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2.訓読会とは何か
父の祈り
お父様、愛で直接抱いてくださいませ
お父様は私たちに向かい
数千万回、手ぶりをされましたが
そこに反応するすべを知らなかった私たちであり、
数万回、呼んでくださったにもかかわらず
聞き取ることのできなかった私たちであるがゆえに、
どうしてお父様の前に立ちうる面目があるだろうかと存じますが、
それでも来いと呼ばれるあなたの声を聞いて、
それでも手招きされるあなたがおられるのを知って、
平伏いたしました。
哀れな者たちの中でも哀れな者たちであり、
頼る所のない者たちの中でも、頼る所なき者たちであることを
お父様はご存じであると信じておりますゆえ、
醜い姿ではありますが、私たちを訪ねられて
愛の手でしっかりとつかんでくださいませ。
私たちの目が暗く、私たちの体が傷を負い
生命の本体を知らない立場にあっても、
お父様、愛でもって直接抱いてくださいませ!
疲れた足取りを休め、
傷心した心を喜びの心へとお改めになり、
私たちを慰めてくださいますよう切にお願い申し上げます。
(1959.4.19)
訓読会の意義
1 訓読会の「訓」の字は「言」偏に「川」です。水です、水。水は海水、塩水が水蒸気になり、雲になってこの世を回りながら、低気圧圏を訪ねていきます。高気圧が低気圧を訪ねていくのです。なぜなら、水や空気は空いた所をいつも満たしてくれるからです。水平を維持するようになるのです。
2 愛も水と同じです。水と空気は毛細管作用により、すき間さえあれば入り込みます。愛も同じです。すき間さえあれば入り込んでいくようになります。どれが先んじなけれぱならないかといえば、愛が先んじなければなりません。愛の速度は最高です。水よりも速く、さっと作動するのです。ですから、すべての種も、種にある愛の力を通して、すべて栄養を吸い上げるのです。その愛の授け受けする力によってすべてがなされるのです。このように、愛も水と空気のように、空いた所はどこでも満たしてくれるのです。
3 ですから、家庭に入って、家庭に空いた所があれば、そこに入って満たしてあげなければなりません。今後の世界は、より愛する人が主人になるのです。主人になりうる後継者は、どこにでも行って、満たしてあげなければなりません。お母さんがそうでありませんか。生活するにあたって、子供たちは意地悪なもので、家の中を全部引っ繰り返して大騒ぎをするのですが、すべて片付けるでしょう。きれいに裏の路地まで掃除したりするでしょう。愛の痕跡がその家の至るところに行きわたっているということが分かるのです。隙間に日差しが当たれば、その世界をすべて照らしていくのです。
4 愛の速度が、いちぱん速いのです。そして愛は、「直短」で進みます。くねくねとこのようには行きません。直線で行くのです。それで、木も良い木は、すべて真っ直ぐでなければなりません。なぜならば、それでこそ愛の願いを成し遂げることができるからです。それゆえ、木が曲がっていれば不合格です。したがって、愛の平準化、空気の平準化、水の平準化、これは絶対的なのです。これが生命の三大要素です。(291-68)
5「訓読」の「訓」という字は、「言」偏に「川」です。水はすべての生命の要素です。水は青い色をしています。海水は青いでしょう。大地も見れば青い地帯が多く、草木は水の色に似ています。水は青い地帯をつくり、大気に漂う雲を成し、深く行き高く動きながら、世界を平準化するのです。水は平準化するのです。
6「読」の字は何かといえば、み「言」を中心‘として「売」らなければならないのです。売らなければ取り入れて使わなければなりません。水は流れ、大きな川となって、海を成し、この宇宙を生成するそのような力があるのと同様に、このみ言にもそのような内容があるということを知らなければなりません。それで、いちぱんの骨髄である、先生が説教したみ言の説教集をすべて分けてあげています。これで皆、訓読会をしなさいというのです。(290-154)
7 訓読会の「訓」の字といえば、「教える」という意味の「訓」の字もありますが、「薫」という字もあり、「勲」という字もあります。「フン」といえば範囲が広いのです。「読」の代わりに「徳」を入れて、「訓徳会」というように呼ぶこともでき、内容がすべて良いのです。「言」偏に「川」ですが、川は水です。水は流れるのです。水は流れてこそ生きます。「訓」という字は、み言に水を象徴したので、動いてこそ生きるのであって、じっとしていれば腐ってしまいます。
