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高齢になるほど増える病気というのはいくつもある。
超高齢社会において、そして長寿が当たり前の社会において、これらの病気への対策はきわめて重要だ。
その代表が認知症だろう。
85歳になると4割が、90歳になると6割が、テストをすると認知症と診断される。
骨粗しょう症なども、年をとるほど増えるので、昔と比べて当たり前に知られるようになってきたし、薬を飲む人も増えている。
その中で、意外に知られていないのが、第6回(の記事「知ってほしい 高齢になってからの薬の本当の怖さ」)で少し紹介した「せん妄」と言われるものだ。
時間とともに治まることが多い
これは、意識障害の一種で、病的な状態ではあるが、時間がたつと治まることが多いので、病名と言えないかもしれない。しかしながら、高齢になると増える状態であることは確かだ。
たとえば、親を入院させたら、「テレビから天皇陛下が出てきて声をかけてくれた」と言ったり、「天井中、ゴキブリだらけなので、なんとかしてくれ」とか言って大声で叫びまわったりすると、その親はボケてしまったと思うかもしれない。
しかし、多くの場合、数時間もしないうちにそれが治まって、もとのように普通に会話ができる。そして、通常は、その時のことを覚えていない。
このせん妄というのは、一般には、身体に負担がかかったときに生じる意識の混乱のことをいう。
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寝とぼけたような状態
横浜市民病院のホームページによると「入院患者さんの2~3割に起こり、高齢者、特に認知症を合併している方はさらに生じやすい」とされている。
年をとるほど、とくに認知症などになって、脳が弱ってくると、身体に負担がかかると脳の働きが悪くなることがある。これによって、寝とぼけたような状態、起きているのに悪夢や夢をみているような状態になることがせん妄だ。
身体への負担というのは、脱水とか感染とか発熱とか貧血とかもあるが、薬を新しく始めたときや、何種類も飲んでいるときなどは、これも脳への負担になってせん妄を起こすことがある。
入院のような環境の変化は、せん妄の原因になることが多いのだが、風邪をひいたときや薬を飲んでいるために家の中で起こることも高齢者だとそんなに珍しいことではない。
そこで、家族が慌てて「認知症になった」と思って医者に連れて行くと、せん妄の診断を受け、薬を変えてもらったりやめたりして、しばらく安静にしていると落ち着くものだ。
せん妄を起こしやすい運転禁止薬
これが家で起きる分には、ボケたと勘違いされるだけで済むが、運転中に起きると大事故につながりかねない。とくにせん妄では、怖い夢のようなものを見ることが多いため、化け物に追いかけられているように感じて、そこから逃げようとアクセルを踏み続けるなどということは十分考えられる。
ふだんは安全運転の人が暴走し、そのときのことを覚えていないとしたら、我々のように高齢者をふだん診ている医者なら、まずせん妄を疑う。この手の事故の解説をテレビでする医者が何人かいたが、高齢の危険ばかりを問題にしてせん妄に言及しないのには、私は驚きを禁じ得なかった。こんなことも知らないで高齢者を診ているとすると、日本では医者が開業するにあたって高齢者医療のトレーニングをやらないことの弊害を痛感したものだ。アメリカの老年医学のテキストブックには真っ先に出てくるものの一つだからだ。
前にも述べた(2023年11月11日の記事「高血圧や糖尿病も… 意外と知られていない運転が危なくなる薬」を参照)が、このようなせん妄の副作用が多い、つまり、それを飲むとせん妄を起こしやすい薬は、運転禁止薬に指定されている。
最近、首都高で風邪薬を飲んで意識がなくなったような状態で3人もの人を死亡させた事故があったが、せん妄でなくても意識障害があったのは確かだろう。風邪や過労の影響もあったのだろうが、意識レベルが低下していたのは間違いない。
環境の変化でもせん妄が起こることは多い。
急に入院して、家の様子と違っていたり、施設に入って、元に住んでいた環境と違ったりすると、脳が急に混乱して、このせん妄を起こす。
地震などの避難生活でも、高齢者の場合、急に環境を変えると、せん妄が起こってもおかしくない。
入院したり、引っ越したりして、急にボケたとかいう場合、実はせん妄であることがほとんどだろうし、その後は元に戻ることは珍しくない。
認知症とは明確に違う
さて、あまりにおかしな話をしたり、見えない虫がたくさんいると大騒ぎしたりするので、このようなせん妄を起こすと急に認知症になったと誤解されることが多いわけだが、いくつかの点で明確に認知症と違う点がある。
一つは、認知症というのは原則的に脳が少しずつ変性したり、委縮したりする病気なので、急に起こることはない。ちょっとずつ進行するのが原則で、ある日突然ボケたようになったとしたら、別の病気、通常はせん妄を考えたほうがいい。
そして、意外に知られていないことだが、認知症では激しい幻覚や妄想が出ることはそんなにない。もちろん、レビー小体型認知症のように幻覚や妄想が出やすい認知症もあるが、7割近くを占めるアルツハイマー型の認知症では、物忘れや場所に関する見当識というのが障害されて迷子になったりするし、もっと進んでくると人の話がわからなくなったりするが、とくに幻覚はそんなに出る症状ではない。
ただし、認知症の人は脳が弱っているので、たとえば薬の副作用や熱を出したときにせん妄を起こすことは少なくない。しかしながら、せん妄が治まると幻覚などは見えなくなるし、ボケ症状もかなり改善するものだ。
症状がコロコロ変わる
それともう一つの特徴は、症状が短時間のうちにコロコロ変わることだ。
ひどい幻覚が現れたり、ひどい興奮状態で大声で騒ぎまくったりするかと思うと、数時間のうちに落ち着いて元の状態に戻る。治ったと思って安心していたら、また夜になると大騒ぎするというようなパターンが珍しくない。
