偉大な主人を打ち込んでおいたが壊れてしまったので不精卵
そのために結論をどのように付けたのかと言えば、良心は神様よりも先立っていた!神様もその良心に従って神様の体があるが体と一つになって大きくなってきたために、根本になっているために神様よりも先にある!父母よりも先にあり、師よりも先にあり、主人よりも先にあるのだ。
このような偉大な驚くべき主人を打ち込んでおいたのだ。これを壊そうとしてしまったのだ。そこで永遠な不精卵だ。体が支配圏内で心が引かれて回って陰を負ったとすればそれほどの精子が無いのだ。不精子の水を放つのだ。わかりますか?
平和大使というヤンバン(両班)たちが女もおり、男、男は誰誰か?ここで一人、二人、三人か?「はい。」社会で何をして平和大使になった?「画家でした。」あ、画家!何の‘ファ(화)’の字か?‘プル(불) ファ(화:火)’の字か、‘クリム(그림) ファ(화:画)’の字か?(笑い)あ、画家であればそれを考えなければならない。「‘クリム(그림) ファ(화)’の字です。」‘ クリム(그림) ファ(화)’の字であればよく描いておけば自分の欲望のために傑作をつくって自分を高くなることを願う、私の画版、環境が高くなると考える人がいません。
神様が環境から創造したというのだ。人が生まれようとすれば食べることができる栄養素をつくっておかなければならないのでは?そうじゃないか?アダム主人をつくるためには環境のすべての万物が、細胞になった菌からプラスマイナスだ。最近そうじゃないか?3百万倍拡大すれば見える菌たちもプラスマイナスすべてあるのだ。一人ではだめだ。水平になったとすれば高くならなければならないし降りて行かなければならない。周波が上がり降りて行くのだ。周波が無ければすべてのものが見えもしません。
簡単なことだ、知って見れば。‘いや、簡単なことを知らなかったのだ。’その為に先生がそれを全部すべて・・・。’同じ場であるが同じでない。ここが数千万分の1の左側なのか右側なのか知らないのだ。根がここにあれば中心にぴたりと立てばじーっと戻るのだ。
思い通り戻らない。本来時計のようにこのように回る。何故そのように回るのかというのだ。このように運動するようになれば、右手で運動するようになればこのように行くのがよい、このように行くのがよい?どのようなことが自然なことか?手はこのように来ればこれはこのように回るのだ。反対に回るようになっている。ギアのようなものが共に回ればよいのか?これがプラスマイナスは反対に回る。そうすれば正しく上がるのだ。そのようになっているのだ。
知って見ると文総裁が偉大だということよりも、驚くべき発見をしたのは何かと言えば‘宇宙主管を願う前に自我主管せよ。’だ。自分が一番、一等になりたい?家庭に10人の食口が住めばおじいさんであれ何であれすべて私の下に置きたい。そうしたいのだ。我々の子供たちを見ても大きくなってそのような素質をすべて持っている。堕落しなければそうではないのだが。
お母さんお父さんが居なければ生きることもできないのだが、お母さんお父さんがいても赤ん坊の時にも‘お母さんお父さん、私の言葉を聞け!’そうだ。私の言葉を聞けというが、体心が争ってああだこうだと言うその子について行けばよいのか?そのようなことを教えてあげなければならないのだ。
お母さんお父さんが争いながら息子娘を見て争うなと言えばいいのか?夫がどこかに行って来るようになればすでに女の目は何の悪いことをしなかったかと調査からしているのだ。その調査官がサタンと同様だ。良いことがあればつかんで行こうとするのだ。天の国の天使が調査官でなく、悪魔が調査官なのだ。
習慣的伝統に180度反対の場を取れば共鳴して善化する
これを知るようになれば他のことを知る必要がないのだ。目も少し違えば、1.0づつであるが少し違うようになればつぶれるのだ。降りて行けばこのように見ようとするのであって、このように見ようとすれば見えない。陰が二重に見えるが。それはすべての機関がそうだ。このように拍手してよいのか?どのようにならなければならないのかというのだ。どこが力が強いのかというのだ。拍手するようになれば一緒にしても力強かった通り戻ります。
