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● 筆談ホステス 15
5 極悪ママの嫉妬?
クラブで働く女のコにとって、そのお店のママは姉であり、先輩であり、絶対的な存在です。 でも中には、どうしても尊敬することのできないママに出会うことがあります。「ホテルに行け。客と寝て、売り上げをあげろ!」そんな恐ろしいことを言ってのけたのが、例のママです。
そのクラブで働き始めたころは、とても親切にしてくれました。でもそれは、耳の聴こえな いホステスがただ珍しかったからだけかもしれません。それでは客寄せのために、はるばる中 国から招かれるパンダとかわりません。
私は、障害者にもかかわらず働かせてもらったことに、とても感謝をしていました。ですから頑張って働こうと思い、一生懸命に仕事をしていました。ホステスの仕事というのは、努力をすればしただけ結果がついてくるものです。つまり売り 上げが上がるのです。それはもちろん、耳の聴こえない筆談ホステスの私でもまったく同じことでした。
人よりもハンディがある分、私は人一倍頑張ってお客様が呼べるように努力をしました。気 の利いたことがさらっと書けるよう筆談術に磨きをかけるのはもちろん、お客様に気に入って いただけるように、ヘルプについたときも張り切って笑顔でお客様をお迎えしていました。思 いつくことやできることは何でもしました。
そんなふうにしていて、少しずつ売り上げが上がるようになったころ、親切だったママの様 子が変わってきたのです。私のやっていることがどうやら気に入らないようで、何かと文句を つけてくるようになったのです。
「里恵が、私のお客様を盗ったの」そんなことをお客様の前で、平気で言うようになりました。ママのお客様を盗ったことはあ りませんし、ましてやほかのお客様の前ですから、私も返事に困ってしまいました。「そんなことは、していませんよ!」
冗談めかした笑顔を浮かべて、メモをママとお客様にお見せするのが精一杯です。ところが ママの言いがかりは、そのうち言葉だけでは収まらなくなったのです。お客様の前だというのに、灰皿が何枚も飛んできたり、髪を鷲づかみにされたりしたこともありました。お客様も、 その様子を見てビックリ。
「里恵ちゃん、大丈夫?」席にいたお客様が慌ててママを引き離してくださいました。「お客様を盗った」その後も、その言葉はまるで口癖のように、何度も何度も繰り返されました。私はすっかりうんざりしてしまい、ママに伝えました。
「そんなことを言うのは止めて下さい」もちろん、お客様のいないところでです。ところがママはにやっと笑って、その場を去って いくだけで、事態は一向に改善しませんでした。またあるときは、私の携帯電話を勝手に持ち帰られたこともありました。
ある日、お店から 帰ろうと思ったら、携帯電話が見つかりません。お店に持ってきていたのは確かだったので、 あちこちと探しましたが見つかりません。仕方なく、その日はあきらめて帰ったのですが、次 の日の昼間、もう一度、携帯電話を探しに行きました。
ママからお店の鍵を預かっていたので、出入りは自由でした。でもどうしても見つかりません。「そんなはずはないのに」どう考えても、おかしいと思いながらも、その日の夜もお店に出勤しました。すると、ママ が事もなげに言うのです。「里恵の携帯電話が、テーブルの上に置いてあったわよ」どうやらママが、持って帰っていたようです。
多分、私とお客様たちとのメールのやりとりをすべてチェックしていたのでしょう。私は、気味が悪くなりました。でもメールを見られても、私には何もやましいところはあり ません。ママへの抗議はぐっと飲み込んで、ただお礼を言って携帯電話を受け取りました。
