● 気がつけば、終着駅 -2019 佐藤愛子 作
-어느새 종착역- (서문- 목차- 90년의 궤적)
이 책에 수록되어 있는 에세이는, 50년 전부터 지금까지 '부인공론'이란 잡지에 실린 나의 글입니다. 그래서 독자 중에는 신간인줄 알았더니 옛날 글을 재탕한 것이 아니냐며 화를 내시는 분도 계실 줄 압니다. 저도 그런 생각이 들어 출판을 거절하였습니다.
그러자 출판사 측에서는 "50년 전입니다. 읽은 분이 있더라도 그 내용을 기억하지 못합니다. 돌아가신 분도 적지 않을 것입니다." 라고 말하여 내 자신의 나이를 새삼 생각하니 지나간 50년의 세월이 너무나 아득하고 그 큰 무게감이 나를 짓눌렸습니다. 올 11월이면 96세가 됩니다. 더는 신작을 쓸 여력이 없습니다.
50년 전 저는 줄곧 인기없는 소설을 쓰고 있었습니다. 자신이 쓴 소설이 어느 정도의 수준인가를 생각하지 않았습니다. 생각해도 알 수가 없었습니다. 소설쓰기 외는 다른 방법이 없어 그 일만 계속하는 암울한 매일이었으므로 즐거운 나날이라고는 말할 수 없었습니다. 아쿠타가와상이라든지 나오키상 따위와는 상관없는 사람이었습니다. 아무튼 상업지에 진출하고 싶다는 간절한 마음 뿐이었습니다.
그 무렵 처음으로 상업지에서 원고의뢰가 왔던 것입니다. 당시 여성지의 선두를 달리고 있던 '부인공론'으로부터였습니다. 아마 여성으로는 일본 최초인 사이구사 사에코(*三枝佐枝子1920~2023)라는 유명여성편집장이었습니다.
가늘고 쭉빠진 몸매의 보기에도 지적이며 품격 허우대 일본여성의 선두를 달리는 듯한 관록 그리고 세 사람의 보좌진을 거느리고 (내겐 그런 느낌) 우리집 응접실에 들어섰을 때는 긴장한 나머지 인사를 하는 내목소리가 안으로 기어들어가는 느낌이었다.
그때까지 소설만 쓰고 있던 나는 에세이란 것은 쓰본 적이 없었습니다. 그런데 사이구사씨는 에세이를 써달라고 하였습니다. 그러한 분위기에서 "쓸 수 없다"고 말할 수는 없었습니다.
그렇게하여 쓰기 시작한 에세이가 이 책의 첫 항목인 "재혼 자유화 시대"입니다. 처음 이 에세이의 제목을 "이혼자의 가슴에 훈장을" 이란 제목을 달았습니다. 그것을 사이구사 편집장이 "재혼 자유화 시대"로 고친 것입니다. (지금 같았으면 화가나서 못참았을 것같지만)
그 에세이를 쓴 것이 내 나이 39세 때인 1963년이었습니다. 일본 여성은 아직 남성 사회의 가치관의 지배를 받는 존재여서 이혼은 '여자의 수치'로 여겨져 여성은 불행을 당하더라도 세상 이목 때문에 참고 견뎌야 하는 것이 미덕이었던 시대였습니다.
원고가 마음에 들었는지 이를 계기로 '부인공론'지에 에세이를 연재하게 되었습니다. 그런데 어느샌가 뻔뻔하게 남존여비사상에 젖어 있는 남자들을 향한 비수인 "악처의 제왕"이 되어 갔습니다.
그리고 직함은 "작가"가 아니고 "남성을 논평하는 글을 쓰는 사람" 이라는 뜻의 "남성평론가"로 불리면서 지금에 이르고 있습니다. 그런데 지금에 이르는 50년간의 일본의 변화상은 어떨까요? 나라의 변화에 따라 일본인 남녀노소 모두가 변모하여 왔습니다.