そう、東洋人たちは左手掴みを病のように取り扱う。左手掴みは結婚する時も問題になるじゃないか?何故?このように殴れば左手掴みはこちらに行くのだ。これが理論的です。そのようにならなかったか?どうか?だから全部すべて正しくしなければならない。体心が一つになれば千里を行っても、フイーイク!(口笛を吹かれる)中央におれば南極と北極が一点も異ならないし、上下・左右・前後にならなければならない。
そうじゃないか?皆さんの習慣が上下・左右・前後このようになっている。上下になるが左右、左が何故先に行く?‘父母’であるのに‘母父’になったというのだ。女が現れる。上下・左右は、水平をつくるのが女、女が先だったのだ。これが問題なのだ。そのために女の言葉を聞いては滅ぶのだ。
良心が絶対一つになっていない。すでに私の周囲にいる人が反対をすれば、アイク!私が一つになった場で是正しなさいというのだ。先生だ。腹立ったことが何か?心はじーっとしているが体が憤る。‘あんた何故ここをつねる?’もっと痛くつねってあげなければならない。こらえようとしないのだ、最後まで。銃で撃って殺したとすれば大砲で撃って殺したいのだ。そうだろう?体の欲望はそうだ。
だからそのような原則は我々の日常生活で、幼稚園の子供たちから環境で分けようとすればということであり、何数十年でなく数か月だ。3年だけして伝統だけ立てれば習慣性になる。いくら父母が回ってもずーっとそれでも行くのだ。それがなっていないのだ。
息子娘を孕んだので二人の心を抱いて胎教をすれば、いくら良い絵を見てもだめなのだ。体心が一つにならなければだめだ。赤ん坊を考える時お父さんと私と一つになったのか?お母さんのお腹の中で10か月間生きるのだが、種を子宮に受けて妊娠したその日から夫と妻が一つになったのか?‘その赤ん坊は私の赤ん坊だ。’離婚する時赤ん坊を置いて争うこと自体がこれは完全に地獄だ。
アメリカのような所は離婚訴訟をするようになれば80%、90%女に全部戻してあげる。女が飛び交う。これだけなくとも離婚が30%以上、半分以上与えるのだ。そのようなことを中心に法がそのような基準を知らなくてはいくら発展しても破壊的結果をもたらす、是正できて善なる場に上がることができないのだ。簡単です。わかりますか?
平和大使たち、平和大使だとここに来て大声を上げるな。‘すべて私よりもできず、私に侍らなければならない!’ではない。心を見て尋ねてみなさいというのだ。赤ん坊たちはそれでも、我々のシンジュン(信俊)を見るようになればオモニと私とおれば百回来る時は‘アッパ、オンマ。’そうだ。‘オンマ、アッパ’と言わない。‘アボジ、オモニ’と言うが私に来ず蹴ってオモニの所に行く。堕落の根源もそこにあるのだ。
夜であれば夜の12時が好きか、夕暮れが好きか?それを答えるのが嫌だろう?夕暮れには本当に暗闇が訪ねてくるが、12時だけ過ぎるようになれば朝が訪れる。
それでは堕落した世界では夜の12時前までは絶対街に出るなとというのだ。12時だけなれば活動して祈祷しなさいというのだ。世の中の生活するすべての習慣的な伝統に近くなりうるその場とどのように180度反対の場を私が酔って出るのか?それに合わせて出るようになれば、ぴたりと合うようになれば共鳴圏になれば、‘ピーイク!’どこをねじってもすべて聞こえるというのだ。雑音が聞こえない。雑音が聞こえなければ相対だけおればしきりに上がって行くのだ。体が上がるのだ。私が善化、悪化でなく善に和するのだ。
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文鮮明先生御言選集 20060214 - 本然の道とカイン世界克復 3
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