それからしばらくしたある晩、私のお客様が、いつものようにお店に来てくださいました。 お客様はお疲れのご様子で、来店から30分ほどで眠ってしまったのです。そのまま閉店の時間 になり、私はお客様を起こし、お会計をお願いしました。するとそのお客様は、会計の明細を 見ながら急に怒り始めました。私は訳がわからず、お客様に理由を伺いました。
「寝ている間に、勝手にドンペリを何本も頼むなんてやりすぎだ!」ドンペリと呼ばれ愛されているドン・ペリニヨンは、言わずと知れたフランスの高級シャンパンです。私は、ビックリしました。シャンパンを頼んだ覚えも、飲んだ覚えもなかったから です。そして、きっと会計の間違いだろうと思いました。
するとママがやってきて、なにやらお客様に話をしています。しばらくするとお客様は、仕方ないなという顔をしながら私に伝えてきました。「里恵が飲みたかったのなら、別にいいよ」どうやら私が飲んだと勘違いされているようです。ママは、私が何も言わないように隣で仕 草でけん制をしています。
本当に申し訳なく思いましたが、どうすることもできず、お客様に深く深く謝罪をして、その日はお見送りをしました。「どういうことですか!」私は納得がいかず、閉店後にママに詰め寄りました。「あら、何のこと? 早くアフターに行きなさい」ママは、一切取り合わず、さっさと帰ってしまいました。
最初のころは、私だけが特にいじめられていたわけではありませんでした。ほかの女のコと 同様に扱われていたと思います。ママは、人の悪口を言うのが大好き、自分の不幸自慢をするのが大好きというタイプ。あり もしない悪口を、お客様の前で披露することもたびたびありました。
黒いものでも、ママが白と言えば、お店の女のコは白と言わされるといった感じで、真面目 な女のコは、そんなママについていけなかったり疲れてしまったりで、どんどん辞めていって しまいます。まだまだ駆け出しのホステスだった私は、仕事を失うのが、とても不安でした。
「聞こえないふり」ママの理不尽な言葉や振る舞いには、文字どおりの態度を貫いていました。それでも、やはり我慢できないこともありました。あまりにも納得ができない、理不尽だと 思うことがあると、私は反論していたのです。
きっと、そんな私の態度が気に入らなかったのでしょう。そのうち、あからさまに私を嫌う ようになりました。毎日のように相手をみつけて、ありもしない私の悪口の電話をかけるのが 日課になっていたようでした。こうなると病的です。電話をかけられたほうも、さすがにおか しいと思うようでした。
「ママが、里恵ちゃんのことを悪く言っていたよ。気をつけてね」電話の相手をさせられたお客様が、あとでこっそり教えてくれることもよくありました。周 囲の方もママの性格はよくわかっていたので、幸いにも私が悪く言われることはありませんでした。
「次のお店を探して、早く辞めよう」先のホテル騒動もあったので、とにかく早く辞めようと決めていました。次の仕事は見つか っていませんでしたが、お店を辞めてママと決別をする日は、それからあっという間に訪れたのです。
ある日、お店が終わった後に、片づけをしようと灰皿を洗っていました。すると、ママがト イレのゴミを捨てるように言いつけました。何気なく、口頭で返事をしました。「次にやりますから、ちょっと待ってくださいね」
灰皿を洗うのは、すぐに終わる仕事だったからです。反抗するつもりは、まったくありませ んでした。それなのに、ママはいきなり激高しました。私の髪を鷲づかみにして、強く引っ張ったのです。
「言いつけたことをすぐにやれ!」そんなことを言っているようでした。周りの女のコが、ビックリした顔をしていたので、も しかしたら、もっと何か口汚く罵っていたのかもしれません。
ほかにも手の空いている女のコはいたので、私に対する態度は、明らかに「嫌がらせ」そのものでした。それまでいろいろとあったことが思い出され、とうとう私の堪忍袋の緒も切れました!
