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毎日新聞 2022/4/8 東京朝刊 有料記事 4413文字
※ マイクロアグレッション(英語: Microaggression)とは、1970年にアメリカの精神医学者であるチェスター・ピアスによって提唱された、意図的か否かにかかわらず、政治的文化的に疎外された集団に対する何気ない日常の中で行われる言動に現れる偏見や差別に基づく見下しや侮辱、否定的な態度のこと。
「マイクロアグレッション」という概念が注目されている。人種やジェンダー、性的指向などに関するマイノリティーに向けられる、あからさまではない無自覚な差別のことだ。米国で心理学者が理論化し、広く知られるようになった概念で、誰もが当事者になりえるという。知ることが最初の一歩。どんな言動のことなのか聞いた。
日常受ける攻撃性を可視化 出口真紀子・上智大教授
マイクロアグレッション(MA)は一見あからさまな差別でないように見えるが、実は尊厳を傷つけるような攻撃性が含まれている言動を指す。
子供時代をアメリカで過ごした際、よく言われたのが「英語が上手だね」だった。幼少期からアメリカの学校に通うと発音も自然とネーティブになる。ほめられる筋合いがないと思いながら「サンキュー」と返していたが、成長するにつれ初対面の人に常に同じ言葉をかけられることに違和感を覚えるようになった。
10年ほど前、MAという言葉を知って「これだ!」と思った。ほめられているのにモヤモヤするのは「英語がしゃべれることが当たり前じゃない側の人間」だと自分が見られていたことに気づいたからだ。日系移民は19世紀からアメリカでアメリカ人として暮らしてきたはずなのに、いつまでたってもアジア人は外国人扱いをされている。「英語が上手だ」と言われるたびに「お前はよそ者だ」というメッセージを受け取っていたと、ふに落ちた。
これを日本の文脈に置き換えてみよう。在日コリアンの人が朝鮮名を名乗っている場合、よく「日本語がお上手ですね」と言われるという。しかも常に初対面の人に言われるとすると、どうだろう。
日本の植民地支配が原因で何世代にもわたって日本に暮らしている在日コリアンの人が「あなたは日本には住んでいない、海外から来たよその人」というメッセージを常に受け続けることを考えると、それがなぜ攻撃的であるかが想像できるだろう。言っている側の日本人はまったく悪気がなくても、日本の歴史的文脈における知識と想像力の欠如について見直すべきである。
MAという概念はアメリカにおける人種的マイノリティーの研究者たちが名付けた概念である。MAという概念がなぜ重要なのか。それは今までマイノリティーが「差別」という言葉以外に、自分が否定されたり、さげすまれたりした体験を表現する適切な言葉を持っていなかったからだ。こうした言葉があることで、体験にリアリティーと正当性を持たせたことの意味は大きい。そしてマイノリティーが日常的に受けている攻撃性を可視化することにつながった。
たとえ発言者本人の意図がポジティブ(ほめているつもり)であっても同時に抑圧的である、ということが明確にされた。MAの概念が提唱されると、アメリカでは「差別、差別と言い過ぎて逆に対立を招く」などと反発が起きたが、これは日常的にマイクロアグレッションを経験せずに済んでいるマジョリティー側の反応で、マイノリティー性を持っている人には歓迎された。
人間には複数の属性があり、誰もがマジョリティー性とマイノリティー性の両方を兼ね備えている。だからMAは誰もがやりかねないし、誰もが当事者なのだ。個人を責めるというより、社会構造を知り、相手を理解し、対話の手助けとなる概念としてこれからも活用してほしい。(寄稿)
個人を属性に押し込めない 森山至貴・早稲田大准教授
私たちの日常には、「国民的~」とか「日本人ならば~」といった表現があふれている。悪意はなくとも、外国籍の人や外国で育った人には「あなたを除外した話です」と聞こえる。「ゲイだからセンスがいいんですね」は、褒め言葉のつもりでも、「あなたはこの属性だからこうだ」という決めつけである。
マイクロアグレッション(MA)は、「不意に人を例外扱いする」ことでマイノリティーを傷つける。一言で、突然、自分だけが周りの人の「向こう岸」に追いやられてしまう。「不意な例外扱い」を無意識にする「特権」を持つのがマジョリティーで、されるのがマイノリティーとも言える。「日常の何気ない言葉まで差別だとされたら、何も言えなくなってしまう」といった拒否反応は強そうだが、個人を属性に押し込めずとも、話せることはいくらでもある。
MAに直面したらどう対応すべきか。とっさには「日本には国民じゃない人も住んでいるし」とか「誰々さんは別に何国人の代表じゃないし」とか、MAを相対化、無効化する一言があればいい。きちんと話せる相手や場ならば、「今、『自分とは違う属性の人間』だと、私との間に線を引きましたよね」と諭せる。
こうした取材を受けると、しばしば、「何が差別で何が差別ではないのか、読者に分かりやすく説明してほしい」と聞かれる。どんな言動も、文脈や状況次第で差別になったり、ならなかったりする。その文脈や状況がある程度以上定型化されているから、便宜的に「これが差別で、これは違う」と言えるだけだ。
