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6月18日付の日経新聞に、「厚生労働省は特定の疾患や臓器に限らず患者を診る『総合診療医』の普及を促進する。医療機関の広告規制を緩め、看板などに総合診療科と記載できるよう検討する」という記事が出ていた。
私自身は、このコラムでも指摘してきたように、超高齢社会には、現在の臓器別診療、専門分化型医療は、少なくとも高齢者には適さないと考えているので、総合診療がもっと普及してほしいとは思っている。
ただ、現実にこのような標榜(ひょうぼう)を急ぐのは危険なのも事実である。
というのは、総合診療の「専門医」がほとんどいないと言っていい状態だからである。
臨床より試験?
日本病院総合診療医学会という学会が、2022年から専門医制度をスタートしたが、まだ日本専門医機構の認証を正式に受けているわけではない。
確かに、日本専門医機構は19の基本領域の一つとして総合診療を入れてはいるのだが、循環器内科といった旧来の専門医のようなきちんとした研修と試験を受けた上で専門医になれる体制には総合診療科はなっていない。
この日本専門医機構が総合診療専門医検討委員会というのを作っているのだが、検討委員会のメンバーをみても、某大学の医学部長をたった2年で更迭されたような人が(私がその理由をうわさで聞いたのだが、かなり倫理上の問題があるように思える)副委員長で入っている。一方、私が尊敬する総合診療医の福島県立医大の家庭医療学の葛西龍樹教授や日本医療政策機構の徳田安春先生、あるいは総合診療が盛んな長野県で実績を上げている人などが入っておらず、大学医学部主導で、実際に総合診療の臨床ができる人より、総合診療の経験がなくても、試験に受かれば総合診療医を名乗れるようになるのではないかと不安になる構成だ。
少なくとも、総合診療のきちんとしたトレーニングシステムができる前に、総合診療の標榜を進めてしまうと、小児科のトレーニングを受けていない人が、内科・小児科と標榜するように、ものすごく当てにならない標榜科となりかねない。
生活背景を診ての「総合医」
そもそも、総合診療の定義が、かなりあいまいだ。
前述の、日本病院総合診療医学会のHPでは、「総合診療医とはSubspecialtyを持った上でどのような疾患にも対応し、未診断症例には速やかに正確な診断を行い、速やかな治療を行うことができ、場合によっては患者のことを考えた専門医との連携を円滑に行うことが出来る医師です」とされている。
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総合診療医について記載された日本病院総合診療医学会のホームページ
「Subspecialtyを持った上」というのがどういう意味で使われているのかわからないが、消化器内科とか呼吸器内科とか、一つは専門のトレーニングを受けた上ということであれば、臓器別診療の既得権益に配慮しているとしか思えない話だ。あるいは、総合診療医というのがSubspecialtyの専門医として認められ、その資格を持った上ということなのかもしれないが、だとすると今は総合診療医がいないことになってしまう。
速やかに正確な診断というが、私のイメージする総合診療医は、診断名ははっきりしなくても、その人を少しでも楽にしてあげるような医師という方が現実的だ。
いかにも大学医学部の医者が考えそうな定義だ。
関西医大の定義では、「総合診療医とは、患者さんの抱える問題の大部分に対処でき、かつ継続的なパートナーシップを築き、家族及び地域という枠組みの中で責任を持って診療する臨床医です」とある。いわゆるかかりつけ医をイメージしたものだろう。
福島県立医大の定義では、「地域や勤務する医療機関のニーズに応じて仕事の内容を柔軟に変えながら活躍できる、多様性のある医師」とされている。そして「例えばある環境では、高齢者の複合疾患や診断困難事例の臨床推論、救急医療で力を発揮。また別の環境では、臓器にこだわらずにその人全体、そして家族・生活背景・地域文化も診て、地域の人々の健康な生活を支援します」と続けている。
私の考える総合診療医というのは、臓器別とか、検査データ以上に、その人全体を診ることができる、さらに家族や生活背景なども診る医師だ。そういう意味では、この福島県立医大の定義がしっくりくる。
前述の私が尊敬すると書いた徳田安春先生は、総合診療医が訪問診療を行う際には、患者さんに断ったうえで、冷蔵庫の中身までみるという。
相手がどんなものを食べ、どんな生活をしているのかを知らずに、検査数値だけで薬を決め、いろいろな生活に制限を加える現代の医療とは月とすっぽんくらいの違いがある。
今の専門医機構が進めようとしている総合診療の専門医にそのような視点があるようには、彼らのHPをみても、そのメンバーをみても全く感じられない。
危うい臓器別医療
さて、この総合診療の専門医が必要とされる背景には、前述のように既存の臓器別診療では、超高齢社会に対応できないということがある。
人口が高齢化すると、高齢者は同時にいくつかの疾患を抱えやすいからだ。
一つは薬の多剤併用という問題、とくにそれによって有害事象が生じるポリファーマシーの問題がある。
臓器別診療では、自分が診ている患者さんが、専門外の疾患も併発している場合、その病気の専門家に紹介するのが原則だ。
すると1人の患者さんが複数の診療科を受診することになるために、薬の種類が増えがちとなる。三つの診療科から3種類ずつの薬を処方されると9種類の薬を処方されることになるわけだ。
あるいは、ある臓器別診療の医師として大病院や大学病院に勤務していた医師が、内科医として開業するような場合、専門外の疾患も自分でみることになるだろう。そういう際に、いろいろな病気の標準的な治療が書かれたマニュアルのような本に頼ることになりがちだ。いくつもの疾患に、そのような対応を行うと多剤併用が簡単に生じてしまう。
