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毎日新聞 2022/8/17 東京朝刊 有料記事 4407文字
ロシア軍のウクライナ侵攻開始後、日本で歴史学会の重鎮らが両国に即時停戦を求める声明を発表して、「侵略した側とされた側を同列に扱うな」などと批判を浴びた。平和は誰もの願いだが、即座の実現が絶対的な正義と言い切れない場合もある。海の向こうの侵略戦争と私たちはどう向き合うべきか?【聞き手・鈴木英生】
露に利益ない公正な講和を 富田武・成蹊大名誉教授
富田武・成蹊大名誉教授=萱原健一撮影
私も参加する「憂慮する日本の歴史家の会」が3月15日に出したロシアとウクライナ双方に即時停戦を呼びかける声明は、ツイッターなどで「侵略する側とされる側を同列に置くものだ」と批判された。会には、さまざまな意見があり、声明は当時の最大公約数的な内容だ。会の周辺には、宗教者や被爆者ら「どんな戦争も即刻やめるべきだ」との主張もある。
ロシア軍によるウクライナ侵攻は紛れもなく「国際法違反」であり、私たちはこれを一刻も早くやめさせるべきだと考えて行動した。日本や、ロシアとの関係が悪くない中国、インドが停戦を仲介すべきだと、日本の外務省、露中印3国の大使館に申し入れた。しかし、ロシアは自国の正しさを言い募るばかり、中印両国は外交的打算から仲介に動こうとはしない。
ウクライナ国民と軍の抵抗により、ロシアによる短期間での全土占領のもくろみは破綻している。ブチャなど各地でロシア軍による虐殺が明るみに出た。ロシア軍は、態勢を立て直して戦力を集中したドンバス地方で、マリウポリをはじめ破壊の限りを尽くした。
この段階で、会の内部に「即時停戦一本やりではロシアを利する」「戦争の行く末を見すえた公正な講和」を提示すべきだという意見が出た。ベトナム反戦運動の先例が想起された。
「ベトナムに平和を!」は、侵略国アメリカに北爆(北ベトナムへの爆撃)中止や米軍の撤退を要求し、日本政府には戦争協力=「侵略加担」をやめよと訴えるスローガンだった。米本国を含む全世界の反戦運動は米軍と戦うベトナム人民と連帯し、パリ和平交渉も支持しつつ、ついに米軍をベトナムから撤退させた。
ウクライナでは侵攻当初から、ロシア軍が相当な戦力差で占領地を徐々に拡大してきた。自国への攻撃には核兵器で反撃すると脅しながら、自国内から巡航ミサイルや長距離砲弾をウクライナへ撃っている。米露間の「核不使用」の黙約を悪用したものと言わねばならない。
私たちは、国際的な反戦世論でウクライナの抵抗を支援して交渉のテーブルを設け、早急な停戦と公正な(両成敗ではない)講和を目指す。「年内に戦争を終わらせたい」とするウクライナのゼレンスキー大統領を支持し、少なくとも以下3点をロシアに求める。
(1)無差別な破壊・殺りくの即時停止(2)占領地の「ロシア化」中止とロシア軍の侵攻開始前地点までの撤退(3)ロシア国内に移送したウクライナ国民の帰還――。さらに非武装地帯の設定や武器取引の禁止、戦争犯罪人に対する裁判、ロシアによるウクライナへの賠償などが求められる。実現には、ロシア国内の政治的変化を期待するほかないかもしれない。
日本に何ができるか。憲法第9条をもつ国として軍事的支援はできないし、すべきではない。避難民支援だけでなく、復興支援はノウハウをもつ自衛隊とNGOが貢献できる。この戦争に悪乗りした軍備強化も許してはならない。
ウクライナだけに決定権 東野篤子・筑波大教授
東野篤子筑波大教授=提供写真
即時停戦論は現実から乖離(かいり)している。今のロシアはウクライナを軍事的に圧倒していると思っている。まだ勝ち進められる戦争をやめる国はない。日本には、ロシアに停戦を呼びかければ、戦闘がきっちりやんで平和が訪れると信じる人もいるが、これまでロシアに攻撃されてきた国や地域は、むしろ停戦・休戦後、悲惨な事態に直面している。
ウクライナでも、3月の停戦交渉中にブチャなどで虐殺が起きた。人道回廊は停戦とセットでなければ機能しないが、マリウポリから民間人が本格的に脱出したのは、ロシア軍が同市を破壊し尽くした後だった。であるから、ウクライナは「できるかぎり侵攻を押し返した後でなければ停戦交渉はできない」と考えるのが論理的だ。
ロシアに(領土などの)「お土産」を渡さないと戦争は終わらないとする論者もいる。なぜ「お土産」でロシアが満足すると言い切れるのか。1938年のミュンヘン会談で、英仏などはナチス・ドイツにチェコスロバキア領の一部割譲を許した。これでドイツは増長し、第二次大戦を招いた。逆に、第一次大戦後はベルサイユ条約でドイツを締め上げすぎた結果、ヒトラー台頭の余地を生んだ。この二つの失敗を教訓に持続可能な停戦への道筋を考えるほかない。
いずれにせよ、戦争を継続するか否かを決定できるのはウクライナだけだ。他国に「戦争をやめろ」と言う権利はない。その後に起こりうる殺りくや破壊も受け入れろと言うのと同義だからだ。こう主張するだけで、「徹底抗戦させる気か」と非難する人もいるが、その人たちは停戦を強制された後の事態に責任が取れるのか。
日本でロシアを信用しすぎたり融和的な意見が出たりする背景に、イラク戦争などで噴出した根強い反米意識を感じる。反米意識の根本には、「強者の横暴を許さない」というまっとうな感覚があるはずだ。ならば侵略者ロシアを非難するはずだが、米国への反感のあまり、極端に言えばウクライナが米国に操られていると思い込み、結果としてロシアの肩を持つ。
