イエス様がしたすべてのことを蕩減復帰しなければならない先生
そのために私もそうです。先生がイエス様がしたすべてのことを蕩減復帰しなければならない。イエスがある時はこのようにこのようにできなかったことをすべて歴史に結んでいるのですべて解かなければなりません。
皆さんが聖書を見なさい。聖書を誰よりも多く見たとすれば私が多く見た人だ。統一教会の文先生は聖書も知らないことがわかるか?イエスが何をして死んだということも知り、良く死んだのか死にえなかったのかすべてわかるために再臨論だとかこのようなことがキリスト教の歴史で完全に真っ赤な嘘になってしまった。そのようになってすべて終わった、今では。キリスト教がすべて終わったのだ。
キリスト教に行って信じる人は天国に行く人は一人もいない。何の宗教裁判だけでないというのだ。それをすべて経てきた人たちがいるので今や死ななければ生きなければならないが死にたくない。死ななければ生きなければならないのだが、死にたくなくて生きようとすればどのように生きなければならないのか?生きることを知らなければならない。キリスト教が滅ぶようになったので聖書の中で生きることができる内容を探せなければキリスト教も生きられないし、キリスト教を評した人もすべて死ぬのだ。
先生がこの世に生きるが、ここの黒い点これが南米に行って蚊に食われた所だ。監獄に入って行って肥料工場で働く時皮膚がこのようにすれば水が出てきた。そのような困難を経て誰誰全部すべて・・・。
この文と言う人が恐ろしい人です。できないことがない。運動も私が鉄棒をしたために今もそうだ塀だけつかめば越えて行く。革命家になったとすれば自分の一身を保護できる能力がなくてはだめだ。相撲もよくし、柔道もしようとしたが時間がなかった。今もそうだが、我が息子娘は全部すべてこれがすべて及びます。私も昔すべて及んだのだ。体が柔軟で、運動できないものがなかった。
我がヒョンジニ(文亨進)はハーバード大学の宗教学科に入って博士学位を準備する人だが、運動できないものがない。空手のようなものは数か月もかからない。運動をして3か月以内に先生として負けない。
だから神様もじーっと見ると文総裁が仕えるだけのものがあって見えるのか、なくて見えるのか?あんたたちの前につべこべ言ってもこれは聞くのが嫌な言葉であり、聞きたい言葉か?「聞きたい言葉です。」何日?何日?「永遠にです。」(笑い)それでは永遠の前に半分だけしても半永遠であれば数千年になるが、数千年する言葉をしたとすれば皆さんも大王大妃(訳注:現在の王の祖母にあたる王妃)になりたい心を持っているというその言葉ではないのか、すべて?
この人たちを滑稽に見るな。先生がどこに行って来れば来る日をすべて知っている。どこに行くようになれば行った所も世の中から迎えに出て来るのだ。そのような嘘がどこにある?
カン・ヒョンシル(姜賢實)!「はい。昔一人で伝道に通いながら苦労した話少ししてみなさい。14人が来た?また14人だ。立ってみなさい。統一教会の先祖のおばあさんだ。私はその時に33歳、あのおばさんは26歳、こうして凡一洞で・・・。追い出されて行って寝る所がないじゃないか?一つの家で寝るので二人がよく住むと噂がどれほどたったか?(笑い)この人を見て尋ねなさい。いたずらに生きる先生ではない。(姜賢實会長の証し)
人は相対的関係でなされる
(‘神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国’訓読)
『・・・・・・したがってアダムとエバが心の中で神様に侍って一体になって完成した基盤の上に結婚をして子女を産んで家庭を成したとすれば、アダムとエバは外的であり、横的な実体の真の父母になって神様は内的であり、縦的な実体の真の父母になったでしよう。このようにだけなったとすればアダムとエバは内外の両面で100%神様を立体的に似た立場に立つようになっったでしよう。このように神様に完全に似たアダムとエバが人類の真の父母になったとすれば彼らの姿を通して人類は日常生活の中で神様の実体を認知して生きるようになったでしよう。』
生きるということ、絶対的神様の愛を完成させるのは神様自体ではない。息子娘を通して、つくられたこの真の父母を通してなされるために絶対価値の主人の資格を決定させてあげたのは神様でなく対象になった息子娘がそうだったということを知らなければならない。夫が妻を愛することができる主人を作ってあげるのも同様であり、妻を愛の主人につくってあげるのは妻でなく夫だったのです。それを知らなければならない。
自由も同様であり、神様一人でできないというのだ。愛は相対的関係でなされる。自由も同様であり、全部すべてそうだ。自由もそうだし幸福も1人でできない。互いが為にでき、受けてその受けたもので消耗してもっと育ててあげるのだ。補ってあげることができる行動があることによって大宇宙が生じる、大宇宙が。
今日既成教会の哲学、神学的な観で言うようになれば、神様は絶対者であるために愛も思い通りすると言うが、とんでもない!一人で誰が愛するのか?男が愛したければ女がいなければならない。そう、女に男を愛することができる主人をつくってあげるのは女自体ではない。また女は男、男は女に、互い互いが願う所で飲み主人が決定されるというのだ。それを願うのは主体ではない。男は男がそれをできないし、女もできない。
父母が父母の愛の主人になるためには、いくら自分の父母が理想的な家庭になって近所そのまた近所の称賛を受ける父母になっても子がいないようになればその夫婦はなくなるのだ。終わるのだ。愛も生命も終わる。永生がありえない。永生がどこにあるのか?私の愛、私の生命をもって永生が生じる?自分の永生の国、永生の家庭がどこから生じるのか?息子娘によって生じるのだ。
そう、絶対価値の完成は神様一人でも駄目だし、創造した相対的存在で完成されるということを知らなければならない。これは天下がひっくり返るのだ。わかるか?
