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米国で高病原性のH5N1型鳥インフルエンザウイルスの感染が牛に広がっています。米疾病対策センター(CDC)の7月5日の報告によれば、全50州のうち12州で乳牛の感染が確認されましたが、さらに酪農従事者4人への感染も報告されました。
https://www.cdc.gov/bird-flu/situation-summary/index.html
現時点ではいずれも感染牛に接したことによる感染ですが、今後、感染した人から周囲の人に感染する「ヒト―ヒト感染」を起こす可能性や、ひいては人類が免疫を持たない新型インフルエンザの誕生につながる懸念もあるため、世界保健機関(WHO)も警鐘を鳴らしています。
哺乳類からヒトに感染した最初の症例
米国で「乳牛に初めてH5N1鳥インフルエンザウイルスの感染」が報告されたのは、2024年3月25日。さらに4月1日、テキサス州で、H5N1鳥インフルエンザ感染が疑われる乳牛に接触したヒトへの感染が確認されました。
これは、H5N1鳥インフルエンザウイルスが「哺乳類からヒトに感染した最初の症例」と考えられています。CDCによると、哺乳類が感染した鳥や動物の肉を食べた場合やウイルスに汚染された環境にさらされた場合、H5N1鳥インフルエンザウイルスに感染することはあります。ただこうした散発例に対して、感染した哺乳類から哺乳類にH5N1鳥インフルエンザウイルスが拡散することはないと考えられていました。
https://www.cdc.gov/bird-flu/situation-summary/mammals.html
しかしこの最初の症例以後、日本時間7月10日現在までの間に計4人の感染者が出ています。4人の感染者(ミシガン州2人、テキサス州1人、コロラド州1人)は、全員、感染した乳牛に接触した酪農場労働者です。
4人の感染者の経過は?
WHOによると、03年から24年4月1日までに、H5N1鳥インフルエンザウイルスの感染例は世界23カ国合計889件あり、463人が亡くなっています。致死率52%です。
https://www.who.int/emergencies/disease-outbreak-news/item/2024-DON512
これに対し、これまでの4例の感染例はいずれも回復しています。4月1日にテキサス州で確認された最初の患者は、目の充血(結膜炎)が唯一の症状でした。隔離するよう指示され、インフルエンザの抗ウイルス薬の治療で回復しています。
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https://www.cdc.gov/media/releases/2024/p0401-avian-flu.html
5月22日に、ミシガン州で2例目の感染が確認されました。テキサス州の症例と同様に、患者は目の症状のみを報告しました。
https://www.cdc.gov/media/releases/2024/s0522-human-case-h5.html
さらに同30日、ミシガン州で3例目の感染が確認されました。この患者は、感染した牛に直接接触した後に呼吸器症状が発生しました。患者はインフルエンザ治療薬オセルタミビルを投与され、自宅で隔離されており、症状は治まりつつあります。
https://www.cdc.gov/media/releases/2024/p0530-h5-human-case-michigan.html
そして7月3日、コロラド州で4例目が報告されました。患者は目の症状のみを報告し、オセルタミビル治療を受け回復しました。
https://www.cdc.gov/media/releases/2024/p-0703-4th-human-case-h5.html
このような状況において、CDCはこれまで以上に警戒を強めていますが、現時点で一般市民へのリスクは低いと考えています。
ペットや食べ物から一般市民への感染は大丈夫でしょうか?
鳥インフルエンザは猫に感染する
アメリカ獣医師会(AVMA)の情報によると、これまでに、乳牛でH5N1鳥インフルエンザの感染が見つかっている州で、少なくとも26匹の猫がH5N1鳥インフルエンザ検査で陽性反応を示しました。猫は以前からH5N1鳥インフルエンザに感染することが知られており、神経学的兆候、大量の眼鼻分泌物、高い死亡率など、重症化することが報告されています。
米紙ニューヨーク・タイムズ(NYT)の取材に対し、フランス国立保健医療研究所の獣医疫学者であるユンジョン・キム博士は「ウイルスに感染した猫はしばしば重症化し、場合によっては死亡することもある、死亡率は驚くほど高い」と答えています。韓国の猫の保護施設では、感染した40匹の猫のうち、38匹が死亡しました。
https://www.nytimes.com/2024/06/17/health/bird-flu-cats-dogs-h5n1.html
メリーランド大学公衆衛生学部クリステン・コールマン博士らによる未査読の報告では、H5N1鳥インフルエンザ感染による猫の死亡率は67%でした。感染した猫の多くは発熱、食欲不振、呼吸器症状(鼻汁、呼吸困難、肺炎など)を引き起こし、硬直、震え、けいれんなどの神経症状もよく見られました。「狂犬病と混同されることもあります」とNYTにコールマン博士は語ります。
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2024.04.30.24306585v1
感染した犬も散発的に報告されています。カナダ食品検査庁によると、23年に野生のガチョウをかんだ飼い犬が高病原性鳥インフルエンザに感染し、死亡しました。
同年夏にポーランドで猫にH5N1鳥インフルエンザが発生したとき、16歳の飼い犬が感染し、激しいせきなどを呈しましたが、動物病院にて治療後回復しました。
https://www.mdpi.com/2076-2607/12/4/689
専門家は、屋内にいるペットの感染リスクは極めて低いものの、飼い主は生乳や生肉をペットに与えるのは避けるように警告しています。
牛乳、牛肉、鶏肉・・・安全性は?