個々人が、平等や公正といった理念に即して、その場その場でどう発言、行動するかが問題なのに、「『差別だ』と批判されるリスクを回避するために、どんな『ライフハック』(生活の知恵)があるか?」と考えられがちだ。MAの概念が受け入れられにくいのは、日常の微細でたわいない言動による差別なので、「NGリスト」を作ると項目が無数に増えて、「ライフハック」では対応しきれなくなるからではないか。
人が差別を指摘されて反発するのは、「差別をするのは悪い人間だ」という前提は持っているうえで、「自分は悪い人間ではない」と思いたいからだろう。だから、差別の定義を直接的で明確な悪意のある言動や制度などに限定したがったり、「自分は差別していない」と思いたがったりする。だが、差別でなければ何をしてもよいわけではない。差別は、さまざまな悪い行いのうちの一つにすぎない。何が差別で何が差別ではないか以前に、「悪いことをしたり、人を気遣えなかったりする人間でありたくない」を議論の出発点にしたい。
差別の定義を狭く考えない方が、より人を気遣えて、人に嫌がられることが減るはずだ。「これは差別になりそうだ」と気をつけることからはじめるのは、むしろ、他者と風通しのよい関係を作るための近道なのだと知ってほしい。【聞き手・鈴木英生】
公正な社会へのきっかけに 丸一俊介・在日コリアンカウンセリング&コミュニティセンター(ZAC)代表
マイクロアグレッション(MA)の概念は、異なる属性を持つ相手を理解したいと思う人にとって貴重な「気づき」となるだろう。
私とあなたという個人の関係であっても、政治的・社会的な非対称性や差別構造から完全に自由ではいられない。例えば夫婦や恋人、友人間でコミュニケーションがうまくいかない時、属人的な理由だけではなく、ジェンダーや人種・民族など互いが背負わされた立場性がからんでいることがある。個人の問題にせず、MAが起きる背景となる社会の不公正を変えていくきっかけとしたい。
私は精神保健福祉士として精神疾患のある人の相談や生活支援を行う傍ら、MAの調査・研究活動をしている。MAに興味を持ったきっかけは親しい在日コリアンの知人とのやりとりだった。知人とは信頼関係はあったが時々コミュニケーションがうまくいかず、会話ができなくなることがあった。しばらくして、日本人と在日コリアンという互いの属性の違いゆえ、日本社会でより強い立場にいる自分の振る舞いが、意図せずとも相手を傷つける言動につながっている、と思い至った。
最初は否定しようとした。「自分のせいじゃない」「相手が気にし過ぎ」と。しかし、それまでの自分の思いが至らなかったことを相手に素直に謝った日から、私たちのコミュニケーションがうまくいくようになった。
後日、MAという概念を知り、この経験がより理解できた。知人が日本社会で体験した差別や不公平に対し「気にすることないよ」などと言うことで、私は相手の体験を「無価値化」していたのだと。
その後、この知人らとZACを設立し、MAについて調査を始めた。20、30代の在日コリアンのほとんどが日常的にMAを経験していた。
意を決して韓国にルーツがあると親友に打ち明けたら「気にすることないよ。あなたは日本人と変わらないから大丈夫」と言われた人。ヘイトスピーチを耳にした不安感を友人に伝えたら「そんなの気にしなきゃいい」と個人の弱さの問題で片付けられた人。
周囲は善意や励ましのつもりだったかもしれない。しかし言われた在日コリアンの側は、悪意のない友人の言葉だからこそ余計にモヤモヤを抱え込む。あからさまな差別以上に悩み混乱する。「私の名前や服装が日本人と違ったら『大丈夫』じゃないの?」「私が気にし過ぎなの?」と。
マジョリティー側から「細かいことを言われたら何も言えなくなる」と反発がある。言うべきでないことを知る必要はあるが、MAを単に「NG用語集」にするのではなく、自分の偏見に気づき、他者との違いや非対称性を理解し対話を深めるために使ってほしい。特にマイノリティーの人たちの「アライ」(理解者、支援者)になりたいと望む人には手助けとなるはずだ。
最後に。私がZACで名ばかりの「代表」を務め、取材窓口を務めるのは、在日コリアンのスタッフのプライバシーを守るため。それほどバッシングが深刻なことを言い添えたい。【聞き手・小国綾子】
差別以上の負担とも
日本では心理学者デラルド・ウィン・スーの著書「日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション」が2020年に翻訳され、関心を集めた。マイクロアグレッションは、日常的に頻発するうえ、マイノリティーが「これって差別?」と反応に迷ったり、周囲に話しても「気にしすぎ」と受け止めてもらえなかったりするため、あからさまな差別以上に精神的・心理的負担を受けるといわれている。
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■人物略歴
出口真紀子(でぐち・まきこ)氏
米ボストン・カレッジ心理学研究科博士課程修了。共著書に「北米研究入門―『ナショナル』を問い直す」、監訳書に「真のダイバーシティをめざして」など。=小国綾子撮影
■人物略歴
森山至貴(もりやま・のりたか)氏
1982年生まれ。東京大大学院博士課程単位取得退学。専門はクイア・スタディーズ(性の多様性を扱う学問)。著書に「あなたを閉じこめる『ずるい言葉』」など。=植村直承撮影
■人物略歴
丸一俊介(まるいち・しゅんすけ)氏
精神保健福祉士。公認心理師。ZAC代表。「マイクロアグレッション研究会」の一員として「日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション」(明石書店)を翻訳した。