|
第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御
二〇〇二年六月十一日(陰曆五月一日)
韓国・天宙清平修鍊苑 天城旺臨宮殿 大聖殿
わたしたち統一教会には、長い歴史をかけて、天地全体をかけて宣言した「宣言文」が多いのです。 それは何かというと、天と地、すべての宇宙をかけて、"行くべき道はこうである。”という、その標本に 従って線を引いたものです。横的に引く道、縦的に引く道、九十度を中心として引き、球形世界を完成化し、その球形世界のコア(核)のような、エキスのような位置に、神様を臨在させるための原則の道理に合うように宣言したのです。
サタンが、この縦的なものを、すべてばらばらにしてしまい、横的なものをばらばらにしてしまい、九十度の基準を中心とした三次元の面を、すべてばらばらにしてしまいました。そのように、偽りの父母が、ばらばらにしてしまうことによって、神様の代わりに、サタンが、この世界を支配していたのです。
それを、そこに新たに真の父母が現れて、本然の縦的基準を成してきたということではなかったでしょうか?
サタンがいくら反対しても、反対することができないこととは、何でしょうか? また、それは、なぜでしょうか?
神様は、被造世界をそのように(本然の縦的基準に沿って)創造され、"被造世界とは、そのようなもので ある。”と見ておられます。そうであるにもかかわらず、サタンは、神様がそのように創造された、それ自体を破綻させようと、歴史過程において反対してきたのです。
神様は、そのような事実についてご存じであり、サタン自身も知っています。ですから、そのような神様がいらっしゃるので、サタンに対して、「縦的基準というものは、原則は、これではないのか?」と言うときには、サタンは、「はい、そうです。」と答えざるをえないのです。一度、言ってみてください。(「はい、そ うです。」)
そのような約束どおりに、事実どおりに宣言したもの(が、統一教会の宣言文)です。天と地、悪魔と世 の中の罪ある何者も、それを否定することはできません。何人も否定することができない、このような核を宣言したものが、わたしたち統一教会における多くの 宣言文であるということを、皆さんは知らなければなりません。
サタンに対して、「それでは、横的基準についても、 これこれこのようなものは、おまえが願ったものではなく、本来、創造理想的根本の原則において願われて いたものではないのか?」、「これは、天地が生じる前からあったのであり、天地が生じるとき、その核心となったものではないのか?」、「天地をすべて完成して、 その核心的な主人となることができるものは、“見えな い神様”ではなく、実体の"見える神様”である真の父母ではなかったのか?」と言うときには、サタンは、「違います。」と言うことはできません。「そのとおりです。」と言うのです。
それで、(先ほど訓読したみ言では、)「(真の)父母の日」を宣言するための内容が具体的に明らかにされており、「(真の)子女の日」なら「(真の)子女の日」についても同様であり、「(真の)万物の日」がどのようなものであるかという事実についても、今、皆さんは聞きました。
このようなみ言をじっと聞いてみると、他のあらゆるみ言も必要ですが、「(真の)万物の日」一つだけを取っても、その価値は、量り知れません。
そのことで、すべてに精通しているごとく、「自分は主人になった。」と言い、「神様のものでないものがなく、真の父母のものでないものがなく、『宇宙全体が、わたしのものである。』と言うことができる、その位置に定着し、億千万世の時が流れ、すべてのものが変貌し、変わったとしても、変わりうる環境条件を収拾し、尊厳ある主体性を中心として、千代、万代、定着権威を持つことができる。」と言ったときには、天地は、何と答えるでしょうか?
また、「それは、創造理想的な完成の結果であったのではありませんか?」と尋ねるとき、神様が心か ら考えられることは、どのようなことでしょうか?
それは、「そのとおりである。」ということです。そして、思想的思考を通して、相対として現れた、極めて小さな被造物から大きな被造物に至るまで、海のものも陸地のものも、天上世界にあるすべてのものまでもが、「そうです。」と答えることでしょう。
一度、言ってみてください。(「そうです。」)そうです! (「そうです。」)口だけで言いましたか? それとも、心と体と考えを重ね合わせて、「そうです。」と言いましたか?
「このような宇宙の一つの核として、その中心自体であることに間違いありません。そうです。」と、言うときには、そのような存在は、宇宙の中心となり、神様の愛を完成させることができ、神様よりも、もっと必要であるというのです。
そのように、“愛の完成に必要な万物の実体的主人が、人間である。”ということを思うとき、その人間自身が、心と体と思想が一体となったその場において、自分自身の産毛までも、「そうです。」と言うのを感じながら答えましたか、答えませんでしたか? (「答えました。」) うそをついては、いけないでしょう?
尋ねると、決まって「そうです。」と言うところを見ると、“先生について行きさえすれば、よい。”と考えて……。
言葉について行ってはいけません。言葉は、実体を形成します。実体は、全体を動員することができる能力があるのです。それは、神様だけではありません。宇宙全体が実体的な主体となり、対象となるときは、宇宙全体が左右、上下、前後の歩調を合わせなければ、相対的理想の場から追放する宇宙力があるというのです。
そのような主人がいる、ということを知らなければなりません。見えない宇宙力が、そのような者たちを除去するようになっています。
皆さんは、父母が死ぬと、なぜ悲しく、夫がいなければ、なぜ悲しく、愛していた者を失えば、なぜ悲しいのでしょうか? “主体・対象基準”の中心の核と、心と体が一つにならなければなりません。心と体が一つにならなくてはいけないのです。
このように見るとき、心と体がとどまる位置、その位置は、考えまで一つになる”心身一体”の位置であ り、その位置において、自分が動じ、静ずることができるというのが、万有存在の実情であるというのです。
そのことを考えるとき、その万有存在の実情の主体となり、主人となる人間自身に関係するすべてのものが、ここに同化し、一体となった場において、動じ、応じ、答え、喜ばなければならないというのが、天理の原則です。
ですから、皆さんが、先ほどの問いかけに対して、そのような”心身一体”、“一心一念”を中心として答 えたのかと尋ねているのです。そのように答えましたか、答えることができませんでしたか?(「……。」) なぜ、静かなのですか?
いくら大きな人でも、産毛一本であっても、つかんで引っ張れば、その痛みがないようにするためには、引かれる方に行かなければなりません。分かりますか? 我慢して、「切れるなら切れろ。抜いてどうするのか? やってみなさい!」と言えば、そこには、鍼が打たれるようなものです。そうなれば、すでにそこに傷を残したということです。
それでは、産毛や一身のすべての骨が統一され、一つになって、”心身統一〃、それから何ですか? ”信念統一”です。一心、一体、一念です。そのことを知らなければなりません。神様を中心として……。
神様が、どのようになっていらっしゃるのかというと、一つのものを中心として、心と体が一つになっていらっしゃるのです。分かりますか? 心と体が一つになったところにおいては、考えも一つになっています。
皆さんが、日常言うことは、「言行心事(言行と心に思うこと)を正しくしなければならない。」ということです。「言行心事」です。言葉と行動と「心事」ですが、「心事」とは、何ですか?
心と事が、一つにならなければなりません。そうしてこそ、それが公的なものとして保護し、証しし、 宣伝することができるのであって、そうでなければできません。
ですから、心をだまし、体をだまし、考えを偽って生きる人は、それがいわゆる「堕落した世界」であり、「堕落した万物」であるということです。
堕落していないものは何かというと、心と体と考えが一致して一体となり、ここを見ても一つであり、 あそこを見ても一つであり、また、下を見ても、上を見ても、前後左右、球形に見ても、核心の位置も「一つである。」と言うことができるもののことです。
そのようになるとき、神様は、そのような立場に定着されるようになるのです。そのことを、皆さんは知らなければなりません。"一心”、“一体”、“一念”です。言ってみてください。(「一心、一体、一念。」)
心を持っていますか? 何ですか? 尋ねたら、答えなければならないでしょう? 心を持っています か? (「はい。」)心が二つですか、一つですか? (「一つです。」)
心は、二つでしょう? なぜ、一つですか? 悪なる心と、善なる心があるではないですか? それから、 体も一つですか、二つですか? 悪なる体、善なる体。二つですか、一つですか? また、考えも、善なる考え、悪なる考え。二つですか、一つですか?
