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炎熱の地球を生き延びる知恵~その1・夏の弁当は避けるべし~谷口恭・谷口医院院長
2024年7月15日
一向に止まる様子のない地球温暖化により気温が異常に上昇し世界各地で死者が報告されています。インドでは50度を超える地域が相次ぎ「過去10年間で最悪の熱波」を記録、少なくとも数百人が死亡したと報道されています。サウジアラビアでは猛暑の中で行われたハッジ巡礼で少なくとも1300人が死亡したと発表されました。ここまで異常気象が続けば、これまでの夏の対策ではこの猛暑を乗り切れないと考えるべきです。たとえ日ごろは健康でまったく病気のない人でさえ、油断すると命を落としかねません。そこで今回から、地球温暖化の猛暑を生き延びるための「知識と対策」をお伝えしていきます。1回目となる今回は「夏の食中毒に注意しよう」です。
温暖化が将来食中毒を増やす恐れを指摘
年間を通していえば、当院の食中毒の原因で最も多いのはノロウイルスで、そのため数年前までは食中毒の患者数は冬に突出して多かったのですが、最近その傾向が変わってきています。夏の食中毒が増えてきているのです。特に新型コロナウイルスが終息しつつあった昨年の夏には大幅に増え、そして今年も増加傾向にあります。世界的にみても食中毒は気温が上昇する春の終わりから夏に報告数が増加します。これは気温上昇に伴い食中毒の原因となる細菌が増殖しやすくなり、また水質が細菌繁殖で汚染されるようになるからです。
といっても、単純に「気温上昇なら食中毒増加」と決めつけられるわけではなく、感染症の流行には他の因子、例えば、社会人口学的要因(人の集まるところで感染しやすい)、人間の行動(行動範囲と内容が影響を与える)、抗菌薬の耐性に起因する影響、行政の対策、ワクチンの普及なども関わります。例えば、日本でノロウイルスの感染が多いのは気温上昇が原因ではなく、冬に(生)カキを食べるという日本の食文化が大きな要因です。
気候と食中毒の関係についてはUK Health Security Agency(英国健康安全保障庁)の報告書「Health Effects of Climate Change(HECC) in the UK: 2023 report」(英国での気候変動の健康への影響2023年版)によくまとまっています。すべてがそのまま日本にも当てはまるとは言えないかもしれませんが、大部分は日本でも参考になる研究に基づいた報告書です。同報告書によると、急性の胃腸症状の原因となる食品や水に含まれるサルモネラ菌、カンピロバクター菌、腸炎ビブリオなどについては、天候と疾患発生率の関係が明らかにされていて、これらの病原体による疾患のリスクが地球温暖化の悪化により将来増加する証拠が示されています。他方、ノロウイルス、アストロウイルスやサポウイルス(感染性胃腸炎の原因ウイルス)などの病原体は気候の影響を評価するには証拠が不十分とされています。
英国で発行された、気候変動による健康への影響に関する報告書
世界保健機関(WHO)も地球温暖化と食の安全についての報告書【https://cdn.who.int/media/docs/default-source/food-safety/climate-change.pdf?sfvrsn=59c632e7_2&download=true】を発表しています。やはり、温暖化により食物に付着する細菌量が異常増殖することもあれば、温暖化による洪水や豪雨などで水質が汚染されることもあることを報告しています。
谷口医院での診療経験から「夏の食中毒」増加を実感
さて、先述したように当院では昨年から夏の食中毒が増加しています。その最たる原因は「手製の弁当」で、典型的な一つのパターンが「パートナーが朝つくった弁当を昼休みに食べた現場の作業員」です。おそらく過去には同様の行動をとっていても弁当が傷むことはそうなかったのでしょう。ですが、この猛暑の中では気を付けていても保存条件が不適切となり細菌が増殖したと考えられます。ですから、去年から私は当院の患者さんに対しては「夏の弁当やランチボックスはできるだけ避けましょう」と案内しています。コンビニやファストフードで昼食を済ませる場合も「食直前に購入」するよう助言しています。