私は、預かっていたお店の鍵をバッグから取り出し、思いっきりママめがけて投げつけたの です。さすがのママも驚いた表情を浮かべています。間髪を入れずに言い放ちました。頭にき ていたので、もちろん筆談ではありません。
いつものように多分おかしなイントネーションな のでしょうが、そんなことは一切気にせずに大声で叫びました。「もうお店には来ません。辞めさせてもらいます!」私は、やっと胸のつかえが下りた思いでした。
辞めてからわかったことですが、ママはこんなことをお客様に言っていたそうです。「里恵は、いつもお客様に色気を使ったり、寝たりして、お店に呼んでいるのよ。だから里恵 とはセックスOKだからね」そんなことを陰で言われていたから、ホテルでの事件も起こったのでしょう。首謀者は彼女だったのです。
その日以来、そのクラブには足を踏み入れていません。でも嫌がらせは、完全に終わったわけではありません。ママのところで知り合ったお客様が何人も、私が次に働き始めたお店に来てくださいました。 そして、新しいお店に移った私のことを応援してくださったのです。
私も一生懸命に、新しいお店でも楽しんでいただけるよう、おもてなしをしました。「ママには悪口ばかり言われていたけれど、わかってくださる方も大勢いる」お客様の温かい励ましが、とても心強く感じられました。でもママにとって、それは到底許せることではなかったのでしょう。
「うちのお客様を持っていったでしょう!」たまたま会う機会があったとき、開口一番に言われました。「お客様がお店を選ぶのは、お客様の自由ですよね?」もう我慢する理由はないので、私ははっきり大きな文字で書いたメモを渡しました。
そんなこともあってか、ママの攻撃は、その後、私以外の人にも向けられました。ママは作 り話をして、私がいないところに両親を呼び出し、ありもしない話をずいぶん吹き込んだよう です。ただでさえ私が水商売で働くことに賛成をしていなかった両親です。きっとずいぶん心配をし、心を痛めたことでしょう。
そして私への悪口は、現在も続いています。「里恵が実家からお金をせびり、男に貢いでいる。里恵のせいで、両親が大変な苦労をしている」「里恵は、東京で風俗嬢になっている」いろいろありすぎて、書ききれません。もう数年も会っていないのに、よくネタが尽きないものです。噂話は私の友だちの耳にも届き、驚いて何人もの友人から連絡がきたこともありました。
「里恵、今、どんな仕事をしているの?」友だちにも心配をかけましたが、私は両親のことがやはり気がかりです。ホステスという仕 事についたことがきっかけで、両親にまで心配をかけてしまったり、巻き込んだりしてしまい ました。本当に申し訳ない思いでいっぱいです。今は離れて暮らしているので、いちいち噂話を否定することはできません。
「噂話を信じないで。私を信じて」真実が伝わるように願うばかりです。その後の青森からの風の便りによると、ママは、いくつも金銭トラブルを抱え、お店の経営 も大変だと聞きます。いろいろなことがありましたが、悪いことばかりではありません。
「人のことを悪く言ってはいけない」「人に信用してもらえる人間にならなくてはいけない」極悪ママを反面教師として、私はトラブルの中からも、いくつかの大切な人生の教訓を学ぶ ことができたのです。
● 筆談ホステス 16
6 水商売と私
青森のクラブで働き始めたころ、私は水商売のことはさっぱりわかっていませんでした。どうしたらお客様に来ていただけるのか、どうしたらお客様に喜んでいただけるのか・・・……。わか らないことばかりで、とりあえず周りの女のコのやっていることを真似することから始めました。
「水商売は、私には向かない」今も同じことを思っていますが、仕事を始めたばかりのころは、仕事に行くたびに、そう思っていました。お客様が体に触ってくると、「触らないでください」酔った勢いで、「好きだから付き合おう」としつこくされると、「ご遠慮いたします」
そんなことをいちいち、くっきりとはっきりと大きな字で書いてお客様にお見せしていたのですから、生真面目というよりホステス失格です。あるクラブに勤めていたとき、そんな私を見てママが言いました。「里恵ちゃん、ホステスは、もてて悩んでいるうちが華よ」