わたしたち自体について考えてみるとき、心は、わたしたちの目に見えないので、分かりません。心に五官があるということが、分かりません。分かりませんか? 答えなければならないでしょう? 分かりますか、分かりませんか?
卒業証書をもらって、学位をもらうことができるようになれば、それにふさわしく、過去に学んだものはすべて知らなければならないのですが、分からなければ、それに対する罰を受けなければなりませんか、受けてはなりませんか?
ですから、今まで、心が一つでしたか、二つでしたか? 体が一つですか、二つですか? 考えが一つですか、二つですか? 全員、黙っているということは、”心が二つ、それでよい! 体が二つ、それでよい! 考えが二つ、それでよい!”と、思っているということです。
そのような状態が、人と言えますか? 人だけが、心が一つなのです。人だけが、体も一つです。人だけが、考えも一つです。それを否定する人は、手を挙げ てください。
きょう、「(真の)万物の日」の記念日に、「清平に来なさい。」というので、"何か福をくれる。”と思っていたのに、手を切ったとすれば、その息子、娘や親戚、その国の民が、それを聞いて、「あの清平に行きなさい。」 と言うでしょうか、「行くな。」と言うでしょうか? 答えてみてください。(「『行くな。』と言います。」)「行くな。」と言うのです。
それでは、行かなければ、天国は、どこから行くのですか? 清平を通さずに、天国に行くことができますか? (「できません。」)清平は、"清くて平らな所である。”ということです。分かりますか? 名前が良いのです。
「文鮮明」という名前の「鮮明」とは、何ですか? 「鮮明な朝」と言うでしょう? 「鮮明」とは、太陽が、明るい光の方向性をサーチライトのように発散するときに、「鮮明な朝日」と言うのです。その名前は良いですか、悪いですか? (「良いです。」)太陽には黒点があるのですが、黒点に覆われてはいけないでしょう?
そこに何、鮮明ですか? 「文鮮明」でしょう? 「文」という字は、何ですか? (「文章の「文」です。」)文章の「文」ではありません。祭壇の「文」です。祭壇の上に祭物を置いて支えているのが、「文」という字ではないですか? 分かりますか? 何の「文」ですか? (「祭壇の『文』です。」)祭壇の「文」です。
神様は、堕落した世の中に祭壇が必要ですか、必要ではありませんか? (「必要です。」)何の祭壇ですか? 何の祭壇が必要ですか? 簡単でしょう? 息子、娘の祭壇です。息子の祭壇、それから夫婦の祭壇、三番目は、子女の祭壇です。それ以上は、必要ありません。
皆さんは、それ以上、必要ですか? さらには神様まで。愛の前には、神様まで一つになって、父母の祭壇です。もう一つ、するのです。
真の愛は、父母の祭壇、夫婦の祭壇、それから何ですか? (「子女の祭壇です。」)自分の祭壇は、ありませんか? 男性の祭壇、女性の祭壇です。自分の祭壇、夫婦の祭壇、子女の祭壇です。祭壇が必要です。祭壇とは何かというと、まっすぐなものの上に、載せておくのです。
その祭壇の代表が何なのか、というのです。神様も代表であられ、自分も代表であり、家庭も代表であり、夫婦も代表であり、息子、娘も代表なのですが、その全体の代表、中心とは何ですか? それが何ですか?
その中心は、何ですか? 宿題です。クイズです。 それを、何と言うのですか? それが、何ですか? (「真の愛です。」)何ですか? (「真の愛です。」)
真の愛とは、どのようなものですか? 真の愛とは、どのようなものでしょうか? 真の愛とは、何ですか? ”ため”に生きて忘れること、それもそうでしょう。 「それも、真の愛である。」と解説することができます。
本当の真の愛とは、何ですか? 神様も、そこにはまれば、出てくることができません。分かりますか? そうなのです。わたしも学びました。神様も、そこに落ちれば、出て来られることができません。そこから出てこようとすれば、天下が、すべて離れていきます。
そのように、天下がついて回るので、神様も離れません。また、自分個人が落ちても、恥でも何でも知ったことではありません。出てくることができないのです。女性も……。女性は、そうではないでしょう? 変わることを好むのが、女性ではないですか?
人間とは、何ですか? 「人心は朝夕に変わり、山の色合いは古今を通じて同じである。」というような言葉が、物の本には書かれてあります。変わることを好むのは、女性ですか、男性ですか?(「女性です。」)女性です。
男性は、どうですか? 男性は、変わることを好む女性について回りながら、変わろうとしますか、つい て回りませんか? この女性たちは、変わることを好む男性が、ついて回る。」と思っているのですが、それは、間違いです。なぜですか?
男性も、はまれば出てくることができません。女性も、はまれば出てくることができません。息子、娘はどうですか? (「出てくることができません。」)息子、娘も、出てくることができないのです。ここに落ちて、出てくることができる存在はありません。
先生(真のお父様)は、どうでしょうか? (「出てくることはできません。」)わたしも、皆さんに似たの です。(「神様に似ていらっしゃいます。」)神様に似てもよく、皆さん……。また、男性、女性、息子、娘、すべて、そうではないですか? 神様が持っていらっしゃるものを、すべて持っているでしょう?
神様には、眼がありますか、ありませんか?
分かりますか? 真の愛とは、何ですか? 真の愛に、髪の毛一本でも引っ張られれば、引かれていくの です。それゆえに、神様も、(真の愛に) 落ちれば、出てくることができません。いくらやっても、出てくることができないのです。千年やっても、出てくることはできません。神様が、そうでいらっしゃるというのです。何に間違って落ちても……。
愛に誤って落ちるようになれば、逆さまになったものを、思いどおりに、まっすぐにすることはできません。まっすぐにすれば、天下がすべて踊りを踊り、歌を歌いますが、四方の方向が異なるというときには、億千万世、その姿のまま捕まって、出てくることができないということです。理解できますか?
このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、愛ではないでしょうか? 愛だけは、鉄則において、このようにしてもよく……。そのうえで、このようにしてもよく、あのようにしてもよい、というのが、真の愛というものです。
愛は分からなくても、そのような本性があるので、すべての万物は、その愛を訪ねて出会うことを願うのです。出会うのも、逆さまに出会おうとしますか、正しく出会おうとしますか?
歩くときに、このように(腰が平衡にならずに)曲がって歩く人が、よいですか? このように歩く人がよいですか? このように歩くのがよいですか? (笑い)あらゆる人がいるでしょう? このように歩く人、このように歩く人、まっすぐに、さっさっさっさっと歩く人……。
これが、すべて合わなければなりません。垂直に合わなければなりません。歩くときに腕を振るのは、四十五度の角度です。それは、なぜ、そうなのでしょうか? 人は、そのようにしてこそ、正しいのです。
垂直がなければならず、上下がなければならず、左右がなければならず、前後が四十五度です。分かりますか? それが、そのようにバランスを取って、球形になるのです。
そうして、球形になってこそ、このように回っても、 このように回っても、このように回っても、永遠に変わらずに、それ自体がそのまま残り、だれもが永遠に保護してくれるのです。天運が、そうです。
ですから、少しでも間違えば、苦痛が生じます。宇宙の力が追い出すのです。そのような公式法度によって、運動する中央の位置に立ち、そこで暮らそうというのが、存在物たちの存在様相です。これは、宗教観念の世界において言われていることにも合い、運動法則の科学世界においても合致する話です。分かりますか?