8 水は動かなければなりません。同じように、み言も動かなければなりません。み言をもっていれば、それは病気の中でも重病です。そのみ言を動かせない人は、病気の中でもそれ以上怖い病気はありません。自分の環境を克服できず、それを移動させることができなければ、雲が空中の一か所に浮いているのと同じです。雲は高気圧を通して、低気圧圏内に往来することにより、雲の任務を全うして雨を降らせ、水のない砂漠地帯を青い地帯にすることができるのです。
9 動くことによって、あらゆる天下の調和がなされます。山水というでしょう。水が良くなければならず、木が良くなければならず、草木が良くなければならないのです。それで景色が良くなるには、山水が訓和しなければならないという話があります。
10 訓読の「訓」の字にある川は水をいうのです。それは流れなければなりません。流れることによって、美しい景色はより一層引き立って見えます。鳥も水がきれいで景色が良い所にすべて集まるのです。訓読会というものは水です。み言の水を固定させれば死にます。統一教会のみ言は、聞かなかったほうがましであって、聞いて固定させてしまえば、そこですべて腐ってしまいます。それを知らなければなりません。
11 「読」という字は「言」偏に「売」と書きます。み言を与えるか、売るかしなければなりません。訓読にはそのような意味があります。定着してはならないのであり、これを分けてあげるか売るかしなければならないというのです。嫌だといっても強制的に売らなければなりません。(291-88)
12 訓読会の「訓」の字はそうで、「読」の字は「言」偏に「売」の字です。売らなければなりません。もっていれば大変なことになります。売らないで品物を積んでおいて腐らせてしまえば罰を受けます。お金を受け取って売らなければなりません。お金がもらえなければ、分けてあげなさいというのです。み言を売るようになれば、自分の息子、娘になります。商売のうちで、そのような商売はありません。千年万年、種になって自然に繁殖するので、み言は流れていくのです。こうして、絶えず拡張しなさいというそのような意味があります。それで「み言を売れ!」と言うのです。売らなくても分けてあげなさい。これが訓読会の本然の意味です。(289-296)
訓読会の目的
13 皆さんになぜ訓読会をしなさいと言うのでしょうか。今、訓読するこのみ言は50年前、40年前に語ったみ言ですが、そのときは生死の岐路にありました。このみ言を伝えながら死を考えたのです。「私が死ぬ前に、み言を残さなければならない。これを成し遂げられなければ、み言でも残して逝かなければならない」と思いながら、深刻な立場で話をしたのです。そのとき、霊界ではどれほど深刻に見つめていたでしょうか。それゆえ、皆さんが訓読会をするようになるなら、その霊界が皆さんに代わって、先生がみ旨を成し遂げていくように協助しうる再創造の恩賜圏内に追い込むということを知らなければなりません。(293-105)
14 最後の時が近づいてくるので、再創造をしなけれぱならないのですが、それをどのようにするのでしょうか。再創造完成のシステムがまさに訓読会です。堕落以降、天が今まで訓読会を願ってきたのです。成約時代のみ言を願ってきたのです。堕落して、すべてが滅びてしまうようになっているので、皆が再創造のみ言を待ちこがれなければなりません。それが成約のみ言です。(292-257)
15 訓読会をしっかりしてこそ、皆さんの内なる人の肉がふっくらとしてくるのです。世の中ではふっくらとしてくれば、年頃の娘になった、いい青年になったと言いますが、霊界に行って永遠の理想の夫婦となる準備をするため、霊的糧をしっかり食べなければならないのです。それが訓読会であるということを知って、ふっくらと太ることを願います。(301-179)
16 訓読会をする目的は、み言の本体であられる神様に似るためです。自分が第二の真の父母になるために訓読会をするのです。訓読会を熱心にすれば、霊界の協助を受けることができます。神様のみ言を訓読する所に神様が共にあります。霊界にいる善霊が再臨して、再臨協助の役事が起きます。したがって、訓読会は霊界を動員する道となります。(321-32)
17 訓読会とは、み言を通して家庭が定着することです。これが家庭の伝統となるのです。息子、娘の教育は心配する必要がありません。ご父母様が暮らしてきたあらゆる生活と教えた言葉が、今になってすべて実現しているのです。この頃になって、すべてそのとおりになっているのです。
