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少年法改正案が賛成多数で可決された衆院本会議。右から2人目は上川陽子法相=国会内で2021年4月20日、竹内幹撮影
少年法改正案が4月20日、衆院本会議で可決された。厳罰化を意図した改正案をめぐり、過半数の議員が立ち上がって賛成の意を表する様子をニュース動画サイトで見た。体がゾワッとした。子どもたちが大人に見捨てられる瞬間を、目撃してしまった気がしたからだ。
世論調査では少年非行が増えていると答えた人が7割以上いるが、実際は、全く逆である。少年犯罪の検挙数も、重大事件数も、少年院の収容率も、全て減少傾向にある。殺人と傷害致死に至っては、ピーク時の1961年から比べると9割近くも減少している。増えているのは知的障害や発達障害のある、「手がかかる」少年の割合だ。
にもかかわらず、改正案では、18歳と19歳を「特定少年」と位置づけ、成人と同様の刑事手続きの拡大をねらう。実名報道も事実上可能にする。家庭裁判所が扱う少年事件の半数を18、19歳が占めているから、多くが少年法の手続きから外れ、育ち直しの機会を奪われてしまうことになるだろう。
今回は、私が今から20年前にテレビ番組のために取材をした、アメリカのある少年司法センターで行われている取り組みについて紹介したい。
厳罰ではなく、治療を選んだ住民
全米には、薬物問題に特化したドラッグコート(薬物法廷)がおよそ3000ある。米国における犯罪の7割以上が違法薬物がらみで、70年代以降、刑務所収容の激増という問題が起きたためだ。
ドラッグコートの誕生からすでに30年、刑務所での服役よりも、自宅や回復施設での生活と治療を組み合わせ、定期的に出廷させる方が受刑者1人当たりの経費も抑えられ、しかも効果があがるという結果が出ている。
私は2000~01年にかけて、当時始まったばかりの少年向けドラッグコートを取材し、NHKのBS1で「希望の法廷 〜地域で向き合う少年犯罪〜」として放送された。
番組の舞台になったのは、米オレゴン州の「レーン郡少年司法センター」。同郡では、98年に「サーストン高校の悲劇」と呼ばれる15歳の少年によるスクールシューティング(学校での銃乱射)事件が起こっていた。この「悲劇」を教訓にして住民が選択したのは「厳罰」ではなく「治療」だった。住民投票が行われ、非行少年のニーズに沿った治療や、家族ごとの対応、そして「良いところを伸ばす」形のセンターに改築することで合意を得た。
少年版ドラッグコート
ドラッグコート(薬物法廷)の事前打ち合わせをする判事、回復施設の職員、保護観察官ら。米ニューメキシコ州アルバカーキのメトロポリタン裁判所にて(c)Kaori Sakagami
「回復と成長(Recovery and Progress;R.A.P.)のための法廷」という名のドラッグコートも当時同センターに誕生したさまざまなプログラムの一つだった。対象者は薬物問題を抱える少年たち。殺人やレイプなどの重罪は対象外だが、窃盗や傷害などは対象に含まれる。関係者からは「R.A.P.コート」として親しまれ、今では月に40〜50人が利用する。
少年たちは10カ月間、週に1度法廷に通う。次の四つがR.A.P.コートの役割だ。
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(1)トラウマに関連した問題に焦点を当てたメンタルヘルス治療の提供により、アルコールや薬物使用の根本的な原因に対処すること。
(2)尿検査により、薬物やアルコールの使用をモニターすること。
(3)個人的な目標と社会的な活動を奨励すること。
(4)少年が最善の状態でいられるように、常に評価し、改善すること。
専門家がチームで対応
R.A.P.コートは、一般の法廷で行われる。黒い法服を着た判事が現れ、書記官が「全員起立」と声をあげ、人々が起立する。そこまでは、通常の法廷と変わらない。
違うのは、判事席に向かい合う形で長机が並べられており、そこに少年、「ケースワークチーム」(保護観察官、弁護士、精神科医、ソーシャルワーカーら複数の専門家による構成)、少年の保護者や回復施設の職員らが同席していることだ。傍聴席には薬物やアルコールの問題を抱える少年や保護者らが順番を待ちながら、自分のこととして聴き入っている。
その立ち上げから尽力してきたのが、キップ・レナード判事だ。10年に引退したが、それまでの10年間、「R.A.P.コートのキップ判事」として親しまれていた。通常は家庭裁判所の判事、週1回のR.A.P.コートでは、ケースワークチームの代表だった。