そのために愛のために授受したとすれば受けた通り必ずプラスされうるように助けてあげなければならない。そうではないのか?真に良心的な心をもって自分のために与えるようになればそれを踏み倒したい本心がありません。補ってあげたい。
だから送った贈り物を見た喜びの主人になりうる資格は贈り物を送った人でなく初めて補ってあげたその人によって始まりと終わりまでより完成できる価値的な存在として拡張されるのだ!このために創造世界が生じるのだ。そのまま世の中が生じません。わかりますか、その言葉?重要な言葉だ、これが。先生がこの問題を中心にどれほど苦痛を経たのかわからない。どのようにこの大宇宙が生じたのかと言うのである、神様も。
そう、皆さんも今そうだ。10を持ったとすれば百持ちたいし、百持ったとすれば何をする?百を持ったとすれば百以上を戻すことができる存在があれば百以上のものをまた補うことができるのだ。戻してあげて戻してあげることができる相対の前に与えることによって私の10ほどの価値の基準を超えることができる場に立つようになる。補ってあげることによってまた始めることができるのだ。
膨大な大宇宙を創ったのは愛する息子娘のために
見なさい。この球形になったものがこのようになったが、個人時代・家庭時代・氏族時代・民族時代・ 国家時代、これが8段階になっているが、個人時代がこのようになるようになれば家庭時代はどのようにならなければならないのかと言うのだ、家庭時代は。
ここで1周回ってここから入って行ってここで大きくなるほどにこの長さが縦的な面に大きくて、その次にはここでこれよりも大きくて段階が生じるのだ。こうしてまた入って来て横的に大きく、縦的にここと同じでこのように大きくなるのだ。
そのためにこの出発点は、いつも1点から自分を中心に大きくなりたい。このようになるのだ。そしてずーっとこうであればこれが相対になる。それではこの存在はいくら大きかったとしてもこれを為に与えなければならない。為でなければストップだ。運動もストップされ、全てのものが停止されるのだ。
これも受けたとすれば受けた所に対して右舷からこのように回ってここに来たのでここでストップにならない。戻ってどのようになってこれを越えて行くのかと言うのだ。ここで受けたので為に補ってあげることによってこれを越えて行くのだ。越えて行ってここでなってここの中に入って来て花茎、横的に大きかったとすれば花茎として大きくならなければならない。縦的に大きくなろうとすれば高い場からこれを越えて段階が似たので中を中心にこれが層が生じるのだ。このように大きくなっていくのだ。
そのために大宇宙を神様が誰のために創ったのか?愛する相対、人間のためにこれをすべて創ったのだ、大宇宙。太陽系の1千億倍になる大宇宙なのだ。
ハワイに行くようになれば天文台があるが、そのレンズの直径が8メートルだ。その8メートルになる望遠鏡をもって宇宙を観察するようになれば47億年前の世界まで観察できる。
宇宙にはそれ以上がある。47億年前に出発した光が47億年かかって韓国に到着できる光を捕捉できる距離だ。1秒間に3億メートル、地球を7周半ほど回ることができる速度で行く距離の単位数が天文学では何の年?1光年だという、1光年。
47億光年のその世界、あの外の世界まで観察できる望遠鏡と言うのだ。無限大の世界を観察できるためにどこ?ヒョユリ(金孝律)!どこに行った?「ここにいます。継続して読みます。」あ、ハワイで47億年以上光年を測ることができる・・・。「天体望遠鏡ですか?」うん。それが何の国?「チリでもっと大きなものを作っています。」チリで作るがそれがいくら?何キロメートル?何メートル?「50メートルと言う話がありますが、完成はだめだとそうです。」そうだ。
それでは無限大の世界を測ることができるのだ。どれほど広大な世界なのかと言うのだ?その世界に今人工衛星のように訪ねて行ける実力になった。いくら大きな世界でも測定できるその世界になっておれば、月の国に行ける距離の数千万倍になってもその公式は同様なので拡大できる方向だけ出しておけばすべて測定できるのだ。極めて重要なのだ。
すべてそのように創ったのは神様のために創ったのでないというのだ。愛する息子娘のために。わかるか?「はい。」このように膨大な宇宙を神様が何故創ったのか?愛する息子娘のために。さ、それを終えよう、すぐに。
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1. 文鮮明先生御言選集
文鮮明先生御言選集 20060316 - 神様の愛と相対の価値 8
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