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たんの吸引、酸素吸入、透析、胃ろうなどの経管栄養……。高齢になればなるほど、こうした「医療ケア」が必要になる人が増えてきます。
2019年7月に自宅で転倒し検査入院した私の父(当時95歳)は、入院中に誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、たんの吸引が必要となりました。入院中に寝たきりとなり、生活の一部にサポートが必要な「要介護1」から、日常生活のほぼすべてに支援が必要な「要介護5」に状態が激変した父は、退院後は自宅ではなく施設で暮らしたいと希望したので、特別養護老人ホーム(特養)を探しました。
ところが、夜のたん吸引を受け入れてくれる施設がなかなか見つかりません。有料老人ホームまで広げて探しましたが、退院時期が来たのでやむなく医療療養施設に転院。その後も、受け入れてくれる施設が見つからず、入院から9カ月後、父は生活感のない医療施設で亡くなりました。
限界のある特養の医療
在宅での生活を望んでいても、自身や家族が困難や限界を感じ、施設に移行する高齢者は少なくありません。要介護度が高かったり、認知症だったりした場合、最初に検討するのは特別養護老人ホームでしょう。
しかし、「医療の場」ではなく「生活の場」とされる特養の医療ケアには限界があり、父のように医療依存度が高い要介護者にとっては、入居のハードルがグンと上がります。高齢者の寿命が長くなればなるほど、医療を必要とする要介護者も増加する。しかし、受け入れてくれる施設は限られています。
おまけに、医療依存度の高い要介護者の施設探しに苦労した家族の体験談を聞いてみると、「施設の情報をどう入手したらいいのかわからなかった」「情報を調べるのに苦労した」という声が圧倒的でした。
寝かせきりゼロ・オムツゼロ・機械浴ゼロ・脱水ゼロ・誤嚥性肺炎ゼロ・拘束ゼロ・下剤ゼロの「七つのゼロ」をケア方針に掲げ、発信し続ける目黒区の特養「駒場苑」の医療対応について、施設長の坂野悠己さんに聞きました。
「その時期に対応できる人数にもよりますが、駒場苑は基本的に胃ろうとインスリン注射が必要な方は受け入れています。受け入れができないのは、たんの吸引が常に必要な方、経管栄養の経鼻とIVH(中心静脈栄養)の方です。たんの吸引は昼だけでしたら看護師が対応できますが、夜は夜勤の看護師がいないため断らざるを得ません。切ないのは入居中にたんの吸引が必要になってしまう方ですね。嘱託医と看護師がギリギリまで対応しますが、やむなく療養型施設に移ってもらうこともあります」
駒場苑で開いた居酒屋イベントで、利用者の男性と乾杯する坂野さん(右)=坂野さん提供
特養で提供可能な医療行為には、
・看護職員が行えるもの
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・介護職員が行えるもの
・医師が行えるもの
――の3種類があります。
施設に常駐する看護職員に認められている医療行為は、インスリン注射、中心静脈栄養、経管栄養(胃ろう・経鼻など)、たんの吸引、人工呼吸器の管理、導尿・バルーンカテーテルの管理、在宅酸素療法、床ずれ・褥瘡(じょくそう)への処置、ストーマ装具の貼り替えの9種類が中心になります。
介護職員も研修を受け認定されれば、たんの吸引(口腔<こうくう>内・鼻腔内、気管カニューレ内部)と経管栄養ができますが、できる範囲と医療行為を受ける対象者によって3種類の研修があります。介護職員の多くが受けている「第2号研修」では、気管内まで機械を挿入するたん吸引や経鼻経管栄養には対応できません。
医療対応の決め手になるのは夜間の看護師
気管内のたんの吸引が夜も必要になった父を受け入れてくれる施設がなかなか見つからなかったのは、「夜勤の看護師がいない」という理由でした。介護職員に資格者はいないかと聞いても、「気管内の吸引までできる職員はいません」との答え。
厚生労働省の調査によると、老人保健施設(老健)では5割超、介護医療院では8割超が「たんの吸引(1日8回以上)」をできると答えていますが、特養で「できる」と答えたのは24%でした。
別の調査では、特養の入所者のうち医療処置が必要な人の割合は、「胃ろう・腸ろうの管理」が必要な入所者と「たんの吸引」が必要な入所者がそれぞれ4.6%などとなっていますが、坂野さんは「特養の入所者のうち、医療が必要な人は1~2割ではないか」といいます。
「それ以上増えると、人員体制の面から対応が厳しくなります。目黒区には区立の特養が三つありますが、そこでは夜間帯の看護師を配置しているので、いろんな医療対応ができます。しかし、法人の特養は介護報酬が少ないため、夜勤看護師を雇うだけの余裕がありません。対応が可能でも、受け入れ人数を制限しているところも多いですね」
特養では医師、看護師を含めた「人員配置」が決められています。1施設あたりの配置医師数の平均は約1.6人。市区町村が運営する特養では常勤医がいることもありますが、約9割の施設では嘱託医と呼ばれる地域の病院や診療所の医師で、週1~2回の非常勤です。
特養の医師の仕事は、入居者の健康チェックや経過観察、予防接種など注射・点滴、人工透析、処方箋や主治医意見書の発行、応急処置や急変時の対応、みとり対応など。往診も行う施設の「かかりつけ医」的存在ですが、急変時の対応が難しいことが多く、「救急搬送」が多いという現状もあります。
