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「お母さんが庭で倒れて意識がなくなって……。救急車で病院に搬送されたって」
夫にこんな一報が入ったのは、7月中旬のある日の昼下がり。ちょうど夏休みを兼ねて、夫の母と姉の家族が住むアリゾナに行くことを予定していた数日前のことでした。熱中症になったのだろうと思いきや、事態は予想外の展開に。猛暑の盲点は、意外なところにもあったのです。
10年で最高気温が5度も上昇
アメリカで最も暑い街といわれるアリゾナの州都フェニックスは、砂漠のど真ん中にある大きな街です。夏は非常に暑く、冬も温暖ですが、近年は気候変動の影響を受けて、さらに気温が上がっています。何と2014年から23年までの10年間に最高気温が5度ほど、最低気温も3度ほど上昇。そのため、暑さを原因とする死亡例が10倍にも増えたというのです。
「非常に暑い」とはどれぐらいかというと、「今年の7月9日以降、最高気温が43度を超え、最低気温が32度を下回らない日が続いている」という状態です。夏のアリゾナに初めて降り立った私は初日、頭がボーッとする状態が続き、食欲も減ってしまう有り様でした。温度計が40度を示すところに身を置いてみて、たとえ短時間であれ、日中に外を歩くのは極めて危険だと察知したのでした。
もちろん、長年アリゾナに住んでいる義理の母はこの現実を知っています。そのため滅多に日中は外に出ないのですが、今回は、私たち夫婦が半年ぶりにやって来るというので、庭を綺麗にしようと炎天下、一人で外に出たというのです。庭に出たところでつまずき、転倒してしまい、立ち上がることができずに何と30分もの間、倒れたままだったといいます。
異変に気が付いたのは、たまたまリモートワークをしていた家族の一人です。飼い犬のシェパードが普段とは違う様子でほえ続けるので、「どうもおかしい」とシェパードに誘導されるように庭に出て、倒れている義母を発見。急いで救急車を要請し、私たちにも連絡をくれたのでした。
入院中に活躍したテレビ電話の医療通訳
幸い救急車がすぐに自宅に来てくれて、近くの総合病院へ緊急搬送となりました。さまざまな検査の結果、命に別条はないものの、重度の脱水症状と腕や脚のやけどのため、そのまま入院となったのでした。
入院直後に何とか意識は戻ったのですが、話しかけても反応がないことや、嘔吐(おうと)が続いたようです。それでも入院3日目、私たち夫婦が初めてお見舞いに行くと意識もすっかり回復し、「おなかがすいちゃった」「病院食はまずくて食べられない」とこぼし、二言目には「家に帰りたい」と口にするまでになりました。
確かに病院食は、お世辞にもおいしそうとは思えないものでした。硬そうなローストビーフにボイルした野菜、クラッカーやクッキーに小さなパン、そしてフルーツゼリーに水。日本で見慣れた病院食とはほど遠い内容に、「もし私が炎天下で脱水症状になった後に『食べなさい』と言われても、無理だな……」と感じてしまうほど。おまけに朝にはホットコーヒーまで出るというではありませんか! 日米の病院食の違いには驚くばかりでした。
一方で、いい意味での驚きもありました。
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スペイン語が母語の義理の母のために、病室にはiPadが設置され、テレビ電話を通じて、いつでも医療通訳者と話ができるようになっていたのです。スペイン語だけでなく、多くの言語に対応できるようになっていたことには、「さすがアメリカだな」と感心せざるを得ませんでした。実際、医療通訳者を通して義母が歩行訓練する現場に居合わせたこともありますが、義母は指示に従い手足を動かしたり、歩いたりしていて、非常にスムーズな印象がありました。
医療通訳といえば私自身、都内の駅ナカクリニックに勤務していた数年前に、電話を介して何度かお願いしたことがあります。テレビ電話ではなかったため音質が優れず、医療者も患者さんも言葉だけを頼りに表現せざるを得ませんでした。時に意思の疎通が図れず、使い勝手がよくないと感じることもしばしばでしたから、医療通訳者のジェスチャーや表情が見えるテレビ電話は非常に便利だと感心したのです。
やけどによる入院患者の3分の1は転倒が原因
おかげで義理の母の状態は日に日に回復。3日目まではベッドの上でずっと寝ているばかりだったのに、4日目には自分で座って食事ができるようになり、5日目には自分の服を着て、退院を「今か今か」と心待ちするほどになりました。退院後のホームケアなどの手配が整い、血液検査の数値も安定してきたため、6日目には無事、退院することができたのです。
自宅に帰ると、念のためにと購入した歩行器も使うことなく自分でトイレに行き、趣味の裁縫も再開するなど、すっかり元の義母に戻っていました。1週間足らずで、入院していたことなど忘れてしまいそうなほどの回復ぶりに、私たち夫婦が安心したのは言うまでもありません。同時に義理の母のように、猛暑の中で転倒し搬送されるケースが決して珍しくないことも知りました。
CNNの報道によると昨年、記録的な熱波に見舞われたアリゾナ州では、重いやけどを負って救急搬送される患者が急増したといいます。アリゾナ州でやけどの治療にあたるケビン・フォスター医師が勤める病院では、やけど病棟の45床が満床になったそうです。そのうち3分の1は地面に転んでやけどを負った患者が占め、また集中治療室(ICU)にいるやけどの患者も、およそ半分は転んだ結果だったといいます。
「本当に異常だ。患者の多さも、重傷者の多さも。ケガの程度ははるかに重い」とCNNのインタビューに答えたケビン医師の言葉に思わずくぎ付けになりました。
「夏の道路」で皮膚は完全に破壊される
義母の回復を確認し、アリゾナを離れる前に、倒れていた現場に行ってみることにしました。自宅の庭とはいっても芝生ではなく、赤いレンガのような石が敷き詰められている一角です。倒れていたという正午ごろに合わせ、裸足で歩こうとしたところ、あまりの熱さに「やけどする。まずい!」と発作的に庭のプールに飛び込んでいました。
アリゾナ州では、夏の晴れた暑い日や午後はアスファルトやコンクリートの温度が82度になることもあり、ほんの一瞬触れただけでも重いやけどを負いかねないといいます。舗装された道路に10分から20分間接触すれば、皮膚が完全に破壊され、皮膚の深部まで達する3度のやけどを負うことすらある――というのです。半ば予想していたとはいえ、ケビン医師の警鐘を、わが身をもって思い知ることになりました。
義理の母が倒れた時も、地面の暑さは80度近い高温になっていたと考えられます。熱せられた地面の上に倒れ、起き上がれない状態が30分も続いていたというのに、手足の2度のやけどと脱水症状のみで済んだのは、ますます奇跡だと思うようになりました。
日本でも地域によっては40度を超える記録的な猛暑が続いています。熱中症はもちろんですが、転倒によるやけどもあり得ると想定し、くれぐれも気を付けていただきたいと思います。
写真はゲッティ
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山本佳奈
ナビタスクリニック内科医、医学博士
やまもと・かな 1989年生まれ。滋賀県出身。医師・医学博士。2015年滋賀医科大学医学部医学科卒、2022年東京大学大学院医学系研究科(内科学専攻)卒。南相馬市立総合病院(福島県)での勤務を経て、現在、ナビタスクリニック(立川)内科医、よしのぶクリニック(鹿児島)非常勤医師、特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所研究員を務める。著書に『貧血大国・日本』(光文社新書)がある。