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炎熱の地球を生き延びる知恵~その3・暑さで低下する脳機能 試験の成績は落ち、犯罪も増える?~
谷口恭・谷口医院院長
2024年7月29日
強い日差しの中、日傘を差すなどして歩く人たち=福岡市中央区で2024年7月3日午後2時22分、平川義之撮影
熱中症で起こり得る症状は多彩で、いつも同じような経過をたどるわけではありません。我々医療者は熱中症の分類を把握し、特徴的な症状を念頭に置いて診察しますが、一般の人はそこまで学んでおく必要はありません。大切なのは、倦怠(けんたい)感(だるさ)、動悸(どうき)、頭痛、めまい、しびれ、息苦しさ、嘔気(おうき)、発熱、筋肉痛……などのひとつひとつの症状を覚えるのではなく、たとえ熱中症とは無関係そうなものだったとしても「この症状は夏の暑さ、水分や塩分不足からきているのではないか」と疑うことです。しかし、そういったことを意識していてもなかなか自覚できない”症状”もあります。また、本人ではなく他人がその症状に気付くこともあります。そのひとつが「イライラなどの精神症状」、そして「脳機能の低下」です。今回は熱中症であまり取り上げられないこれらの症状について紹介したいと思います。
イライラは熱中症が原因?
あまりにも暑いためにイライラしている人があなたの周りにいないでしょうか。あるいはあなた自身にそういった不快感はないでしょうか。もしかするとそれは単に暑さからくる不快感ではなく、脳に熱がこもり始めたために精神のコントロールが利かなくなっている証し、つまり熱中症による症状かもしれません。だとすると、危険な兆候の可能性があります。実は、熱中症の被害を受ける臓器で最も重要なのは「脳」です。めまいも頭痛も脳の神経が熱によりダメージを受けた結果なのかもしれないのです。
冒頭で、熱中症の具体的な症状を覚える必要はないと言いましたが、ひとつだけ覚えておいてほしいことがあります。それは「体温上昇は極めて危険なサイン」ということです。暑さで体がだるくなっても、発汗量が十分で体温が上昇していなければ、その時点での重症性はさほど高くありません。ですが、いったん発熱し始めると一気に悪化し、脳に何らかの障害が起こることがあります。イライラだけでなく、つじつまの合わないことを言ったり、突然意味のない方向に歩きはじめたりすることもあります。そのとき高熱を伴っていれば直ちに救急車を要請すべきです。重症化すれば他人に攻撃的になったり、あるいは、衝動的な行動に出たりすることもあります。
このように高温多湿の環境でイライラ感が出現すれば、それは熱中症のひとつの症状かもしれず、悪化すれば異常行動につながり救急治療が必要となるケースもあることは知っておいた方がいいでしょう。
暑さで認知機能が落ちる
イライラ感以外にも、自身も他人も気付きにくい暑さによる症状があります。それは、記憶力低下、思考能力低下、推論能力低下などの認知機能の障害です。これらは高齢者のみならず若い世代にも起こります。「高齢者がクーラーを入れずに部屋で過ごすと認知能力が低下する」と言われることがありますが、この現象は若者にも起こることを示した研究があります。医学誌「PLOS MEDICINE」に2018年に掲載された論文「熱波時にエアコンのない建物の住人に起きた認知機能低下:2016年夏若者を対象にした観察研究」を紹介しましょう。
研究の対象者は米国マサチューセッツ州の大学生44人(平均年齢20.2歳)で、熱波のシーズンにエアコン付きの寮(平均21.4℃)に住んでいた24人とエアコンのない古い寮(平均26.3℃)に居住していた20人です。2種類の認知テストを12日間(16年7月9~20日)にわたって毎朝実施しました。テストは「選択的注意/処理速度」を評価するための単語テストと、認知速度と作業記憶を評価するための2桁の数学的テストです。結果、最も暑い日にはエアコンのない寮の学生のテストの成績は、エアコンのある寮の学生よりも大幅に悪かったのです。
この研究、26.3℃で成績が悪化するという点が気にならないでしょうか。というのは環境省が推奨している夏の室内の温度の目安は28℃だからです。26℃でも成績が下がるなら28℃のオフィスでは仕事のパフォーマンスが低下しないのでしょうか。
環境省が推奨する夏の室内の温度の目安は28℃=東京都内で2022年7月20日午後6時22分、山田奈緒撮影
次に紹介する21年に発表された研究もヒントになるかもしれません。
