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お酒を飲み過ぎたから。たばこを吸いすぎたから――。がんになった原因を生活習慣のせいにする人もいるでしょう。しかし現実は、お酒もたばこもやらない人ががんになったり、不摂生を重ねている人ががんにならなかったりするケースもあります。なる人と、ならない人の違いは何なのか。読み解く鍵となるのが「遺伝子異常」です。最新研究の結果から、遺伝子を軸に、がんが生まれる理由に迫ります。
「ICチップ」のエラーが蓄積して、がんの発生へ
遺伝子異常(遺伝子変異)とは何でしょう。
簡単に言うと「遺伝子に傷がつくこと」です。
では、遺伝子とは何か。
たとえるなら、細胞の中にある全ての機能をつかさどる集積回路(IC)チップのようなものです。このチップによって細胞は円滑に役割を果たすことができます。このICチップに重大なエラーが生じ、細胞が暴走を始めることでがんは発生するのです。
では、ICチップのエラーはいつ起こるのでしょうか。がんが発生する直前、ある日突然に起こるのでしょうか。
以前の研究では、がん細胞や前がん病変(がんになる少し前のおかしな細胞)に遺伝子変異が生じていることは分かっていました。言い方を変えると、正常な細胞には遺伝子変異はほとんどないと考えられていたのです。
ところが、近年の研究では、正常に見える、何の問題も起こっていない細胞にも「遺伝子の傷」は含まれていて、しかもその傷は予想以上に昔から入り始めることが判明しました。なおかつ、この傷が加齢とともに徐々に増えていくことも示されています。
こうした結果から言えるのは、人は生きている限り、体の細胞に遺伝子変異が蓄積され、それが、かなりの量になると最終的にがん細胞に変化する――ということ。ICチップのエラーはある日突然、起こるわけではないのです。
「がんはギャングのようなもの」というのが本連載のテーマですが、それになぞらえて言えば、真面目な青年がある日を境に突然にギャングになるわけではなく、徐々にグレて、年月を経た上でギャングになることと同じです。
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前回説明した通り、レストランで働いていた真面目なジャック(正常細胞)は友人にお金を奪われ、裏切られたショックから悪い友達とつるみ、恐喝や窃盗を覚えるようになりました。ジャックは数々の「傷」を受けてチンピラになり、ギャング(がん細胞)となって、そのボスに上り詰めるのです。
「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」の集団闘争
人の遺伝子を詳細に見ると、そこには膨大な情報が書き込まれています。具体的には約2万個の重要なコード(信号)が書かれているのです。それぞれのコードがたんぱく質に変換されて、細胞の重要な働きをつかさどっています。
実はこの2万個の中には「やられると特にヤバい重要なコード」が数百個あって、これらが不具合を起こすと、がんの発生に強くつながることが分かってきました。
さらに何十年にも及ぶ、がん細胞の遺伝子変異の解析の結果、変異には組み合わせのパターンがあることも分かっています。 そのパターンとは主に、細胞増殖を加速させる遺伝子(がん遺伝子)が活性化することと、細胞増殖を抑制する遺伝子(がん抑制遺伝子)が不活性化することです。
ギャングで言えば、振り込め詐欺の方法を覚えたり、銃を使いこなせるようになったりする悪の技術が「がん遺伝子」。一方、「そのようなことをしてはいけない」と踏みとどまる理性が「がん抑制遺伝子」になるでしょう。
一般的に理性があれば詐欺は働かないし、ギャングにもならないですよね。がんも同様に、理性(がん抑制遺伝子)を完全に失うことがあった上で、悪事を覚えると発生するのです。
細胞の中で「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」が戦っている様子をイメージしてください。
がんが発生するためには一般的に、がん抑制遺伝子が機能しなくなって、がん遺伝子が暴走することが必要になります。二つのどちらかだけでがんになる例もまれにありますが、ほとんどは、どちらもおかしくなることでがんは発生します。