「調子はどう? この1週間どうだった?」
キップ判事は、一人一人の少年に向き合い、フレンドリーに語りかける。
少年らは、はにかみながら「何とか頑張ってるよ」と薬物を断って1カ月目のコインを見せたり、もぞもぞしながら「最近しんどい」と答えたりする。判事は個別に対応しつつも、踏み込んだ内容に差しかかると、保護観察官に話を振る。
ここでの保護観察官は、日本の家庭裁判所の調査官に似た役回りという印象だ。事件や近況について調べた結果や、週1回のケースワークミーティングの結果を判事に報告したり、少年や家族に確認を取ったりする。淡々と話すが、威圧的ではない。
一方弁護士は、少年の肯定的な行動に光をあて、判事に報告する。メンタルヘルス面は精神科医、問題の背景説明や調整はソーシャルワーカーの担当だ。
自宅から通う少年には保護者の同席が推奨されるが、仕事や都合で親が不在の少年も少なくない。薬物依存症の回復施設に入寮している場合は、施設職員も同席し、生活全般についての近況報告をする。
ロケハン時、筆者が書いたR.A.P.コートの傍聴ノート (c)Kaori Sakagami
ロケハン時のノートを開けば、初めて法廷を傍聴した時のことがありありと思い出される。たとえば、上記のノート左ページのクリスは、6週間薬物を断っていると報告し、ケースワークチームや傍聴席から拍手を浴びた。母親が日常的に目の前で暴力を振るわれる「面前DV(ドメスティックバイオレンス)」や、性暴力を目撃したことでトラウマを負っており、精神科医はそのトラウマが薬物使用や問題行動につながっていると説明し、治療経過についても報告した。少年は、車の故障で母親が来られなかったと説明し、迎えの手配が必要だとチームに依頼した。
ノート右ページのジェームズ(16)は母親と出廷し、最初に「尿検査で引っかかると思う」と発言した。薬物使用を認めたのだ。ここでは使用自体ではなく、うそが問題視される。問題を認めれば罰は与えられず、チームで解決策を一緒に考えてもらえる。
少年に寄り添う大人たち
R.A.P.コートに尽力したキップ・レナード判事(c) Kaori Sakagami
R.A.P.コートに私が魅せられたのは、チームでおのおのの少年のニーズに応えようとする、大人の姿勢だった。
たとえば、「メンター制度」。少年らは、初期の段階で関心や興味について聞かれる。ジョギング、散歩、読書、編み物、ダンス、映画鑑賞、音楽を聴くこと……。おのおのの興味関心に沿ってメンター(手本になる大人)をケースワークチームが探し出し、マッチングをする。基本、ボランティアだが、必要経費や交通費は支払われる。
新しく入ってきた少女は、自殺した母親が編み物が得意で、自分もやってみたいと消え入るような声でつぶやいた。翌週、手芸店でアルバイトをしているという女子大学生が傍聴席に座っていた。紹介されて立ち上がると、笑顔で少女に手を振った。少女は顔を赤らめ軽く手を振り返し、その後何度も振り返っては大学生をチラ見していた。
1〜2カ月に1度、ケースワークチームが少年たちとバスケットボールをする時間もあった。試合後はピザパーティーで、その時間だけ姿を見せる子や家族もいた。いつもは黒の法服に身を包んでいるキップ判事が、短パンとTシャツ姿で子どもたちとボールを追いかける姿や、ピザをほおばりながらジョークを飛ばしたり皆の話に耳を傾けたりする姿を見て、心から感動した。
実は、キップ判事は5歳の時に父を亡くし、父親の記憶がない。母親はアルコール依存症だったから、彼自身もR.A.P.コートの少年らのように、寂しさや苦しみを抱えて育った。非行に走らずに済んだのは、白人で経済的に恵まれていたことと、親族に助けられたからだと言い、苦しみをケアすることが問題の解決につながるというセンターの方針を強く支持していた。
そして極め付きが、最後のセレモニーだ。10カ月のR.A.P.コート修了者は、シュレッダーで非行の記録を自ら細断する。非行歴が文字通り消えるのだ。それは少年たちが最も消したいと願う汚点であり、努力によって汚点は消える。寄り添う大人がいれば、やり直せる。拍手と笑顔に包まれる少年を見て、そんなメッセージを受け取ったことを昨日のことのように思い出す。
少年に耳を傾けない大人たち
ドラッグコート自体が存在しない日本は、どうだろう。
実は、私はアーティストの友人らと共に、国内のある少年院で表現のワークショップを始めた。詳細については現時点で明かせないのだが、その活動を映像で記録し、映画にする予定だ。ある時、取材対象者である5人の少年らに「大人」について聞いたことがあった。