まゆ毛が、一つはこのようになり、もう一つがこのようにゆがんでいれば、どうなりますか? 独身の若い男女が、時が来て、結婚する年になったので見合いをしに行くというときに、まゆ毛が、このようにゆがんでいれば、どうなりますか?
女性がそうであるならば、男性が見るとき、"あの女性は、なぜ、あのようになっているのか?”と思うのです。また、目がこのようにずれていれば、どうですか? あの女性は、どうしてあのようになったの か?」と思い、鼻が曲がっていれば、"あの女性は、なぜ、あのようになったのか?”と思うのです。
先生が歩くときに、さっと、(道を外れて)このように歩けば、どうしますか? (笑い)いけません。中の 方へ押し戻してあげなければなりません。このように行っても押し戻してあげ、このように押し戻してあげ、 そのようにして、この間の道をまっすぐに行きなさい、というのです。そうでしょう? 九十度、九十度、四十五度で作動するのです。
足が、このように行けば、足も合わせてくれるということです。そのようなことを、初めて知ったのですか? 学校では教えてくれないのですか?
さあ、「(真の)万物の日」なので、人間は、(神様の) 実相的存在であり、万物を代身することができる標本的な実相なのですが、これらを見るとき、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? ここに、日本人、韓国人、五色のあらゆる人種が集まり、あらゆる種類の人たちがすべて集まったのですが、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか?(「良いです。」)
韓国人だけに会うことを願ったのに、すべての人が来たら、問題が起きるのです。そうではないですか? しかし、すべてが集まることを願ったので、かまいません。「韓国人が集まりなさい。」と言った場合に、日 本人が来てもよいのでしょうか? それは、同一のものになっていないので、そのようなことが起きるのです。
上でも下でも……。日本人が賢いのは、上と下を合わせることができるのです。右と左を合わせることができます。自分が左側なのか右側なのか、また、前後を知って、前後を合わせることができるのです。
そのような人を「賢い人である。」と言い、「知恵深 い人である。」と言うのですが、そのような人は、滅びゆく世界においても、物請いまでをしても、滅びることはありません。
日本は、第二次大戦の時に、物請いをする立場でも滅びなかったというのです。なぜでしょうか? 目先が利くからです。“目先が利く”ということが何かというと、多くの主人に侍る歴史を通して、訓練されているということです。そうではないですか?
それは、なぜでしょうか? 女性だからです。女性は、そうでなければ、生きていくことができないではないですか? ですから、世界的に好まれるのが、日本の女性です。わたしは、日本の女性を好みません。日本を本当に知っているからです。顔を見ただけで、すぐに分かります。
日本の古代歴 史を見れば 、多くの国があり、この人、あの人と・・・・・・。 はべ
女性が嫁いでいく所と、夫が暮らす所とでは、主人 が違います。さっさっさっと目先を利かせて、三年も たたずに・・・・・・。嫌でも、よく目を合わせるでしょう? 日本は、そうですか、そうではないですか?
先生の友人の中に日本人がいましたが、りっぱな友人の所に訪ねて行って、父親に似ているか母親に似ているかを見てみて、母親に似ていれば、わたしは好みませんでした。なぜでしょうか?
母親は、島国を象徴するのですが、島国で生まれて、島国で育って、何になるのですか? それでは、いつも陸地(大陸)を慕いながら、泣いて暮らさなければなりません。そうではないですか? 日本も、そうでしょう? 島国なので、「陸地(大陸)から船が来る。」と言えば、町内じゅうが騒いで、「何が来るか、見てみよう。」と言って、がやがや集まるのです。それが、島国です。それゆえに、アジアにおいて……。
明治維新の前には、日本人に姓がありましたか? それについて知っていますか? 知らないでしょう? 日本人は、明治維新の前、庶民には、姓がありませんでした。そのことを知っていますか? 日本の歴史教育において、「姓がなかった」ということを教えてくれないでしょう? そのことを知らなければなりません。 名前がないので……。名前を自分勝手につけたのでしょう? 「竹下」という姓は、竹林に小さな家を建てて暮らすのを、名前が分からないので、「竹下」にしたのです。田中という姓も、田んぼの中にいるので、「田中」です。川辺という姓は、川辺にいるので、「川辺」です。松本は、松の下です。まったく、このような姓があるでしょうか?
神様の目は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 分からなければ、「分からない。」と言ってこそ、率直なのです。いちばん手っ取り早いのが、「『"縦的な真の父母”が天であられ、"横的な真の父母”が文鮮明である』と言うならば、文先生に似たのでしょう。」 というように……。
"似ている”ということは、"目が似ている”ということと同じでしょう? 大きい、小さいということを 言っているのではありません。形を中心として、「似ている。」と言い、白目、黒目、目が行ったり来たり、上がったり下がったりするのは、すべて同じで似ているでしょう?
形がぴたっと似ていてこそ、「似ている。」と言うのですか? 九十九まで似ていて、一つだけ違うからといって、「似ていない。」と言うことができますか? 目が小さいと……。小さくても、目は目でしょう?
わたしの母がわたしを生んだとき、三日たっても目が見えないので、引っ繰り返してみると、目が見つかって、「ああ、目玉がないわけではないのだなあ。」と言ったというのです。(笑い)それで、わたしの赤ん坊の時のあだ名は、「小さな目」です。「目が小さい。」と言われて、村じゅうで有名でした。
"小さなものがよい。」と思っていたのに、小さな目 が……。(ジェスチャーをされる)(笑い)
カメラの焦点を合わせると、遠い所を見ることができるように、天下のすべてのもの、神様の心の根が、どのようなものであるのかということを解いて、「神様。あなたの心は、こうではあられませんか?」と言えば、神様も、「自分でも分からない。」と言われるのです。
皆さん。愛に関して知っていますか?「愛は、こうです。」ということを知っていますか? 愛は、丸いのか四角いのか、平たいのか長いのか? 言ったとおりに愛はなります。長ければ、どれほど長いでしょうか?
愛には、千里、万里、離れた息子、娘を思えば、一瞬のうちに、そこまで行って、その良し悪しを知り、鑑定することができる能力もあるのです。丸ければ、神様の心情の真ん中で、その部屋ですべての天下が動じて踊りも踊ることができるのです。
それでは、神様も、祭壇を必要とされるのですが、 どのような祭壇でしょうか? だれもが、すっかりはまり込むものを置いて、それを見て考え、関係を持った人は、完全にはまり込んでしまうことができて……。
このようにはまり込めば、目をばちばちさせて、千年、万年、このようにしているというのです。そのようにすることができるものがあれば、うそであっても、一度、はまってみたいと思うでしょう?
あなたは、新聞記者ですか? なぜ、そこに座っているのですか? 何かの鑑定班のようですね。(笑い)
わたしは、言論人で、会ってみた人がいません。イギリスのBBCの編集局長が、韓国統一教会の青坡洞本部に訪ねて来て、インタビューをするというので、「イ ンタビューをして、何をするつもりなのか? 統一教会の手助けをしようというのか? 統一教会のために来たのか? この人は、出世するために、BBC会社の商売のために来たのではないか? なぜ、会おうというのか?」と言ったのです。
わたしは、言論人で会ってみた人はいません。数多くの言論人をつくって、"下人暮らし”をさせています。 UPI(通信)、世界で指折り数えられる人でも、いつだれを呼んでも、さっと飛んでくるようになっているのです。
日本の有力なマスメディアの人たちが、米国の大統領の記者会見のためにワシントンに行ってみると、会見席のいちばん前に座っている、いちばん上席の新聞社は何かというと、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ワシントン・タイムズです。
ところが、ワシントン・タイムズが、その真ん中に座っているのを見て、「あの真ん中に座っているのは、何新聞だ?」と耳打ちするのですが、それに対して、「それを知らないのか? ワシントン・タイムズ、レバレンド・ムーンに関連の新聞社だ。」と言うと、「ええ!」と言って驚いています。
まったく、皆……。知らなくて驚くのもよく、知って驚くのもよいのですが、知らなくても驚き、知っても驚く者たちが、なぜ大騒ぎしているのでしょうか?