この研究の対象者は36人(男性18人、女性18人)で、24℃、26℃、28℃の三つの条件下でそれぞれ4.5時間過ごした後、いくつかの認知テストを受けました。すると24℃の時がもっとも成績がよく、それと比べると26℃の部屋では10%、28℃では6%それぞれ成績が低下しました。被験者は、24℃、26℃、28℃の環境について、それぞれ「涼しくて快適(comfortably cool)」、「中立に快適(comfortably neutral)」、「暖かくて快適(comfortably warm)」と、「快適」と評価していました。にもかかわらず、温度によって認知機能に差が出る結果となりました。
論文の著者は「認知能力の維持には快適で涼しい環境が必要」としています。28℃より26℃の成績が低かったことについては説明がつきませんが、この研究は、被験者が三つのそれぞれの環境を「快適」と答えている点が非常に興味深いです。体感が快適と感じていても認知機能に差が出るのならば、我々は部屋の温度にもっと敏感になるべきかもしれません。
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もうひとつショッキングな論文を紹介しましょう。18年に発表されたニューヨークの公立学校の生徒を対象とした研究です。
暑い日に受けた試験ほど結果が悪く、32℃(原文はカ氏90°F)の日に試験を受けると、22℃(カ氏72°F)の日に比べて、試験の成績が標準偏差で14%低下するとしています。論文によると、気温が高い日に試験を受けると科目合格の確率が10.9%低下し、ニューヨーク市の平均的な生徒の場合、期限内に卒業できる可能性が2.5%下がります。著者の推定では、1998年から2011年にかけて、本来は合格していたはずの51万人以上が高温のために不合格となったそうです。
気温上昇で暴力的に?
気温の上昇は認知機能低下のみならず、犯罪増加につながる可能性を示唆した研究もあります。
19年に発表された論文「気候変動と心理学:急速な地球温暖化が暴力と攻撃性に与える影響」では、これまで世界で発表された環境と暴力の関係についての研究がまとめられています。抜粋して紹介しましょう。
・被験者に暑い部屋と暑くない部屋にランダムに座るよう割り当てられた実験では、暑い部屋に割り当てられると被験者は敵対的なモードとなり、他人に攻撃的になった
・警察官の研修プログラムでの研究によると、強盗を想定した訓練で、暑く不快な環境下では、快適な気温環境下よりも、警官が発砲する可能性が高かった
・紛争などの問題が起きている地域では特に、気温上昇が暴力レベルと関連していた
・気温のわずかな上昇(1.1℃)でも、米国だけで年間2万5000件の深刻で致命的な暴行が増える可能性がある
・バンクーバーでは、暑い時期にバス運転手への暴行が多く発生した
・ブリスベンでは、1日の最高気温と家庭内暴力の通報件数に大きな関連があった
・暴動、精神科病院の入院、エアコンのない車の運転手がクラクションを乱暴に鳴らす、メジャーリーグの投手が打者にデッドボールを多く与える――などは暑い日に起こりやすい
・米連邦捜査局(FBI)の犯罪リポートと気象データを比較した研究によると、55年間のうち53年は、他の季節と比較して夏の凶悪犯罪率が最も高かった。さらに、凶悪犯罪率は暑い年に上昇し、同じ都市でも暑い夏は涼しい夏よりも暴力犯罪率が高かった
暑さが人を暴力的にすることを示した研究は他にも多数あります。
オンラインのヘイトスピーチと気温の関係を分析した報告によると、最高気温が27℃以上、もしくは6℃以下の場合、ヘイトスピーチが著しく増えたと言います。ヘイトスピーチが最も少なかった最高気温15~18℃の日と比較すると、最高気温-6℃~-3℃の日は12.5%、42~45℃の日は22%、ヘイトスピーチが多かったそうです。
気温の上昇に伴いクラクションの音が直線的に増加することを示した研究もあります。興味深いことに、窓を開けたドライバー(つまりエアコンを作動させていない) でこの傾向がよりはっきりと認められたといいます。
19年に実施されたケニアと米国の2,000人を対象とした実験では、暑い部屋では涼しい部屋よりも他人に対して悪意のある行動をとりやすいことが分かりました。
夏は冬に比べると開放的で明るく楽しいイメージがありますが、今回紹介した研究を振り返ると、暑い季節や地域では、仕事や勉強のパフォーマンスが低下し、暴力や犯罪が増加するリスクがあることを認めざるを得ません。これからも地球温暖化はとどまる様子がなく、夏の暑さはますます過酷になるでしょう。まずはエアコンの温度の見直しが必要かもしれません。電気代は上昇する一方ですが……。
特記のない写真はゲッティ
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たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 月額110円メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。