畜産業への影響はどうでしょうか。鳥類では罹患(りかん)率と死亡率が高いH5N1鳥インフルエンザウイルスですが、乳牛ではそうではありません。
AVMAによると、感染した牛によく見られる臨床症状は、食欲不振、乳量の低下、乳房の異常な外観(色が濃くなる、変色する)などです。授乳中の牛が最も影響を受けており、群れ内の牛の10%未満に病気の兆候が報告されています。感染した乳牛のほとんどは支持療法で回復すると報告されており、死亡率は2%以下と低くなっています。
これは不幸中の幸いです。高病原性鳥インフルエンザは養鶏業界に大きな打撃を与えました。米国では鶏が感染した場合、感染した群れは殺処分する感染対策がとられています。米農務省(USDA)によると、23年には、94億羽以上のブロイラー鶏と2億1800万羽以上の七面鳥が殺処分されました。
一方、牛は育てるのに時間がかかり、個体当たりの価格が高額であるため、殺処分となれば農家に大きな打撃となります。一部の農家は殺処分を恐れ、感染状況を把握するためのUSDAの調査に協力することを拒んだとも言われます。こうした懸念が対応の遅れにつながったとの指摘もあります。また今回のUSDAの初動対応について批判も出ています。USDAは規制だけでなく、米国の農産物の宣伝の役割も担うため、後手に回ったとの見方があります。
食肉や牛乳の供給について、米公衆衛生当局は「安全」を強調しています。ただし、ハーバード大学医学部ロバート・シュマーリング医学博士らは「流行が初めて鳥から乳牛に広がったことがわかって以来、懸念が高まっている」「さらに憂慮すべきことは、ある調査で、米国で市販されている牛乳の20%に、生きたウイルスとは異なる鳥インフルエンザDNAの断片が含まれていることがわかったことだ」と指摘します。
https://www.health.harvard.edu/blog/a-bird-flu-primer-what-to-know-and-do-202405083039
実際、これまでの研究はそれほど説得力のあるものではありませんでした。6月14日の医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)」の報告によると、米国立衛生研究所(NIH)の科学者らは、実験室での研究で、鳥インフルのウイルスの一部が低温殺菌を生き延びることを発見しました。
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMc2405488
しかし同月28日、米食品医薬品局(FDA)は業界で広く使用されている低温殺菌だと、牛乳中の鳥インフルエンザウイルスは死滅すると報告しました。このことで、安心感が広がっています。
さらに、CDCは、感染予防のために次のように注意しています。
鶏肉と卵を内部温度がカ氏165度(セ氏約74度)になるまで加熱。牛ひき肉は内部温度がカ氏160度(セ氏約71度)に達するまで加熱、牛肉の丸ごと切り身はカ氏145度(セ氏約63度)に達してから3分間休ませる。低温殺菌された牛乳と低温殺菌された牛乳で作られた製品を選ぶこと。
https://www.cdc.gov/bird-flu/prevention/index.html
感染症専門家の警告
6月19日のNEJMにおいて、感染症専門家で副編集長のリンジー・バーデン博士は次のような趣旨の警告を発しました。
「私たちはヒトが感染する季節性インフルエンザやその感染経路についてよく知っています。季節性インフルエンザに関しては、世界中に非常に優れた監視メカニズムがあります。またニワトリなどの家畜の鳥の集団におけるインフルエンザ(鳥インフルエンザ)についてもかなりの知識があるほか、野鳥の集団についてもある程度知っています。一方で、これまで牛のインフルエンザを実際に調べたことは一度もありませんでした。実は牛が鳥インフルエンザに感染したのはこれが初めてではなく、これまでにも牛でインフルエンザが流行したことがあったのに、見逃しただけだった可能性もあります」
「ただやはり、牛のインフルエンザは人類にとって未知の問題です。知見がない状態で、将来の予測は立てにくい。今後も牛の感染が増えるようなら、人への感染能力を持つような、悪い突然変異が起こる可能性はさらに高まります」
「私たちは新型コロナウイルスで多くのことを学びました。診断検査機器を広範囲に配布できるようになり、自宅で迅速に検査ができるようになりました。抗体医薬やワクチンも迅速に製造できる体制も整えています」
米保健福祉省(HHS)は5月10日、検査、予防、治療の取り組みを継続するために、CDCとFDAを通じて総額1億100万ドルの新たな資金投資を行うと発表しました。さらに7月2日、バイオ医薬品大手の米モデルナは、鳥インフル対応mRNAワクチン開発のために、米政府から1億7600万ドルの資金を確保しました。従来のワクチンの製造は時間がかかる上、鶏の卵を使用します。H5N1鳥インフルエンザの発生で、卵の供給不足となる中、mRNAワクチンの技術は欠かせないでしょう。
https://apnews.com/article/bird-flu-moderna-vaccine-mrna-pandemic-7f15d8d274a24d89fa86e2f57e13cbff
以上、米国の状況です。この夏、鳥インフルエンザが発生している国への旅行を計画している人は、農場、生きた動物の市場での動物、動物の排せつ物への接触には十分注意してください。また、食の安全性の確認も忘れずに。
写真はゲッティ
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大西睦子
内科医
おおにし・むつこ 内科医師、米国ボストン在住、医学博士。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部付属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月より、ボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。08年4月から13年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。ハーバード大学学部長賞を2度授与。現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員として、日米共同研究を進めている。著書に、「カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側」(ダイヤモンド社)、「『カロリーゼロ』はかえって太る!」(講談社+α新書)、「健康でいたければ『それ』は食べるな」(朝日新聞出版)。