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毎日新聞 2022/10/15 東京朝刊 有料記事 1953文字
さきの安倍晋三元首相の国葬における菅義偉前首相の弔辞を直接のきっかけとして、にわかに没後100年の山県有朋が過去から呼び戻されている。
本当に安倍元首相は岡義武著「山県有朋」を読みかけだったのか。菅前首相の弔辞は使い回しではなかったのか。このようなことを詮索したところでどうなるものでもない。伊藤博文と山県の関係を安倍元首相と菅前首相の関係になぞらえたり、安倍元首相と山県の比較をとおして印象論的な人物批評をしたりすることも控える。ここでは主題を山県有朋に限る。
なぜ今、山県なのか。その理由はすぐあとで述べる。その前に山県の人物像を再確認する。山県は「軍国主義の先駆者」だったのか。誤解である。たしかに山県は「軍人勅諭」の制定や参謀本部の設置、統帥権の独立に関与した。
しかしその意図するところは軍部の政治的な中立性の確保=政治不介入だった。山県は近代国民国家の基礎的な条件の一つである国民軍を創設した。日本が近代的な国民国家をめざした以上、国民軍は欠かせなかった。山県は近代日本にとっていわば必要悪だった。
次に山県を論じる理由は何か。当時と今との間に安全保障をめぐる国際環境の歴史的な類似性があるからである。幕末維新から日清戦争前までと今日とでは東アジア諸国の国力比較が中国(清朝)>日本≧韓国(李氏王朝)で類似する。安全保障問題の焦点が朝鮮半島だったことも同様である。
このような国際環境のなかで、首相としての山県は、第1回の帝国議会における「主権線」「利益線」演説で軍拡を訴えながら、同じ頃、朝鮮の永世中立国化を構想していた。この構想が実現すれば、日本を含む関係国は朝鮮半島に手を出せなくなる。急速な軍拡によっても欧米列強に対抗できない以上、山県の構想は現実主義に基づく合理的な外交選択だった。
山県の構想は関係国の合意を得られず実現しなかった。代わりに日清戦争が起きる。戦争回避を求めながらも、いざ開戦となれば、司令官として先頭に立つ。「近代陸軍の父」山県の矜持(きょうじ)だった。
その後も山県は対欧米列国協調外交を重視した。日本の対外膨張は欧米列国が認める範囲内でなければならなかった。
山県は第一次世界大戦前後、欧州における君主制の崩壊に危機意識を持つ一方で、米国の台頭を予測した。反政党勢力の山県にもかかわらず、君主制を守り米国と協調するためならば、立憲政友会の原敬に後事を託した。しかし原に先立たれて後継者を失った山県は、翌年に自らも末期を迎えた。
以上の山県の外交・安全保障政策は今日の日本に何を示唆するのか。
第1は軍事力と外交力の組み合わせの重要性である。度重なる北朝鮮のミサイル発射実験と台湾問題や海洋進出をめぐる中国の軍事大国化を前にすれば、軍事力の整備が必要なのはいうまでもない。
他方で軍事的な防衛努力だけでは不十分だろう。外交によって緊張がエスカレートするのを抑制しなければならない。山県は軍拡一辺倒ではなく、中国との間でパワーバランスを保持するには、精緻な外交戦略の展開が必要だった。今日の日本も同じである。
第2は国際秩序の構想力である。先月、日中国交正常化50周年記念式典がおこなわれた。実際には両国関係を寿(ことほ)ぐムードからは遠かった。2010年前後から顕在化した日中「政冷」関係が続いている。対する日本外交は、ロシアをも巻き込んで、対中国包囲網の確立を試みたものの、成果を上げることができなかった。
代わりの「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、米国をライバル視しながら国力の増強に努める中国に対して、どれほど有効だろうか。このような多国間協調の枠組みの実効性は限定的なものにとどまる。多国間安保秩序を担保するのは2国間の同盟・協調関係である。ここに山県と同様の対米重視の意義が再確認される。
日本が目指すべき国際秩序は、日米安保条約や米韓相互防衛条約などの米国との2国間安全保障の枠組みを基礎として、重層的な多国間協調のネットワーク化によってもたらされるだろう。
第3は外交・安全保障の基本目標の共有である。第1回の帝国議会において、山県の藩閥政府と民権派各党の民党は、超然主義対議会主義、「富国強兵」対「民力休養」で正面衝突した。それでも妥協的な解決による議会政治がおこなわれて、危機は回避された。藩閥政府と民党は国家的な独立の確保=外交・安全保障上の基本目標を共有していたからである。
今日においても同様に、政府・与党は、野党も共有できるような外交・安全保障の基本目標を掲げるべきである。(第3土曜日掲載)
■人物略歴
井上寿一(いのうえ・としかず)氏
1956年生まれ。学習院大教授(日本政治外交史)。同大学長など歴任。著書「広田弘毅」など。