遺伝子に傷がつくのは母親のおなかにいる頃から
繰り返しになりますが、がんは正常細胞の遺伝子に多数の傷が入ることで発生します。
では、この傷が増える原因は何なのでしょうか。
多くの人はたばこを吸うとか、過度の飲酒をするといった生活習慣の乱れを考えがちですが、厳密には間違っています。
なぜなら、傷が増える最大の要因が加齢だからです。人は年を取るだけで、どんどん遺伝子の傷が増えていくのです。
そもそも正常細胞は体の成長過程で増殖を頻繁に繰り返し、成人後も新しい細胞を作り続けて新陳代謝しています。細胞は分裂する際に細胞内の遺伝子をコピーして2倍に増やし、さらに二つの細胞に分裂するという大作業をしています。実はその際に誤って遺伝子に傷がついてしまうことがあるのです。普通に生きているだけで、遺伝子には傷がつくということです。
さらに近年の研究では、人は母親のおなかの中にいる時から遺伝子に傷が入り始め、成長に伴い、どんどん増えていくことも分かっています。
もちろん傷の原因は「加齢」だけでなく、体外からの要因もあります。
たばこ、アルコール、紫外線などは遺伝子への傷の入り方を著しく加速させるものです。そのため、たとえば長年喫煙をしている人は遺伝子の傷の数が年齢相応以上に増えて、発がんする確率が高まることになります。たばこなら主に口腔(こうくう)、肺、食道、胃、紫外線なら皮膚、食品だと大腸などに影響が及びます。
また、ヒトパピローマウイルス(HPV)や肝炎ウイルスなどの感染症も、遺伝子の傷を増加させる要因になります。こうしたウイルスの持続感染があると、遺伝子の傷の数が飛躍的に増加し、若いうちからがんを発症することにつながります。
「がん家系だから、がんになる」は本当か?
では、いわゆる「がん家系」であることも遺伝子の傷を増やす要因になるのでしょうか。
遺伝性のがんは医学的に「遺伝性腫瘍」と呼ばれ、全てのがんのうち約10%が該当すると言われています。遺伝性腫瘍の場合は30~40代の若さで発がんしたり、複数の部位に多発したりと、頻度や発症年齢が通常とは異なるのが特徴です。
先述した「がん遺伝子」か「がん抑制遺伝子」のいずれかにあらかじめ入っていた傷が、親の卵子か精子を通じて子どもに遺伝するのです。その場合は、全身の細胞中に、あらかじめ発がんに関わる重要な遺伝子変異が一つ、入っている状態で人生がスタートすることになります。そのため、加齢や外的要因で遺伝子変異が加わると、若いうちにがんを発生させる条件がそろってしまうことにつながります。
時々「おじいちゃんとおばあちゃんががんだったから、ウチはがん家系。だから私もがんになるかも……」と言う方に出くわしますが、祖父母ががんだったからといって遺伝性腫瘍とは言い切れません。高齢になると誰でも遺伝子変異がそろってくるため、がんになりやすく、祖父母のがんだけでは、あらかじめ遺伝子変異を受け継いでいるかどうかは分からないのです。「遺伝性腫瘍」を疑うのは、主に若いうちにがんになる人が家系内に多数いるなどした場合になります。
60歳以降、急激にがんになる人が増える理由
このように「遺伝子の傷の蓄積」や「重要な遺伝子に入った傷」は、がんが発生する大きな理由になっていますが、一方で近年の研究では、傷の蓄積に加えてプラスアルファの要素がないと、がんが発生しないことも分かってきました。
健常者の正常細胞に含まれる遺伝子変異を詳しく調べたところ、がん化していないにもかかわらず、発がんに関わる遺伝子に傷が見つかったり、がん細胞と同じぐらい遺伝子の傷が蓄積した細胞が見つかったりしたことで明らかになりました。がん遺伝子の変異が、がん発生の必要十分な条件ではないことが示唆されたのです。
そのため、加齢による環境の変化も影響していると考えられるようになりました。
60歳以降、急激にがんの発症率や死亡率が上がるのも、加齢に伴って遺伝子の傷が増えるとともに免疫機能が衰え、グレておかしくなった細胞を排除する能力が低下したり、臓器の構造にゆがみが出て、がん細胞が増えやすい環境になったりするからではないか――というのです。
