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国の責任を全面的に認めた強制不妊手術の最高裁判決 問われているのは今の政治だ野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
2024年7月25日
旧優生保護法国家賠償請求訴訟原告団との面会で、それぞれの被害者に頭を下げる岸田文雄首相(右)=首相官邸で2024年7月17日午後4時13分、平田明浩撮影
障害者らに対する強制不妊手術を進めた旧優生保護法について最高裁大法廷は7月3日、憲法違反とする判決を出した。第二次大戦後に制定され1996年に廃止された旧法だが、最高裁が断罪したのは当時の立法行為だけではない。2019年に成立した救済法についても内容の不十分さを厳しく指摘した。
国家を挙げて不妊手術を強制するという蛮行を歴代の政府は顧みようとせず、現在も反省していないではないか、という痛烈な批判である。憲法の定める幸福追求権を保障された国民としてではなく、あわれみや施しの対象としか見ようとしない政府の障害者観が問われているのだ。
戦後、突出した日本の優生政策
改めて優生思想をめぐる国内外の歴史的経緯を整理しておく。
優生思想に基づく堕胎・断種の法制化は20世紀初頭、米国各州で広がったのが始まりとされる。第一次大戦後、戦禍にまみれた欧州では多くの若年男性の人口が失われたことから、国力の向上を図るため優生思想が盛んに研究され、政策に取り入れる国が相次いだ。
日本では明治時代から堕胎罪によって妊娠中絶手術が禁止されていたが、1940年にナチス・ドイツの遺伝病子孫防止法をモデルに「遺伝性疾患の素質を持つ者」への不妊手術を定めた国民優生法が制定された。
第二次大戦後、ナチスによる障害者の大量虐殺などを反省し、欧州各国では優生政策に基づく法は廃止されることになった。
ところが、日本では終戦後の48年、「不良な子孫の出生を防止する」ことを目的に優生保護法が議員立法で制定された。遺伝性の病気や障害のある人を対象に強制不妊手術を行うとともに、母体保護のために中絶や不妊を合法化するという目的もあった。52年の法改正では手術の対象が遺伝性ではない精神障害や知的障害のある人にも広げられた。
戦後の人口膨張に伴う食糧不足に対処するためとされたが、障害者への強い差別が根底にあるのは明らかだ。同法に基づいた不妊手術はわかっているだけで約2万5000人の男女に行われ、そのうち約1万6500人は本人の同意がない強制的なものだった。
強制不妊手術の規定を削除した母体保護法に改正されたのは半世紀近く過ぎた1996年のことだ。
旧優生保護法訴訟の最高裁判決を前に入廷する原告団=東京都千代田区で2024年7月3日午後1時17分、幾島健太郎撮影
翌97年、強制的に手術をされた人への謝罪と賠償を求めて市民団体「優生手術に対する謝罪を求める会」が結成され、98年には国連の国際人権委員会が日本政府に対し被害者への補償を勧告した。2016年には国連女子差別撤廃委員会が同様の勧告をしたが、いずれも政府は対応しなかった。
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ようやく救済の流れが起きたのは、18年に宮城県の女性が初めて国に損害賠償を求めて提訴してからだ。弁護士らの支援を受けて各地で被害者が救済を求める声を上げ、それをマスコミが報道したことから国は対応を迫られることになった。
19年に救済法が制定された。しかし、被害者に対する金銭補償としては「一時金」名目で一人320万円にとどまったことから、その後も各地で損害賠償訴訟が続けられた。
賠償責任を認めない救済法
「我々は、それぞれの立場において、真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびする」。19年、与野党の合意を得て議員立法として成立した救済法の前文にそう書かれた。これで強制不妊手術の決着がなったと思った国会議員は多かったはずだ。
しかし、最高裁は「国会で適切、速やかに補償の措置を講じることが強く期待されたが、一時金320万円を支給するのにとどまった」と批判する。
320万円という額は強制不妊手術の被害者に対する補償金制度があるスウェーデンを参考に決められた。スウェーデンの補償額は17万5000クローナで物価変動などを反映し、当時の価値に換算すると約312万円になる。
日本国内の訴訟では原告1人当たりの請求額は1000万円以上で、弁護団は「スウェーデンを参考にすべきではない」と主張した。実際、現在まで原告側が勝訴した12地裁・高裁の判決では、不妊手術を受けた本人1人当たり700万~1650万円の慰謝料が認められている。
救済法での「おわび」の主語が「我々」という曖昧な表現にされ、国の賠償責任を直接認めていないことは当時も問題になった。
国の責任は重い。優生保護法が施行された当初は手術件数が少なく、立法化を主導した議員らは何度も国会で予算増を要求した。厚生省(当時)は増えた予算を消化するため都道府県に手術の推進を求めた。「身体拘束」「麻酔」「欺罔(きもう)」を用いても進めるよう通知を出した。
旧優生保護法を巡る国家賠償訴訟で最高裁が国に賠償を命じ、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告ら=東京都千代田区で2024年7月3日、猪飼健史撮影
子宮摘出や放射線照射といった法定外手術が横行し、法に定められた都道府県審査会を開かずに不妊手術をするなど法令違反が疑われる運用がされていたことも衆参両院の調査室が作成した調査報告書(2023年)で明らかにされた。9歳未満の子どもにも不妊手術を行っていたという自治体資料もある。