まだ20歳そこそこで水商売も勢いでやっているようなところがあった私は、そのママの話の 真意がよくわかりませんでした。でも25歳になり、銀座で働いている今なら、その意味もよく わかります。20歳そこそこならば、隣でニコニコしているだけでも、お客様はかわいがってくださいまし た。
まだ初々しくて、かわいいと思ってもらえたのでしょう。でも水商売の世界では、毎日の ように、若くてかわいらしい女のコが新しく働き始めるのです。25歳で、水商売歴も5年目を迎える私は、もはや新鮮味のない古株ホステスなのです。 でもその代わり、古株ならではのテクニックも身につけていきます。
私が、やっとホステスとしてやっていけるのではないかと自信をつけたのは、青森の「リオ ン」というクラブで働いていたときです。ママは、銀座でホステスとして働いたこともある方 で、とてもしっかり者で、面倒見のいい人でした。ママにもいろいろなタイプの方がいるのです。
私が「リオン」で働きたいとお願いをしたときも、ママは躊躇することなく、快くすぐに受 け入れてくれました。それがとても嬉しく、感激したことを今でも忘れられません。 働き始めてからは、毎日のように相談に乗ってもらい、ホステスとしてどんなことをしたら いいのかなどを教えていただきました。
ママは、そんな私の意欲を認めてくれました。そして自分のお客様の席や、よく来店してく ださるお得意様の席に、私をつかせてくれたのです。自分の接客の方法を間近で見せることで、 お客様への気配りの仕方やホステスの仕事のノウハウを私に学ばせてくれました。
ホステスの仕事に、「こうしたら絶対」というマニュアルはありません。お客様の様子や顔を見て、どんなことを求めているのかを敏感に察知しなくてはいけません。
恋愛気分を求めているお客様には恋人になったように、楽しく陽気に飲みたい方には楽しい話題でテンションを上げて、接待の方でしたら、ご本人よりもつれていらっしゃったお客様を中心に楽しんでいただくように・・・といったふうに、ホステスならば当たり前すぎる基本をママの下で学んでいきました。
「お客様の立場に立って、求められているものを提供する」そんな接客の基本に気がついてからは、筆談の方法にも気を使うようになりました。
恋人気分を求めている方には、ラブレターのようにも見えるように、親密さをアピールするやりとりを心がけました。ときにはかわいいイラストを添えたり、ハートマークでメモ帳を埋 め尽くしたりしたことも・・・。
楽しい話題を求められているときは、最近面白かった話題をス トックしておいて、それを披露したり、お客様の趣味にまつわることをあらかじめ調べておいて、その話で盛り上がるようにしたりしました。接待のお客様には、一緒に席についた女のコと協力して、接待を受けている方には常に誰かが話しかけたり、私が筆談を持ちかけたりするといった具合です。
最初は、ただの手段だった筆談も、私の考えや心がけひとつで、それまで以上に深いコミュニケーションが取れるようになってきました。またお客様の考えていること、どんな接客を望んでいるのかが、だんだんとわかってくるようになりました。
こうして努力をするうちに、私のホステスとしてのスキルが上がってきたのでしょう。ぐん ぐんと成果が出てくるようになりました。私を指名してくださるお客様も増えてきて、お給料 もそれに従って上がってきたのです。
「耳が聴こえない私でも、頑張れば、きちんと成果が出る」そのことが嬉しくて、もっともっと仕事に打ち込むようになりました。「里恵ちゃんは耳が聴こえないのに、 いつも一生懸命やっているね」
当たり前のことをしているだけですが、そう言って、私を特別に応援してくださるお客様も あらわれました。その筆頭が、青森でハウスメーカーを経営されているHさんでした。Hさん は、私が「リオン」に入った日から、ずっと私を可愛がってくださいました。
お店で指名をし てくださるだけではなく、ゴルフを一から教えてくれ、コンペにも連れて行ってもらったこと もあります。また、Hさんは、私に新しいお客様をたくさんご紹介してくださるようになりま した。私にとって、まるで福の神のようなお客様でした。
そうやってだんだんと、私を応援してくださるお客様が増えていきました。そのおかげで、私の売り上げもさらに目に見えて伸びてきたのです。数ヶ月後には、ついにママの次に売り上げを上げられるようになりました!