優れた者、愚かな者、何が優れていて、愚かであるのか分かりません。何を知っているのですか? 愛を知っていますか? 真の愛です。分かりますか?
それは、そのような特権があるのです。なぜ、特権があるのですか? そこに落ちれば、だれも出てくることができない力を持っています。抱き抱えるその味わいが、どれほど強いか、細胞も、すべて列を成して伸びていくのです。
真の愛は、そのようにできる力を持っているので、その力は、すべてを分析することができます。真の愛は何かというとき、説明することができるというのです。
さあ、ですから、神様も祭壇が必要なのですが、真の愛の祭壇がいくら大きくても、このくらいのものが一つだけあれば、手を出してしまえば、手を離すことができません。
あなたは、結婚していますか? (「はい、しています。」 )わたしが約婚してあげて、結婚したのですか? 皆さんが……。(「祝福を受けました。」)では、最初に女性と出会ってデートするとき、手を触ったときに電気が通りましたか? (笑い)尋ねているではないですか? 笑ってはいけません。常識的な話をしているのに、なぜ、笑うのですか?
電気が通って、何の感情もありませんか、鼻が開きましたか、目が閉じましたか? (「大きく開きました。」) おお! わたしよりも良いですね。(笑い)深刻なときは、目を閉じますか、目を開けますか? 驚くときは開きますが、深刻なときは、どうですか?
皆さんは、妻と愛し合うとき、愛する妻の顔を、目を丸くして、こうして、こうして見詰めますか、目を閉じますか? 答えなければならないでしょう? (笑 い)答えずに笑ってばかりいて、それでよいのですか? それでは落第でしょう。
さあ、このような話をしていては、一日たっても……。皆さんが、ご飯を食べなくてももっと聞くのが良いと言うので……。わたしには、そのような魅力があるというのです。魅力です。心から離れず、味わいのあるのが魅力です。
それでは、妻が好きですか? (「はい、好きです。」) 何が好きなのですか? (笑い) こうであるからと……。何が好きなのかというのです。(「すべて好きです。」) その中で、何が好きですか? 目が好きですか、鼻が好きですか、何が好きですか? (「心が好きです。」) 何ですか? (「心が好きです。」)
愛が好きですか、心が好きですか?(「愛が好きです。」)愛ですか? 心ではなくて、ですか? (「心も好きで、すべて好きです。」)ですから、どちらが一番なのか、というのです、この人は。統一教会の子供たちは、そのようなことを、すぐに答えることができてこそ、どこに行っても好待遇を受けられるのです。
ここには、優秀な人がたくさん集まっているので、わたしが選んで、話をしてあげているのです。では、ここに来た人たちは、愛が好きですか、心が好きですか? (「愛が好きです。」)わたしは、心が好きです。 (笑い)そのように言えば、「あの狂った先生。荷物をまとめて出て行こう。」と言って、皆、出て行くという のです。
いくら騒いでも、「好きなものは好きだ。」と言うときには、「悪口を言われても、好きだ。」と、そのようになるのです。分かりますか?
教育は、良い話ばかりをして教育すれば、よいのですか? わたしのように、激しくたたいても、ばたばたはって行きながら、喜んで、笑いながらはって行けば、よいのです。そうでしょう? それが幸福な人です。逃げて行きながらも、喜んで……。
他の人は、“死ぬ。”と思って、目を見開いて逃げて行き、五官が麻痺して逃げて行くのですが、笑いながら、ふわふわ踊りを踊り、「やあ、このようにすることができるのだなあ。」と言えば、それは、幸福な人です。 何が好きですか? (笑い) (「愛が好きです。」)愛が、どこにありますか? (笑い)愛が、どこにあるのか知らなくても、「愛が好きだ。」と言うのならば、どこにあることを好みますか? (「生殖……。」)これはまた、何ですか? 生、生殖……。(小さい声でまねをされる) 大きな声で言わなければならないでしょう? (笑い) 生殖器が愛ですか? (笑い) 笑いごとではありません。
率直でなければなりません。率直は、万国の法に通じます。はっきりと教えてあげるために言うのですが、 日本人は、得意げに、"自分たちは何でもうまくできる。”と考えているようですが、そのように考えてはいけません。できないことはできず、上手なことは上手だと教えるのです。
日本人の愛が、生殖器……。生殖器が、どのようになっていますか? 愛を見れば笑うのですが、生殖器を見て笑いますか? 愛を語れば、男性も女性も皆、笑うのですが、男性と女性が生殖器を見れば、笑いますか? 尋ねているではないですか? わたしも分からないので、尋ねているのです。(笑い)
答えに困るでしょう? 笑うこともでき、笑わないこともできます。では、笑うときが多いですか、笑わないときが多いですか? それでは、愛するときが多いですか、小便をするときが多いですか? (笑い)それをどのように答えたらいいのですか? 笑ってはいけません。
そのようなことを、すべてわきまえて、天地の善なるものを、すべてをわきまえたので、今日の世界のえたいの知れない者に対しても、「やあ、この男と女たちよ! わたしの言うことを聞きなさい。静かにしなさ い!」と言えるのです。
わたしは、そのように生きています。なぜでしょうか? 尋ねれば、三言も答えることができない者たちに、何ができるのですか?
では、皆さん。文総裁に出会ったことは、良かったのですか、悪かったのですか? (「良かったです。」) 何が良かったのですか? 悪口を言われたではないですか? (統一教会に入ったことによって)追い出されたでしょう? (入教した子供を) 親が拉致していくのです。まったく、日本でも、親によって四千人近い拉致事件が……。
米国の国務省には、そのような問題に関連して、日本人が野蛮の中の野蛮な民族であるという材料が、このように積んでおいてあるのです。それを持って来ましょうか? 文先生が、何も知らないで悪口を言われていると思いますか?
ライオンは、アフリカの暑い平原の中で、一尺以上高い所に座っても眠るので、自分に関係のない話は聞こうとしないのです。自分の所属ではないからです。 分かりますか?
ですから、悪い話を知って、何になるのですか? 自分が生き死にする世の中で、地獄の祭物で倒れていく……。それは、倒れていくようになっています。さすがの文総裁も、悪口を言えば、闘い疲れて、いなくなると思ったでしょう?
言論界が四十年の間、反対をしても、文総裁は、どんどん大きくなっていきました。どんな人であっても、言論界から一月間だけでもバッシングされれば、逃げて行くと思いますか、思いませんか? 文総裁は逃げて行きません。
真っ暗な夜に、黄金の光が稲光のように輝いて、それが敵地の監獄の中に入っていったからといって、その黄金の光が白くなりますか、変わりませんか? 変わるでしょう? どうですか? 答えてみてください、 日本の人たち。
日本が、どれほど変わりましたか? どれほど変わったか分かりません。変わったものをもって、変わったものを中心として築き上げても、それは無に帰してしまうのです。すべて無駄骨です。
その消耗したものは、すべて文総裁の前に過ちを犯したことになるので、蕩減しなければなりません。それで、反対され、蕩減したすべてのものを積み上げて、れんがの家を建てるのですが、それが、今や高い建物となりました。ですから、今からは、わたしについて来ない人は、いなくなるようになっているのです。
ところで、ここには、日本の人と韓国の人が集まっているのですが、なぜ、わたしが大騒ぎしているのですか? 何があるといって、何が得るものがあるといっ て……。お金がもらえるのですか、おもちがもらえるのですか? 何がもらえるのですか?
