「ギャング集団」がんの正体を暴くフォロー
「どんながんにも効きます」が信用できないワケ 正常細胞がグレてできるがんにはそれぞれ個性がある!大須賀覚・がん研究者/アラバマ大学バーミンハム校助教授
2024年6月30日
がん細胞は正常細胞に隠れてヒソヒソと悪事を働き、時に免疫細胞という”警察”に賄賂を渡して取り締まりをすり抜ける――。がんを研究して20年近くになりますが、追いかければ追いかけるほど、がん細胞のズル賢さに直面し、まるでギャングのようだと痛感してきました。
発生のメカニズムも、しかり。がんは、健康で真面目だった細胞がグレた末にできるものだからです。実は、それこそが治療を困難にしている大きな理由でもあります。
知っていそうで知らなかった、がんの実態。まず、がんがどのように発生するのかを2回に分けて解説し、その素性に迫ります。
がんは荒廃した街に出現するギャング集団
ある街に、ジャックという真面目に働く青年がいました。彼はレストランでアルバイトをしながら、質素な暮らしをしていました。ところがある日、友人にだまされ、ためていたお金を奪われてしまいます。
裏切られ、落胆した彼は、それを機に生活を荒廃させてゆきます。チンピラになって悪い友達とつるみ、やがては恐喝や窃盗にまで手を染めるようになってしまいました。ただ、街には警察や自警団がいて目を光らせているので悪事もそこ止まりでした。
そんな折、彼の住む街に変化が表れます。街の中心的ビジネスであった観光業が廃れたため、若者が街を離れる一方、空き家が増え、壁には落書きなどが見られるようになったのです。税収も減り、警察も縮小を余儀なくされます。
次第にジャックは集団で犯罪を犯すようになっていきました。大金を元手に仲間を増やし、一大ギャング集団を組織したのです。この集団は街の人を恫喝(どうかつ)し、警察にも賄賂を渡して取り締まりから逃れ、街を支配するようになりました。さらに、隣町にもアジトを広げ、悪の体制が確立してゆきます。
全てのがんは、がん細胞として生まれるのではない
善良な一人の青年がグレて犯罪行為に及び、やがてギャングの集団を形成して、さらなる悪事を働く――実は、この過程こそが、がんの発生と酷似しています。
私たちの体は、細胞という小さな塊が寄り集まってできています。一つの細胞の大きさは0.02mmほどで、これが37兆個ほど集まって人体を形成しているのです。この中の健康な正常細胞がグレて暴走し、異常をきたすことから、がんの発生は始まります。がんは体外から飛んできて入ったり、食べ物などに含まれていたりするものではありません。がんの発生は真面目だったジャックが転落するさまと、うり二つなのです。
治療が困難なのは「ギャングになっても背格好が変わらないから」
ジャックが生まれながらのチンピラでもギャングのボスでもなかったように、がん細胞も、もともとは正常な細胞でした。別の言い方をするなら、がん細胞はギャング級にとんでもない悪さはするけれど、正常だった頃の特徴を残してもいるのです。ジャックはギャングのボスになっても背丈や体格、顔そのものが変わるわけではないし、また、人間をやめてモンスターになるわけでもありません。
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こんなことを言うと、まだ救いがあると思う方がいるかもしれませんね。
しかし、がん治療において、がん細胞が正常細胞と全くの別物でないことは治療を厄介にしています。治療でがん細胞を殺す際、正常細胞まで殺さないようにしなくてはならないからです。正常細胞まで殺してしまうと、患者さんは副作用に苦しむことになってしまいます。
そのため我々がん研究者は、正常細胞にはなくて、がん細胞だけに存在する特徴を探します。ジャックになぞらえるなら、好青年時代のジャックにはなかったけれど、ギャングのボスになったジャックには存在する特徴――たとえば入れ墨だったり、顔の傷だったり、服装だったりです。その特徴を目印にすることで、ギャングを捕まえようとします。それが治療効果を高め、副作用を減らすことにつながります。
100を超える治療薬の中で、全てのがんに効く薬はあるのか
ところで、がんには乳がん、大腸がん、肺がんなど、たくさんの種類があります。これらは、どの臓器にある正常細胞がもとになっているかの違いで、たとえば、胸の乳腺にある正常細胞がグレれば乳がん、肺にある正常細胞がグレれば肺がんということになります。
さらに、がんは臓器別のみならず、がん化する前の正常細胞が持つ”性格”によっても種類が変わってきます。たとえば、もともとホルモン産生能力を持つ正常細胞ががん化すると、ホルモンを異常分泌するがんになりますし、もともと移動能力が高い細胞は、がん化した後も浸潤(周囲の組織にしみ込むように広がること)しやすくなります。
要は「がん」と一口に言っても種類はさまざまで、治療法も異なってくるということ。ギャング集団を街から一掃する方法が一つでもなく、また単純でもないことと似ていると思うのです。
実際、がんの治療法には化学療法、ホルモン療法、分子標的治療などさまざまな種類があり、日本で認可されている薬だけでも100を超えています。その中に全てのがんに効く治療薬はあるのでしょうか。
実は、一つもありません。
それぞれの薬には適応というものがあり、たとえば「この薬は前立腺がんに効果を示します」と対象のがんが明記されています。
全てのがんに効く治療が存在しない理由は前述した通り、がんがそれぞれ別の正常細胞を起源としていて、違う特徴を持つからです。薬も、それぞれのギャングに合わせたデザインが必要ということになります。
にもかかわらず、ネット上などには「がんに効く○○」といった民間療法がはびこり、「この治療は、どの種類のがんでも適応になります」と宣伝するものまであります。がんの発生に詳しい人は多くはないので、そのような宣伝にだまされてしまうのも仕方がないことかもしれません。しかし、がんの発生メカニズムをある程度知っていれば、信用に値しないとすぐ気付き、だまされずに済むかもしれないのです。
結局、正常細胞がグレることなく真面目なままでいてくれれば、がんは発生しようがないわけです。それでも、ジャックがだまされたことを機にグレてしまったように、正常な細胞も何かをきっかけにグレることはある。
それでは、なぜ、どのように細胞はグレるのか。次回は、細胞中にある遺伝子を中心に詳しく解説していきます。
写真はゲッティ
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筑波大学医学専門学群卒。卒業後は脳神経外科医として、主に悪性脳腫瘍の治療に従事。患者と向き合う日々の中で、現行治療の限界に直面し、患者を救える新薬開発をしたいとがん研究者に転向。現在は米国で研究を続ける。近年、日本で不正確ながん情報が広がっている現状を危惧して、がんを正しく理解してもらおうと、情報発信活動も積極的に行っている。著書に「世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療」(ダイヤモンド社、勝俣範之氏・津川友介氏と共著)。Twitterアカウントは @SatoruO (フォロワー4万5千人)。