「ホステスとして、私もなんとかやっていけるかもしれない」 耳が聴こえなくても大丈夫。頑張れば頑張るだけ結果の出るホステスの仕事が、だんだん楽しくなってきました。
そして私は、もっともっと頑張って一流のホステスになりたい、日本一の筆談ホステスにな りたいという思いをますます強めていったのです。
● 筆談ホステス 17
7 A先生との再会
青森のクラブで働いていたときに、意外な人と再会をしました。「君は神に耳を取られた」小学校で、そう私に言い放った、あのA先生でした! A先生は、私が働いているとは知ら ずに、お知り合いに誘われてクラブを訪れたのでした。
私はその日、ほかのテーブルで指名をいただいていたので、そこを中心にお客様のお相手を していました。「なんだか、あの人私のことをずっと見ている気がする・・・・・・」
そうです。A先生は、接客の様子から、耳が聴こえていないホステスがいることを知り、そ れが私だと気がついたのです。そして自分の席から、私の様子を遠慮することもなくジロジロ と見ていたのです。
それでも最初は、A先生だと気がつきませんでした。人生の中でも、A先生は忘れたい人物の筆頭格です。小学校を卒業してからは、あの嫌な記 憶は心の奥底に閉じ込めていました。ですから彼が私を見ていることに気がついても、その顔 と記憶が結びつきません。
「知っている人だったかしら?」A先生を連れていらっしゃったお客様は、何度もお店でお見かけしていた常連の方でした。 その方のお客様の席にヘルプでついたときに、このナゾのお友だちにもお会いしていたかしら と、一生懸命に記憶の糸をたぐっていました。
でも私だって、ホステスの端くれです。一度お話をさせていただいたお客様の顔をそうそう 忘れるわけはありません。「いったいどなただろう」こちらに向けられるぶしつけな視線に、ちょっと困惑しながら、自分のお客様とお話を続け ていました。
意外なことに、しばらくして、その視線の主が私を指名したとスタッフから合図があったの です。予想外のことに、すっかり慌ててしまいました!
「どなたでしたっけ?」お客様の席について、そんな失礼なことを言うわけにはいきません。自分の足りない脳みそ をフル回転させながら、指名された席につきました。そしてついたとたん、目の前にいるのが、あのA先生だと気づいたのです!
「俺が、誰だかわかるか?」相変わらずA先生は、私を小馬鹿にしたような例の視線を投げかけました。脳裏に悪夢が蘇 り、胸がドキドキしてきました。顔も引きつりそうになっています。だけど私だって、もうか 弱い小学生ではありません。営業用スマイルを浮かべながら、堂々と胸を張ってペンを走らせ ました。
「もちろん、気がついてましたよ! 先生,ご無沙汰しておりそす」私がA先生に気がついていたと知ると、たちまち機嫌のよさそうな表情を浮かべ、周りの人たちに私との関係を話しました。「里恵もすっかり大人になって、立派になったな」なんだかA先生は、すっかり恩師気取りです。
『この人は、自分のしたことを覚えていないのだろうか」内心呆れながら、営業用の完璧な笑顔で受け答えをしていました。「おかげさまで、ありがとうございです!」自分のことをあれこれ詮索されるのは嫌だったので、話題を変えることにしました。「A先生は、今も先生を続けていらしゃるんですか?」するとなんとも意外で、不思議な答えが返ってきました。
「今は、学校を辞めたんだ」先生を辞めたということを聞いて、私は少しホッとしました。もう、私のように心に傷を負わされる子はいないとわかったからです。話によると、小学校の教師をやっていたときから、A先生は別な職業を目指していたそうで す。そのためには人生修行を積まなくてはいけないそうで、小学校の教員を仕方なくやってい たというのです。
「???」訳がわかりませんでした。「君は神に耳を取られた」A先生の人生修行のために、私はそんな一生忘れることのできない暴言を吐かれたのでしょ うか? そんな馬鹿な話を受け入れがたく聞いていると、さらにA先生は得意気に私のメモ帳 に書きこみました。
