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「自分の人生の終わりは、自分で決めたい」と思っていても、その時点になると心身が衰えてしまい、意思決定ができなくなっている場合が多いのが現実です。
人生の最終段階の医療とケアについて、本人が事前に家族や医療・ケア関係者などと話し合い、自分の希望を伝えていく「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」。厚生労働省(厚労省)は2018年に「人生会議」(※1)という愛称をつけ、普及を目指しています。
背景にあるのは「人生の最終段階では、約70%の人が医療やケアを自分で決めることができなくなる」という、厚生労働省の調査結果(※2)でした。同じ調査の2023年版では、一般国民の72.1%、医師や看護師の20%程度がACP(人生会議)を「知らない」と答えています。18年に比べ、医師・看護師・介護職員では理解や関心が増えていますが、一般国民については、大きな変化はありません。
医師会などが中心となり、各地で研修が行われるようになりましたが、現場の様子を見聞きしていると、言葉だけが先行している感は否めません。そんな中、介護人材育成研修や、ケアプランのコンサルティングを行う高室成幸さん(ケアタウン総合研究所・66歳)は、自身の病気で余命を突きつけられました。
まさか、自分が白血病!?
高室さんが、急性骨髄性白血病の診断を受けたのは、23年10月末のことでした。持病の定期検査に行ったところ、「白血球が少なすぎる」と言われ、骨髄検査をしたら、即、入院。週2回ジムに通い、8キロマラソンを週2回行う健康オタクだった高室さんは、思わずつぶやいたそうです。「まさか自分が? マジか!」と。
入院中の高室成幸さん
「無菌室に入れられて、内心は戸惑いっぱなし。でも、抗がん剤治療はどんどん進み、髪の毛も抜け始め、副作用がつらかったですね。12月に腹部の痛みがおさまらないのでエコーを撮ると大腸に穴が開いているのが判明。これを治療しないと抗がん剤を続けるのはまずいと緊急手術しました。小腸におなかから便を排せつするためのストーマが付けられ、体力がグンと落ちました。手術痕は痛いし、動くのもしんどい。今も抗がん剤の副作用よりも、ストーマ管理が大変です」
白血病と診断されてから、やたらと気になるようになったのが「余命」でした。
「がん患者になると、『あとどのくらい生きられるでしょうか』という質問をしたくなります。私も病名を告げられて、しばらくしてから主治医に質問しました。丁寧な説明を心掛けてくれる担当医だったので話が細部にわたり、初めて聞く医学用語も次々に飛び出すため、脳内はパンチドランカーのような状態でした。長い話を要約すると『血液細胞をさらに遺伝子レベルまで検査しないとわからないので、いまは何とも言えない』ということでした」
高室さんの場合は、がん細胞の遺伝子変異を調べた結果、「抗がん剤の効果も未知数」と言われました。「論文に掲載されたデータですが……」と見せられた生存率のグラフでは、3年生存あたりから急降下し、5年生存率は20%もありません。不確実性のあるデータとして示されたものの、「ああ、こうやって患者はあきらめの境地になっていくのか、と思ったりしました」と苦笑します。
がんになると、「人生の時間に限りがあるという事実を突きつけられる」と、高室さんはいいます。「自分の余命は3年か5年か、という時間の区切られ感がありました。やがて『人生負けた感』も襲ってきて(笑)、それもきつかったですね」。
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誰も提案してくれなかったACP
戸惑いや疑問、不安が渦巻く中で、高室さんは4カ月の入院後、通院治療を選んで大学病院を退院しました。その後、別の抗がん剤治療を受けるようになり、現在は別の病院で「通院ときどき入院」治療をしています。
高室さんは、ケアマネジャーや地域包括支援センターの職員らを対象に研修を行っているので、ACPについても基本的な知識があります。しかし、「自分のこれからのケア」のあり方を考えるACPが、自分ごとになったのは、がんの当事者になってからでした。
