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みなさん、こんにちは。
光武です。
人事コンサルとして採用活動を支援する中で、発達障害の採用市場における不人気さに直面すること多々ありました。
「正直、発達障害の人は扱い方がよく分からなくて……」
「えっと、注意欠陥多動性障害(ADHD)っていうんだっけ? 衝動的だとか、物忘れが激しいとか……。うちじゃあ、そのタイプの人を雇うのは正直厳しいかなあ」
「うーん、正直、発達障害って理由で採用は避けたいなって思いますね。できれば身体障害の方は難しいですか?」
こうした人事担当者との会話は日常茶飯事であり、経済的な合理性を追求する、いわゆる資本主義社会の中で、社会のお荷物として認識されている「発達障害」にまつわる誤解と偏見は根深いものがあるなあと思わされます。
健常者と発達障害者との間の溝
ただこうした発言から、「だから日本社会は欧米に比べて市民意識が遅れている」とか、「差別主義の社会である」といった趣旨の批判を展開するつもりは毛頭ないですし、そんなことをやる意味もないと思います。
むしろ、採用担当として会社に利益をもたらす人材の採用を求められるからこそ、上記の発言は出て当然だと思いますし、リスクのある人材を採用して事業部の負担を増やすわけにはいかないという心理が前提にあるすれば、もっと厳しい発言が出てしかるべきかなとさえ思っていました。
こうした趣旨の文章を書いたり、話したり、そんな活動を続けて、多くのメディアを通じて発信したりすると、やはり当事者からは否定的な意見をもらうこともあります。
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「同じ当事者として応援していたのに、残念です」
「光武さんも結局のところ、当事者の意見を代弁してくれないんですね」
健常者と発達障害者の間の溝はかなり大きく、埋めることはたやすいことではありません。僕の体験と考察を交えつつ、今回はこのあたりの事情を掘り下げてみたいと思います。
自分の行動をコントロールできない
発達障害が世間で嫌われるのはなぜか? ここを起点にして考えてみましょう。
僕は当事者が世間に受け入れられないのは、主に二つの側面があると思います。
一つは、誤解と偏見が根強いこと。特に、言葉が独り歩きしている状況は非常に深刻だなと思います。
そしてもう一つは、当事者もまた周囲の人間も、自分の行動をコントロールできないと感じており、結果、周囲へもたらす悪い影響が改善しにくいこと。両者が互いに憎悪しあうことで、状況がより深刻さを増しているのが現状であると僕は感じています。
誤解と偏見からはじめてみましょう。
ある人事担当者と話をしたときのことです。
「光武さん、やっぱりADHDっていうんだっけ? 生まれつき、注意欠陥っていう特性がある人っていうのかな。これって改善することはないのかな。正直、改善されないんだったら、仕事を任せることは難しいと思うんだよ」
「えっとですね、ここでいう【改善】という言葉の定義が大事だと思うんですね。まず、能力の問題、本人の思考特性とかですね、これは大幅な改善は難しいと思います。たとえば知能指数(IQ)ってある程度生まれつきその度合いって決まっていますし、これは障害者も、健常者も変わらずそうですよね。その意味で、発達障害が脳機能の障害であるという立場で考えるなら、能力自体をアップデートする幅は少なくなる。これはその通りです」
「なるほどね。ということは、結局、現場の負担はほとんど変わらないってこと?」
「そうは言っていません。あくまで本人の生まれつきのポテンシャル部分は大幅にアップデートできないというだけで、障害者といえど、健常者と同じように【学習】することはできるわけです」
学習でパフォーマンスは改善できる!