当時、あまりの乱暴さに「憲法違反ではないか」という質問が地方から届いた。これに対して法務府(当時)は「憲法の精神に背くものではない」と見解を示した。
国会や各省庁は異論をなぎ倒すようにして強制不妊手術を進め、人権尊重をうたう平和憲法の下で障害者に苛烈な仕打ちを重ねてきた。こうした国家による歴史的な人権侵害に対する賠償を被害者らは求めたが、救済法での補償はあくまで「一時金」としての320万円だった。
与野党の国会議員は被害者の高齢化に配慮して救済法の成立を急いだと主張した。しかし、損害賠償訴訟が各地で起こり、マスコミも批判を高める中、とりあえず一時金を払って幕引きを図ろうというのが本音だったのではないか。最高裁判決はそこを断罪したのである。
「正義、公平の原理に反する」
不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなる。この「除斥期間」が適用されるかどうかも大きな争点だった。「時間の壁」とも呼ばれ、これまで例外が認められたのは2例しかない。最高裁は「著しく正義、公平の理念に反するとき、裁判所は除斥期間の主張が権利の乱用などとして許されないと判断することができる」という初めての判断を示した。
不妊手術を強制された人たちが損害賠償を請求するのは極めて困難だったこと、96年に強制不妊手術の規定が削除されたあとも国が長期間にわたって補償をしないという立場をとり続けてきたことを重視した上での判断だった。
最高裁判決に先立ち、19年に仙台地裁が旧優生保護法を憲法違反とする判決を出している。判決理由で地裁は「手術の情報は個々のプライバシーのうち最も他人に知られたくないものの一つ」「本人が客観的証拠を入手すること自体も相当困難」として除斥期間内の損害賠償請求をするのは「現実的には困難」との判断を示している。
日本社会が高度成長やバブルなど経済的繁栄を謳歌(おうか)したころも、重度の障害者は人里離れた山間部の入所施設で集団処遇される状況は変わらなかった。現在も知的障害の人を中心に12万人もの障害者が入所施設にいる。障害者虐待防止法や障害者差別解消法が制定されたのは10年以降であり、それでも19人が殺害された津久井やまゆり園事件をはじめ虐待事件は後を絶たない。街中でグループホームを作ろうとすると住民の反対運動が起きることが今でもある。
社会からの排斥や差別は根強いが、優生保護法が施行された当時は今日の比ではなかった。障害者が不妊手術を強要する風圧にあらがうことができない状況を作り強化したのは国に他ならない。その国が除斥期間を主張するのを「権利の乱用」と最高裁が断じるのはもっともだ。
旧優生保護法を巡る国家賠償訴訟で最高裁が国に賠償を命じ、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告ら=東京都千代田区で2024年7月3日、猪飼健史撮影「同意」の上での不妊手術も断罪
「深くおわび」をして一時金を払ったではないか、ずっと被害を訴えてこなかったのに今さらなぜ……というのが国の本音だったのかもしれない。そこには被害者が置かれた状況に対する想像力の欠如、被害者の心情をくみ取れない共感力の不全がある。「同意」を受けての不妊手術についてもそうだ。
優生保護法に基づく不妊手術は49年から92年にかけて約2万5000人に行われ、約1万6500人は本人の同意がなかった。残りの約8500人は「同意」を得て手術を受けたことになる。
しかし、形式上の「同意」があったから問題がないというわけではない。不妊手術を受けた人の多くは知的障害者である。難しい言葉や概念の理解にハンディがあり、周囲の意向に逆らいにくい状況の中で、どれだけ正確に理解した上での「同意」と言えるのだろうか。
最高裁判決は同意があった不妊手術も強制と同じだと処断する。
「優生上の見地から行われる不妊手術を本人が自ら希望することは通常考えられないが、周囲からの圧力等によって本人がその真意に反して不妊手術に同意せざるを得ない事態も容易に想定されるところ、同法には本人の同意がその自由な意思に基づくものであることを担保する規定が置かれていなかったことにも鑑みれば、本人の同意を得て行われる不妊手術についても、これを受けさせることは、その実質において、不妊手術を受けることを強制するものであることに変わりはない」
※
最高裁判決を受け、岸田文雄首相は被害者らに謝罪した上、現在も審理中の損害賠償訴訟において除斥期間の適用の主張を取り下げ、原告以外も含めて幅広い補償を検討する考えを示した。
社会の多様性は誰もが幸福追求権を保障されること無しには実現しない。最高裁判決の重い問題提起を今度こそ政府は本気で受け止めなければならない。
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のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさしい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問(非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員なども。著書に「弱さを愛せる社会へ~分断の時代を超える『令和の幸福論』」「あの夜、君が泣いたわけ」(中央法規)、「スローコミュニケーション」(スローコミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。