18 いちばん困難なときに語ったみ言は、全霊界が注目するみ言です。そのみ言があって、そのみ言を中心として、天が戦うことができるのです。世界が一つの生活をする、そのような時代になってくるのです。先生を中心として、全世界の人々が共に生活することができる時代、いつでもスイッチをひねれば先生に会うことができ、生活感情を平準化することができる時代になってくるのです。(292-17)
19 成約時代がやって来たので、家庭が完全でなければなりません。家庭的カナン復帰完成時代である成約時代を迎えたので、訓読会を通してみ言に従って、皆さんの家庭が完成、定着すべき時代が来たというのです。ですから、そのみ言を聞くとき、流れ行くみ言として聞いてはいけません。そのみ言は、先生が生死の圏をかけて、生きるか死ぬかという寸刻に迫るとき、このみ言を残してでも逝かなければならないと思いながら、はっきりと教えてあげたみ言なのです。
20 霊界が深刻な立場で先生のみ言を聞いて同訓した、その霊的基準があります。み言の対象的な立場に入るようになれば、数十年前に語られたその霊的な世界が、皆さんを中心として協助しうる因縁がつながるということを知らなければなりません。先生に同情していた神様、先生の後に従ってきて内外を保護して同情したその神様が、このみ言とともに相対的な実体を要求するようになるときは、自分が補助して、早いうちに相対目的を完成し、主体と一つになることができる道を開拓してくれるというのです。
21 私が死ねば、み言でも残し、私がいなくてもそれを教本として、それに合わせて作ることのできる内容を説明してあげなければならないのです。
22 歴史的な恨の峠を中心として、根を浄化し、幹を浄化し、枝を浄化して、後には葉までも、虫の食べた葉までも、愛の恵沢を与えるためなのです。それで、終わりまで来れば、再び帰らなければなりません。完全な葉を愛さなければならず、完全な枝を愛さなければならず、完全な幹を愛さなければならず、完全な根を愛さなければなりません。帰ってから本然の根に、堕落しなかった枝を中心として、第二の生の出発基準を自分の一身と家庭において完成できるようになるとき、その家庭は天国に専属しうる家庭になるのです。アーメン! (292-122)
23 訓読会は涙なしにはできないものだ、ということを皆さんは知らなければなりません。現在は不平を言う何の内容もありません。すべての人が歓迎しなければなりません。ご父母様が定着したすべての心情世界を、皆さんが皆さんの家庭に安着させるためにも、訓読会は絶対に必要です。家庭的訓読会、社会的・教会的・国家的訓読会、世界的訓読会が行われるのです。
24 それで先生が戦ってきた過程において、霊界から協助を受けたものを、皆さんが共に協助される条件を立てたとしても、家庭が地上に定着するようになるとき、サタンが讒訴しうる環境を乗り越えることができるので、訓読会は絶対に必要だというのです。読まなくてはなりません。善良な霊界が、今後訓読会をしてすべてそうなるでしょうが、霊界全体の協助を受けて、その国が動くようになれば、その国が世界の代表的な国となるのです。ここには異議がありません。(292-215)
25 訓読会は何かといえば、サタン世界と天国世界を分けて別々のものにする刃物です。皆さんの家庭でも訓読会をするとき、喜ぶ人と嫌がる人がいるのです。好きではないので、好きになるように、どんなことでもしなければなりません。(303-123)
26 訓読会をするのは、きょうは自分が何をしようという、各自が残すものを探すためにするのです。聞くためにするのではありません。生きるためにするのです。自分が主体になって、再創造の環境を拡張するためにするのです。ですから、毎日毎日しなければならないようになっています。(308-94)
27 訓読会は天の最後の作戦です。ですから、み言をつなげるために訓読会を世界的にしなければなりません。(324-19)
訓読会は伝統を残すためのもの
28 訓読会をしなければなりません。これからは、全部歴史を教えてあげなければなりません。建国理念を求めて立ち上がる統一の群れとしては、建国理念がどうなっているのか、それを再び求めなければなりません。三代が、おじいさん、お父さんとお母さん、自分たち夫婦が合わさって、建国の伝統を再び求めなければなりません。建国の伝統を失ってしまったのです。(292-62)