意外だったのは、病院の担当医からACPについてまったく話が出なかったことです。病気になる前は、病院での面談時に医師や看護師から「治療の説明や話し合いは十分に行われているか」といったことや、患者の希望や気がかり、大切にしたいことなどを尋ねられるといったイメージを抱いていました。最初の病院では「1週間くらいしたら、医療ソーシャルワーカーがやってくるんだろう」と思っていたといいます。
「私のいまの仕事や家族と大切にしたい時間のこと、残された時間をどのように刻んでいけばいいか、不安も含めて相談に乗ってほしいと思っていました」と、高室さんは語ります。しかし、現実はまったく違っていました。
厚生労働省の啓発用リーフレット=同省ホームページから
「誰もその目的では来ないんですよ。担当医は治療については詳しい説明をしてくれます。どういう治療を希望するかは尋ねられますが、治療の全体像がピンとこないので生返事になります。診断直後の告知の時は気が動転していたので、まともに答えられたかどうかさえ自信ありません。しかも体の状態は抗がん剤の副作用でどんどん変わっていく。これからどうなっていくんだろうと、不安と疑問が頭いっぱいに広がりました」
高室さんは、新しい抗がん剤にチャレンジするために転院した病院で、担当医に「この病院では、ACPはどうなっているんですか?」と尋ねました。
「すると、『うーん、やっていないですね。患者さんから希望があればやりますよ』と言われて、ずっこけました。2人ともとても正直ないい先生で、病気についてはいろんな話ができるんですが、病気を抱えて生きていく患者のこれからの生き方については、自分の仕事外という感じでした」
多床室に入ると、ほかのがん患者が抱えるそれぞれのつらい事情も見えてきます。痛みやだるさなどの身体の苦痛に加え、不安や焦りや孤独感などの精神的な苦痛、仕事、お金、家族・親族の問題などの社会的な苦痛、それに加えて、人生の意味や死などに向き合うことによるスピリチュアルペイン……。
入院中は時間がたっぷりあったので、あらためてACPについて厚労省の専門サイトを検索し、動画も視聴し考えました。そこで感じたことは、さまざまな苦しみを抱えている当事者にとって、今のACPでは不十分だということでした。
本人の視点ではない
「サイトで紹介されているACPの質問シートが典型的なのですが、ほとんどが治療内容や延命の判断、みとりの場所や時期、誰にみとってほしいか、といったことが中心で、あらかじめ家族と医療・介護のチームと本人が話し合っておこうという項目ばかりです。つまり、はじめに『どういう生き方をしたいのか』という大前提の質問がない。もともと末期の医療のガイドラインなので、医療目線になることは理解できますが、なにより視点が<本人>ではなく、医療を中心とした<ケアチーム>だということが、非常に気になりました」
もうひとつ気になったのは、動画の中で語られた「終末期を迎えた方が本音を語ることで周囲の人の肩の荷が下りることがある」という説明でした。
「何人もの医療・介護職に囲まれて、本音を語れる人が果たしてどれほどいるでしょうか。『まだまだ死にたくない!』と本音を叫んだら、どういう言葉を返すのでしょうか? 本音を語ると、誰の肩の荷が下りるのでしょうか? それに本人が穏やかな言葉だけを求めているとは限りません。果たしてACPや人生会議は、私の死を和らげてくれるのかなと思いました。そこが当事者や家族、心ある専門職が抱くACPへのモヤモヤではないでしょうか」
生きる上で大切なのは、それぞれが持つ「文化性」が尊重されること
医療や介護の現場で「自立度」を評価する専門用語に、「ADL」(日常生活動作)や「IDAL」(手段的日常生活動作)があります。ADLは生きるうえで必要になる生命行為です。例えば「起き上がる」「着替える」「食べる」「移動する」「排せつする」「眠る」など、日常生活で必ず必要となる基本的動作です。一方、IADLは「暮らしの行為」で、掃除や洗濯、料理、お金や薬の管理、交通機関の利用、電話の応対などがそれにあたります。
高室さんは、15年前からこの二つに「Culture(文化)」と「Cultivate(耕す、磨く、洗練させる)」の二つの意味を加えた「CADL」(文化的日常生活行為)という概念を、ケアプランの評価(アセスメント)とケアに盛り込むことを提唱してきました。<文化>というのは、それぞれの人が持つ「楽しみ、趣味、役割、仕事、人間関係、交流、こだわり」などのこと。高室さんは「心地よさ、充実感、幸せ感、ときめき」と説明しています。