一方、看護職員は入所者数に応じた人数配置が求められ、1施設あたりの平均は常勤換算で4.2人です。看護職員が必ず勤務している時間数の平均は9.9時間。夜勤を含め24時間体制で看護職員が勤務している施設は1.4%と、ごくわずかです(※)。夜勤看護師の圧倒的な少なさが、特養の医療対応の限界につながっています。
父の場合は地方だったこともあり、医療に対応する介護施設の一覧表もなかったため、1軒ずつ施設に電話をするという、超アナログな方法で施設を探しました。しかし、坂野さんによると、目黒区では区のホームページに一覧が掲載されているとのこと。調べてみると東京23区では、お隣の世田谷区をはじめ約半数の区が、医療行為の一覧表を区のホームページで掲載していました。都下では三鷹市と西東京市が一欄表を掲載しています。
特別養護老人ホームで受けられる医療ケアについてホームページで公開している自治体も多い=東京都内で2024年7月23日、伊藤奈々恵撮影
ただ、一覧表で対応可と記載されていても、問い合わせると「今は空きがありません」「そこまでの対応はできません」と言われる場合もあります。「駒場苑」では役所からデータの更新問い合わせがあったとき、その時点では「空きがない」状況だったため、一覧表では「不可」と記載されています。
そんなふうに、一覧表がリアルタイムの受け入れ状況となっていない場合もあるので、確認が必要です。しかし、一覧表があるかないかで、介護家族の情報収集は大きく変わってきますので、どの市区町村もぜひ、作成してほしいものです。インターネットで特養の医療受け入れ情報を探す場合は「○○市(区) 特養 医療行為 一覧」と、検索してみてください。
「管理モデル」と「生活モデル」
「医療が必要となっても、生活の場で暮らしたい」。そうした入居者の願いをかなえるために、医療がなるべく必要にならないよう、努力している施設もあります。「駒場苑」は、職員の食事介助の仕方や介護のシステムを変えることで、「誤嚥性肺炎ゼロ」を目指してきました。
「特養では食事介助が必要な人が多く、食事に時間がかかります。このため食事介助の早い人が介護のうまい人だという、古い考えが通用している施設がいまだにたくさんあります。大きなスプーンを使って、できるだけ多くの食事を口に入れる。複数の人にすばやく介助できるよう、職員は立ったまま入居者に上を向かせて食事介助をする。以前は、ここもそういった悪い風習がありました」
こうした食事介助では、ただでさえ喉が狭くなっている高齢者は誤嚥しやすくなります。それを防ぐために、食事介助には小さなスプーンを使用し、職員も立ったままではなく丸椅子を使って隣に坐り、介助をするよう方法を変えました。
「最初は時間がかかりすぎると職員から大きな反発を受けました。しかし、それまで1年に7人くらいいた誤嚥性肺炎を起こす入居者が、1人いるかいないかに変わり、丁寧な介助が誤嚥性肺炎などの病気を防ぐということを、職員も理解していきました」と、坂野さん。
高齢者の多くは数週間の入院でも、要介護度が1段階上がって帰ってくるといわれます。その状態の人たちをどう普段の生活に戻していくかも、特養の大きな課題です。「駒場苑」では、入院した入居者が施設に戻ることを希望する場合には、できるだけ早く退院してもらっているそうです。まずは、ベッドから離れる時間を増やしていきます。そして、座ることができるなら、個浴のできるお風呂に普通に入り、トイレまで行くのは無理でも、ポータブルトイレに座ってもらう……。
駒場苑は特養と同じ建物でデイサービスも手がけており、特養の入居者がデイサービスに遊びに行くこともできる=坂野さん提供
「年を取っても施設で暮らしていても、そこを自分の『生活の場』として自由に暮らせるということを曲げずに続け、そのよさを伝えていきたいと思います。いま、国は施設職員の人員配置基準を減らし、カメラやセンサーなどテクノロジーを導入して施設を効率化していこうとしています。そうなると、施設は病院のような『安静看護』になってしまう。これからは、そういう『管理モデル』の施設と、人間らしい暮らしを大切にしていく『生活モデル』の施設に、二分化していくのではないでしょうか」
※特別養護老人ホームと医療機関の協力体制に関する調査研究事業報告書(令和4年度)https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/track-record/assets/pdf/health-promotion-business2023-59.pdf
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中澤まゆみ
ノンフィクションライター
なかざわ・まゆみ 1949年長野県生まれ。雑誌編集者を経てライターに。人物インタビュー、ルポルタージュを書くかたわら、アジア、アフリカ、アメリカに取材。「ユリ―日系二世 NYハーレムに生きる」(文芸春秋)などを出版。その後、自らの介護体験を契機に医療・介護・福祉・高齢者問題にテーマを移す。全国で講演活動を続けるほか、東京都世田谷区でシンポジウムや講座を開催。住民を含めた多職種連携のケアコミュニティ「せたカフェ」主宰。近著に『おひとりさまでも最期まで在宅』『人生100年時代の医療・介護サバイバル』(いずれも築地書館)、共著『認知症に備える』(自由国民社)など。