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大輪の花火を見上げる群衆を緻密に描いた山下清の作品「長岡の花火」=滋賀県守山市水保町の佐川美術館で2023年4月28日午前10時45分、礒野健一撮影
境界知能、ギフテッドと、ここ2回続けて子どもの知能と発達障害をテーマに書いてきました。今回は、さらに続編として「サヴァン症候群」を取りあげたいと思います。
初めにお断りしておくと、この言葉は病名ではありません。もともとは重い知的障害がありながら特定の分野で非凡な才能を発揮する人たちのことをこう呼んでいました。
ところが、いつからか知能の高い低いは問われなくなり、発達障害や精神障害、脳に損傷を受けた人なども、突出した才能が認められれば同じように呼ばれるようになったのです。
「サヴァン症候群」という呼び名の歴史と意味
サヴァン症候群は、古くは頭に「イディオ(idiot)」と付いていました。「イディオ・サヴァン(idiot savant)」はフランス語ですが、これを言い出したのは英国の医師、ダウン症にその名を残すJ・ラングドン・ダウン博士です。1887年のことだといいますから、けっこう昔の話です。
このイディオという単語は「白痴」という意味で、いま使ったら差別語ですが、かつて精神科では重度の知的障害をこう呼んでいました。私が研修医の頃に使っていた教科書「最新精神医学・新改訂版」(南江堂、1984年)にも載っていましたから、そんなに昔の話ではありません。
当時、知的障害には「精神薄弱」もしくは「精神遅滞」という名称が使われていて、程度の重い順に、白痴、痴愚、軽愚と名称が分かれていました。もっとも重い白痴は「知能指数20以下、就学不能」なんて書いてある。現在は知能指数を問わず、どんな子どもでも就学が可能ですから、それを考えるとやっぱり昔の話ですね。
一方、「イディオ」と反対に「サヴァン」は「学がある」とか「学者」という意味だそうですが、イディオ・サヴァンについては「天才」の日本語を当てるのが一般的です。その方がニュアンスが伝わりやすいからでしょう。
つまり、言葉もしゃべれない、身の回りのことも自分でできない、見た目にも知能が低そうに見える、でも4万年後の今日が何曜日か瞬時にわかるなんて!天才か?!みたいな人を「白痴の天才」と呼んでいたわけです。
ちなみに、サヴァンの人が超人的な力を見せるのは記憶や計算などの学問的分野だけではありません。美術や音楽など芸術の領域でも特異な才能を発揮します。特に、アール・ブリュット(生の芸術)の作家の中には、サヴァンに該当する人が少なからずいると思います。
上述のとおり、サヴァンは発達障害や精神障害、脳に損傷を受けた人などに見つかるわけですが、なかでも関連の深いのが自閉症スペクトラム障害です。
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「なぜかれらは天才的能力を示すのか」(草思社、1990年)の著者、ダロルド・A・トレッファートは、本著でサヴァンの割合は自閉症者の10人に1人だと書いています。これに比べて、脳損傷患者あるいは知的障害者の場合は2000人に1人だそうですから、その差は明らかです。また、サヴァンの側からみると、半数は自閉症者だともいいます。
ただし、この本が書かれてから 自閉症の概念が大きく変わり、自閉症スペクトラム障害(ASD)と診断される人の数は桁外れに増えましたから、この数字は現在ではあまりアテにできません。
多方面で才能を開花させたサヴァンの画家たち
ゴットフリート・ミントは数多くの猫の作品により才能を示したことで知られる。写真は平松洋「猫の西洋絵画」(東京書籍)に掲載されている「机の上の本と2匹の猫」(バーゼル美術館)
歴史上有名なサヴァンの一人に、1768年にスイスに生まれた画家のゴットフリート・ミントがいます。絵の才能は幼児の頃から認められていましたが、知的障害があったらしく、大人になっても読み書きができず金銭の価値もわからなかったそうです。
彼は、猫、兎、鹿、熊などの動物や子どもをモチーフに描いたデッサンや水彩画をたくさん残しており、とくに猫の絵は評価が高く「猫のラファエロ」の愛称で親しまれていました。時の英国王ジョージ4世も、ミントの猫の絵を1点所有していたということです。
ただし、ミントが活躍したのは、ダウン博士が「イディオ・サヴァン」の概念を提唱する100年ぐらい前ですから、彼のことを実際にそう呼んでいいかはちょっと迷うところです。
そこで、現代に生きるサヴァンの画家をあげるとしたら、たとえば、スティーブン・ウィルトシャーはどうでしょう(注1)。1974年にロンドンに生まれた彼は、3歳で自閉症と診断され6歳まで言葉をしゃべれませんでした。初めて発した言葉は「紙」だったそうです。
