統一教会に反対した代表の女が先生の本妻
最近どこに行った?ウオク(우옥)!統一教会に反対した代表の女がいた。それが誰かと言えば先生の本妻だ。世の中に!そう、ここに崔(先吉)氏のおばさん手を挙げてみなさい、崔氏のおばさんと言うようになれば私がひやりとする。(笑い)本当だ。世の中に!
既成教会の熱誠分子です。解放後に監獄まで入ったり出たり・・・。すべて霊界から受ける。約婚の言葉が出て来て3年半待ったが、私は結婚すると考えをしなかったので首を結んでおいてあのヤンバン(両班)でなければ私が嫁に行かないと言った。我が叔母になる人が平安道の有名な金持ちの家の息子娘を紹介する代表者だった。こうして甥になるので‘アイゴ、誰の嫁は私が一等になる嫁を得てあげる。’そのように考えた。私が誰が紹介してくれる嫁を願うのか?誰が育てて嫁にしようと考えるが。
育てた歴史過程をすべて一言で言えばびくっとして全て動くことがわかるが、私が話した通りすべて教えてあげてこのような時代に行くと言ったが、アイゴ、3年間程願って待ちながら霊界からこのようにこのように受けたという記録を見れば驚く。だからその歴史をもたらした新郎がどれほど貴いとイエス様よりももっと信じてついて行かなければならないのだが・・・。イエス様はいたずらに現れることができません。霊的な一日生活を指導できるこのような歴史がある為にその基準を中心に合わせなさいとすればよく合わす。
一日にそうだ。聖書を5章以上読まなければならないし、祈祷は3時間以上しなければだめだ。時間になったとすれば、夫がどこかに出ようとすれば朝ごはんでもしてげようとすれば目覚めてほしいとかしなければならないのだがということであって・・・。私が7年以上自炊しました。何故?女たちのすべてのことを知るために。ある悪い女がいても彼女が逃げるのであって私が逃げない。
そう、崔氏が座った丘とか草原は草が枯れると言っただろう?「はい。」それはおならの匂いが悪くて、生きる匂いが悪いのか私はそれの研究だ。それは何がそうか?崔氏は死んで生きる話をしてしまって匂いをかぐことが恐ろしいと言うのだ。そう、崔氏のおばさんたちが崔氏の家庭で約婚のようなことをするようになればそれは憎い考え、他の考えをすればだめだ。もっと憐れに考えなければならない。
ウオクがどこに行った?ウオクあ!その写真をどのようにした?「ウオギが持って行きました。」今病院に入院したが私よりも5歳下だ。だから私が正月の6日に生まれたのですでに87歳は過ぎました。88歳に入るのだ。腹中から生まれることを世界になれば何を越えてでも越える。アメリカの奴らについていくということが、1歳過ぎて若くなったとすれば福を受けられない。若かったとすれば何をする?80の老人のおばさん、婦人になったとすれば80の老人の夫人のようにおじいさんに該当できる化粧もして身づくろいもしなければならないが、真っ青な20代の服を着てそうであればだめなのだ。
センスが早い先生
わがオモニもそうだ。どこでも行くようになればアイゴ、老人だとどこにも行くまいとそうだ。私はそこに行こうとするが。孔雀がハトの色を持っていいのか?クジャクは小さくてもクジャクの姿を持たなければ。女王であれば女王の服を着なければ。装いをしてその等級を表示するが、いたずらに着るなと言うのだ。
センスのようなものが私が早いです。昨日南大門市場に行ってオモニと一緒に何を買った。‘アイゴ、アボジ、東大門市場、南大門市場に行きましよう。’何故?今やわが王宮を建てて入住式をしなければならない。入宮式をしなければならない。息子娘たちに、霊界の指示によってよい豪華燦爛たる衣服でも哀れな息子娘たちにしてあげようと言うことだ。だから自分が服地を求めることができるのか?オモニが行くようになれば一日中かかるのを私は1時間であればパッパッとするのだ。
だからついてきた主人たちが‘あのヤンバンはお化けのような人だ。’と言うのだ。どのように顔を見れば田舎者のようなのにアイゴ、色を我々よりももっと早くこうだとして言うのだ。オンマも服を選ぶ時に私が必要か?(笑い)そのような時だけ必要か?私にそのような服を一度もしてくれない。服のようなものを買っても自分たちが選べば3時間でも一着選べないが、私は15分であれば数十着もササっと選ぶ。それほどセンシチブ(sensitive :敏感な)人だ。
絵のようなものを描いてもそうだ。これを我が息子が15歳の時描いたのだ。名作です、あれが。わが子供たちが絵を描くのに金賞をえなかった子供たちがいない。また文字を書く所もそうだ。先生がそのような素質が多いです。面白く話せば小説を読むことよりももっと面白い。
ヒョユリ(金孝律)!「はい。」それを一度読んでみなさい。鈍才か?何か?鈍才の反対が何の才能か?詩を持っている?「ここで読みましようか?」呼んでみなさい。あの人が私よりもよいのだ。私は15,16歳に一つ書いて何の事件があるのかと言ったが、それをあの人は私の知らない中で10年、20年ほどカバンに入れて通いながら自分がつらければ読んで孝子ながらそのように過ごしたと言うのだ。「すべて覚えた?(オモニム)」「覚えるには覚えましたが翻訳してしようとすれば・・・。(金孝律)」
翻訳でなく韓国語でそこで読んであげなさい。してみなさい。「私が特別に信仰が良くてそうだったのではなく、私が平素に詩を好みました。そこでアボニムの詩なのでそのまま・・・。(金孝律)」
何故このような話をするのか?監獄に入るようになれば憐れな人たち、罪囚の中で政治面経済面ありとあらゆる罪囚たちがすべている。重要な人たちが監房に入るようになれば悪いことも国家の代表者たちがすべて入って来た。10人悪い人の中で一人は良い人が出てくるのだ。このような人たちが朝ご飯を食べて昼ご飯を食べて5時間、6時間、7時間になる。座ってこのように唾を流しながら眠る。口をつぐむ機運がない。唾を流しながらガムのように伸びていく。最近の刑務所は宮殿だ。
さ!「ここにあるが。(オモニム)」どこ?「それは少し間違いました。(金孝律)」間違ったのでそこに立って一度読んであげなさい。5年前にこの詩を世界詩人協会で一等賞として本に発表して賞状、賞金まで送ってきた。それは誰であれすべてわかるが、その時から詩文書にこうたりうる基準、ある水準を超えた。私が目を賭して涙を流すようになれば聴衆がついて泣かなければならない。本来からそのような何かがあるのだ。祈祷文のようなものを今読めば感動を受けるのが多い。さ!