東大の老年病科の入院データベースによると、薬物の有害事象は6剤以上の併用で急激に増える。また東大老年病科の小島太郎医師らによる調査では5剤以上の併用で、転倒のリスクが40%強、4剤までの併用と比べて2倍にも増えるとのことだ。
こういう際に、いくつかの疾患をかかえ、かなりの種類の薬を処方されている患者さんに総合診療医が、その人を全体として診て、薬の優先順位をつけ、5種類以上だと転倒の害の方が大きいと判断したら、4種類までを選んであげるのが、総合診療医の役割だ。
身体全体を考える
もう一つの臓器別診療の弊害は、ある臓器にとって有益なことが別の臓器にとっては有害なことがあり得るということだ。
例えば、コレステロールという物質は、高値であると動脈硬化が進みやすい。心筋梗塞(こうそく)などの虚血性心疾患のリスクになることが知られ、この値が高い人は下げた方がいいと考えられ、脂質異常治療薬や脂質低下薬と呼ばれる薬が改善に用いられる。
実際、ハワイの住民調査でもコレステロール値が高いほど虚血性心疾患による死亡率が高いことが明らかになっている。
ところが、コレステロールは免疫細胞の材料となるため、この値が高い人の方が免疫活性が強いと考えられている。すると、体中でできる出来損ないの細胞の掃除がうまくいくため、がんになりにくいことになる。ハワイの住民調査でも、コレステロール値が高いほどがんによる死亡率が低いことが明らかにされている。
また、コレステロールは男性ホルモン、テストステロンの材料であるため、この値が高い人の方が高齢になっても意欲的で老化が緩徐である傾向がある。
コレステロールは幸せホルモンといわれるセロトニンを脳に運ぶ働きがあるのではないかと想定され、コレステロール値が高い人の方がうつ病になりにくく、なった際も治りやすいという調査結果もある。
このように脂質低下薬は循環器内科の医師にとってみると有益な薬なのだが、免疫学やホルモン医学、精神医学の立場から見るとデメリットが大きいことになる。
そして、東京都小金井市の15年間にわたる70歳高齢者の追跡調査では、コレステロール値が低い人の死亡率が高く、やや高めの人が死亡率が低いこともわかっている。
このように臓器別診療の専門医がよかれと思ってやっていることが体に悪かったり、寿命を縮める結果になったりすることは大いにあり得ることなのだ。そういう際に、体全体を考えた治療をしてくれるのが総合診療医なのだ。
以前、このコラムで栄養学や免疫学の大切さを指摘したが、そういう体調管理の役割も総合診療医に期待されるところだ。
個人差にも配慮
さらにいうと、総合診療医は人間一人一人に対応するので、個人差に対応するというのも大切な役割だ。
例えば、私の場合、動脈硬化がよほどひどいらしく、血圧や血糖値を正常にまで下げると頭がフラフラしてしまう。血管の壁が厚いので、血圧が高くないと酸素が、血糖値が高くないとブドウ糖が脳に十分届かないのだろうと想像している。
体調がいい方が長生きもできるようで、私は仕事柄、血圧や血糖値が高いのに長生きしている人を何人も知っている。このような個人差を勘案した医療を行えるのも総合診療医の大切な役割だ。
ついでにいうと、総合診療医はオールラウンドに患者さんを診るので、心の問題についても対応する。
実は、ストレスチェックなどで心の問題に早期対応しようという機運が高まっているのだが、なかなかそれをしてくれる医師が足りないという問題は、よく聞く話だ。
大学医学部の精神科の主任教授は、医学部の教授会での選挙で決めるのだが、論文の数で決める傾向が強いため、精神科の主任教授で教授になる前の研究領域が精神療法(対話による心の治療)である人は一人もいない。そのため、大学の6年間でカウンセリング的なことを学ぶことなく、医学部を卒業する医師も多い。
総合診療のトレーニングの期間に心の治療の基本を学べるようにすれば、今の一般の精神科医(薬物治療が中心になることが多い)より、総合診療医がストレスなどに対応できることが期待できる。
これまで臓器別診療を行ってきた医師たちが、ろくにトレーニングを受けずに、総合内科を標榜できるようになるのではなく、薬の整理や心のケア、栄養学的なアドバイス、そして一人一人と長く付き合いながら個人差にも対応できるような総合診療医の育成こそが急務だ。
そのためにはむしろしっかりした総合診療の専門医を育てる研修機関を作るくらいの発想を厚生労働省にはもってもらいたい。それこそが医療費の節約と高齢者の生活の質(QOL)の増進につながるはずだ。
特記のない写真はゲッティ
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和田秀樹
和田秀樹こころと体のクリニック院長
わだ・ひでき 1960年大阪府大阪市生まれ。1985年東京大学医学部卒。同大学医学部付属病院精神神経科、老人科、神経内科で研修したと、国立水戸病院神経内科および救命救急センターレジデントを経て、当時、日本に三つしかなかった高齢者専門の総合病院「浴風会病院」で精神科医として勤務した。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、国際医療福祉大学大学院臨床心理学専攻教授を経て現職。一橋大学・東京医科歯科大学で20年以上にわたって医療経済学の非常勤講師も務めている。また、東日本大震災以降、原発の廃炉作業を行う職員のメンタルヘルスのボランティアと産業医を現在も続けている。主な著書に「70歳が老化の分かれ道」(詩想社新書)、「80歳の壁」「70歳の正解」(いずれも幻冬舎新書)、「『がまん』するから老化する」「老いの品格」(いずれもPHP新書)、「70代で死ぬ人、80代でも元気な人」(マガジンハウス新書)などがある。和田秀樹こころと体のクリニックウェブサイト、有料メルマガ<和田秀樹の「テレビでもラジオでも言えないわたしの本音」>