絶対信仰・絶対愛・絶対服従
そのために我が盟誓文8章に出て行っては何か?‘成約時代を迎えて’何か?絶対信仰、その次に絶対愛、その次に絶対服従だ。
絶対信仰と絶対愛はコンセプト(concept:概念)です。知らない。絶対信仰が何か知らない。皆さんが聖書を読めば‘信仰は望んでいることが必ずかなえられ、何が起こるかわからない先にも、信じて疑わないことです’(ヘブル人への手紙11:1)と言った。信仰はコンセプトです。
信じる、キリスト教では信じれば救いを受けると言うが、それは何を信じるのか?信じようとすれば指も信じなければならないし、足も信じなければならないし、目も信じなければならないそうでなければならない。信じる場から落ちこみたいのは、神様の名前を中心としたその世界で信じると言う場から落ちこみたいのは一つもないのだ。
それは何故そうなのか?いくら小さい・・・。これが何か?川辺の?「コウライヤナギの実です。」コウライヤナギの実なのだ、コウライヤナギの実。このコウライヤナギもその信仰の場に入りたいのか、入りたくないのか?誰が信じてあげなければならないのかと言うのだ。神様が信じたのだ。
すべての万物をつくる時、神様自身も絶対信仰をもってつくったと言うのだ。何の信仰?これらを合わさって未来に神様一人で生きた方が神様の家庭を成して行くこのような理想の中で創造したためにその家庭で極めて小さいものでも神様が好まなければだめなものだと言うことを知らなければならない。わかるか?
そう、ここにあるこのとげのようなものも全部すべて‘私は神様から絶対信仰をして、絶対愛をして、絶対服従をするためにあるのだ。’と言うのだ。そうでない存在は万有の存在のどの一つ願わないのだ。
そのために家庭盟誓文8章まで出て‘成約時代を迎えて・・・’となっているが、成約と言うのは約束を完成するのだ。成約時代!成約時間でなく成約時代だ。1世代、2世代、青年時代、晩年時すべて入ります。‘成約時代を迎えて’一番目に出て来るのが何か?「絶対信仰です。」絶対信仰だ。何故絶対信仰か?神様が絶対信仰をもって創造したすべての全部をこれからは間違ったことをすべて蕩減したので再び犠牲にする場に主人の場で、神様がつくったすべてのものを代身して今や私が主人の場で引き受けて一つになって成して捧げなければならないのだ。
そのなして捧げるのは男であれば神様の男性的性品、女であれば神様の女性的性品を成して捧げるのです。体と心これが個性真理体になるように独立しています。男も個性真理体だ。女もすべてそうだろう?顔が異なるほどに全部異なります。性格が異なる。
そのすべてのどの一つも絶対このような創造理想世界の家庭に必要たりうる男のそれぞれの姿、女のそれぞれの姿でも、それが信仰をもってそのように願ったそれぞれの姿でも愛して一つにならなければならないのだ。
絶対信仰!絶対愛を中心に絶対信仰が必要であり、絶対愛を中心としては絶対信仰も必要だが絶対服従も必要なのだ。服従が必要なのです。
信仰と愛はコンセプトだ。触ることができないし見ることができません。信仰がわかるか?信仰を知ろうとすれば・・・。動物世界の動物を見ても小さな虫がおれば虫たちの中で雄雌がすべてなっている。主体対象の関係になったすべてのものが雌がおれば雌がいくら大きくても雄と絶対信仰・絶対愛・絶対服従をもって自分のものになることを、自分と一つになることを願うのだ。このすべてのものがそのようになっています。
そのためにこのすべての全部が神様の完成した愛の世界に愛の懐に抱いて出てこそ神様が好むことができる男性になり女性になって、神様が好むことができる男性女性から家庭になって家庭において夫婦になって父母になって、子女になってその子女たちを中心に真の兄弟になるのだ。
そのために上下は父子の関係、左右は夫婦関係、その次に前後関係は子女の基盤になって、一つの中心である家庭と言うのは絶対信仰の標準であり、絶対愛の標準であり、絶対服従の標準である主体、主人ヤンバン(両班)を中心に一つになって永遠に生きて行かなければならないのだ!宇宙の総論がそのようになっている。