高室成幸さん作成
「私がCADLという定義と理論が必要だと考えたのは、これまでの介護現場では利用者を支える視点が、もっぱらADLとIADLという健康管理中心だったからです。つまり<生きる支援>と<暮らしの支援><身体の支援>だけだった。いずれも、生きていくためには大切な要素ですが、食事・排せつ・入浴介助だけで、ご本人は『生きている充実感や生きがい』を感じることができるでしょうか?」
便秘が解消されたり、オムツ交換が終わった時に一瞬「爽快感」があっても、本人はそこに「生きがい」を感じるだろうか? 痛みやしびれ・かゆみ・吐き気が緩和・抑制されることで、イライラした感情は消えたとしても、それが人生の充足感につながるのだろうか? 高室さんは自問しました。
心身の機能が低下しても、認知症で不穏な状態になっても、みとり期になっても、従来のADL・IADLに加え、本人にとっての「心地よさ、充実感、幸せ感、ときめき」に沿った支援があれば、その人の「生きていることの充足感」につながるのではないか。そうした考えのもとにケアプランを提案する研修を長年行ってきました。ほぼ1年間の闘病体験を通じて、その考えがさらに強まったといいます。
「介護保険制度では『利用者本位』と言っているのに、残念ながらケアマネさんたちのつくるケアプランはサービスのマネジメントが中心で、個別性重視をうたいながら金太郎あめのようなワンパターンが多い。『支援者側として何ができるかの発想』でつくられています。そこに限界を感じたので、『その人が持っている文化・生活様式を大事にしよう』と発信してきました。急性骨髄性白血病という血液のがんになり、ACPの場においてこそ、その人の持っている人間性と文化性を大切にした支援が必要ではないのかと、つくづく思いました」
特にみとり支援では、「穏やかな言葉や、落ち着いたかかわり方が大事」と言われますが、それこそ決めつけでは?と高室さん。それよりも「生き切るためのポジティブな応援の言葉がほしい」と。
高室さんの病状はとりあえず小康状態を保っています。日常的にだるさが抜けない日々に対しても、コツがわかってきて、うまくつき合えるようになったと語ります。
今年6月に神奈川県で開かれた日本ケアマネジメント学会に参加した高室さん(右)。中央は認知症介護研究・研修東京センターの永田久美子副センター長、左は日本認知症本人ワーキンググループ代表理事の藤田和子さん
「力むわけでも、そんなに落ち込むわけでもなく、しぶとく・しなやかに、楽しみながら日々を送っています。オンラインのおかげで打ち合わせや研修講師もでき、専門誌の連載や本の執筆に忙しいです。願いとしては、来年100歳になる母よりは長生きしたいし、できる限り仕事で社会に貢献したい。それと、来年のホノルルマラソンに出たい。10キロコース、あるいは1.6キロコースもあるので、これを目標に体力をつけ、ストーマをつけているけど、なんとかチャレンジしたい。ACPの場ではそんな私なりのCADLをチームに伝え、生き切りたいですね」
※1:厚生労働省「『人生会議』してみませんか」
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html
※2:人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査:調査の結果
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/saisyuiryo_a.html
特記のない写真はゲッティ
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中澤まゆみ
ノンフィクションライター
なかざわ・まゆみ 1949年長野県生まれ。雑誌編集者を経てライターに。人物インタビュー、ルポルタージュを書くかたわら、アジア、アフリカ、アメリカに取材。「ユリ―日系二世 NYハーレムに生きる」(文芸春秋)などを出版。その後、自らの介護体験を契機に医療・介護・福祉・高齢者問題にテーマを移す。全国で講演活動を続けるほか、東京都世田谷区でシンポジウムや講座を開催。住民を含めた多職種連携のケアコミュニティ「せたカフェ」主宰。近著に『おひとりさまでも最期まで在宅』『人生100年時代の医療・介護サバイバル』(いずれも築地書館)、共著『認知症に備える』(自由国民社)など。