「つまり、どういうことなの?」
「要するに、学習する中でパフォーマンスは改善できるってことです。これは健常者も障害者も同じです。人間の武器である【学習】するスキルはADHDだって持っているわけです。業務に慣れていく中で、自分がミスを犯しやすいところはどこか、その解像度もあがってきます。であれば、どうやって改善すればうまくいくのか。これを考えて、自分のミスをしやすい特性を踏まえた仕組みを考えることだってできるはずですよね」
「たしかに……。その通りだけど、それって障害者にできるものなの?」
「当然できますよ(笑い)。そもそも、もしそれができないとしたら、御社は僕のことを信頼して、そもそも契約なんか結ばなかったはずじゃないですか!」
「言われてみたらそうだね。光武さんは障害当事者だったもんね」
冷静に考えてみると当たり前なのですが、そもそも発達障害は脳機能の発達の問題で、さまざまなハンディキャップを持っているというだけ。【学習能力に懸念がある】とはどこにも記載がないんですよね(ただし、特定の領域において著しい能力の偏りがみられる学習障害を除きます)。障害という領域になると、なぜかバイアス(偏り)が働いて、主観的な見解を交えてしまう。これが偏見の要因の一つになっているなと僕は思います。
怒られないよう言い訳をしがち
二つ目に話を移していきましょう。
一つ目の話と若干矛盾するように思われるかもしれませんが、当事者も、自分の行動をコントロールできないと感じており、結果、周囲へもたらす悪い影響が改善されないケースが頻発している。これは現実に日本中の職場で起こっている話です。
【学習する】ことができるという話はどこにいったのか。若干ミスリードを誘う書き方をしてしまいましたが、ポイントは単純です。あくまで当事者自身が「自分は障害当事者だから、自分の行動をコントロールできないと強く自分にバイアスをかけてしまい、結果生じる影響を軽視するケースがある」という話なんです。
僕自身の話になりますが、やっぱり僕も障害当事者なので、できないことが多々あります。現在の職場でも、たくさんミスをしますし、これまでより業務量が増えたこともあり、その傾向は顕著になりつつあります。笑える話でもないですが……)。そして、これが自分の特性上、致し方ない部分だなとも感じています。
ただ、ここから先が大切で、次の二つに分岐します。
①周囲に相談してミスが起こらない体制を考える
②怒られないように言い訳する(開き直る)
どう考えてみても、①しか選びようがないのですが、多くの障害当事者は②を選択してしまうのです。これまでの人生で怒られ続けてしまったからでしょうか、恥ずかしい話ですが僕もとっさの場面では②を選んでしまうことがまだあります。メンタルブロックがかかってしまうのでしょう。
結果、他責思考が強い人だと周囲に認識され、付き合いにくい人、フィードバックをしにくい人と思われていく。周囲とのあつれきは強くなり、誤解や偏見は一層強くなってしまう。発達障害という言葉が一般化したことで、怒られることをするたびに自分が発達障害であることを周囲に伝えるという流れも加わり、両者の溝は深まるばかりです。
溝を埋めるのに必要なこと
採用市場においては、前述した二つの観点が相互作用しながら、悪い方へ悪い方へと意識が働いており、この流れを止める特効薬がまだ出ていません。経済合理性を追求するなら余計なコミュニケーションコストをかけないようにするために、発達障害者を採用しない方針を人事担当者は取り続けることとなるでしょうし、その流れが続くと、当事者側からの不平不満(被差別意識や被害者意識)が強まり、断絶はより色濃くなるように感じます。
やや使い古された例になりますが、僕はやはり「北風と太陽」の寓話(ぐうわ)が一番ヒントになると思っています。自分は関係ないと当事者意識を持たずに、切り捨ててしまう発想であれば、部分最適はできても、全体最適にはならない。それは企業側だけでなく、当事者側にも当てはまります。「相手が理解してくれない」と一方的に主張するのではなく、自分の言い分が相手から見るとどう聞こえてしまうのかを考えないといけない。
発達障害当事者には難しいと思いますが、僕の役割は当事者視点で分かる言葉に翻訳することと思い、こうした発信する活動は続けていきたいなと強く感じています。
写真はゲッティ
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光武克
発達障害キャリアカウンセラー
1985年、佐賀県出身。上智大学文学部中退後、フリーの予備校講師として活動し、学習参考書や発達障害関連の記事を執筆。障害者雇用を基軸とする人的資本経営の人事・組織コンサルタントを経て、株式会社Speeeにて中途採用リクルーティング業務に従事。2017年に発達障害者のためのバー「The BRATs(ブラッツ)」を東京・渋谷でオープン(現在は東京都内のイベントバーで随時開催中)。店舗のホームページ 光武さんのX(旧ツイッター)アカウント