29 伝統をどのように立てるべきでしょうか。先生が暮らしてきたすべてが伝統です。ですから、伝統を伝授するために訓読会を始めているのです。訓読会のみ言は聞き流すような言葉ではありません。皆さんが地上に着地できるすべての実践教材だということを知らなければなりません。伝統を相続しなければなりません。伝統を知って実践しなければなりません。その伝統は、昼も夜も受け継がなければならないのです。その伝統を受け継がせる訓読会は、教育です。伝統を教育する場所であるゆえに、それを知ってからは、先生と天が苦労したその道に拍子を合わせて行動し、自分自らの国と家庭を設定しなければなりません。これは重大なことです。誰も干渉してくれません。皆さん自身が中心とならなくては、霊界も協助できる時代は過ぎ去るということを知らなければなりません。
30 伝統! 一度言ってみなさい。(伝統!)教育! (教育!)教育! 伝統とは、ご父母様が立てた伝統です。ご父母様のみ旨を完成することができる伝統であり、その伝統を教育するのが訓読会です。訓読会の事実を知ってからは、実践しなければなりません。ふわっと浮いているみ言が、皆さんの生活基盤に根を下ろして、木のように大きくならなければならないという事実を知らなければなりません。
31 成約時代には霊界がはっきりと分かります。霊界が根であり、地上に現れたものは、霊界を中心として幹や枝と同じであるゆえ、霊界に着地しなくては、自分自ら現在の生活的基盤、生きている実際的なその材木が、木が、立つことができないということを、はっきり知らなければならないのです。
32 先生はいくら忙しくても、訓読会を一日も欠かしたことはありません。きのうも、朝忙しいので、夜すると言って、夜の12時が過ぎるまで訓読会をしてきました。疲れるのが問題ではありません。息をするのと同じです。私たちの背後には、霊界が陣を敷いて、先祖たちが取り巻いているので、彼らの前に自分の家庭が地上の責任を果たすことができる家庭的伝統の標本とならなければならないのです。その家庭で伝統の標本となるために、伝統を教えてあげ、実践しうるためには、霊界の祝福を受けた家庭に先んじなければならず、先んじなければ逆に皆さんが蕩減を受けるというのです。(302-278)
33 ご飯を食べられなくても、朝ご飯を食べられず、昼ご飯を食べられなくても、訓読会をしなくてはいけません。それで霊界をはっきりと知らなければなりません。訓読会を始めてから1年8か月が過ぎましたが、この期間に皆さんが霊界についてどれほどはっきりと知り、信仰基準の次元がどれほど高まったかを知らなければなりません。私にどうして訓読会が必要ですか? すべて知っているのです。しかしながら、皆さんに教えるためには、いくら学者になったとしても繰り返さなければなりません。伝統を残すために繰り返さなければなりません。皆さんも同じです。皆さんの一族の前で繰り返して、伝授しなければなりません。そこにどれだけ誠を尽くしたかによって、皆さんの子孫たちが正しい種となって、歴史時代に必要な人になるか、ならないかということが決定する、ということを知らなければなりません。(302-293)
34 地上・天上天国とは何でしょうか。家庭理想を完成した成約時代の家庭が完全に定着して、自分個人と家庭・氏族・民族・国家・世界を編成し、サタンの血統を跡形もなく清算したその基盤から、地上・天上天国がつながるのである、アーメン! そのように知って、家庭についてはっきりと知らなければなりません。そして、訓読会をしなければなりません。今まで歴史を知りませんでした。今は定着する時なので、先生の伝統を受け継がなければなりません。先生の代身者とならなければならず、先生以上に苦労しなければなりません。そうでなければ天国には行けません。これを考えるべきです。(292-130)
訓読会をすれば痛哭が広がる
35 訓読会をするのは、私が行くための準備をすることなのです。千年万年の歴史が私なしにいけるのか、それが可能かというテストです。あなたたちが3億6千万双の祝福家庭教育をどのようにするかというとき、私は笑いました。皆さんが教育するのですか? 10年もしないうちに、荷物をまとめて皆出て行ってしまうでしょう。それで先生は、み言を残してあげて行くというのです。(303-79)
36 統一教会の指導者たちも、3億6千万双を祝福するとき、「私たちが教育しなければならないでしょうが、どのようにしたらよいでしょうか?」と言いました。「こいつら、黙れ! おまえたちに任せることはできない」と言ったのです。私は自分が言ったことをすべて知っています。摂理歴史の進展とともに、そこに合わせて、私が話したことは皆知っているのです。ところが、それも知らずにどのように教育をしますか? ですから、訓読会を始めたのは良かったですか、誤りでしたか?