ジャックが窃盗や恐喝など悪の技術を身につけた(がん遺伝子が活性化した)としても、周囲に強力な警察(免疫細胞)がいて、理性(がん抑制遺伝子)が働いていればギャング(がん細胞)にはなれないのに、街が荒廃し、警察(免疫細胞)の力が弱まると、理性(がん抑制遺伝子)が緩み、たやすくギャング(がん細胞)になれるメカニズムと似ています。
「加齢」が最大の理由なら、なぜ小児がんは起こるのか
ここまでの説明で、大人になるほどがんになりやすいことは、ご理解いただけたと思います。ならば、「なぜ、子どももがんになるのか」と疑問に思った方もいるでしょう。実際、まれにではありますが、子どもにもがんは発生します。小児がんも遺伝子変異が原因で起こりますが、大人のがんとは若干発生パターンが異なります。
小児の場合、体の中で急激な成長発達が起こっているため、正常細胞が発達する段階での異常が原因となります。
正常細胞は図の通り、幹細胞という大元の細胞から分化・増殖(成長・変化)し、細胞死を迎えるのが正常です。男性にたとえるなら、赤ん坊→少年→青年→成人→おじいちゃんになっていく過程と似ています。
しかし、その進化の段階で細胞に異常が発生すると目詰まりを起こし、正常な成長や変化ができなくなって、おかしな細胞が異常に増えることになります。これが、小児がんの一つの要因となっています。赤ん坊が大きくなる過程で、青年期にグレてしまい、グレた青年があふれてギャング集団が形成されることによって正常な成長が止まり、体が困ってしまう――という状態です。
ただし、子どものがんについては、まだ明確になっていないことも多く、上記以外にもさまざまなメカニズムがあると考えられています。
がんになったのは患者の行いが悪いから?
しかし因果応報の考え方が強い日本では、がんをはじめ何かの病気になると、「変なものを食べたからだろう」とか「好き放題やってきたからだろう」と、患者さんが責められてしまうことがあります。
確かに生活習慣の乱れはがんの発生率を上げはしますが、前述の通り、最大の原因は加齢であって、生活習慣の乱れは補助的なものです。たばこや過度な飲酒をやめて、がんの発生をできる限り避ける努力はとても大事なことですが、努力をしても、がんにならない保証は全くないと理解してください。がんは長く生きていれば誰でもなりうる病気で、遺伝子変異は子どもにすら見られるものだからです。
がんになる理由についてはさまざまな誤解もあって、時にそれが患者さんを傷つけたり、おかしな予防法が広がったりする原因にもなっています。発生のメカニズムと原因を正しく知ることで、患者さんに温かく接し、また氾濫する情報にも冷静に接してほしいと思っています。
以上、がんが発生する理由について、前回より踏み込んで解説しました。次回は、がん予防の可能性についてお伝えします。
<参考文献>
1)Hanahan D. Hallmarks of Cancer: New Dimensions. Cancer Discov. 2022, 1:31-46.
6)Robert A. Weinberg, The Biology of Cancer, W. W. Norton & Company
7)Kat Arney, Rebel Cell: Cancer, Evolution, and the New Science of Life's Oldest Betrayal, BenBella Books
写真はゲッティ
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大須賀覚
がん研究者/アラバマ大学バーミンハム校助教授
筑波大学医学専門学群卒。卒業後は脳神経外科医として、主に悪性脳腫瘍の治療に従事。患者と向き合う日々の中で、現行治療の限界に直面し、患者を救える新薬開発をしたいとがん研究者に転向。現在は米国で研究を続ける。近年、日本で不正確ながん情報が広がっている現状を危惧して、がんを正しく理解してもらおうと、情報発信活動も積極的に行っている。著書に「世界中の医学研究を徹底的に比較してわかった最高のがん治療」(ダイヤモンド社、勝俣範之氏・津川友介氏と共著)。Twitterアカウントは @SatoruO (フォロワー4万5千人)。