(ニュースVTR)今月17日で6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から21年になりました。神戸市では「1.17」(いちてんいちなな)という文字の形に竹の灯籠が並べられ、遺族や被災者などが犠牲者に祈りをささげていました。
最近は東日本大震災の陰に隠れがちですが、今日は、阪神・淡路大震災の教訓を考えていきます。
《岩渕》大震災後、毎年のように神戸を取材してきたということですが、なにか変化はあったのですか?
《山﨑》
歳月が流れたことで初めて浮かび上がってきた問題があります。それは「震災障害者」の問題です。
震災障害者は大震災によるケガなどによって身体や脳に障害を負った被災者のことです。壊れた住宅などの下敷きになって脊髄を損傷し、歩いたり、手で物をつかむことが難しくなった人や知的障害が残った人などがいます。行政は負傷者1万682人という数字は発表してきましたが、その後の調査を10数年にわたってしてきませんでした。また震災障害者や家族は、多くの人が亡くなったことから「命が助かったんだからいいじゃないか」といった周囲の声に自ら声を上げることができなかったといいます。
《岩渕》どうして明らかになってきたのですか?
《山﨑》
NPO「よろず相談室」などの活動によってわかってきました。「よろず相談室」は大震災の直後から被災者の支援を続けてきましたが、そのなかで「震災障害者」に出会い、支援を続けながら行政に対応を促してきました。
大震災から15年経った2010年(平成22年)、兵庫県と神戸市が初めて調査したところ、少なくとも328人の震災障害者がいることが明らかになりました。調査によると、震災障害者の57%が仕事を失ったり、長期に休んだりしていましたが、63%の人は行政の支援を受ける窓口を利用していませんでした。
《岩渕》多くのけが人が出た災害ですから、そうした被災者がいることは予想できますが、街の復興や生活再建といった問題の陰に隠れていたのですね?
《山﨑》
大震災で命は助かったものの、突然、障害者になったものの、特別な公的支援の枠組みはなく、放置されていた人たちの姿が浮かび上がってきたわけです。この結果を受けて、兵庫県が震災障害者の相談窓口を設けたのは3年前の2013年(平成25年)、大震災からは18年が経っていました。
「よろず相談室」の牧秀一理事長(65)は「震災障害者は長いこと忘れられた存在だった。実際の人数は行政の調査よりも多く、この間に亡くなった人も多い。大きな地震災害が起きれば必ず課題になる。震災障害者に的を絞った支援策を検討しておくべきだと思う」と話しています。
《岩渕》時間が経って、震災経験の風化ということも耳にしますが?
《山﨑》
神戸市では震災後に生まれたり市内に転入してきた人が、人口全体の40数%と半数近くにのぼります。
そうしたなか、大震災の経験と教訓を伝えるために2002年(平成14年)に、神戸市内に兵庫県が作った「人と防災未来センター」という施設があります。
ここでは映像で大震災を再現したり、地震が発生した「5時46分で止まった時計」などが展示されているほか、44人の語り部ボランティアが自らの経験を語る活動をしています。
《岩渕》語り部のみなさん、どんな話しをしているのですか?
《山﨑》
目立つのが「住宅の耐震化」と「地域のコミュニティ」の重要性です。
今年69歳の大塚迪夫(おおつか・みちお)さんは、『我が家が轟音を立てながら頭上に崩れ落ちてきたのです。天井は頭のすぐ上のところで止まってくれました』と語ります。大塚さんの住宅は一階部分が潰れましたが家族は全員無事でした。その理由は『ローチェストの上に家の梁が落ちてきて生存可能な空間ができたこと、日頃から家具をすべて鴨居に金属で固定していたために、家具の転倒がなかったことの2つが大きかったと思います』『震災時には家そのものが凶器となり、命を奪う危険がある』と言っています。
データをみると、大震災で亡くなった人の88%が壊れた住宅など建物の下敷きになった圧死でした。このため震災後、全国で住宅の耐震化が進められましたが、いまだに全国の住宅の5軒に1軒は現在の耐震基準を満たしていないとみられます。
東日本大震災後、多くの自治体や住民の関心が津波対策に集まっているようにみえますが、住宅の耐震化は地震防災対策の根幹です。
《岩渕》地域のコミュニティの重要性というのはどんな話しですか?
《山﨑》
70歳の秦詩子(はた・うたこ)さんは『地震なんて人ごと、ずっとそう思っていたから、何ひとつ防災の用意はなく意識もゼロに近い状態でした』と語り、避難生活の中で支えについては『人のぬくもりって本当に心強かったです。気持ちがつぶれてしまった時、友達をはじめボランティアの方々から声をかけていただき、自分を取り戻せたということが何度もありました』と話しています。
そう言われてみると、大震災が起きる前、関西には大きな地震は起きないという、なんの根拠もない話しが多くの人に信じられていました。どこで暮らしていても地震はいつ起きてもおかしくないということを改めて認識しておかなくてはいけません。また阪神・淡路大震災の後に大きな問題になったのが、誰にも看取られずに亡くなる「孤独死」でした。このため、一人暮らしの高齢者などをきめ細かく支援していくことの重要性が指摘され、東日本大震災の被災地でも取り組みが続いています。
《岩渕》そうした話しを若い世代に伝えていかなくてはいけませんねん?
《山﨑》
今回の取材で最も多くの人から聞いたことが「若い世代に経験を伝えることが今後の課題だ」ということでした。兵庫県や神戸市などの行政も被災者の支援をしているNPOなどの団体も、当時、組織の先頭に立って活動した人たちが定年になったり、高齢になって世代交代の時を迎えていました。「人と防災未来センター」の語り部も平均年齢は73歳です。
そこで「人と防災未来センター」では、今年度から震災を経験していない高校生や大学生が主体となって小中学生に教訓を伝えていこうとしていて、その活動の発表会が1月9日に行われました。この中で学生たちからは「震災を経験していない自分たちが語り継いでいかないといつか途絶えてしまう」とか「10年先まで伝えるためには、来年もこうした活動をすることが大切だ」といった言葉が聞かれました。
《岩渕》人は忘れやすいですから、教訓を伝える活動は意識的にしないといけないですね?
《山﨑》
「震災障害者」の問題は、大きな災害の後遺症が長く続くことを強く感じさせました。また大震災の教訓を伝えるための模索が続いていましたが、これは阪神・淡路大震災の被災地だけの問題ではありません。多くの地震や防災の専門家が日本は地震の活動期に入ったと指摘しています。過去の災害の教訓をどう生かすかはすべての地域に共通の課題です。次の地震で少しでも被害を減らすために、阪神・淡路大震災の教訓を全国で伝え続けることが大切だと思います。