このような話をすれば、"ああ、教主ともあるべき人が、公的な席に出て生殖器の話をし、悪口を言い、ありとあらゆる話をしている。わたしの国では、そのような法はない。”と思うかもしれませんが、そちらの法のほうが”滅びる法”なのですから、なくてかまいません。
この世の中では、十ドルで「こっちに行きなさい。」、「あっちに行きなさい。」と言い、行かなければ問題が起きるでしょう?
それでは、日本人も、文総裁が必要ですか? “文総裁が必要である。”という人は、手を挙げてください。皆さんは、なぜ、他の人を見てから手を挙げるのですか? なぜ、顔を横に振ってから手を挙げるのですか?
あの人も、そうです。高い所に座って、そのように振り返って見ているのですか? 自分の心に尋ねて手を挙げるのでしょう? このように、きょろきょろしながら、最後に挙げるのですか?
では、文総裁が好きですか、愛していますか? (「愛しています。」)皆さんのお父さんとお母さんは、どうするのですか? お父さんやお母さんよりも、もっと好きですか? もっと愛していますか?(「もっと愛しています。」)この女性たち。
ですから、その国から追い出されなければならなくなるのです。これは、いくら治そうとしても、注射を打っても、皮をはいで、はげわしの餌にして、その骨肉までとらの穴に置いておいても、においもかがず、食べもしません。変わらないのです。
ですから、拉致しても、いくら閉じ込めたまま何か月の間、ほうっておいたとしても、いずれ行くべき所に行ってしまいます。門さえ開けておけば、どこに行くのですか? 文総裁といっても、文総裁には何もありません。(何もない、からの)手のひらしかないというのです。
普通の男性のように、目、鼻、耳、胸もあります。へそもあります。それがなければ、狂っているというでしょう? 何がありますか? 生殖器がありますか、 ありませんか? ありません! ありませんか、ありますか? ありませんか、ありますか? この日本の人たち!(「あります。」)
悪口を言って、初めて答えますね。そのような国は、長くもちません。何万年、何億万年……。分かりますね? かわいらしい女性たち。顔を見れば、自分の顔が好きですか、好きではありませんか? (笑い) ”よい。”と考え、美人である。”と考えたら問題です。美男美女の息子、娘を持った父母は、息子、娘を見れば……。
韓国は、そうです。自分の子供に対して、「この出来損ないめ。」と、反対のことを言うのです。なぜかというと、親までもが、自分の顔を称賛してくれれば、"お父さんとお母さんは、このような顔を持ったことを称賛したので、私が思うには、点数をつけるなら、自分が百点なら、お父さんとお母さんは四十点にしかならない。」と思うからです。
女性が化粧をし、きれいに着飾って、東京の銀座のような所に行って、通りを歩いていけば、その周囲のハンサムな男性たち、どろぼうのような男性たちが、ついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか?
そのような者たちは、最初のうちは、"へへ、よしよし。どうぞ、どうぞ。”と、いい顔をして近づいて来るのですが、そのような男性が来たならば、歓迎しますか? 女性の力がいくら強くても、いったん、くっついてしまった後には、引っ張られて行かなければならないでしょう? そうなれば、危険です。
ですから、何をもって、そのように堂々としていられるというのですか? 母親よりも称賛され、父親よ りも称賛され、先生よりももっと称賛され、その国の美人大会で一等になり、世界美人大会の候補者になったとすれば、日本では、どこに行っても、自慢して大 騒ぎするでしょう?
そこに金銀財宝があれば、あるものをすべて売りとばし、きれいに装って、唆そうとするではないです か? そのようにすることができる素質は、女性たちにありますか、ありませんか? あなたもあるでしょ う? 率直に。(笑い)笑わないでください。笑うのは、詐欺的な手法です。隠して……。
それでは、先生のように八十三歳(数え年) になったおじいさんが、そのようなことを知らないでしょうか、知っているでしょうか? 世の中に出て、経験もたくさんしました。世界を回りながら、数多くの国の指導者たち、男性、女性、あらゆる人種にすべて接してみたので、あれはどのようなことを考え、どのように生きているのか、ということが分かるというのです。
先生には、そのようなものがあるので、超国家的な若者を集めて、相対関係を結んであげるのです。分かりますか? どのようにして、相対関係を結んであげるのでしょうか?
顔には目、鼻、口、耳と四種類あり、顔にある穴は七つですが、それで、どのように分かるのでしょう か? そのようなことを知っています。専門家になっているのです。専門家です。目をつぶっていても、手で分かり、足で分かるのです。
この人は、愛をよく知りません。(笑い)愛とは何かというと、その愛は、宇宙を創造することができ、国もつくることができ、自分の愛する息子、娘もつくることができ、男性の前に女性、妻もつくることができ、男やもめに配偶者もつくってあげることができる、そのような本宮が生殖器です。
それは、愛の先祖の基です。分かりますか? 生殖器とは、愛の先祖の基のことをいうのです。一度、言ってみてください。言ってみてください。
生殖器は、愛の王宮です。(「生殖器は、愛の王宮です。」)先祖の地が、王宮なのではないでしょうか? 生殖器は、生命の王の基、生命の王宮です。生殖器は、血統の王宮です。血統を知っていますか?
先ほど、「(真の)万物の日」の先生のみ言を、しっかりと聞いたでしょう? 皆さんが残しておいたものが、ありますか、ありませんか? 皆さんのものがありますか、ありませんか?(「ありません。」)
さあ、韓国人は、話を聞きましたか? (笑い) 話を聞いたのですか? 今まで話したことは、簡単です。
「女性にとっての宝は、男性のために生き、男性のために死ぬというところに宝があり、男性が王よりももっと貴く、女性が、男性のために生まれ、男性のために死ねば、王の皇后以上の恵まれた立場に立つようになる。」と、言ったのです。
それは、良い話です。分かりますか?「”ため”に生きるということが、より幸福である。」というのが、結論です。その一言で、万事がオーケーです。「オーケー」とは……。(拍手) 一時間話したことを、約一分間で結論づけることは簡単だというのです。
より”ため”に生きる人は、神様を「友人である。」と言うことができ、神様の頭のてっぺんに上がって行っても、神様が、「やあ、降りて来ないで、もう少しいなさ い。一年間でもよい。」とおっしゃるならば、それは幸福ですか、不幸ですか? (「幸福です。」)
ですから、よりために生きるところには、闘いがありません。よりために生きようとするところには、平和だけがあり、幸福だけがあり、喜びだけがあり、涙がありません。そうですか? 本当ですか? (「はい。」)
皆さんの家庭で、夫婦でけんかをしますか? この女性たち。それでは、間違っているでしょう? この ような女性たちがいて……。
一言、言うならば、女性は、「わたしは、本来、男性に奉仕し、従順にし、美しく見せるために生まれたので、死ぬまでは、そのようにする。」と言うならば、恐ろしい所、どのような所に行っても、そのようになれば、そのような女性によって占領されない所はない、というのです。
顔がかわいらしく、純真で、このような美貌を持ち、美しくあれば、世の中に嫌うものがありません。わたしのような人であっても、好むというのです。(笑い)
