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研究室で実験動物「ICEマウス」を手にする慶応大医学部の早野元詞特任講師=東京都新宿区で2024年2月15日、幾島健太郎撮影
老化をコントロールできる未来が近づいているという。加齢に伴う病気や身体機能の低下を予防したり、元に戻したりできる可能性が出てきているのだ。近年、米国を中心に研究が急速に拡大している。この分野をリードする世界的権威、デビッド・シンクレア・米ハーバード大教授の研究室にかつて在籍していた早野元詞・慶応大特任講師が「エイジング革命 250歳まで人が生きる日」(朝日新書)を出版した。老化研究の第一線にいる早野さんに、「老いのない未来」とは何かについて語ってもらった。
――老化とはなんでしょうか。
◆近年の研究で、老化の一端が明らかになり始めています。細胞は、紫外線や暴飲暴食、不規則な生活習慣などがもたらすストレスがかかると、生命の設計図であるDNAに傷が付きます。この傷自体は修復されますが、何度もこれを繰り返していると、DNAは正常なのに、細胞本来の機能を失ってしまうことが明らかになっています。専門的には「エピゲノムの乱れ」と呼ばれています。
ヒトは、全ての細胞の核内に同じゲノム(全遺伝情報)を持っていますが、臓器や組織によって読み出す情報は異なります。この読み出すのに必要(不必要)な部分に付いた、いわば付箋のようなものがエピゲノムです。この付箋を目印にして、必要な情報を読み出し、臓器や組織ごとに必要なたんぱく質を作っているのです。
しかし、エピゲノムが乱れる、すなわち付箋がぐちゃぐちゃになると、必要な情報が読み出せなくなります。正しくたんぱく質が作られないばかりか、かえって不要なものが作られるようになり、結果として病気になったり、身体機能が衰えたりします。つまり、老化の本質の一つはエピゲノムの乱れなのです。
私は、シンクレアさんの研究室で、DNAを人為的に傷つけることができる「ICEマウス」を使い、DNAにたくさん傷が入るほど、早く老化することを証明しました。老化は後天的な要因に左右されるということです。
早く老化する特徴がある「ICEマウス」(左)。この2匹のマウスは双子で、生物学的な年齢は同一だ=東京都新宿区で2024年2月15日、幾島健太郎撮影
――老化という運命を変えられるのでしょうか。
◆このマウスなどを使い、エピゲノムを正常に戻す手法が世界で研究されています。方法が見つかれば、老化をコントロールして、加齢に伴う細胞の変化を少なくしたり、悪くなった身体機能を改善したりすることができるようになるでしょう。実際に、動物実験のレベルではその効果が確認されていて、ここ4年ほどで老化を治療するという潮流が生まれています。
――具体的に教えてください。
◆ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏が発見し、どんな細胞にも分化できるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作り方を知っていますか。血液や皮膚など、既に分化してしまった体細胞に「山中因子」と呼ばれる四つの遺伝子を加えると、受精卵のような状態まで初期化します。この過程の一部を体の中で起こすことで、細胞を若いころのような状態まで戻そうという研究が進んでいます。これは、老化の「リプログラミング」もしくは「リジョベネーション」と呼ばれています。
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インタビューに答える慶応大医学部の早野元詞特任講師=東京都新宿区で2024年2月15日、幾島健太郎撮影
例えば、目の神経は元には戻らないと言われていますが、緑内障の患者の視神経に対し、山中因子を使ってエピゲノムをリプログラミングし、視機能を改善するという研究があります。
山中因子を使わずに、薬などの化合物を使って細胞の状態を改善しようという試みもあります。私も研究室で、ICEマウスに既存の薬を投与することで、筋力や認知機能が改善することを確認しています。
このように、老化のスピードを落とすというより、積極的に治療して健康寿命を延ばすことで、自分の人生をより良くデザインしていく時代が近づいていると感じています。
――ということは、実年齢から「老い」を推し量ることはできなくなりますね。どのくらい老化が進んでいるのか、若さを維持しているのかを知る手立てはあるのですか。