「韓国語でずーっと翻訳しながら読んで差し上げました。」そのまま韓国語で翻訳しながらしなさい、英語は知らないのでやめて。「話されたようにアボニムが満15歳、16歳の時にこの詩を書かれました。‘栄光の冕旒冠’と言う詩であるが、皆さん自身を16歳の時、思春期の絶頂にあるその時に戻しておいて一度この詩を・・・。」16歳にオモニアボジのすべての欲望をすべて切ってしまって自分が行かなければならない人生行路を180度異にして行かなければならないことを、行けないことのないことがわかったために悩みそのような環境にいる時書いたのだ。さ!(金孝律補佐官が‘栄光の冕旒冠’の詩を朗読)
내가 사람을 의심할 때 나는 고통을 느낍니다.
私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。
내가 사람을 심판할 때 나는 견디지 못합니다.
私が人を審判する時 私は耐えることができません。
내가 사람을 증오할 떼 나는 존재의 가치를 잃습니다.
私が人を憎悪する時 私は存在の価値を失います。
그러나 만일 사랑하면 나는 분명히 속임을 당합니다.
しかし万一愛すれば 私は明らかに騙されます。
내가 만일 사랑하면 나는 거역을 당할 것입니다.
私が万一愛すれば 私は背かれるでしよう。
오늘 저녁 내 머리와 몸은 고통과 슬픔에 떨고 있습니다.
今日の夕方私の頭と体は 苦痛と悲しみに身を震わせています。
내가 잘못하고 있는 것입니까?
私が間違っているのでしようか?
예, 그렇습니다. 나는 잘못하고 있는 것이지요.
はい、そうです。 私は間違っているのでしよう。
그러나 내가 속임을 당할지라도 나는 역시 믿습니다.
しかし私が騙されても 私はやはり信じます。
내가 반역을 당할지라도 나는 역시 용서합니다.
私が反撃を受けても 私はやはり許します。
나는 나를 증오하는 자를 송두리째 사랑할 것입니다.
私は私を憎悪する者を ことごとく愛するでしよう。
오, 주여! 사랑한다는 아픔이여.
お、主よ! 愛するという痛みよ。
내 손을 보아주세요.
私の手を見てください。
이 내 가슴에 주의 손을 얹어보소서。
この私の胸に主の御手をのせてください。
나의 가슴은 말할 수 없는 고뇌속에 터질듯만 하옵니다.
私の胸は言葉で言えない苦悩の中で勃発するかのようです。
그러나 나는 거역한 자들을 내가 사랑할 때
しかし私は背いた者たちを 私が愛する時
승리를 성취하옵니다.
勝利を成就します。
만일 당신도 나같이 사랑한다면
万一貴方も私のように愛すれば
나는 당신께 영광의 왕관을 드리오리다.
私は貴方に栄光の王冠をお捧げします。
崔氏のおばさんがどれほど私に功を多く立てたのかわからない。それが歴史なのだ。一番悪いサタンたちを立てて醜いものを、極端的な醜さを継続して降り注ぐのだ。だからと言って反対をするのか?同様に過ごしていくのでもっと醜い。男であれば自分のそのような反対まで抱いてこのようにするときに天がするようになれば連れて行きます。霊界から連れて行く。先生と一番近い友人たちを一人もいなくすべて連れて行った。天の戦略がそうだが、世の中の福を受けることができる場に立てずに全部連れて行くのだ。それが恐ろしいのだ。
私が姉が6人になるが、私の手の下の妹、私が監獄にいる時一番涙を多く流して身もだえした妹が何の病か知らずに去って行った。その赤ん坊たちが3人がいたが、その赤ん坊に対する責任を私が監獄から出て来ながらも忘れることができない。分かって見ると会って私が力があれば世話をしてあげなければならない妹なのだがその赤ん坊たちがどこに行ったのか知らない。探そうとしても探せない。すべてのこと、人間的に愛することができる道があれば全て防いでしまう。連れて行く。
今もそうだ、今も。誰を何、子のように考えれば天がじーっと置いておかない。わが赤ん坊と全く同じだ。神様がそのように何、猜疑嫉妬する大王大妃(訳注:現在の王の祖母にあたる王妃)と言うのが実感が出る。絶対愛を願うのだ。
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