あまり、そのような度を越した笑い方をしては、困るではないですか? 興味を引くときだけ、そのように関心を持って聞いています。横を見て、そのようにするのは、"それをすべてやめて、私を見てください。”ということです。ですから、今、見ました。
人よりもよくけんかをする夫婦を、平和にすることは、簡単です。よりために生きることができる……。 一秒間、三秒間、長くても十秒間我慢をして、ために生きる心を持っていけば、万事に通じます。それは、可能性がある話ですか、可能性がない話ですか? (「可能性がある話です。」)
それは、可能性だけですか、絶対性に一致しますか、一致しませんか? やってみるのです。十五分間、三十分間だけ我慢してみなさい、というのです。けんかなどの事件が起きて、男性の気分が悪ければ、そのようなときは、女性の顔を見ずに、トイレに行くのです。
自分の三角地帯を見下ろして、「おい、おまえ。起きているか? 起きているか? 行こう、行こう。」と言っ て、便所に行って十分もすれば、さあっと、気分も良いでしょう。首に力が入って、完全に怒りが爆発しそうだったものも解けて、気分も良くなります。
そうして、妻から「ああ、なぜ、そのように飛び出して行ったの?」と尋ねられても、「あなたが、わたしの気分を悪くさせたので、ここに力が入ったのだが、すると、ここが爆発しそうで漏れそうだったので、しかたなくトイレに行った。」と言えば、妻も笑うのです。
妻は、十五分の間、怒ってぷんぷんしながら、夫が帰って来ることを願ったでしょうか、死ぬことを願ったでしょうか? 十分間を過ぎれば、"何か事故が起きたのか?」と思うことでしょう。
それで、心配になって行ってみると、夫は、トイレの中で、座って笑っているというのです。なぜ、笑うのでしょうか? 気分が良いからです。
夫は、妻が夫が死んだのかもしれない。”と思って、間違いなく捜しに来るに違いないと思っていたのですが、案の定、捜しに来たのです。夫としては、「やあ! 万歳!」です。そのようなときこそ、拍手してください。分かりますか? 一度、訓練であると思って、拍手してみてください。この者たち。(拍手)
けんかをしているという事実は、統一教会の原理原則に違反することであり、滅びる者たちです。「よりために生きなさい。」と言っても、妻が国の怨讐というわけでもありません。“もう一さじ食べたい。”というならば、(自分が)食べなければよいのであり、憤って、一言言いたいところを我慢すればよいのです。
そのようなとき、妻は、「私の夫はりっぱです。ありがたい。」と言って、飛び込んで来るでしょうか、逃げて行くでしょうか? 百回、そのようにすれば、百回、骨の中まで飛び込んで来るはずです。
ですから、「私は、先生から学んだので、百回でも我慢しよう。」と考え、それが千回に及べば、「私は、もう千回、我慢しよう。」と考える、そのような家に、けんかがありえるでしょうか?
さあ、きょう、(先ほど訓読したみ言を)わたしも聞いてみると、自分で感嘆しました。何年前に話したのですか? すでに三十年以上前に、そのような話をしたのです。
その時の環境は、世界が文総裁を称賛するような時ではありません。最後の境界線に来て、死ぬか生きるかというとき、自分が死ねば、この真理を残さなければならないのです。そうして、"この真理は、永遠の未来の世界にとって、絶対に必要な真理である。”ということを知っていたので、命を懸けて宣布した話であるということを、皆さんは知らなければなりません。
その時に、歓迎する人は、一人もいませんでした。 国が反対し、世界が反対しました。真夜中のような時代に、“朝の太陽は、何時に、いくらもたたないうちに昇ってくる。”という希望とともに宣言したことが、約四十年を経て、すべて……・。四十年という歳月は、永遠の歴史時代にあっては、ほんの一瞬です。そうでしょう?
この中で、統一教会の信仰を持ってから四十年以上になる人は、手を挙げてください。小山田氏。
きょう、先生が教えた中心的なことは、何でしょうか? 堕落した人間には、一切の所有権を認めることはできません。それを認めれば、それは、天法に引っかかります。その天法は、永遠不滅の天法であるので、それに引っかかれば、“永遠不滅」に引っかかったことになるのです。
なぜ、そのようになるのでしょうか? 堕落前には、神様の存在、神様の所有権しかありませんでした。それが、堕落によって、神様のものが、怨讐サタンのものになってしまったのです。
その怨讐とは、何の怨讐でしょうか? 愛の怨讐です。愛の関係を結んだ場合には、その関係を結んだものと、所有権を共にするようになり、所有権が決定さ れるようになるのです。
ですから、神様の前には、たたえるべき息子も娘もなくなってしまいました。そして、神様自体が追い出されてしまったのです。
アダムの妻として、神様の妻として迎えようと、二日後には結婚すべきであったエバが、その直前に、怨讐によって汚され、連れて行かれて子供を生んでしまったという結果になってしまいました。
神様は、その女性(エバ)のために、すべてのもの、すべての財産を伝授し、相続させてあげようとしていたのですが、そのすべてのものをなげうってしまい、サタン圏に捨ててしまったのです。それを、自らその主人として使っているというのが、サタン主管圏の世界なのです。神様のいちばん嫌われるものは、それです。
ですから、宗教圏においては、「国を離れよ、出家せよ。」と言うのです。すべてを放棄するように命令し、「独身生活をせよ。」と言うのです。偽りの血統を元返すためには、神様に属する真の愛と、真の生命、実体を再び復帰しないと、永遠に神様の伝統的血統をつなげる道はありません。真剣なものです。
もしも、一人の男性が神様と同じような環境に立った場合には、どうするでしょうか? 怨讐にさらわれていった、妻となるべきであった女性が、十年、二十年、万年の後に来て、『この者たちは皆、繁殖した、たくさんの人類は皆、あなたの子供です。』と言った場合には、その旦那さんはどうしますか? きっと、『このやろう!』と言って、サタン、奥さん、子供を、"一気に全滅させても気がすまない。”という思いになるでしょう。
(韓国人食口に向かって)さあ、ここに座っている耳の聞こえない人たち。皆さんは、なぜ、皆……。先生が、日本語で語るときには、韓国語でも通訳しているのに、なぜ、イヤホンを持っていないのですか? お互いに授け受けしなければならないでしょう? 準備もせずに……・。
皆さんは、”先生は、与えることを好み、もらうのが嫌だ。”と考えているのではないですか? そこ、分かりますか? 寝るなというのです。
昼の十二時以降に食事をしては時間がないので、1 時間以内に、全世界から集まった人たちと会議をするようになっているのですが、その会議の時間を撤廃することにします。
今から、その会議の骨子の内容を話すので、ノートを出して書き留め、忘れずに、それを一日に十回、百回、吟味しながら覚えるようになるときには、今後、行く道が、すべて開かれるのです。アーメン。(「アー メン。」)(拍手)
皆さん。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、手を挙げてください。米国のイーストガーデンです。イーストガーデンに行ってみたことがある人は、多くありませんね。行ってみたいですか?
チケットを買って、飛行機に乗って、来てください。(笑い)なぜ笑うのですか? 必要ならば、わたしが招待 してあげるかもしれません。招待してあげれば、来ますか? (「はい。」)そのように有名ですか? (「はい。」)
世界の大統領までが、「会おう。」と言ってきても、先生は会ってあげないのに、皆さんは、その人たち以上にりっぱですか?