今日国会議員たちを見てもそうだし、あるいは長官(大臣)、大統領もそのようなコンセプトがありません。神様が絶対信仰・絶対愛・絶対服従の願いをもって今後理想的なお父さんの場に立つようになる時お母さんが必要だが、お父さんお母さんも、お父さんにはお母さんが絶対信仰・絶対愛・絶対服従の大将であり、またお母さんを中心に見る時お父さんが絶対信仰・絶対愛・絶対服従の対象だ。これは宇宙の型です。その型を抜け出ることができない。
自分の顔は神様の顔
鼻に尋ねてもこの鼻というのは神様とアダムエバ人間たちの絶対信仰の産物であり、絶対愛の実体であり、絶対服従したものだ。息を吸わないと言えるのか?目が‘あ、私は目の思い通りする。’と言ってパチパチしなければならないがしなければどのようになる?これはゴミ箱になる。空気の中にほこりがあるためにこれがゴミ箱になるのだ。この眉毛は何故あるのか?これがなければ大変になる。汗を流すようになればこれがゴミ箱、糞水のようにここにすべて入るのだ。
ここに線もすべてある、このように。線がある?汗が流れてこの貴い所に入ってはだめだ。目に入らないように眉毛が出てきて動けばこのようになってどこに行くのかと言えば、このように低い所にこのように落ちるようになっている。
またここはこちらに流れてこのようになれば水が流れて目のこちらはパチパチするが、ここの合わさったところはポルロク(볼록:凸)が立ち上りました。この間を通して流れて下りて来ます。この間を通して流れる。ここで伸びて流れ出て来てここでなってこの下に下りて行ってまたここでかかる。ここでかかる?
もともと人はこの顎が少し出て来るようになっているのです。ぴたりと見るようになれば口が突き出ている。口がベコンと入ったとすればどのようになるのか?雨が降っても・・・。
このように自分の顔を見る時、‘や、私が顔を信じてみることができなかった堕落した人なのだ。私の顔を絶対信仰で愛してもよく保護してもよい。’と言うのだ。そのために全ての人たちは互い互いが保護することを願って、互い互いが助けて大きさを願ってよくなるために生きているが、そのようになっていない、堕落のために。全部すべて分けられた。
目が一度‘や、目よ!顔にある目、鼻、耳、口が7つの穴になっているが、7つの穴自体は今日この時間目がする通りしよう。目を閉じよう。’と言う時は‘目を閉じない。’と言う、閉じる?目を閉じないとしても自然と閉じなければならない。目が見えないのにどこに行くのか?どこを臭いを嗅ぐのか?方向を設定してあげなければならない。
見ることができる標準を定めては方向と言うのがあって必ず行くようになれば標準の方向について行かなければならないが、目の方向目の行く道、鼻の方向鼻の行く道、耳の方向耳が行く道が全部異なるがどのように一つとして愛することができるのか?‘アイゴ、良い!アイゴ、良い!アイゴ、良い!’このような時このようにするようになれば互いに蹴ってしまうのではないのか?そのような考えをしてみた?
これが神様の顔だと言うのだ。先祖の顔です。皆さんの顔自体が自分のものだと言うのは狂った奴だ。世の中にそのようなことを知らず生きる。
大統領、国会議員、長官をしたヤンバンたちもありとあらゆるすべて‘私が長官をしたので大韓民国も長官のもてなしをしなければならない。’と言うが、そうでなければならない。そうだと言うのだ。そうたりうる、標準的な原理原則に立脚して四方性に和合できるし誇ることができる姿にでもなったとすればそうだが、そのようになれなかった。目別に、鼻別に、口別に、耳別に!そうだろう?体が手別に足別に、心別に体別に!これが何故このように困難になるように別々に咲かれてしまって分けておいた?それが問題です。いくらよくできた人でもそこで・・・。
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文鮮明先生御言選集 20060316 - 神様の愛と相対の価値 2
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