そういう点で、きちんと様子を見ていたら、認知症とせん妄を誤診することはまずないのだが、あまりに症状が派手なので、周囲の人間からみると急にひどいボケ状態になったと思ってしまうのだ。
そういう意味で、高齢者を抱える家族や、高齢者を診る医者には、せん妄という状態をぜひ知ってもらいたい。外科系の医者はよく経験するので(手術後のせん妄は5人に1人くらいに生じるとされている)、それほど慌てないが、内科の医者では、まだ認知症だと誤診する医者もいるのは確かだ。
池袋や福島の事故のようにふだん安全運転をする人が急に暴走するような事故で、運転者が絶対にせん妄だったとは言わないが、せん妄の可能性を指摘する声がほとんど出ないということは、医者の間でもこの知識が共有されていないことを痛感する。
ちなみに、池袋の事故では事故の4カ月前からパーキンソン症候群の可能性があると診断されて治療を受けていたと報じられている。
パーキンソン病やパーキンソン症候群の薬は、せん妄を起こしやすい薬の代表格で、運転禁止薬にも指定されている。そんなことも知らないで、高齢者を治療する医者が多いことは恐ろしいことだ。
せん妄には薬が有効
さて、せん妄は、ある種の意識障害(身体は起きているが、脳が寝とぼけている状態)なので、多くの場合、放っておいても治るのだが、なかなか治らないで本当にボケたと心配されることがある。
その場合は、実は治療できることも知ってほしい。
まず幻覚や妄想、興奮については、比較的薬がよく効く。
効きすぎて、一日中、眠そうにしていることがないように、幻覚や興奮が治まったら、少しずつ薬を減らしていくのが原則だ。用心のためと、この手の強い薬をずっと続けていたら、活動性が落ちて要介護状態になりかねないのでご用心だ。
熱や感染症でせん妄を起こしている場合は、それが治るとせん妄が治まることも多い。
熱で頭がボンヤリすることは若い人でも起こることだが、高齢者の場合はせん妄になってしまう。
また肺炎などで血中の酸素濃度が減ると、やはりせん妄の原因になる。
こういう場合、熱が下がったり、肺の具合がよくなって血中の酸素が増えたりするとせん妄が治まるのだ。
ついでにいうと、私の経験では痛い病気の場合、せん妄が起こることが多い。
心筋梗塞(こうそく)や大腿骨頸部(だいたいこつけいぶ)骨折で痛みが激しいときに、せん妄が往々にして起こるのだが、鎮痛剤などで痛みが治まるとせん妄も治まるものだ。
家族がそばにいるだけで
あとは、環境の保全である。
入院中にかなりひどいせん妄状態だった患者さんが家に帰るとケロッとしていることは珍しくない。
自分がよく知っている環境下に戻ると、通常はせん妄が治まるものだ。
安心感というのも大切だ。せん妄になると激しい不安状態になるのだが、不安が強いとせん妄が起きやすくなるのは確かだ。
家族がそばにいてあげるようにするだけでせん妄が治まることも珍しくない。
せん妄の患者さんに、その幻覚を否定する(「虫なんかいないじゃないの」)とかえって不安が強まり、せん妄がひどくなることが多い。
本人にしてみたら、その幻覚が見えているのだから、怖いのは当たり前なのだと受け入れてあげて、その上で、「そばにいるから大丈夫」と安心感を与えてあげるのが得策だろう。
ボケ扱いしないで
脳が老化するほどせん妄を起こしやすいのだから、高齢者が増えるほどせん妄が起こりやすいのは当たり前のことだ。ましてや、世界的に見て、例外と言えるほど、高齢者にたくさんの薬を出す日本では、よけいにそうだろう。実際、欧米の先進国では、高齢者の暴走運転はほとんど問題になっていない。
しかしながら、何度も言うが、高齢者の暴走事故について、ほとんどせん妄を疑う人が(医者でさえ)いないくらい、せん妄は一般に知られていない。
ふだんは安全運転の高齢者の人の暴走事故が年のせいだということで納得してしまうのもそのせいだろう。高齢者の死亡事故の4割が車両単独事故だというのもせん妄がからんでいるのではないかと私は疑っている。エアバッグのついている車でものにぶつかって死ぬくらいの暴走は、高齢者がそんなにするものでもない。
ということで、せめて、このコラムの読者の方だけでも、せん妄というものがあるのだということを知っていただいて、必要以上に慌てず、患者さんをボケ扱いしないでほしいし、年齢で免許を返納するより、薬のチェックをしたほうがいいというのが著者の真意である。
写真はゲッティ
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和田秀樹
和田秀樹こころと体のクリニック院長
わだ・ひでき 1960年大阪府大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒。同大学医学部付属病院精神神経科、老人科、神経内科で研修したと、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデントを経て、当時、日本に三つしかなかった高齢者専門の総合病院「浴風会病院」で精神科医として勤務した。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、国際医療福祉大学大学院臨床心理学専攻教授を経て現職。一橋大学・東京医科歯科大学で20年以上にわたって医療経済学の非常勤講師も務めている。また、東日本大震災以降、原発の廃炉作業を行う職員のメンタルヘルスのボランティアと産業医を現在も続けている。主な著書に「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)、「80歳の壁」「70歳の正解」(いずれも幻冬舎新書)、「『がまん』するから老化する」「老いの品格」(いずれもPHP新書)、「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」(マガジンハウス新書)などがある。和田秀樹こころと体のクリニックウェブサイト、有料メルマガ<和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」>