先生に、たくさん負債を負ったでしょう? 負債を負いましたか、負っていませんか? 負債をたくさん負いました。
目の負債、鼻の負債、口の負債、耳の負債、手の負債、心の負債、体の負債、すべて負債を負いました。それは、自分の財産を売って返しても、返すことができません。それを知っているので、天下は、間違いなく先生の教えの前に一つになることができるのです。
「総生畜献納物」をしないと、天国はできません。アダムとエバが祝福を受ける前には、結婚する前には、すべての所有は、神様のものでした。それは間違っていますか、正しいですか?(「正しいです。」)
神様と、愛と生命と血統が一体となり、一つの体となった後に、アダムとエバに相続権があるのです。分かりますね? ところが、祝福も受ける前に、サタンの血筋を受け継いだので……。
主人が神様であられるにもかかわらず、サタン、悪魔の血筋を連結させて、それで配当を受けた所有意識を持っているのは、神様が嫌われます。また、家庭を持っていること自体を嫌われます。
それで宗教は、出家を命令するのですが、それは、すべて抜け出しなさい。”ということです。自分の先祖まで……。それから、「結婚をせずに、独身生活をしなさい。」というのです。
それゆえに、仏教も独身生活、カトリック教会も独身生活です。神様の所有権と、完成した“主人”となったアダムとエバの所有権が、すべて復帰されて戻ってきて、神様の公認と真の父母の公認を受け、祝福した血族に分けてあげるようになるときに、皆さんの所有になるのです。それが、天理の道理です。
先生が教えてあげたことは、方便的道理ではありません。(録音が一部途切れる)分かりますね?(「はい。」)
皆さんが、学校を建てますか? 言論機関をつくりますか? 政府機関を新しくつくりますか? ここ (天城旺臨宮殿)は、何ですか? 王の基ですか? 王城です。天の城です。天の城の中には、王宮に侍る民が暮らすのです。城と同じです。「城」という字があるでしょう? それから「旺臨」です。「旺」という字は、「日」偏に……。
本来、旺臨するときは、「木」偏の「柱」という字を使わなければなりません。「日」偏なので、明るい”というのです。明るい王者です。"明るく臨んだ「宮殿」”です。天城に……。
神様の宮殿だけではありません。天の国の宮殿が、輝かしく定着する所なので、ここから天の国の入籍式が展開しているのです。そうですか、そうではないですか?
入籍式の標題は、何ですか? 三時代……、何ですか? 小山田氏! (「『三時代大転換四位基台入籍統一祝福式』です。」)「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。全体を表象するのです。それは、遊びごとを宣伝するように、何の根拠もない内容ではないというのです。
根本がないのではありません。神様の胸に千年、万年の間、願われていた願いが、解消されるのか、再び恨として残るのか、その怨恨の標題が宣布されるという事実を知らなければなりません。今から、世界のすべてが……。
国連を通して決定する日には、一時に大移動が展開し、そのときに、この韓国人たちは、すべて……。全世界の統一教会の祝福を受けた公職者たち、指導者たちが皆、走り来んで来るときには、自分の財産を売って、韓国の地を、その価値の十倍以上を与えても、買って、入って来ようとするのです。
そのようにしようとすれば、この反対する既成教会や、自分勝手に暮らしていた人たちは、島国に追い出すことはできないので、しかたなく、南米の第三国に移動するということが起きるのです。分かりますね? 分かりますか、分かりませんか? (「分かりました。」)
それで、その標題が、今回、何であるのかというと、わたしたちは、今まで国のなかった民です。そうでしょ う? 「皆さんは、どこから来たのか?」と言えば、「日本から」、「米国から」、「ヨーロッパから」と、そのようなことを言うのですが、それは違います。神様の眼中には、日本の国もなく、米国という国もなく、ヨーロッパという国もありません。
そのようなところにおいて、真なる家庭の出発を真の父母から始めるのです。真の父母の家庭を中心として、真の父母の血族を通して、真の父母の一族、真の父母の民族、真の父母の世界です。三億六千万双です。 どのような国よりも大きな国を持つことができ、天と地に、数千億の祝福を受けた基盤ができています。
ですから、神様王権樹立をしたので、今からは、神様が定着されて、その御前で、天下に命令することができる主体的な王になることができるのです。
ですから、堕落していなければ、霊界の地獄も、楽園もありません。天国だけがあるはずでしたが、今回、先生が行く前に……。
今、霊界では、大掃除作業が展開しています。先生は、遠からず地上から天上世界に行きますが、その時のための天国の民が、まだ準備できていません。待っているのです。
ですから、そのために、百日修練を通して、四十日間……。新しい霊をつくって、霊界で祝福を受けるようにして、先生が帰ってくる日を待っているということを知らなければなりません。再整備です。 、
偽りの父母によって楽園が生じ、地獄が生じたので、真の父母の責任は、これを整理して、神様が、清い地上、天上天国、統一的天国の前に、一つの主権を中心として、万世において、永遠不変の統治者になら れるようにすることです。
また、万国が、千世、万世の“太平聖代(徳のある君主が治める太平な世の中の時代)」を整えて、神様が、栄光と栄華の文化の主人となられるようにすべきなのが、真の父母の責任です。
本来、そのようなことが、神様の創造理想であったのではないでしょうか? その世界に戻っていかなければなりません。再創造しなければなりません。
皆さん。「家庭盟誓」を知っているでしょう? 一番目は、何ですか? 一、二、三、四、五、六、七、八。それを一つだけしても、天上に帰っていくことができます。八つも必要ありません。その内容が、どれほど、とてつもないものでしょうか?
霊界に行ってから、天の国の神様がいらっしゃる本殿に行き、神様の御前に行って、そこで暮らすことができなければ、どうするのですか? 城の外に追い出され、どこかに行って暮らそうというのですか?
そのようになれば、今まで、四大聖人をはじめとして、霊界に行っている、各文化世界の国家を超えて指導したすべての歴史的な人たちから指弾されます。彼らには、通告しておいた記録が、はっきりと残っているのです。
ですから、霊界に行けば、彼らから「あなたは、統一教会を信じてきたのなら、このような内容をすべて聞いたか、聞いていないか?」と尋ねられることでしょう。それに対して、「聞いた。」と答えるならば、「それでは、なぜ、実践しなかったのか?」と評されるのです。
孔子に会えば、このように言われ、イエス様に会えばこのように言われ、釈迦、マホメット、ソクラテス、共産党員にまで、「あれほど懇切に叫んで、証ししたのに、何だ? この女め! 私たちの目の前から、消えなさい。」と……。
彼らの先生になり、姉になり、兄にならなければならないのに、この姿は、何ですか? どのようにして、それを避けるのですか? 無事に通過できないというのです。歴史上に、初めて真の父母が現れて、天上世界の秘密を、どれほど子孫に伝えたいと思っただろうかというのです。
霊界の地獄に行った人たちは、「自分たちのようになって、ここに来てはいけない。」と言いたいのです。そのような、先祖としての子孫に対する責任を感じた人は、だれもが、“生きてできなかった。”という恨を抱いてきたのですが、真の父母は、そのような恨をすべて……。
何と言うのでしょうか? 垣根を壊してしまったのです。そして、「世の中が、わたしたちの世界になったのだなあ。」と……。共産世界から地獄に行った彼らを、皆、神様の命令によって……。
先生の命令ではありません。先生は、霊界に行った統一教会の責任者たちに指示して、神様の命令を受けて、セミナーを開き……。「セミナーの報告を中心として、真の父母の前に報告しなさい! 報告すれば、間違いなく、わたしが宣布してあげよう。」と言ったのです。
偽りの父母がつくったので、真の父母が責任を持って、地の果てまで、そのことを宣布することを始めたのですが、それが、今月の二十一日の「天地父母統一安着宣布大会」です。今、世の中は、このようになっているのです。ですから、今回の、このワールド・カップが問題でしょうか? それが、問題ではありません。
歴史始まって以来、存在せず、夢にも願い、成し遂げることができなかったものが現れ、世界に宣布大会を行って、「天地父母統一安着宣布」をするようになれば、その父母によって祝福を受けた人たちは、安息するようになります。
そうして、その安息した場に、国と国、そして国と世界が一つになることのできる橋が、さっさっさっと架けられ、今から大建設が展開するのです。
霊人たち、聖人、聖子たちが来て、自分の先祖を中心として、世界を救うための橋を架け、天上世界と地上世界が一つになった場において、一つの国が生じるのです。あたかも、心と体が一つになっているかのごとくに作り上げるための、差し迫った時期が来ました。 分かりますね? 分かりますか? (「はい。」)
その骨子が何かというと、その骨子はたくさんあります。"個人完成は、このようにすべきである。”というもの。個人と言えば、たくさんあるのですが、その骨子は、イーストガーデンにさっと入っていけば、正門に掲げられた「勝恨成就」という言葉がありますが、それが、そうです。それは、「恨に勝利して、摂理のみ旨を完成しなさい。」ということです。
それは、“解放的蕩減 復帰完成を成して、堕落していない本然のエデンの園で、アダムとエバが、神様に侍って暮らしていた、そのような直系子女の立場に立ちなさい。”ということです。そして、食堂には何があるのかというと、「一心定着」です。「一心定着」という標語があるのです。
それは、数十年間、掛けてあるのですが、それについて尋ねてきた人が、一人もいません。その答えを、今、話してあげているのです。分かりますか?