아울러 본인 사토아이꼬도 변화하고 있습니다. 옛날에는 "이혼자의 가슴에 훈장을"이라고 말하던 사토가 지금은 "뭐라고 또 이혼? 이제 그만 들먹여라"라는 심정이되어 있는 이 시대의 흐름이 흥미롭습니다. 아닌 체하면서도 역시 나도 이 시대의 물결을 피할 수는 없는가 봅니다. "삶"이란 그런 것이라고 생각합니다. 2019년 가을 사토아이코
● 気がつけば、終着駅 -2019 佐藤愛子 目次
第一部 波瀾万丈人生篇(파란만장 인생편)
01 再婚自由化時代(재혼 자유화 시대)
02 クサンチッペ党宣言(쿠산팃페당 선언)
03 三人目の夫を求めます(세번 째 남편을 구합니다)
04 おもろうて,やがて悲しき 追悼 遠藤周作 (축제 뒤의 허전함과 같은 추도 엔도슈사크)
05 子供 (아이들)
06 なに故我が娘には虫つかず(왜 내 딸에게는 탐탁찮은 연인이라도 생기지 않을까)
07 母、娘、私、たぎる血気は争えず(엄마 딸 그리고 나, 불 같은 혈기는 어쩔 수 없다)
第二部 老いの心境篇(늙은이의 심경편)
08 人生の終盤、欲望も情念も涸れゆくままに(인생의 종반,욕망도 열정도 매말라 가는 대로)
09 格闘する人生の中でこそ、人は美しく仕上がっていく(치열한 삶이야말로 그 사람의 마지막을 아름답게 마무리 해 준다)
10 人生は自分の力で切り拓いて。頼ろうとする心が嘆かわしい(인생은 스스로의 힘으로 개척하라. 의지하려는 마음이 안타갑다)
11 全部失ってごらんなさい。 どうってことありませんよ(모두를 잃어보라. 아무런 일도 없을 것이다)
12 九十二歳 、いい加減くたばりたい心境です (聞き手・工藤美代子) (92세, 이젠 적당히 눈감고 싶은 심경입니다: 듣는 사람 쿠도 미요코: 작가 1950년생)
13 書いてわかりたい。 あるのはその欲求だけ (聞き手・工藤美代子) (글로서 이해하고 싶다. 남은 건 그러한 욕구 뿐. 듣는 사람 쿠도 미요코: 작가 1950년생)
14 九十五歳。死ぬのがイヤでなくなった (95세 죽기가 싫어졌다)
巻末対談(권말 대담)
15 物書き人生と理想の最期 (対談・橋田壽賀子) (글쓰는 인생과 이상적인 임종: 대담자 하시다 스가코)
16 佐藤愛子 90年の軌跡 (사토아이코의 90년 발자취)
● 気がつけば、終着駅 -2019 佐藤愛子 作
前書きのようなもの
この本に収録されているエッセイは、五十年前から今日までに私が『婦人公論』に執筆したものです。ですから読者の中には、新刊だと思って買ったのに、古いものを集めたものなのか、人をバカにして、と怒られる方もおられると思います。私もそう思って出版を辞退しました。
すると当社出版部のお方は、「五十年前ですよ。読んだ人がいたとしても中身は忘れています。亡くなってる人も少くないと思いますがねえ」といい、私は自分の年を改めて思い、過ぎ去った五十年の歳月のあまりの遠さ、あまりの分量に言葉を 失ったのでした。私はこの十一月で九十六歳になります。 もう新作を書く力はありません。
五十年前、私は来る日も来る日も売れない小説を書いていました。自分の書いたものがどの程度のものかは考えませんでした。考えてもわからないのでした。行く先は「闇」でしたから、書くしかないから書いているだけであまり楽しい日々とはいえませんでした。芥川賞と直木賞とかは別世界の人のことでした。とにかく商業誌に出たい---思うはそれだけでした。
そんな時に初めて原稿依頼が来たのです。当時、女性誌の先頭を走っていた『婦 人公論』からでした。 編集長はおそらくこの国では初めての三枝佐枝子という「有名女性編集長」でした。
すらりと痩せて見るからに知的で、品格、押し出し、日本女性の先頭を切って生きている、といった貫禄で、三人のお供(?)を引きつれて (私にはそういう感じ) 我が家の応接間に入ってこられた時は、緊張のあまり挨拶に答える私の声は裏返ったのでした。
それまで私は小説ばかり書いていて、エッセイというものは書いたことがなかっ たのです。しかし三枝さんはエッセイを書けといわれる。そういわれたからには、 どうして、「書けない」などといえましょう。