◆実年齢でなく、真の「老い」の年齢(老化年齢)を測定する研究は「エイジング・クロック」と呼ばれています。そして現在、国際的にどのような基準で老化年齢を示すかが話し合われています。エピゲノムの乱れを数値化したり、歩くスピードなどの身体機能を調べたり、表情を使ったり、これらを組み合わせて算出することが考えられます。数年後には自分の老化年齢が分かるようになると思います。その年齢と実年齢の差を見ながら、10年後くらいには個人個人に合わせたアプローチができるようになると考えています。
――シンクレアさんの研究室での思い出を教えてください。
◆まず、留学を依頼する際に、メールを送ってもなかなか返信がなく、10回以上も送り続けて、ようやく返信をもらえたというところから始まりました。当時から世界で注目され、多くの留学希望があったようです。
研究室では、ICEマウスの解析を担ったことが思い出です。老化の様子を調べるには、マウスを1年以上飼育しなければなりません。もし、結果が出なければ研究者人生を棒に振ってしまうリスキーな状況だった一方で、老化の本質、後天的に寿命が決まるメカニズムを調べるために、最も重要なプロジェクトでもありました。シンクレアさんの「論文を書くための研究ではなく、世界を変える研究をしろ」という言葉に後押しされました。
インタビューに答える慶応大医学部の早野元詞特任講師=東京都新宿区で2024年2月15日、幾島健太郎撮影
マウスを解析していて、人為的な老化によって身体機能が衰えたのか、突発的な病気によるものなのかを区別することが難しく、まだ老化の全てを解明できたわけではありません。今後、老化をさらに細かく分類し、身体機能や病気に関わる老化を洗い出し、治療ができる部分とできない部分を明らかにしていくことも必要だと思っています。
――副題で250歳まで人が生きると書かれていますね。
◆最近の老化研究や技術開発が目指しているのは、健康寿命の延伸です。一方で技術的にもその先が見えてきています。最近、遺伝子改変したブタの臓器を人に移植するという研究や、脳を外部デバイスにつなぐというベンチャー企業の取り組みもあります。そして、私が取り組んでいる、500歳まで生きるニシオンデンザメの遺伝子を人の遺伝子に導入することなどによって、人の寿命を大きく延ばせると考えています。しかし、実際に250年生きるためには、現状では、臓器の入れ替えなどメンテナンスにかかる費用は膨大になるでしょう。
――老化がコントロールできる未来をどのように想像していますか。
◆20年後くらいには寿命を延ばす技術が浸透し、エイジング・クロックを使いながら、何をすれば若返るというのが見えてきていると思います。ただし、この時点では、一部の人しか若返りの技術が使えないでしょう。平均寿命を押し上げるほどにはなっていないと思います。さらにこのころに問題になるのは、経済格差がエイジング格差につながる危険性もあるということです。老化分野のイノベーションを一部のお金持ちの道楽にせず、多くの人が使えるようにすることも、今後の重要な課題と言えます。
50年後くらいには、価格が下がるなどしてさらに浸透し、健康寿命全体が延びていると思います。その100年後には平均寿命が延びるでしょう。江戸時代と現代の寿命に大きな差があるように、今後技術によって寿命が延びることは不思議ではありません。
早野元詞・慶応大特任講師の著書「エイジング革命 250歳まで人が生きる日」(朝日新書)
日本などで問題になっている少子高齢化や労働力不足といった問題も、現在の健康寿命や平均寿命を基準に考えられています。この前提が変われば、出産年齢も幅が広がったり、高齢者でも働けるようになったりして、社会問題の捉え方も変わってくるでしょう。生成AI(人工知能)のような社会のプラットフォームとして、老化のイノベーションが活用される未来は間もなくやってきます。
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慶応大医学部の早野元詞特任講師=東京都新宿区で2024年2月15日、幾島健太郎撮影
はやの・もとし
1982年熊本生まれ。2005年熊本大理学部卒。東京都医学総合研究所を経て、11年に東京大大学院で博士号(生命科学)を取得。13~17年にハーバード大フェローとしてシンクレア氏の研究室に在籍。17年から現職。
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渡辺諒
くらし科学環境部
2008年入社。長野支局を経て13年から科学環境部。気候変動対策の国際ルール「パリ協定」を取材。この他、過剰医療や検査に関する連載「賢い選択」を執筆した。現在は、新型コロナに加え、基礎医学を中心テーマにする。