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今年も気温が高くて蒸し暑い夏になりました。この時期になると、息苦しさやめまい、動悸(どうき)といった「パニック発作」で苦しんでいる人がいて、ぼくのクリニックにもしばしばやってきます。パニック発作といえば、満員電車を思い浮かべる人は多いかと。あの「ムァッ」とした蒸し暑い感じがきっかけとなり、発作を起こす人は確かに少なくないと思いますが、きっかけはそれに限りません。急激な気温の変化や、香水のにおいなんかでも起こりえます。それにしても、どうしてパニック発作が起きてしまうのか。そのなぞをひもといていくと、患者さんの意外な「過去」と結びついていたりします。
冷房の利いた部屋から外に出ると……
ぼくが経験した患者さんのケースをいくつかご紹介します。
まずは、事務職の30代前半の女性です。
女性は通常、平日は午後5時に仕事を終えて帰宅します。ところが、夏は冷房の利いたオフィスから出て、気温の高い外の空気に触れると、気管がキュッとしまり、胸がドキドキしてくるそうです。冷や汗が出てきて、目の前が揺らぎ始め、苦しくて息ができなくなるほど。「助けてー!」と叫びたくなるくらい、症状がつらいといいます。ハンカチを口に当てながらオフィスに戻ると、しばらくして症状は収まるのだそうです。
「もしかして、ぜんそくなのかもしれない?」。そう思った女性は呼吸器科を受診したのですが、聴診器を胸に当てて調べてもらっても異常なし。レントゲン検査も特に問題なかったそうです。あとから呼吸器の医師に聞いたのですが、10度くらい気温が寒いところから暑いところに移ったとしても、普通、ぜんそくのような症状は表れないそうです。
そして、女性はこころの病を疑い、ぼくのクリニックにやってきました。詳しく話を聞くと、毎年、夏になるとこのような発作が起きていて、これが20代のころから続いていたようです。自律神経の検査をすると、確かに「乱れ」が確認できました。
女性の症状から「パニック障害」と診断をつけました。抗不安薬などを処方したところ、しばらくして症状が治まったと報告がありました。
一方で、この女性とはきっかけがまるで反対のケースもありました。
ある30代後半の女性ですが、暑いところから、エアコンの利いた部屋に入ったとたん、急に胸がドキドキして、冷や汗をかいてしまう。なんだかわけが分からなくなり、鳥肌が立ち、息ができなくなるといった発作に襲われるのだそうです。
脳が誤作動
このようにパニック発作は、極めて強い苦痛、不安、恐怖などが突然、表れるものの、短時間で治まります。また、息苦しさやめまい、動悸など、身体的、精神的な症状が伴います。この発作を繰り返すようになると、「パニック障害」に進展するといわれ、次の発作が起こることを過度に心配したり、外出などを回避しようとしたりするようになります。
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パニック発作は、何らかの要因がきっかけで脳が誤作動を起こし、ノルアドレナリンやアドレナリンなど、血圧を高め、心拍数を上げる神経伝達物質が必要以上に分泌されることで引き起こされると考えられています。
一生のうち1度でもパニック発作を起こす人の割合は9人に1人(11%)。発作を繰り返し、パニック障害を発症する人はだいたい125人に1人(0.8%)のようです。一般に女性の方が男性より2倍の頻度で発生します。
シトラスのにおいをかいだだけで……
パニック発作が生じるきっかけは他にもあります。
ある20代後半の女性は、デパートの化粧品売り場に行くたび、心臓がバクバクするといいます。夏になるとさわやかなシトラスのにおいがする香水をつける人が増えることでしょう。化粧品売り場でもそうした香水がたくさん並び、シトラスのにおいが充満しますが、女性はそのにおいだけに敏感に反応するのだそうです。
一方、別のにおいに反応する人もいます。
ある50代の女性は、シトラスの香りはまったく気にならないのに、冬によく出回る、甘くて濃厚なグルマンの香りを受け付けないといいます。においをかいだ瞬間、息が詰まり、胸が苦しくて仕方がない。心臓がドキドキするといったパニック発作が起こり、冬は化粧品を販売しているフロアを歩けないくらいだといいます。
