痛みを減らす整形外科塾フォロー
異常がないのに腰などに痛みを感じる「痛覚変調性の痛み」 悪循環を断ち切る方法は
福島安紀・医療ライター
2024年7月31日
消防士の健吾さん(37歳、仮名)は、半年前から腰や背中がズキズキ痛くて重い物が持てなくなり、欠勤する日が多くなった。近所の整形外科を受診して検査をしても特に骨などに異常は見つからず、非ステロイド抗炎症薬を処方され、ウオーキングなどの運動をするように勧められた。しばらく薬を服用したり運動をしたりしてみたが痛みは治まらず、仕事ができなくなった。「なぜ自分だけがこんな思いをするんだ。出勤の途中で痛みのために動けなくなったらどうしよう」と考えると怖くて、家から出られなくなった。
組織や神経に異常がないのに痛みを感じる原因とは?
「痛みは、けがや病気などによって組織が損傷し炎症が起きたときに体の危険信号を知らせる大事な役割を果たしています。しかし、健吾さんのように、組織や神経の損傷やその恐れがないにもかかわらず、脳で強い痛みを感じてしまうケースがあります。痛みを感じる要因がないにもかかわらず、神経が敏感になって、『痛い』と感じてしまうのです。これが痛みを長引かせる要因です。こういった慢性的な痛みを専門的には、『痛覚変調性の痛み』と呼びます」
そう解説するのは、福島県立医科大学整形外科教授で同大保健科学部学部長の矢吹省司さんだ。
矢吹省司・福島県立医大教授(本人提供)
組織や神経の損傷がないため、「気のせいではないか」「休むための言い訳ではないか」と言われるケースもあるが、実際には、特に骨や筋肉に異常はなくても慢性的な痛みが続く人は多い。「骨や関節は異常ないのに…5人に1人が悩む慢性痛 解消のカギは?」で触れたように、全国では腰や膝などの慢性的な痛みに悩む人が2000万人以上いると推計され、その中には組織や神経の損傷がない人も少なくないとみられているのだ。
「痛みが続くとそれがストレスになって、動いたら痛みが強くなるという不安や恐怖で外出を控えるようになり、体を動かさないために筋力や体力が低下し、気持ちが落ち込みうつ状態になる人が少なくありません。すると、さらに痛みが増し、不安や恐怖が強まる悪循環に陥ります」と矢吹さんは指摘する。
薬物療法と運動療法で悪循環を断ち切るには
こういった痛覚変調性の慢性痛には、非ステロイド抗炎症薬など一般的な腰痛や膝痛に使われる鎮痛薬は効かないことが多い。そのため、痛みの原因となっている神経伝達物質の過剰な放出を抑えて鎮痛効果を発揮するガバペンチノイド製剤などを使う。また、抗うつ薬としても使われるセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬のデュロキセチン(同・デュロキセチンカプセル「DSEP」)や特異な作用を持つ鎮痛薬であるワクシニアウイルス接種家兎炎症皮膚抽出液含有製剤(商品名・ノイロトロピン)などが使われることもある。これらで痛みを軽減しつつ、体を動かして筋力や体力を回復し、悪循環を断ち切ることが重要になる。異常がないのに痛みを感じる人でも、筋力をつければ痛みが軽減することが多い。
矢吹さんが、筋力や体力が低下している人でも自宅で簡単にできる運動として勧めるのは、裸足になってタオルを床に置き、5本の指でたぐり寄せる「タオルギャザー体操」だ。最初は上手くできなくても、毎日繰り返すうちに、足の指が動かせるようになりスムーズにタオルをたぐり寄せられるようになる。
タオルを広げていすに座り、かかとは床につけたまま両足の5本の指を動かしてタオルをたぐり寄せる。これを1日2セット繰り返す。かかとが浮かないように注意する
この体操を1日2セット1カ月続けると、高齢者でもバランス力がつき、転倒しにくくなったことが報告されている。
「この体操と併せて、1日10~15分でもいいので外に出て歩くようにしましょう。すぐに痛みがなくなるわけではありませんが、『痛みがあっても外に出て歩けてよかった』と考えるようにすると、不安や恐怖が軽減し少し痛みが気にならなくなる人は少なくありません」と矢吹さん。歩くのが苦ではなくなってきたら、スクワットなどの筋力トレーニングも組み合わせ、徐々に歩く距離を延ばし、スピードも上げていくと効果的という。これにより、さらに痛みの軽減が期待できる。