「一心」という言葉は、わたしたちではなく、神様のことです。神様は、心と体が闘いますか、闘いませ んか? 闘いますか、闘いませんか? 神様の心と体は、闘いません。神様の思想が行ったり来たりしますか、一つになっていますか? 分かりますか? ”一心一体一念”です。
それを神様側から見れば、三つが蘇生、長成、完成でなければならないものを、三数を代表して、「一心定着」という言葉が書かれているのです。 だれでも、心と体が一つになり、心と体が一つになったところにおいては、思想が一つになっています。それでは、その思想とは、何でしょうか?
わたしたちリトルエンジェルスの教育標語であり、新聞社の標語であるものが、何でしょうか? 愛天。言ってみてください。(「愛天。」)愛天。(「愛天。」)愛人。(「愛人。」)愛国。(「愛国。」)これが、三大原則です。
「愛天」とは、何のことであるのかというと、縦的な天の国のことです。わたしたちの心の国です。分かりますか? 「愛人」とは、何かというと、横的な地上の国のことです。天の国と神様と"縦的な父”と“横的な父”が、定着しなければなりません。定着する所は何かというと、国です。家庭なのです。分かりますか? 家庭です。
神様の考えの中では、何を中心としてでしょうか? 真の愛を中心として、”一心一体一念”が一つになり、家庭を中心とする生活を出発するということが、思想的なすべての核である、ということです。
皆さんも、そうでしょう? 男性と女性が、どのようにすれば、息子、娘を生んで幸せに暮らすことができるのでしょうか? それが、国よりも、もっと心配でしょう?
その時は、国がありません。国が始まりだからです。ですから、"一心”、それから何ですか? 何ですか、次は? "一心”! (「〃一心”!」)”一体”! (「”一 体”!」)"一念”! (「”一念”!」)
「一心」とは、何であるのかというと、「愛天」です。「愛天」は、「天を愛しなさい。」ということです。「一心」の「心」は何かというと、「人類を愛しなさい。」ということです。そうではないですか?
「愛人」、「愛国」は何かというと、家庭を拡大したものです。「家庭を愛しなさい。」ということです。男性と女性の願いは、すべての骨子、主流が、一心一体一念”の思想である、ということです。分かりますね? (「はい。」) 分かりますか? (「はい!」)
ですから、きょう、標題を言うとき、「『一心、一体、一念』安着」でもかまいません。「一念」は、「神様と天宙のことである。」と言えば、すべてでしょう? 神様の家ですから、そこには、万物世界、天地、すべて入っています。それは、天宙人の主流思想です。分かりますか?
一度、言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”、(「”一体”。」)、”一念”。(「”一念”。」)それが一つになったので、「安着」を抜いてもよいのです。
「”一心一体一念”安着」、それから、"一心一体一念”は、神様と天宙人の、天地の家、人………。すべて入っています。被造万物がすべて入っています。天宙人の主流思想です。はっきりしましたか? (「はい。」)……
一度言ってみてください。"一心”。(「”一心”。」) "一体”。(「”一体”。」)〃一念”は……、(「〃一念は”。」) 神様と天宙人の主流思想です。(「神様と天宙人の主流思想です。」)
それ以外にはありません。そして、その完成の標準ができているので、男性も、女性も、息子、娘も、そのまま神様とともに行くことができるのです。それを横的に三代圏、四代圏に入っていけば、多くの繁殖が成されます。
三代圏を超えていかなければなりません。それは、 原理を聞いて知っているはずです。三代を持つことができなかった神様が、三代圏を超えて、四代から種を取り、それを万国にまくことによって、"一心一体一念”、一体となったものは、神様と天宙人たちが、すべて主流思想となって、天の国に直行して行くことができるのです。アーメン。(「アーメン。」)
それで、皆さんの心と体が、一つになりましたか? 別々です。これが病弊です。ナイフを、自らの胸に突き立てるようにして誓い、何があっても、一つにならなければなりません。
それを知らなければなりません。日本のメンバー、分かりますか? 分かるでしょう? (「はい。」)それゆえに、“心と体が一つになっているのか?”ということが問題です。
ですから、率直でなければなりません。父母の前でも、師の前でも、国の前でも、率直でなければなりません。二つになってはいけないというのです。神様も、心と体が闘いますか? 神様が闘いますか、闘いませんか? (「闘いません。」)
なぜ、人間は、このようになったのでしょうか? 血統が変わったのです。大変です。それは、死ぬことよりも、もっと大変なことです。
ですから、先生もそこにぶつかって、解決方案を講究したのですが、その結論が何かというと、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成」ということでした。そのような標題を立てたのです。分かりますか? 大変なことです。そのような標題を立てて、自分の心と体が分かれて……。
さらには、眠りの問題、食べる問題、愛の問題です。いつも、二またです。
どこかに行けば、よいものを食べようとし、よいものを着ようとし、体が願うものを第一主義にします。それを引っ繰り返さなければなりません。
最後には、自分の愛する妻と息子を怨讐に抱かせてあげて、さらにその福を祈ることができる心まで持たなければ、神様の心情圏は分かりません。何のことか、分かりますか? それは、絶対に難しいことです。しかし、その絶対難しいことができなければ、復帰摂理は成されません。
もう、何のことか分ったでしょう? ”一心”、"一体”、“一念”は、韓国人は、説明しなくても分かっているというのです。神様と天宙人は……。(「韓国語でお話ししてください。」)
日本語で「かみさま」というのは、神様のことであるということを、皆、知っています。「てんちゅう」というのは、天宙のことであり、「人々の主流」と言うときの「しゅりゅう」というのは、主流思想のことです。
そのように、日本語で話しても、韓国人が分かるようになっていて、韓国語で話しても、日本人の六〇パー セントが分かるようになっているので、そのように怨讐視せずに、交差結婚さえすれば、三代以内に一つの国、天下統一するのです。アーメン。(「アーメン。」)
"そのようなことを願う。”という人は、両手を挙げて、目をつぶって誓いましょう。(「アーメン。」)目をつぶって……
なぜ、目をつぶるのかというと、神様とあなたの二人が、約束するということです。先生も、必要ありません。そのように約束した人は、間違いなく、力いっぱい手を下ろしてください! 手を挙げてください! 手を挙げてください! 挙げたので、決心する人は、手を、力いっぱい下ろしてください。(笑い)
そのくらいすれば、よいというのです。わたしは、力を入れたので、ひざが固まりました。さあ、そのくらいすれば……。
もう、昼食の時も過ぎました。午後一時です。わたしも、もう昼食を食べて、出て行かなければなりません。皆さんも、できるかぎり早く出て行くのです。リ トルエンジェルスで行われるエンターテインメントに参席しなければなりません。 さあ、立ち上がってください。
(「統一の歌」を全体で歌う)
(「梁昌植会長の先唱で、万歳三唱いたします。」)
(万歳三唱)
皆さん、アンニョン! さよーなら! グッド・バイ! (笑い)(拍手)
(敬拝)
|