この思考は、ウクライナの主体性を軽視していないか。国際政治は、大国が小国に立場を強制するばかりではない。ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)加盟を求めたのは同国の意思だし、チェコやポーランドもNATOに自ら望んで入った。小国の行動原理の根底には、恐怖と安全の希求がある。ロシアから見ればNATOの東方拡大は約束破りだろうが、欧州の小国はそのロシアを恐れるからこそ、米国との軍事同盟であるNATO加入を求めた。
日本外交は「中小国が大国に脅かされない秩序を守るには、武力による現状変更を黙認してはならない」と、愚直に説き続けるべきだ。今のロシアの行動を黙認すれば、中小国への侵略は許容範囲という地獄の世界秩序ができてしまう。現に原油価格高騰や食糧難にあえぐ国は、簡単には受けいれず、大国にくみしかねない。それでも、原則論を唱え続けることは必ず力になるはずだ。
日本は侵略の「現実」思慮を 岩下明裕・北海道大教授
岩下明裕・北海道大教授=高山純二撮影
和田春樹、富田武両名誉教授らが停戦を求める声明を出したのが無意味とは思わない。彼らも停戦で即座に悲劇が終わると信じるほど楽観的ではないだろう。反戦運動の拡大が平和への動きに影響した過去の例もある。「無駄な声をあげるな」では、ニヒリズムがはびこるばかりだ。
問題は声明の中身だ。ロシアとウクライナ双方に停戦を呼びかけ、ウクライナの抵抗を否定すると受け取られかねない表現は疑問だった。市民団体が中国やインドという国家に和平の仲介を求めるのも、ずれていると感じた。特に国内での人権抑圧が著しい中国政府に呼びかけたのは不思議だ。むしろ市民として、世界中で国家の暴力にさらされている人々との連帯に力点を置くべきではなかったのか。
日本では「死者が一人でも増えないよう、ウクライナは今すぐ降伏せよ」との声さえ散見されてきた。その背景に、日本特有の戦争体験に基づく反戦意識を感じる。
近代日本は、自衛の名で侵略戦争を引き起こしたが、侵略された経験はほぼない。おかげで、「とにかく戦争はダメ」という意識が強い。沖縄戦など攻められた経験も「軍隊は国民を守らない」との記憶を残した。軍隊を持つから戦争になる、と「非武装中立論」が力を持った時期もある。世界的にはかなりユニークな反戦意識で、軍と国民の距離がここまで遠い例も軍事独裁国家以外では珍しい。
ウクライナの人々に深く刻み込まれているのは、「戦わなければ殺される」との意識だろう。ウクライナを「欧州のミニチュア」と称する歴史家もいる。ロシアのみならず、モンゴル、ポーランド・リトアニア、オーストリア・ハンガリー、オスマン・トルコなどが交錯して支配した多様性を持つ境界地域だ。
過去約1世紀にも、ロシア革命で赤軍に攻め込まれ、白軍(反革命軍)との内戦や外国の干渉があり、スターリン体制の人為的飢餓で数百万人が死んだ。ナチスの侵略後、再びソ連の支配下に。かの地は、虐殺と侵害、追放の記憶が何層も積み重なっている。
冷戦期の東欧・北欧諸国の生き延び方も振り返るべきだと思う。1956年、ハンガリーが東側陣営を離れて中立を試み、ソ連に侵攻された。68年のチェコスロバキアは東側にとどまったまま民主化を図ったが、やはり侵攻された。これらを受け、80年代のポーランドは、政府自ら民主化運動に対峙(たいじ)することでソ連の介入する隙(すき)を作らなかった。
北欧では、フィンランドがソ連との善隣関係を前提とした外交をし、北大西洋条約機構(NATO)原加盟国のノルウェーも外国軍駐留を長年認めなかった。自らの勢力圏に敏感な国の周辺国は、慎重すぎるくらいでないと自国民を守れない。これらの国以上にウクライナはロシアに近く、今回のロシアの行動は類例がないほど激烈だ。
いずれにせよ、日本の論争は、ともすればウクライナに暮らす人々の「現実」を思慮せず、自分たちのイメージを押しつけ合う「空中戦」になりかねない。自戒を込めて強調しておきたい。
「和平派」と「正義派」
富田武成蹊大名誉教授ら「憂慮する日本の歴史家の会」(代表・和田春樹東京大名誉教授)は、3月と5月に即時停戦を訴える声明を出した。欧州各国では、戦争の終わらせ方をめぐって、早期停戦を求める「和平派」と、ウクライナは国土を取り戻すべきだとする「正義派」に分かれている。ドイツやフランス、イタリアは和平派で、バルト3国やポーランドなどが正義派とされる。
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■人物略歴
富田武(とみた・たけし)氏
1945年生まれ。東京大大学院博士課程満期退学。著書「ものがたり戦後史」など。フェイスブック内のグループ「ウクライナ戦争・日本情報センター」管理者。
■人物略歴
東野篤子(ひがしの・あつこ)氏
1971年生まれ。英バーミンガム大大学院博士課程修了。広島市大准教授など経て現職。専門は国際関係論。共著に「ハンドブックヨーロッパ外交史」「EUの規範とパワー」など。
■人物略歴
岩下明裕(いわした・あきひろ)氏
1962年生まれ。博士(法学、九州大)。専門は境界研究。著書に「北方領土問題」「入門国境学 領土、主権、イデオロギー」「中・ロ国境4000キロ」など。