やはり、この2人の女性も呼吸器科を訪れ、診察を受けたそうです。聴診器で胸の音を聞いてもらい、レントゲン検査をするなど一通り調べてもらったそうですが、とくに異常は見当たりませんでした。そこで、メンタル的な病気である可能性が高いということで、ぼくのクリニックにやってきたわけです。
過去のトラウマが引き金か
これまで診察した4人の患者さんのケースをみてきました。
気温差やにおいなど、パニック発作を起こすきっかけは人さまざま。おそらくですが、発作を起こす背景には、何か精神的なものがあったのではないか。閉じ込められた苦い過去の記憶が、何かをきっかけに身体的・精神的症状を伴って表に出てくるのではないか――。そのように推察し、患者4人に対し、さらに詳しく話を聞いてみると、やはり、それぞれ心当たりがあったようです。
涼しいところから暑いところに出るとパニック発作が起きる30代前半の女性は、子どもの頃、父親に連れられて、よくサウナに行ったそうです。父親はサウナが好きで、サウナ室に気持ちよさそうに入っているのですが、自分はというと、蒸し暑くて出たくて、出たくて仕方がない。出たいものだから、ついうろちょろしてしまい、父親からよくしかられた記憶があるといいます。それが怖くて、いまでも暑いところは直感的に苦手なのだそうです。
逆に、暑いところから寒い所に行くと発作に見舞われる30代後半の女性。大学を卒業し、就職した食品会社の大きな冷凍倉庫で作業をしていると、突然、電気が止まり、閉じ込められたそうです。自分が倉庫内に取り残されているにもかかわらず、急速冷却装置が稼働し、氷点下10度以下に一気に冷やされた上、30分ほど閉じ込められていたため、とても強い恐怖を感じたといいます。
一方、特定のにおいをかぐとパニック発作が生じるという女性たちはというと……。柑橘(かんきつ)系の香りで発作が起こる20代後半の女性は、大学卒業後、化粧品会社に就職。その時、さわやかな柑橘系のにおいがする香水を開発する部門にいたもののうまくいかず、退社に追い込まれるほどの精神的なストレスを受けたそうです。
また、濃厚なにおいがダメな50代の女性は、自分の子どもがまだ小さかったころ、ママ友の一人にいじめられたそうで、その人が濃厚なにおいのする香水をつけていたようです。
いかがでしょうか。パニック発作が起こる背景には、過去のトラウマ的な記憶が関係していることがうかがえます。もちろん、きっかけは気温差やにおいにとどまりません。例えばですが、男性の低い声を聞いただけで、胸がドキドキするような人もいます。
薬物療法が有効
いずれにせよ、トラウマに基づく自律神経の過度な緊張が原因の一つと考えられます。抗うつ薬や抗不安薬を適切に使えば治療することが可能です。症状が軽い人なら、こうした薬をお守り代わりとして持参しているだけでも、気持ちが落ち着き、発作を抑えることも期待できます。性格が弱いとか、我慢が足りないとか誤解する人もいますが、決して自分ひとりで悩まず、専門医のいる心療内科で診てもらうといいでしょう。
写真はゲッティ
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工藤千秋
くどうちあき脳神経外科クリニック院長
くどう・ちあき 1958年長野県下諏訪町生まれ。英国バーミンガム大学、労働福祉事業団東京労災病院脳神経外科、鹿児島市立病院脳疾患救命救急センターなどで脳神経外科を学ぶ。89年、東京労災病院脳神経外科に勤務。同科副部長を務める。01年、東京都大田区に「くどうちあき脳神経外科クリニック」を開院。脳神経外科専門医であるとともに、認知症、高次脳機能障害、パーキンソン病、痛みの治療に情熱を傾け、心に迫る医療を施すことを信条とする。 漢方薬処方にも精通し、日本アロマセラピー学会認定医でもある。著書に「エビデンスに基づく認知症 補完療法へのアプローチ」(ぱーそん書房)、「サプリが命を躍動させるとき あきらめない!その頭痛とかくれ貧血」(文芸社)、「脳神経外科医が教える病気にならない神経クリーニング」(サンマーク出版)など。