彼は、5歳の頃から絵に関心を持ち始め、やがて建築物や街の絵を好んで描くようになります。そこで明らかになったのは、目に見た風景を短い時間で細部まで正確に脳に残す能力、いわゆる直観像でした。
2001年にイギリスのテレビ局の特集番組で、ロンドン上空をヘリコプターで飛び、街のパノラマを絵にするウィルトシャーの姿が紹介されました。飛行時間は15分間だったにもかかわらず、彼は記憶だけを頼りに、5日間かけてロンドン市街を巨大カンバスに精緻に描いてみせました。
国内に目を移すと、日本を代表するサヴァンは「裸の大将」こと山下清でしょう。1922年浅草に生まれた彼は、12歳のときに八幡学園という知的障害児のための養護施設に預けられました。そこで、ちぎり絵を覚え、のちに独自の方法で貼り絵作品を制作することになります。
1968年9月、岩手県一関市で開かれた作品展とサイン会でサインをする山下清(右)
紙をちぎって貼り付けたとは思えないほど細密で色彩豊かな絵は、美術家や批評家からも高く評価されました。作品は貼り絵だけでなく、油彩画、水彩画、ペン画や陶器の絵付なども多くあります。
また、山下清は放浪の天才画家としても有名でした。映画やドラマでなじみの「裸の大将」というタイトルも、各地を放浪する彼の姿をイメージしたものだったのでしょう。
画伯は旅先でスケッチしたり写真を撮ったりすることなく、行く先々で見てきた風景を作品にするときは記憶だけを頼りにしていたといいます。おそらく、ウィルトシャーと同じく直観像の持ち主だったと思われます。
「サヴァン」という名称が不要になる日
ここまで美術展のチラシにあるような文章ばかり並べてきましたが、たまたま山下清のことをネットで調べていたとき、甥にあたる山下浩さんの発言を見つけました(注2)。清伯父さんは、49歳で亡くなるまで、浩さん一家とずっと同居していたそうです。
1964年の東京オリンピック開会式の様子を描いた山下清の水彩画。2021年の東京五輪に合わせ当時の所有者から東京都に寄贈された=都庁で21年7月21日午前11時38分、斎川瞳撮影
浩さんはインタビューに答えて次のように語っています。
「山下清は自分のことを障害者だとは思っていません。そして一緒に暮らしていた、私たち家族もそうは思っていません。(中略)おじは何年も放浪生活を続けられるぐらい生活力がありますし、有名になってからは絵画で生計を立てて自立もしていました」
さらに、山下清に知的障害があったとされていたことに対しても、本人は正式に知能検査を受けたことはなく、施設に預けられてはいたが戦前は医師の診断を受けた子どもだけが入所していたわけではないという新事実(?)も明かしています。
こうなると、サヴァンという括(くく)りも難しくなりそうですが、浩さんも山下清に自閉症のアーティストと共通するところがあった、すなわちサヴァン的能力があったことは認めていますから、従来通りの認識でいいのかもしれません。
しかし、上述したように、「イディオ」はとっくに外されて知的障害の有無も問われなくなったサヴァン、この言葉自体そろそろお役御免にしてもいいんじゃないでしょうか。起源からして、そもそもが失礼な表現だったわけですからね。
インタビュアーは、山下清を最近になって注目の集まっている「障害者アート」の中に位置づけたいようでしたが、これに対して山下浩さんは辛辣(しんらつ)にしてまっとうな意見を返しています。
「作風でジャンル分けするならわかりますけど、描いた人が障害者かどうかというのは作品とは関係のないことでしょう。逆に『健常者アート』という概念が成り立つかどうかを考えてみればわかると思います」
まったく同感です。作品は作品、才能は才能として、そのまま受け入れればよい。病跡学や脳科学など学問的な関心は別にして、「〇〇なのに、こんな絵が描けるなんて! こんな才能があるなんてすごい!」という称賛の仕方は、どうも感心しません。「〇〇なのに」は余計だろうと思うのです。
注1:Stephen Wiltshire公式ホームページ
https://www.stephenwiltshire.co.uk/
注2:画家・山下清の素顔について考える 前編 Connect-“多様性”の現場から ハートネットTVブログ:NHK
https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3400/239192.html#contents
特記のない写真はゲッティ
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山登敬之
明治大学子どものこころクリニック院長
やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。