「教員時代は、人生修行の一環だから、わざと悪役を演じていたんだよ!」そこがクラブでなければ、私は積年の恨みを発散させるために、きっと叫んでいたでしょう。「悪役を演じていた? ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!」
でも私だってプロです。そんな子供のころの個人的な事件を、自分の職場でぶちまけるわけ にはいきません。ぐっと気持ちを飲み込んで、営業用の作り笑顔を浮かべながら、ピンと背筋 を伸ばして座っていました。反抗的だった小学校時代と違ってニコニコしている私を見て、A先生はさらに調子づいて話を続けます。
「里恵は耳が聴こえない分、普通の人より勘がいいはずだ。普通の人とは違う視点で物を見たり、考えたりすることができるんだから、心理学なんかの勉強をしたほうがいいんじゃない か? きっと向いていると思うぞ」この人は、私の何を知っているというのでしょう。そんな勉強はあんたがしろ!と思いました。
私の気持ちを少しでも考えたり、想像したことはないのでしょうか?『耳が聴こえないだけで、私だって普通の人です! そんな言葉遣いをする人間が、小学校で先生をやっていたなんて、まったく信じられない・・・」私は、A先生のあまりの暴言ぶりにすっかり呆れかえってしまい、メモ帳に返事を書くのが 嫌になっていました。
「里恵ちゃん、Aさんって、どんな先生だったの?」一緒のテーブルについた女のコが、話に加わってきました。ちょうど返事に困っていたので、私は話をふってくれた女のコにお礼を言いたい気分でした。
「もちろん、とってもいい先生でーんよ!」すぐにそう書いたメモを、テーブルに座っている人全員がわかるように見せました。ますま すA先生は、ご満悦の様子です。「ウソ。こいつ最悪!とんだ先生だったの!」
A先生の見えないところでこっそりと書いたもう一枚のメモを、そっと同席している女のコに渡しました。そのとき一緒にテーブルについていた女のコはいつも仲良くしているコで、私 のこともよくわかってくれていました。日ごろ私が、お客様の悪口は絶対に言わないのを知っ ていた彼女は、そのメモを見てすべてを察してくれました。
その日、その女のコが作るA先生の水割りは、味がしないほど妙に薄かったり、そうかと思 うと飲めないほど濃かったり。彼は水割りを飲むたびにむせたり、不思議そうな顔になったり していました。私はそれに気づいて、心の中で大笑いをしていました。そして女のコのナイス な攻撃に感謝していました。
結局、私は文句をいう必要もなく、A先生はご機嫌でお店を後にしました。8年ぶりの再会 は、いつもは得意な水割りがおいしく作れなかったことだけが、ささやかな復讐となって幕を 閉じました。
家に帰ると、その日の夜は涙がとまりませんでした。でも大丈夫。私は、くだらない人間に押し付けられた過去に傷つけられたりしません。「自分の可能性を信じて、前に進んでいこう。東京に行って働いてみよう」そう固く決意をしていたからです。
【コラム】「里恵は耳が不自由だから、その弱い部分につけこめば 自分でもなんとか口説けるのではないかと勘違いをして、露骨に近づいてくる男の人も多くいました」「リオン」ママ 佐藤純子さん
リオンは、里恵が青森時代に働いていたお店のひとつで、オーナーの純子ママとはとても親 しかったという。当時の働きぶりについて聞いてみた。
「誰にも相談せずに突っ走りすぎたり、前向きすぎて周囲の話を聞けなかったりと、里恵は頑 張りすぎて私に怒られていたタイプでした」そう笑いながら話すママだが、一緒に働くうちに里恵の内に秘める固い意志や、強い怒りを 感じるようになったという。
「納得いかないことがあると、たとえ相手が私であっても食ってかかってくるという面があり ました。耳が聴こえないというもどかしさを、そうやって怒りという形で発散させていたのか なと思いました」だからこそ、仕事には人一倍熱心だったそうだ。