「『言うことが聞けないのか!』ばっかり」
「『夢ばっか見てんじゃない! 現実を見ろ』が親とか先生の口ぐせ」
「どこ行っても『お前は何歳だ? ガキがエラそうなこと言うな』」
「本音を言う大人なんか会ったことない」
「自分の気持ち? そんなの聞いてもらったことない」
「大人は判(わか)ってくれない」は、映画のタイトルになるぐらい普遍的なテーマだが、全員がそう首を振る様子に、正直、動揺した。
大人は、いったい子どもたちに何をしてきたのか。変わらなくてはならないのは、私たち大人ではないのか――。
少年院に来て、ようやく耳を傾けてくれる大人に出会えたという少年たち。それは、少年院の職員であったり、院内クラブ活動や教育を通して知り合った外部の人だったり、その両方だったり。また、少年院からの働きかけで、保護者と話ができるようになったとうれしそうに語る少年もいた。少年院が、そうした出会いの場になりえていることに、救われる思いがする。
少年院で気づかされたこと
ただし、今の少年院を含む矯正施設を手放しで肯定することが、私にはできない。時代遅れの過剰な規律や管理は、刑務所のみならず少年院にも見られる。たとえば男子少年院では、いまだに軍隊式の行進で移動するが、社会復帰に役立つとは思えない。そんな屈辱的な目にあわせるより、時代や現状に沿ったあり方を模索すべきだし、R.A.P.コートのメンター制度のように社会とのつながりを育むことのほうが大事ではないか。
そもそも「保護主義」をうたう少年院でさえ、罰の側面(懲らしめ)が強過ぎると感じる。また、別の回で詳しく扱うつもりだが、被害者がいる事件には、罪悪感を植え付ける「しょく罪教育」とは異なる「修復的司法」(犯罪や非行を損害と捉え、関係者の対話を通して問題解決を試みるアプローチ)を導入するなど、具体的な償いや関係修復の機会も必要だと感じる。
これらを実現するには今のしくみや予算では難しいだろう。マンパワーも足りない。意識改革が必要だ。関係機関だけではなく、社会全体の意識を変える必要がある。
少年院は、一般には縁遠い場所だ。しかし、足を一歩踏み入れれば、社会の延長線上であることを実感させられる。多様性を排除する公教育、人権侵害甚だしい校則、いじめなど、子どもをめぐるさまざまな問題もリンクする。
その一方、少年たちの吸収力や成長はすばらしく、会うたびに大きく変化を遂げていて、「少年の可塑性とはこのことか!」と驚かされもする。もっと彼らのことを知る機会が必要だ。
リアルな少年と出会えているか?
再び話をこの国の少年法改正に戻す。
今回の少年法改正案で起立した議員や、ネット交流サービス(SNS)に「少年法は廃止せよ」などと乱暴なコメントを書き込む人々は、自分の子どもや孫、友人の子どもらが「特定少年」扱いになっても、同じことが言えるのだろうか。いや、その前に、リアルな少年たちと出会えているだろうか。
「被害者のために厳罰化を」という意見も頻繁に見聞きする。しかし、犯罪被害者の回復に重要なのは、事実の解明や情報開示、十分な金銭的補償、長期的かつ多角的な治療、ケアやサポートである。加えて、加害者からの心からの謝罪や前述の「修復的司法」での体験が有効であることも海外では証明済みだ。被害者のニーズは個別で異なるし、加害者に罰を与えることは、ほんの一部に過ぎない。
私たち大人に今最も必要なのは、リアルな少年たちと出会い、彼らの声に耳を傾ける機会ではないか。私は、まさにその機会を、映画という手法で作ろうとしている最中だ。早急な法改正は避け、もう少し、時間をもらえないだろうか。
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坂上香
ドキュメンタリー映画監督
1965年大阪府生まれ。高校卒業と同時に渡米留学し、ピッツバーグ大学大学院(国際関係学)在学中に南米を放浪。92年から約10年間TVディレクターを務めた後、津田塾大学等で専任教員に。2012年に独立し、劇場公開向けの映画制作や上映活動を行うかたわらNPO out of frameの代表として、矯正施設等で表現系のワークショップを行ってきた。国内の刑務所を舞台にした映画「プリズン・サークル」(19年)が公開2年目に突入。劇場公開作品に「ライファーズ 終身刑を超えて」(04年)、「トークバック 沈黙を破る女たち」(14年)がある。著書に「ライファーズ 罪と向きあう」(12年、みすず書房)など。