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厚生労働省が21日に議論を始めた新型出生前診断(NIPT)の検討部会は、「命の選別」と論議を呼んできた出生前診断のあり方に、国が20年ぶりに介入することを意味する。前回は「検査の情報を積極的に知らせる必要はない」との見解を出したが、今では「妊婦の権利の侵害だ」と疑問視する声も強い。高齢妊娠の増加や検査技術の進歩など状況も一変し、医療現場や社会の倫理観は揺らいでいる。【千葉紀和、上東麻子】
温かな雰囲気の待合室に多くの夫婦が訪れる東京都内の大学病院。日本医学会の認定施設としてNIPTを実施するこの病院は今春、利用者の年齢制限をなくした。
日本産科婦人科学会(日産婦)の指針は利用対象を「高年齢の妊婦」と定め、多くの施設が35歳以上で運用している。年齢制限の廃止は指針違反だ。しかし、主導した女性産科医は「若くても不安を抱える妊婦が検査を希望したら受けさせない権利は誰にもない」と指針自体を批判する。
指針に年齢制限があるのは、妊婦が若ければ胎児の染色体異常の確率が低く、検査で陽性となっても、それが確定診断となる確率(陽性的中率)は高くないからだ。若くても不安な妊婦はいるが、NIPTより精度が劣る母体血清マーカーや流産リスクのある羊水検査を受けるしかない。日産婦の指針に反し問題化している無認定のNIPT実施施設は「年齢制限なし」をPRし、利用者が集まる一因になっている。
NIPTの陰性的中率は若い妊婦でも高い。「大半は陰性になって不安が軽減される。若い人でも検査には意味がある」と女性産科医は訴える。同様の声は現場から強く、追随の動きもあり、認定医療機関で作る「NIPTコンソーシアム」は今春、年齢制限撤廃を日産婦に提案した。
産科医らが強調するのが「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」だ。1994年の国連会議で提唱された考え方で、妊娠や出産、中絶などで女性の自己決定権を重視する。「日本は遅れている」と国際的に批判を受けたこともある。
日本でも障害が判明した胎児の中絶を巡り、女性団体と障害者団体の間で長い論争があった。出生前診断の歴史に詳しい利光恵子・立命館大客員研究員は「女性の自己決定権は尊重されるべきだ」とした上で、「子を持つかどうかの選択」と「子の質を選ぶこと」は区別し、「後者は女性の自己決定権に含まれない、というのが両者で到達した考え方だ」と指摘する。
その流れを受けたのが、旧厚生省の専門委員会が99年に出した「母体血清マーカーに関する見解」だ。当時は新技術だったこの検査の普及が問題となり、「医師が妊婦に本検査の情報を積極的に知らせる必要はない。検査を勧めるべきではない」と結論を出した。
国が初めて出したこの見解の影響は今も大きい。NIPTの指針にも「安易に勧めるべきではない」と明記され、NIPTが広まると「染色体異常を有する者の生命の否定へとつながりかねない」と強調されている。
だが女性の意見が多様化し、「知る権利の侵害」と疑問の声も強まってきた。英国やドイツなど全妊婦に出生前診断の情報提供をする国もある。海外の情報を容易に得られる時代となり、国内の医療機関も妊婦への周知に差が出ており、対策が求められている。
「胎児条項」議論再燃も
出生前診断が論議を呼ぶ主な理由は、胎児の異常が判明した人の大半が中絶を選ぶからだ。だが、日本の母体保護法には胎児の障害を理由に中絶を認める「胎児条項」はない。
現状は明治時代に作られた刑法の「堕胎罪」による処罰の例外規定として、母体保護法14条の「妊娠の継続または分娩(ぶんべん)が、身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれ」を根拠としているが、「法的にはグレーな状態だ」との指摘が根強い。
国の統計によると、国内の中絶件数は2017年度で16万4621件だが、このうち胎児の障害を理由にした「選択的中絶」の件数は不明だ。
胎児条項の導入は、旧優生保護法時代の1970年代から「女性の権利」として何度も提案され、国会で激しい議論があった。しかし「中絶されても仕方ない存在と法的に位置付ければ差別を助長する」といった強い反対があり、見送られてきた経緯がある。産婦人科医の団体は導入の旗振り役だったが、批判を浴び近年は主張していない。
出生前診断について、司法はどのように判断してきたのか。
医療問題に詳しい弁護士の鈴木利広・明治大名誉教授によると、障害のある子を産んだ親が出生前診断の説明義務違反で医師に損害賠償を求めた訴訟が、79年~14年に少なくとも6件起きた。賠償が認められた事例の理由は「出産までの間に(障害に対し)準備する機会を奪われた」ためとされ、「中絶機会を逸した」ことが問題とされたことはないという。
鈴木さんは「胎児の生命保護の観点から妊婦の権利に一定の制限があると、判例からは理解できる。現在の中絶要件の拡大解釈は問題が大きい」と批判する。
一方、海外では胎児条項がある国も少なくない。世界保健機関(WHO)が12年に出した報告書によると、加盟国全体の47%、先進国に限れば84%の国々が、胎児の障害を理由にした中絶を認めているという。
日本でも従来と違う観点で胎児条項導入の再検討を求める声が上がっている。生命倫理研究者の橳島(ぬでしま)次郎・生命倫理政策研究会共同代表は「母体保護法を改正し、胎児の医学的理由を中絶の許容要件に加えて届け出させて件数を明らかにし、そのデータに基づいて福祉など必要な施策を検討すべきだ」と問題提起する。
例えば胎児条項のあるフランスでは、中絶件数のうち胎児の障害や疾患によるものは全体の約3%。ダウン症などの理由も詳しく分かる。
橳島さんは出生前診断の拡大を望む立場ではないが、「障害を持って生まれる可能性が高いと分かった胎児を別の理由で隠して処理する日本の現状は、当事者に後ろめたさを残し、周りも遠巻きに真実に触れない点で、むしろ差別を助長させる面がある。現状を直視せず、タブー視して議論しないことが一番問題だ」と指摘する。=つづく
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