「正直な話、なかには『里恵は耳が聴こえないから、それを珍しがってお客様がつくんだ」な んて陰口を言う人もいました。でも毎日、何十件とお客様にメールを送り、一生懸命筆談を駆 使して接客をしている里恵を目の前で見ていたら、そんないいかげんなことを言う人のことな んて気にならなくなりました。ただ里恵の人気をやっかんでいただけですから」
嫉妬ややっかみは、いろいろな形で表れたそうだ。「わざと里恵の前で、コソコソ話をするんですよ。そうされただけで、「私が何かしてしまっ たかしら?」と里恵は、不安になるじゃないですか」前向きすぎるという里恵の弱点も、純子ママは見抜いていた。
「里恵は美人だから、お客様も最初は近寄りがたいと思うみたいです。でもそのうちに、耳が 不自由だから、その弱い部分につけこめば自分でもなんとか口説けるのではないかと勘違いを して、露骨に近づいてくる男の人も多くいました。そうした誘いをかわすのが下手でしたね。 露骨で強引な誘いが続くと、そのうちお客様に直接怒りをぶつけてしまうんです。
強い女性に 見えますが、普通の人と一緒です。里恵にだって脆い部分や弱い部分もあるんですが、そうし た部分を「怒り」という形でしか表現する方法がなかったんでしょうね。でも男性は、きつくシャットアウトすると余計に執着してくる人もいることを、ホステスならば理解したほうがいいですね」
プライベートでも一緒に食事に行くなど、里恵と親しく付き合ってきた純子ママ。別の店に 移ると切り出されたときは、まるで我が子を送り出すような気持ちになったという。
「『あのお客様がこんなことを言っているのですが、どうしたらいいんでしょう』といった感 じで、毎日いろいろなことを何度もメールで相談してくれたんです。仕事熱心ですし、私から してみれば、本当にかわいい子でした。だからほかの店に移る意思を伝えられたときは、とて も寂しかったですね。でも里恵も、ずっとうちの店にいるわけにもいかないだろうし、それな らばいろいろなお店を経験して、より厳しい世界へ行くほうが彼女のためになるのだろうと思 ったんです」
純子ママは、里恵が移った次のクラブにお客として訪ねていったことがあるそうだ。
「ちょうど里恵の顔を見に行くというお客様がいたので、私もお供をさせていただいたんです。 立派に働いている姿を見たら感動してしまって。それで私ったら、お店に行ってから帰るまで、 「よかった、よかった」って言いながら、ずっと泣いていたくらいなんですよ」
今では銀座で頑張っている姿を見て、頼もしく 思っているそうだ。
【コラム】「いつも『里恵は騙されているんじゃないか」、『大丈夫なんだろうか」と心配をしているんです」斉藤里恵の両親
「最初、里恵は水商売を始めたことを私たちには黙っていたんですよ。夜出かけるときは、 「水商売で働いている知り合いの子供さんの面倒を見る』と言っていたので、その言葉を信じ きっていたのです。しかしそんな言い訳は長続きしませんよね。里恵が水商売で働いていると。 いうことを教えてくれた人がいて、嘘はすぐにばれたんです。私たちが反対をしても、ホステ スを辞めないだろうと考え、黙認することにしました。ホステスをしていることがばれてから は、派手な格好をして堂々とお店に行くようになっていきました」
母は、当時のことをそう振り返った。まさかホステスという仕事に就くとは思っていなかった両親は、とても驚いたそうだ。「耳 の聴こえない子が、どうやって水商売ができるのだろう? きっと長続きをしない、できない のではないだろうかと思っていました。どうやって接客をしているのか、いまだに私たちには想像もつかないんです」
今でも銀座で働いているということが、信じられないという様子。父親の心配も人一倍だ。
「耳が聴こえない里恵が珍しいのか、最初はチャホヤしてくださるお店の方もいました。でも お店の子とケンカをしたり、お客様とのトラブルが起こったりすると、里恵に言ってもらちが 明かないと思ったのでしょう、クレームの電話を私たちにかけてこられる方もいたんです。私たちも水商売のことはよくわかりませんし、そんなことが何度かあったので、いつも『里恵は 騙されているんじゃないか」、「大丈夫なんだろうか」と心配をしているんです」