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「境界知能」をめぐり考えたこと~知能検査は何のために?山登敬之・明治大学子どものこころクリニック院長
2024年7月17日
「境界知能」という言葉を知っていますか? 知能が平均とされる範囲より下と判定されるものの、知的障害があるとまではいえないレベルのことをいいます。知能指数(IQ)で示すと70から85程度の範囲にあたります。
30人学級1クラスに4人はいる?
IQは平均値を100として作られた知能検査に基づく数字です。集団のデータを集めると図のような正規分布を作るので、知能指数が100の人の数がいちばん多くなり、そこから左右対称に数値の低い方、高い方へと減っていきます。
知的障害は、このごろは知能指数だけを診断の根拠にはしませんが、少し前まではIQ70を基準に診断していました。つまり、70未満を知的障害とみなしていたのです。その出現率は、正規分布に照らすと2.2%であることがわかります。
筆者監修により作成
境界知能の場合は、同じく13.6%になるのですが、小学校の30人学級だと1クラスに4人はいる計算ですから、けっこう大きな数字です。その子たちが何に苦労するかといえば、いうまでもなく勉強です。
小学校の低学年はまだなんとかなっても、3年生ぐらいになるとついていけなくなります。本人も授業がよくわからなくて苦痛なうえに、自分が周囲に比べてできないことがだんだんわかってくるので、学校がつまらなくなってきます。そのまま放っておかれたら、いわゆる落ちこぼれになったり不登校になったりしかねない……。
もちろん、本人の性格や親の育て方や学校環境の影響もありますから、境界知能だからといって、みんながみんなそうなるわけではありません。それに、自分で書いておいて言うのもなんですが、こういうステレオタイプなストーリー展開は、関係者の不安をあおるようで感心しませんね。
「発達障害ブーム」で増えた検査件数
境界知能の子どもたちの存在は、実はずっと以前から知られていました。それが、最近になって注目を浴びるようになったのは、いわゆる発達障害ブームに乗って、保育や教育の現場で発達関連の相談件数が増え、それに伴い知能検査の実施件数も増え、IQが70から85ぐらいのレベルにある子どもたちがあぶり出されてきたせいとも思えます。
発達障害が巷間(こうかん)に知られるところとなり、実際に知能検査を受ける子どもの数は昔に比べずっと増えました。幼児期から発達を心配されて療育機関に通っていた子は、そこで検査を受けていたり、就学相談の際に受けるように勧められたりします。
小学校入学後も、落ち着いて授業に参加できない子や集団行動になじめない子などは、教育相談や児童精神科に連れて来られることがあります。そこで、それではまず検査をしましょうかという話になります。
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こういうときに行われているのが、実は知能検査なのです。幼児期には、運動機能も含め心身の発達全体をみる検査が行われることが多いのですが、就学前後、あるいはその後では特に知能に重点が置かれます。
知能検査をしますと言われると、「心配なのは発達障害なのに、なぜ知能検査? うちの子、知能に問題があるの?」と余計に心配を膨らます親御さんもいるかもしれません。無理もありません。私たち、検査をする側にしても、事前の説明や結果の報告の際にはけっこう気を使います。
しかし、自閉症スペクトラム障害(ASD)や注意欠如多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)など、発達障害ではそれぞれの特徴が重なりあっているケースが多く、また知的障害との合併も多いので、これらの鑑別のためにも知能検査が必要なのです。
制度間の「境界」に置かれた子どもたち
ところで、行政では知的障害を発達障害と分けていますが、精神科の分類では前者も後者のひとつに数えています。発達障害というのは、脳の発達の遅れに起因するというのが前提ですから、知的障害を仲間に入れるのは理にかなっています。
行政が両者を分けているのは、知的障害に関する法律が発達障害のそれより先にできていたからであって、法律上の都合によるものです。
ちなみに、知的障害者福祉法が施行されたのは1960年、発達障害者支援法の方は2005年。いずれも障害を持つ人たちへの福祉を図る目的で作られた法律で、制定後何度か改正されていますが、歴史的には後者の方がずっと新しいのです。
発達障害を持つ子どもの場合には、特別支援教育の対象になるので、学校側も特別支援教室の利用やクラス内で合理的配慮など支援のメニューを持っています。知的障害の場合も、はっきり診断がつく子どもに対しては、特別支援学級に籍を置いて通常学級と交流しながら学習するなどコースを用意しています。つまり、どちらも打つ手があるのです。
境界知能の場合は、制度上こうした支援の対象から漏れてしまうわけですが、かといって子どもにまた新しい名札をつけてどこかの教室に振り分けないといけないものなのか。
この子たちに必要なのは、小学校入学後の早い段階からの学習支援と生活指導です。それが難しいとしたら、それはそうした生徒の存在になかなか気づけないこと、気づいたとしても教師が一人ひとりの生徒の指導に時間を割けないことが原因ではないでしょうか。
なにしろ、昨今の先生方は、本来の仕事である学習指導以外の雑務に忙殺されていると聞きますからね。いや、これはイヤミでも何でもなく。
本来ならば、勉強がわからない子には、どこでどうつまずいているかを見つけてわかるように教えてやる、勉強が向かない子だったら、勉強以外の活躍の場を探してやるというのが、教師の腕の見せどころであるはず。でも、その腕を磨く時間も振るう時間も、今の学校にはないらしい。
境界知能の子どもたちが支援の「境界」に置かれているというのなら、医療や福祉との連携うんぬんという前に、このような学校の現状をなんとかしないといけません。
「新しい名札」はいらない
境界知能は、基本的には教育現場の問題 です。ついでに言えば、学習障害もそうです。知的障害となると、福祉の問題もついてきます。ただ、医療や心理はいずれについても裏方にとどまるべきだと考えます。
クラスに境界知能の子どもたちがどれだけいるかわからないとしても、じゃあ全員に知能検査を行ってスクリーニングするかというのは非現実的だし、気持ちよくありません。
そもそも、現在用いられている知能検査にしたって、よくデザインされているとはいえ、測定可能な能力を測って集めただけに過ぎません。たとえば、思考の柔軟性や創造力、発想力といった能力は測れない。検査で人間の知能の総体を測ることはできないのです。
たまたま知能検査をする機会があって、境界知能に該当する子どもが見つかったなら、それはそれでいいでしょう。しかし、わざわざ検査をしなくたって、学業成績の振るわない、クラスで下から4、5番目の生徒たちに気を配っていれば、同様に困っている子どもを見つけることはできるはずです。
教室でみんなと同じように授業を受けていても成績のふるわない子は、昔からいくらもいました。でも、そういう子どもたちは、勉強ができない子、勉強が向かない子で済んでいたのではないでしょうか。
少なくとも、この子は自尊感情が低いだの、このままじゃ不登校になるだのといわれ、大人たちから将来を心配されるなんてことはなかったと思います。
写真はゲッティ
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やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。