呼吸法や心理的アプローチで痛みをコントロール
ただ、健吾さんの場合は、痛みを抑える薬を服用し運動療法をしても改善しなかった。3カ所の整形外科を受診したが、「特に悪いところはない」と言われ、3人目の医師に近くの病院にある「集学的痛みセンター」を紹介された。集学的痛みセンターは、厚生労働省の慢性の痛み政策研究事業に基づいて設けられた施設で、現在全国43カ所の病院が「慢性の痛み情報センター」のサイトに掲載されている。集学的痛みセンターでは、麻酔科医、整形外科医、心療内科医、公認心理師、理学療法士、医療ソーシャルワーカーなど多職種の医療者がチームを組んで、慢性痛の治療に当たる。
関連記事
<骨や関節は異常ないのに…5人に1人が悩む慢性痛 解消のカギは?>
<かかとに走る激痛 診断は「聞いたこともない病名」 実は中高年に多い足のトラブルとは……>
<重症化すると親指が脱臼する? 痛い外反母趾を治すとっておきの対処法>
<放っておけば治るの? 四十肩・五十肩 つらい症状を改善する○○体操とは>
<肩もみや肩たたきは逆効果? 肩こり解消に本当に効くのは…>
健吾さんは、仕事ができない状態になっていたので、集学的痛みセンターに3週間入院し、薬物治療と心理的アプローチ、リハビリテーションを組み合わせた治療を受けた。
心理的アプローチは精神科医、心療内科医、公認心理師が、「認知行動療法」や「マインドフルネス(瞑想=めいそう)」などといった手法で、痛みに対するとらえ方に働きかける方法だ。「認知行動療法」や「マインドフルネス」は、日本疼痛学会など関連学会の代表者からなるワーキンググループが作成した「慢性疼痛診療ガイドライン」で、慢性痛に改善に有効な「推奨すべき治療」に位置づけられている。
「慢性痛の患者さんは、『痛みのせいで人生が台なしで何もできない』と自暴自棄になったり、『痛みがなかったときに戻りたい』などと考えたりしてそのことで頭がいっぱいになっています。認知行動療法では、痛みをいったん受け入れ、痛みはあってもいいしゼロにはできないけどコントロールできるものという感覚を身につけます」(矢吹さん)
自宅や職場でもできる方法として、試してみたいのが、「痛みを和らげる腹式呼吸」だ。強い痛みを感じたときでも、腹式呼吸に集中することで痛みが緩和される可能性が高い。
いすに座って背筋を伸ばし、腹部に両手を当て、頭の中でゆっくり1、2、3、4、5と数えながら息を吐いていったん息を止め、5秒間かけてゆっくり息を吸う。呼吸に合わせて腹部が動くことを確認し、息を吸ったときには手の指先から足の先まで酸素に満たされ、吐くときには空気が外に出ていくイメージで、意識を呼吸に集中させる
健吾さんは、薬物療法と認知行動療法、そして、仕事のときと同じように重い物を身に着けたり持ったりするリハビリテーション療法を3週間受けて痛みが軽減し、仕事に復帰した。「痛みは全くなくなったわけではありませんが、それほど気にならなくなりました。痛みを感じても働けなくなったらどうしようという不安や恐怖からも解放されました」と語る。
薬物療法、心理的アプローチやリハビリテーション、麻酔薬を神経に注射する「神経ブロック」など複数の治療を組み合わせる「集学的治療」は、外来でも受けられる。慢性痛に対する「認知行動療法」は保険適用になっていないが、その費用については医療機関が肩代わりせざるを得ない状況という。心理的アプローチによる慢性痛の治療ができる専門家のいる医療機関は少ないが、「慢性の痛み情報センター」のサイトで、専門医療者は公開されている。
特記のない写真はゲッティ
<医療プレミア・トップページはこちら>
関連記事
ふくしま・あき 1967年生まれ。90年立教大学法学部卒。医療系出版社、サンデー毎日専属記者を経てフリーランスに。医療・介護問題を中心に取材・執筆活動を行う。社会福祉士。著書に「がん、脳卒中、心臓病 三大病死亡 衝撃の地域格差」(中央公論新社、共著)、「病院がまるごとやさしくわかる本」(秀和システム)など。興味のあるテーマは、がん医療、当事者活動、医療費、認知症、心臓病、脳疾患。