしてもその歴史を知らなければどこに行っているのか探して見て、数十年間に発展したとすれば発展した所に対する贈り物も補ってあげると考えるのだ。このように授受する因縁を忘れない所は天がいつも訪ねて来ていらっしゃることができる基盤になるのだ。一生涯そのまま生きないのだ。そのまま一生が流れないのだ。
皆さんがそうだ。訓読会のようなものをすれば先生がどれほど忙しい?皆さん、先生がいるのかよいのか、いないのがよいのか?「いらっしゃるのがよいです。」神様が見る時、先生が座っているのを見る時、神様が申し訳なく思うのではないのか?霊界の先祖たちが申し訳なくなるのではないのか?そう、先生が座ったとすればあの後ろ側から遠く座った人たちまでも全部すべて管理してあげるのだ。
だから統一教会は日がたてばたつほど落ちない。先生が皆さんに負債を負うようになれば統一教会は門を閉め始めなければならない。負債を負わない。皆さんがいくら熱心にしても先生に負債を返すことができない。今までも負債を負ったが今後も先生がいなければ収拾する道理がない。
関係の因縁を結んで生きることを知らなければ
それでも2000年代を越えて神様王権即位式をした以後すでに6年になるが、それから今までどれほど霊界と肉界が近くなったのかわからない。訓読会とか何とか霊界の実相とかこのようなすべてのことがどれほど皆さんの信仰の知識と宗教背景の内外で、霊界と地上に対して皆さんが知ることを中心に見ればそのような事実が上にも合って下にも合うのでここで話すことがいつも水平になる。上にも知って、知っていることを話せば垂直になるのでこの種直になったここから雰囲気に包まれてしまうのだ。そうじゃないか?
一人が入るようになればその近所に問題を起こす。問題を起こす、‘悪い人だ!’と。悪い人のようではないが通り過ぎるおばさん、じーっと過ごしてみると合う人全部すべて悪いことがないが良いことを悪いと考えるのは既成教会だ。既成教会の食口たちが多く越えて来たので悪いと言うのは既成教会だ。世の中に既成教会が反対をしなかった人がどこにいる?そうか?既成教会だ、クィオギ(朴貴玉)も?「はい。」そう、近い人が・・・。イエス様も4つの家庭の食口が怨讐だとそうだった。イエス様の周辺の食口たちも怨讐だった。怨讐だったのだ。自分が行こうとするのに講演をしなかったのだ。
そのためにすべての人の顔がすべて違ったほどに店に精誠を捧げた彼らの実が全部他の実だ。今日120人集まったのか?いくら?「126人です。」そうだろう。126人が全部異なるが120人の実は、皆さんがカープ(CARP)なので今後世界と天地の青年たちに影響を及ぼすことができる貴い存在だと霊界も見て全世界が見るようになればあんたたちに狂わせられる影響が垂直になるのか、霊界から見れば先生がぴたりとこうであれば垂直になるが、あんたたち自体が垂直になることはむつかしい。
このようになってもだめだし、これがどれほど広いか?先生がぴたりとつかんであげれば垂直になるためにここからその次に垂直にとどまらなければならないのがどこかわかる。わかるか?上から垂直がなかったが、これだけ垂直になればこれは自動的にここの直線下に垂直が定着されるのだ。
そう、相対に対することが偉大なのだ。皆さんの友人もそうじゃないか?自分を見て好み、自分が言うことを聞いて好み、共に食べることを好んで、友に来て行くことを好み・・・。人がそうじゃないか?何か?行って来る?「食べて寝て!」食べて寝る?「良くて悪く!」そこにすべて入るのだ。いくつかがだめだ。
人に会って一緒に食べると言うのだ。今日じゃたちも一緒に食べると言って、その次に来て行っても友人と行く、一人で行くのが何か?一人で行く道が20里の道でも話してあげてそうであればどれほど慰安になる?行って来ることを共にして、食べて寝て、良くて悪くて、その6つであればすべてなる。
先生はそのように全体に合わせることができないので骨子だけ推し量って行くようになれば、その近所に私がこのような考えをして訪ねて家々をすべてよることができなくても霊界の先祖たちが寄ってあげることを願うので石でも置いて行くようになれば、それを中心にその人が通り過ぎて再び戻って来る時話すようになれば霊界自体が来て場をとらえ始めることができるのだ。イスラエル民族がヨルダン川に上がる時、石たち、川辺に立って条件を立てるじゃないか?通り過ぎて再び来て行く・・・。3回だけするようになれば人がいなければそのない環境において3回目には相対をつくらなければならないのだ。