そうして書いたエッセイが、冒頭の 「再婚自由化時代」です。はじめ私はこのエッセイに「離婚者の胸に勲章を」という題をつけていました。 それを三枝さんが「再婚自由化時代」に改題されたのです。 不服をいうなど思いも しませんでした(今なら怒って暴れているところですが)。
それを書いたのは一九六三年です。 私は三十九歳でした。 日本女性はまだ男社会の価値観の中にいて、離婚は「女の恥」とされ、不幸な女性は世間態のために忍従に耐えていた時代です。
原稿が気に入られたのか、それをきっかけに私は「婦人公 論」でエッセイを書くようになりました。そしていつか、男社会でヌクヌクと男尊女卑のぬるま湯に浸っていた男たちに刃向う「悪妻の横綱」になって行きました。
そして肩書きは「作家」ではなく「男性評論家」ということになっていました。 「男性を論評するもの書き」という意味ですね。そして今日に到っています。それにしてもこの五十年間の日本の変りようはどうでしょう! 国の変化に伴っ て、日本人、男も女も老人も子供も変貌して来ました。
同時にこの佐藤愛子も変化しています。かつては「離婚者の胸に勲章を」といっていた佐藤が今は「えㅡッ、 また...離婚? いい加減にしなさいよ!」というようになっているこの時代の流れが面白いです。力みながら、やっぱり私も流されて来ています。 「生きる」とはそういうことなんです。
二〇一九年 秋 佐藤愛子
気がつけば、終着駅 -2019 佐藤愛子 作
目次
第一部 波瀾万丈人生篇
01 再婚自由化時代
02 クサンチッペ党宣言
03 三人目の夫を求めます
04 おもろうて,やがて悲しき 追悼 遠藤周作
05 子供
06 なに故我が娘には虫つかず
07 母、娘、私、たぎる血気は争えず
第二部 老いの心境篇
08 人生の終盤、欲望も情念も涸れゆくままに
09 格闘する人生の中でこそ、人は美しく仕上がっていく
10 人生は自分の力で切り拓いて。頼ろうとする心が嘆かわしい
11 全部失ってごらんなさい。 どうってことありませんよ
12 九十二歳 、いい加減くたばりたい心境です (聞き手・工藤美代子)
13 書いてわかりたい。 あるのはその欲求だけ (聞き手・工藤美代子)
14 九十五歳。死ぬのがイヤでなくなった
巻末対談
15 物書き人生と理想の最期 (対談・橋田壽賀子)
16 佐藤愛子 90年の軌跡
● 어느새 종착역 16 佐藤愛子 90年の軌跡
佐藤愛子 96年の軌跡 (編集部編)
ㅡ1923年: 作家の佐藤紅緑とシナ (元女優・三笠万里子) の次女として大阪府に生まれる。 先妻との間に 生まれた長兄八郎は詩人のサトウハチロー。
ㅡ1936年: 甲南高等女学校 (現 甲南女子高等学校) に入 学。 後に盟友となる作家の遠藤周作が同じ通学 電車で灘中学に通っていた。
ㅡ1941年: 東京 雙葉学園英語科に入学するも、3ヵ月で 中退し帰郷。 同年、 太平洋戦争勃発。 この戦争 で異母兄の弥が戦死、もう一人の異母兄・節も 広島で被爆死。
ㅡ1943年: 陸軍航空本部の主計将校と見合い結婚。 夫の任 地 長野県で新婚生活を送る。
ㅡ1944年: 長男誕生。
ㅡ1946年: 軍隊での腸疾患治療が原因で、 夫がモルヒネ中毒に。
ㅡ1947年: 長女誕生。
ㅡ1949年: 作家を目指す。 父・紅緑が死去。 それをきっか けにモルヒネ中毒の夫と別居。
ㅡ1951年: 別居中の夫と死別。
ㅡ1956年: 田畑麦彦と再婚。
ㅡ1960年: 娘・響子誕生
ㅡ1963年:「婦人公論』 にて 「クサンチッペ党宣言」 「再 自由化時代」掲載。 「ソクラテスの妻」 「二人の 女」が連続で芥川賞の候補となる。
ㅡ1965年:「加納大尉夫人」 が直木賞候補に。順調な作家 生活のかたわら、 夫が設立した会社の資金繰り に追われ、原稿料は負債返済に消える。
ㅡ1967年: 夫の会社が倒産。
ㅡ1968年: 夫からの提案で、 債権者対策のため離婚。
ㅡ1969年: 夫の会社の倒産、 離婚の顛末を書いた 「戦いすんで日が暮れて」で直木賞受賞。
ㅡ1972年: 母・シナ死去。
ㅡ1979年:『幸福の絵」で女流文学賞を受賞。
ㅡ1991年: 孫・桃子誕生。
ㅡ2000年:「血脈」で菊池寛賞を受賞。
ㅡ2015年:『晩鐘』で紫式部文学賞を受賞。
ㅡ2016年:『九十歳。 何がめでたい』がベストセラーに。
ㅡ2017年: 旭日小綬章を受章。
ㅡ2019:「気がつ年けば、 終着駅」を刊行 (96歳)。