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今年5月に発売されたRSウイルス感染症の抗体製剤ベイフォータス(ニルセビマブ)=サノフィ提供
RSウイルスの高齢者用ワクチンの発売から数カ月が経過し、日本でも少しずつ高齢者に対するリスクが注目されるようになってきていますが(「高齢者には『死に至る病』 私がRSウイルスワクチンを推奨する理由」)、RSウイルスは乳幼児にとっても注意が必要な感染症です。2023年9月には2週にわたり、乳幼児のRSウイルス感染への日本の取り組みが米国よりも遅れているという話をしました(「RSウイルス、ワクチンで安心できるのは高齢者のみ」「RSウイルスの小児への予防対策、日米間で大きなギャップ」)。幸い、その後我が国でも対策が急速に進められ、乳幼児を守るための新たなワクチン、そして薬が承認されました。とはいえ、副作用や費用に関して問題が残されています。今回はそれらを明らかにし、今後のあるべき姿を探ってみたいと思います。
インフルエンザよりも重症化しやすい
まずはRSウイルスがどれだけ危険かを復習しておきましょう。前出のコラムで紹介したように、世界では乳幼児の命が奪われています。世界の5歳未満の小児の50人に1人がRSウイルスにより死亡し、生後28日~6カ月未満では28人に1人(3.57%)もが亡くなっています。衛生環境が良くない低所得国での実態が数字を引き上げていますが、日本を含む高所得国でも安心できません。国立感染症研究所によると、日本のRSウイルスによる小児の死亡数は、08~12年の5年間で年平均31.4人(28~36人)です。インフルエンザが乳幼児に感染すると重症化することはよく知られていますが、より深刻なのはRSウイルスの方です。米国では、1歳未満の場合、インフルエンザでの人口10万人あたりの入院者数が91.5人なのに対し、RSウイルスは1760.7人、実に19倍以上の差があります。
今年に入って使用可能の薬剤が増加
これだけリスクの高い乳幼児のRSウイルスへの対策に日米国で大きなギャップがあったのですが、最近になってその差はぐっと縮まりました。
抗体製剤「ニルセビマブ」が24年5月22日に、ワクチン「アブリスボ」が同31日に医療機関で処方・接種できるようになり、前回コラムを書いた昨年9月時点に比べて日本で使える薬剤が増えました。
今年1月に発売されたアレックスビー=グラクソ・スミスクライン提供
ニルセビマブはシーズン中一度だけ使う予防注射薬です。有効性はかなり高く、米疾病対策センター(CDC)の関連サイトによると、RSウイルスで入院した小児への有効性(重症化を防ぐ確率)は投与後150日までで81%、入院に対する有効性(入院を防げる確率)は90%です。
米国でのこの注射薬の対象者は、①RSウイルス流行期に生まれた1歳未満、②生後初めてRSウイルス感染流行期を迎える1歳未満、③生後2回目のRSウイルス流行期を迎えるハイリスクの2歳未満のいずれかです。①と②が対象ということは、事実上「すべての乳児」がこの薬を使用できます。米国小児学会(American Academy of Pediatrics)によると、薬価は50mgと100mgは519.75ドル(約8万3600円)です。製薬会社が作成したニルセビマブのウェブサイトによると、米国に在住している小児であればほとんど誰もが無料で接種できます。民間の保険会社に加入していない場合や保険会社が拒否した場合でもVaccines for Childrenというプログラムがあるために無料で接種できるようです。つまり、米国在住なら基礎疾患の有無や所得に関わらずほとんどの乳児が無料でこの製剤の恩恵を受けられるわけです。
日本では対象が限られ、自費接種では高額に
他方、日本の事情は大きく異なります。日本小児科学会が5月22日に公表した「日本におけるニルセビマブの使用に関するコンセンサスガイドライン」をみてみましょう。
まず健康保険を使ってニルセビマブを使える対象は「重篤なRSウイルス感染症のリスクを有する新生児、乳児及び幼児」とされています。ほとんどの自治体において幼児までの医療費の自己負担は大きく抑えられていますから米国のように無料にはならなくてもこれは有益な制度です。では、「重篤なRSウイルス感染症のリスクを有する」とはどのような小児を指すのでしょうか。「ガイドライン」では次のように示されています。
○生後初回のRSウイルス感染流行期の流行初期において
・在胎期間28週以下の早産で、12カ月齢以下の新生児及び乳児
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・在胎期間29~35週の早産で、6カ月齢以下の新生児及び乳児
○生後初回及び生後2回目のRSウイルス感染流行期の流行初期において
・過去6カ月以内に慢性肺疾患の治療を受けた24カ月齢以下の新生児、乳児及び幼児