だから過ぎて行って木でも植えてあげてそうなのだ。種でも植えて生えるようになれば行ったり来たりしながら記憶するために、その集落を考えてあげる心が行くために集落の良心的な人はその木を好むようになて、その木を植えた人に会いたければ何年、10年、その木がなくなる時までそれを願って臨んだすべての人たちが霊界の先祖たちが来ても善なる人がおれば因縁を結んであげようとするのだ。どこに反対する存在がないのだ。花だとかすべてのもの、ここにあるものも全部すべて関係の因縁の中で生きたいのだ。そのようなことだ。わかるか?「はい。」
ラスベガスを誰よりもよく知る先生
9時20分になった。台所で食べるもの、ご飯を準備したのか?この子!120人のご飯を準備した?今日すべて学校に行かなければならない?今日何の曜日か?「生きません。日曜日です。」(笑い)私が安侍日だけ考えた、聖日は忘れてしまった。人々は聖日は休もうとそうだが、我々は楽に休めないのだ。一日一日がそれを慕わしく、安侍日が来ることを待ってこうでなければならない。先生がこのように普通着るがその時はネクタイでも結びたいし正装をしたい。異なるのだ。異ならなければならない。
時間が遅れてもは絶対だめだ。普通先生が12時に寝るようになれば3時前には必ず覚める。ある時にはここで9時頃上がって行くようになれば10時、11時、12時であれば覚めるのだ。その次は朝の訓読会を終えて9時になれば数時間になるのだ。これが?そのような生活をするのだ。それが習慣になったために昼寝でも寝るようになれば夜に寝ない。夜に寝なければわがオモニがアイグ、人の眠りを盗んで好み一人であのように夜通し話すと言うことであり、(笑われて)掻く。そうでなければまた駄目だ。二人ともそうであればなるのか?それはすべて理解しそのように生きるのだ、広げて。
私が磨いてあげた基盤を広げて‘酒場の奴も来て座りなさい。’‘遊び人も来て座りなさい。’と言うのだ。私がすべて知るので。歌も教えてあげることができ、賭博することも・・・。私が賭博の選手なのだ。ラスベガスで30分内に1万ドル得るのは問題がない。毎日そうたりえる。そのような経歴を持っている人だ。お金がなければ賭博してお金を儲けて楽に生きることは死んでもできない。
ラスベガスに行った時一日の夕方に‘今日あいつは24万ドル以上をとる。’と言えば私が行くようになれば入って来なければだめだ。12時を越えて明け方4時まで間違いなくそのお金が入って来る。そして‘これが3日以内に一円もなしにすべて飛んで行く。置いて見なさい。’と言えば飛んで行くのだ。だから面白い。お金を失うと泣き喚いたりしない。出ることを知ってして、入って来ることを知ってするのだ。そのために‘ある機械に行ってある垣根、ある側に行ってしなければならない。’と知ってするのでお金を失わない。
のみならずラスベガスのような所カード遊びをするテーブルは・・・。私が20数年をラスベガスに出入りした。何故?誰よりもよく知らなければならない。行ってテーブルのある所は絶対座らない。座れば写真を1枚撮れば既成教会の牧師たち、信者たちが騒いで‘文総裁が賭博場に行って賭博した!’(笑い)それではすべて滅ぶ。そのテーブルの周りにも座る?これはすべて罪びとたちだ。
そしてスロットマシーンそれは何を読むために入れるとするために一度、二度失うようになればすべて逃げる、夜を明かしてそれをするのか?スロットマシーンは人々がいないので一人で行って休むのだ。眠っても誰が何とそうでないか。それを写真を撮って文総裁賭博すると言う言葉をできないのだ。一度出れば世界にすぐに知らされる。
新聞記者がどれほど先生の後をついて回って、釣りをする時自分が釣り場で会うようになればいくら初めて会っても質問すれば答弁してあげなければならないし、原料がなければ分け与えなければならないし、釣り竿がなければ分けて共にしなければならないのだ。それを知る人たちの前に何も知らない人の世にそうしてすっきりするようにそれでは何か?