37 ここに来て、ほかの講義を聞く必要はありません。訓読会だけ十回、百回しなさいというのです。ここには霊界が総集結されています。上下・前後・左右の焦点になる位置に立って、宣布した言葉です。神様がすべて息のつまる立場、切迫した立場で語られたものなのです。先生も同じです。ですから、そのとき結束した心情は、霊界のすべての人々が皆知っています。そのみ言から離脱したものは一つもないというのです。これを話すようになると、そのときの心情が芽生えてきます。春の季節なのです。春風さえ吹けば、すべての万物は蘇生するのです。本然の人間の本性が芽生えて、すべて春になるというのです。深度が深ければ、間違いなく霊界から痛哭が起こるでしょう。神様が痛哭し、真の父母が痛哭し、万宇宙が痛哭しうる境地を経てきたみ言が、冷遇を受けることはありません。
38 それで、訓読大会の最高のチャンピオンが誰かといえば先生です。昼も夜も、生涯をかけて祈ってみなさい。先生がこのみ言を探すために、どれほど苦労したかしれません。それに比べれば、訓読大会は何でもありません。今後、家庭で訓読大会をしてみなさい。夫婦の手をつかみ、長男長女の手をつかんで痛哭が起こるでしょう。罪人の中の罪人だと、痛哭するようになるでしょう。
39 子が親に、兄が妹に、母が父に、互いが勧告してあげることのできる平和の家庭となって、私たちの家庭を神様の解放の定着地にしようといって「天よ、記憶してください!」と言うのです。そのようなことができる家庭とならなくては、天国に入れません。入れないのです。私が知るところでは、この場は間違いなく慟哭の場とならなければならないのです。つま先から頭のてっぺんの毛まで立って、泣かなければならないのです。そうすることができなければ、天国に直行しうる道が残らないということを知らなければなりません。私はそれを知って、これを始めたのです。私かいなくても、このみ言は生きています。千年万年、億万年が過ぎたとしても、人生の問題、天宙の問題、霊界の問題を解決するためには、この道を訪ねざるをえないというのです。この道に入ってくれば、抜け出る道はありません。
40 私は賢い人です。理論的です。容赦のない人です。抜け出すことができるならば、私はすでに抜け出していたでしょう。抜け出すことができないから、このようなことをするのです。「おまえたちが私の精神を分割させることは絶対にできない!」といった、そのような事情をもってやってきたのです。神様の心が「そうだ、そうだ!」という承認を受けて、ここまで上がってきました。ここまで上がってきたその基盤を利用するといえば、雷に打たれます。私は利用されません。皆さんが利用されなければなりません。
41 それでそのような時代が来ましたが、その表題は何でしょうか。ジャルジン宣言です。第一は何かといえば絶対信仰です。一度ついて言ってみなさい。絶対信仰! (絶対信仰!)絶対愛! (絶対愛!)絶対服従! (絶対服従!)絶対信仰には愛というものがつながるのです。(297-294)