細菌性の食中毒の場合、日ごろ健常な人であれば必ずしも抗菌薬は必要なく、一切の薬を処方しない(もしくはプロバイオティクスのみの処方)ということも多々あります。「薬や検査は最小限」は当院開院以来の方針であり、食中毒の場合も同様です。基本的には、水分摂取可能で、いつもと変わらない尿(特に色に注意)が出ていて、血便・高熱・激しい倦怠(けんたい)感などがなければ、検査をせずに、自宅で水分摂取と積極的な排便で「自己治療」してもらっています。「トイレに大量のドリンクを持ち込んでどんどん便を出してください」が私の助言です。
他方、水分摂取困難、血便(の可能性)、高熱、激しい倦怠感などがある場合は、補液を開始し、できるだけ詳しく問診をして原因食物の予想をした上で抗菌薬を処方します。そして便を提出してもらって培養検査(どの細菌がいるかを調べる検査)を実施します。ターゲットとする細菌が、カンピロバクターなのか大腸菌なのかサルモネラ菌なのか、あるいは腸炎ビブリオなのかウエルシュ菌なのか……といった予想をした上で抗菌薬の種類と量を決めるのです。その場で便が出せるようであればその便を使って顕微鏡検査(グラム染色)をおこなうこともあります。
海外で発生した集団食中毒事件
目下、「日本の夏の食中毒が急増している」という私のこの主張を裏付けるデータは見当たらないのですが、世界各地の報道がそれを示唆しています。例えば、英国では5月末に大手スーパーや小売りチェーンで販売されているサンドイッチやロールパンに含まれるレタスに付着していた大腸菌による集団食中毒事件が起こりました。英国の報道によると、6月27日の時点で275人が発症、80人以上が入院、1人が死亡しています。原因は病原性大腸菌O145であることが判明しました。レタスの場合、食品に付着していた大腸菌が高温多湿下の環境で増殖した可能性の他、洗浄で用いた水が汚染されていた可能性も考えなくてはなりません。The Telegraphは、過去数カ月間の異常な雨天が現在の大腸菌の流行につながる条件を作り出した可能性があるという専門家の意見を紹介しています。
野菜のなかでも葉野菜、特にレタスには、大腸菌、サルモネラ菌、リステリア菌などが付着していることがあります。リスクを減らすには、(異論もあるでしょうが)冷蔵された包装済みの(そのままのかたちの)レタスのみを購入し、食べる前にしっかりと洗うべきだと私は考えています。過去のコラム「今日から使えるノロウイルス対処法」で「私は生ガキを食べない」と述べたように、私は医師になってから原則として食べなくなったものがいくつかあって、「『レタスミックス』などと呼ばれる袋に入ったあらかじめ葉がカットされたレタス」もそのひとつです。
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食中毒はアジアでも頻発しています。ベトナムでベトナム風サンドイッチとも呼ばれる「バインミー」での2件の集団食中毒事件が報道されました。バインミーは仏領インドシナ時代にフランスから入ってきて普及したフランスパンに、肉や野菜、ハーブなどをはさみ、バター、香草、ニョクマム(ベトナムの魚しょう)などで味が調えられた料理で、外国人にも大変人気があります。23年9月11日、ホイアンの人気バインミー店を利用した外国人観光客33人を含む150人の客が食中毒を起こしました。24年4月30日にはドンナイ省ロンカインのバインミー店を利用した客568人が食中毒を発症しました。原因菌は、ホイアンの事例ではセレウスとサルモネラ、ロンカインではサルモネラと大腸菌で、これらはいずれも高温多湿下で増殖します。インドのメディアFirstpostはアジア各国で食中毒が相次いでいることを報告し、ベトナムの集団食中毒は「猛暑のせいでサンドイッチが腐ってしまったと考えられる」と指摘しています。
こうしてみてみると、熱波や異常気象により高温多湿下の影響が続けば手製の弁当はもちろん、スーパーで販売されているカットされた野菜、店頭で販売されるサンドイッチなどにもリスクが潜んでいることになります。ということは、野菜はそのままのかたちのものを購入し、食べる前にきれいな水でよく洗い、食べ物を高温多湿下の環境におかないように注意し、外食時にもその店で適切な感染予防策が取られているかどうかを見極めなければなりません。これはもう以前のようには暮らせないことを意味するわけで、すでに我々は大変な時代に突入していると認識すべきです。自分と自分にとって大切な人の身を守るための最大の“武器”は「正しい知識」であることを改めて強調しておきたいと思います。
特記のない写真はゲッティ
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。