新聞記者が横に来て一日中釣りをしても訪ねてみることができない。調査したと言うことよりも調査しに来たそれ以上の世話を負ったと言うのだ。わかるか?‘あんたは人に会って欠点を問い詰めに来たのか?我々のような人に会ってよかったと言うが、悪い?’‘良いです。’‘それでは立って行きなさい。’行かなければ、‘こ奴よ!誰だと知ってついて回る?’一言するのだ。追い出してしまうのだ。そうだ初めて来た人たちを心寂しくして送る必要がないじゃないか?そうじゃないか?
食べるものにも因縁があり歴史がある
昼食の時になるので皆さん何を食べさせて送らなければならないのか、そのまま追い出さなければならないか?話してみなさい。体面にもかかわらず正直でなければならない。‘食べて行けば良いのだ。’その次に‘食べさせずに送ればむつかしいのだ。’それは当然なことではないのか?だからそのような時は先生の財布にある備蓄資金でもお金を与えて行く前に買って食べなさいと行く時において封筒に・・・。最近どれほど多いか?ビニール袋にパンを一つづつしていくようになれば、行きながらお腹が空くのが終わる時までありがたく考えるのだ。1時間であれば1時間食べる間考えるのだ。
‘このパンがどこから来た?’パンを見て尋ねれば、‘や、私が訪ねるに不足なのかでない。’これだ。私がパンになりうる小麦粉がどこに小麦粉だとその歴史を知るようになれば博物館のように記事を書いて残すことができるのか?数多くの人、数多くの環境を経て来たのではないのか?そこに塩であれ何であれ豆粕であれあずきの粕であれ埋めている。全部すべて歴史がある。
あんた一人を食べさせるために、あんた一人に会うためにそのような因縁をに従って来ていたが、その因縁を置いて挨拶もすることを知らずそのまま食べてなくしはたいてできないと言うのだ。そのために後でこれほど残したものを韓国の法に‘プイ!’というのだ。忘れずに霊界でも持って行って霊界の博物館に‘誰のプイとした物だ。我々を考えて分け与えたのだ。’そのようなことを願うのだ、誰であれすべて。そうなのか?
先生に来たので先生が何であれ一つづつ与えればよいのか?「はい。」2時間でなく8時半になったが、また何の話をするようになって10時、11時、12時になればすべて先生死ねと、耄碌するとそうではないのか?(笑い)何でないとそうか?どうか、世の中に正直な人を私が見れませんでした。
ヤンバン(両班)たちは夕食を食べないことをじーっと顔つきを見て知っているが、‘夕食を召し上がりましたか?’と言えば食べたのだ。食べたと言う言葉はやめて、私が台所にさせたので食べたくなくても行って食べなさいと言えばどれほどありがたいか?(笑われる)人はそのように生きるのだ。そう、先生は30代まで話しをせず生きた。み旨に正々堂々とした自分の生涯の目標の程度に入ることができなかった。それを知るのだ。
あんたたちがカープ(CARP)のメンバーだと?そのまま鮮文大学生であってカープのメンバーではないじゃないか?「鮮文大学にカープがあります。」昨日カープではないのか?「そこもカープです。昨日は神学部の神学生だった。」その時カープで?「はい、またその次に純潔学部があります。3つのパートになっています。」これは何の輩か?「一般の学生たちです。」一般学生であればカープでない人がいるのではないのだ。「多くいます。ところでここにいる子供たちは食口たちが来たので。」
カープでない人は先生が朝も食べず行けと言えば‘あのような先生がどこにいる?’そうなのか?「ではありません。」反対だ。そのためにそのようにしてあげることを知らなければならない。自分が朝を食べず昼食を食べられなくとも10人、100人に対してはということであって・・・。私が1食、2食食べなくても、断食することを普通1週間づつしてすべてそれ以上もする人たちがご飯1食が問題か?そうでない?「はい。」