・24カ月齢以下の血行動態に異常のある先天性心疾患の新生児、乳児及び幼児
・24カ月齢以下の免疫不全を伴う新生児、乳児及び幼児
・24カ月齢以下のダウン症候群の新生児、乳児及び幼児
まとめると、「早産」「慢性肺疾患」「先天性心疾患」「免疫不全」「ダウン症候群」があれば保険適用が期待できます。このなかで不明瞭なのが「慢性肺疾患」です。例えば、気管支炎を繰り返す場合や、気管支ぜんそくがあるケースは対象になるのでしょうか。おそらくよほどの重症例でない限り「ならない」と思われます。なぜなら、この「ガイドライン」に「肺低形成、気道狭窄(きょうさく)は適用にならない」と記載されているからです。重度の慢性肺疾患と考えられるこれらの疾患でも適用にならないのなら気管支炎やぜんそくで認められるとは到底思えません。肺低形成、気道狭窄に対してはニルセビマブと似た薬のパリビズマブは24年3月26日から使えるようになりました。ですが、こちらの注射薬は月に1度の頻度で合計8回ほど接種せねばなりませんから、やはりシーズン中1度の注射で済むニルセビマブの方がいいと考える人がほとんどでしょう。
最も早く発売されたシナジス(パリビズマブ)=アストラゼネカ株式会社提供
また「ガイドライン」上の「重症化リスク」がない人はどうすればいいのでしょう。その場合、自費なら接種はできます。ですが、おそらく希望する人はほとんどいないと思われます。高すぎるのです。発表されている薬価をみてみると、50mgで45万9147円、100mgなら90万6302円もします。米国での費用は上述したように100mgでも519.75ドル(約8万3600円)です。なぜ、日本では米国の10倍以上も高くなるのかその理由は皆目見当がつきませんが、この費用を捻出できる人は極めて少数でしょう。
新生児のために妊娠中に接種するワクチン
妊婦が接種するRSウイルスワクチン、アブリスボ=ファイザー提供
次にワクチン「アブリスボ」をみてみましょう。このワクチンは小児に直接接種するのではなく、妊娠中の女性に接種することで生まれてくる新生児を病原体から守ります。米食品医薬品局(FDA)によると、妊娠32週から36週までにアブリスボを投与すると、生まれてくる赤ちゃんのRSウイルスによる重症肺炎のリスクが生後90日以内では91.1%低下、180日以内では76.5%低下します。 有効性はかなり高いことがわかりますが、気になるのは副作用です。なかでも「早産のリスク」を指摘する声があります。アブリスボの早産リスクに着目したCDCのサイトによると、プラセボ(偽薬)と比較したリスクは次の通りです。
・24~36週に投与した場合:アブリスボ群5.7%、プラセボ群4.7%
・32~36週の場合:アブリスボ群4.2%、プラセボ群3.7%
24~36週での投与の場合はプラセボ群4.7%に対し、アブリスボ群5.7%ですから一見差がありそうですが、統計学的な有意差はありませんでした。しかし、32~36週にすることによりそのリスクが4.2%にまで下がっていますから、接種を希望する妊婦(及びそのパートナー)がこの情報を知れば、32週以降を選ぶ人が多いと思われます。
しかし、希望されたとしても産科学的な観点からの検討も必要です。つまり、ワクチン接種には担当の産科医の許可が必要となります。一般に、過去にも早産の経験がある場合や、双子などの多胎妊娠、肥満またはるいそう(やせ)、高血圧、糖尿病などがあれば早産のリスクが高くなります。このようなケースではワクチンのメリットとワクチン接種による早産の可能性上昇のリスクをてんびんにかけての検討が必要です。
編集部注:アブリスボを販売するファイザーによると、国内で承認される際、リスク管理計画書に記載された重要な特定されたリスクはなく(早産の記載はない)、国内の添付文書でも早産についての注意事項はない。また審査時の専門家による協議で、臨床試験成績からアブリスボ接種による早産の懸念は認められないと判断された、という。
このワクチンは現在定期接種に加えられていませんから、接種するなら自費となります。自費ですからクリニックごとに値段が異なりますが、だいたい3万円程度が多いようです。米国では、アブリスボのサイトによると、ニルセビマブと同様、多くのケースで無料になります。自費の場合はCDCのサイトによると221.24ドル(約3万5500円)です。
抗体製剤のニルセビマブはシーズン中に1度注射するだけの便利な薬です。妊娠中に接種するタイプのワクチン、アブリスボも安全性は高く、これらの登場により、日本の乳幼児に対するRSウイルス対策は大きく進展するでしょう。ですが、ニルセビマブの保険適用に大きな制限があり、自費での費用が極めて高価である点などいくつかの課題が残されています。
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谷口恭
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。