道を行って車に乗って行く時、町で車に乗せた人を見るようになれば昼食を食べなかったとすればともに降りて食べるのかと尋ねたりもするのか?運転して行っても運転する人がご飯を食べる時は客であれ乗った人に一緒に行って食べようとしなければ、‘あなた昼食を買って!’そうなのか?それでは商売人の運転手だ。そのような尋ねてみることもない。そう、余裕があるように生きなさいと言うのだ。
朴ヨンジャ、沈ウオク奥様の証し
さ、そのように知って、今は9時半です。10時半、11時半、2時間半であれば野球・・・。野球見物をしたいか?「はい。」行きたいのか、ここでご飯を食べて戻りたいか?「ご飯を食べて生きたいです。」私はお金がないが?(笑い)お金がないが皆さんがお金のある人の財布をはたいて何人かの人をただで食べさせても、そうでもすればよい。
そう、先生のお金を台所で準備させて昼食をもてなすか、朝食の代りに?その2倍がかからなければならない。自分が食べたものを残して今まで1食を食べられなかったので2時、3時であれば2食すべて食べず包んで行っても罪ではない。そのように知って・・・。
この子ら!「はい。」出て来なさい。数人だけの朝食兼昼食・・・。「今海苔巻きを注文しておきました。」すべて準備した?『今注文が入って少し時間がかかる。』時間?「はい、1時間程度です。」そう、時間があるのであんた来て歌を一つしなさい。(笑い)ここ誰の嫁が来た?「はい。」誰か?呼びなさい。「朴ヨンジャ(박영자)!夫のヤンバンが呼ばれる!そこにいて何故ここに座った?自分の夫が今回死にかけたが生き返ったので自分が何を悟ったのかそれを話しなさい。
数分延長しても何かを食べて行かなければ。食べて行かなければならないし、そのまま行かなければならないのか?そのまま行こうとすればみ言葉をさせてはならない。食べようとすればみ言葉があるのでよく聞かなければならない。ご飯よりもおいしく。「はい。」そう、聞いてみなさい。ここ近く出て来て話してみなさい、夫が死にかけた時自分はどのように考えたのか。証し!ここに来て何をしていると言う証しもしてすべてそうだ。(朴ヨンジャ奥様が証し)
終わったとすれば歌を一つしよう。歌もよくするのだ。行って後援してあげてもよい、新郎のヤンバン。(歌)(拍手)
(録音状態の不良で一部収録できない)さ、話を一言しなさい。「何の話・・・。教会に入って来る時ですか?」半分だけしなさい、半分だけ。これからご飯を食べれば12時ぴたりと合う!そうか?世界的にアメリカもそうだし、メキシコもそうだし、日本もそうだし、全世界が注目しているのだ。そう。さ!(沈ウオク奥様の証し)(拍手)
食事をすべて終えた後に来ようと?早く早くしなさい。ご飯をもらって食べることがつらいのだ。嫁に行って大きな賞を受けて待つことよりももっとつらい。「アボニム、今来ていると言います。ところで今あまりにも時間が忙しくて、若い人たちなので海苔巻きを2個づつは食べなければならないがあまりにも時間が忙しくて持って来たのだ。」2個がこれ2個か?(笑い)朝も食べられなかったのでこれを2個食べれば大変だ。「すぐに来ます。その間に化粧室も行って、学生たちはパンと牛乳を持ってくるのがあると言います。』それを食べてまた食べて?「はい。それを食べてこれを食べて・・・。」食べたい人は食べて、行きたい人は行って!さ!(敬拝)
12時にするが私もご飯を食べてくる。応援をよくしなければならないのだ。決死的にすれば勝つ。(拍手)
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